第10話 風


 だがそんな時、後悔を吹き飛ばすかのように大きな音が響く。
 それはサクの前に生えていた木の防壁が奏でている、聞き慣れないものだった。
 木の防壁を中心とし、周りからは勢いのある木々がさらに生えていく。 それらは中心の防壁を補助するように新たに生え、元の木と絡み合っていった。
 それらは勢いが衰える事は決してなく、どんどん上へ向けて伸びていく。
「な、何……!?」
 ただならぬ気配に風龍がサクの方に目をやろうとした時には、そこにあるものは少し前の防壁とは全く姿を変えていた。
 すでに前にある木の固まりはサクを見えなくしている程で、風龍と同じくらいの大きさにまで成長していた。
 ただしそれでも一瞬だけ、木々の絡み合う隙間からサクの事が窺えた。
「……」
 風龍がその時に目にしたのは、緑に輝く目と表情のない顔だった。
 そこには風龍に対する敵意や、憎しみなどは感じられない。 ただ落ち着きと冷静さを持って、木々を作り上げる事に執心していた。
 やがてその後も次々と木は生えて、続々と一つに纏まっていく。
 そしていくつもの木々が重なり合い、作り上げられながら大木は新たな形を成していった。
 完成したのか動きを止めた時には、まるで龍のような形となっている。 木で出来ている事に加え、姿はどことなく木龍と似通っている。
 その姿はまるで木龍が肉体を取り戻したかのようであり、さらに驚くべき事に生きているかのように動き出していった。
「木龍、お前……!? やはり、お前の仕業か……!」
 風龍はそれを目にすると勝手な結論に至り、思わず叫んでいく。 あくまで人の介在する余地はないと決めつけているのか、頭の中は一気に怒りで占められていく。
 そして復讐を果たそうかのように動き出すと、勘違いしたまま力任せに風の刃を放っていった。
 しかし大量の木が合わさって出来た木の型には、風の刃でも大きな傷はつけられない。
 おまけに多少の傷が出来ても、すぐに別の木が覆って元通りに修正されていく。 生物の傷が治るかのように、あらゆる部分がすぐに再生していった。
 そして木の型は勢いを失う事なく、正面から突っ込んでいった。
「ぬあああぁっ……!」
 風龍はかなりの迫力を受けているのか、思わず避けようとする。
 だが結局は間に合わずに激突すると、辺りに大きな音と衝撃を響かせていった。
「ぐっ、があああぁぁっ……!」
 さらに一時は倒されそうになるが、何とか寸での所で踏み止まる。
 そして今度は逆に押し返そうと、苦悶の表情を浮かべながら全身に力を込めていく。
「負けてたまるかっ……。ここで肉体を失ったらあの時と同じ……。またあんな惨めな気分を味わうのは、たくさんだっ!」
 絶叫じみた声を上げながらも、その場でもがき続ける。
 意思と共に惜しみなく全力を投入する風龍に対し、木の型はわずかに下がり始めていった。
 だがその時、静かな変化が起こり始めていた。
 木の型からは少しずつ一部分が伸びながら、風龍の体に絡みついていく。 波が海岸を侵食するように、誰にも気付かれないくらい事は慎重に運ばれていく。
 力を込める事に気を取られていた風龍は気付く事すらなく、露見する頃には手足などの末端まで完全に捕らわれていた。
「なっ……!」
 今さらだが気付いた風龍は、慌てて逃れようとする。 しかし時はすでに遅く、複雑に絡みついた木は決して振り解けなかった。
「き、汚いぞっ! やめろ、こんなものっ……!」
 どれ程力を込めようが、どれ程苦心しようが何の意味もない。 ただその事実に憤慨しつつも、反撃のために風の刃を放っていく。
 だが一縷の望みにかけた行動も、大した効果は得られなかった。
 わずかに木を切り裂く事は叶っても、すぐに修復されていく。 すでにサクの操る力は風龍を上回っているのか、現在の状況が引っくり返されるような事は起こり得なかった。
「今すぐ取り外せ……!」
 それでも風龍は諦める事なく、力ずくで木々をどうにかしようとする。
 しかしそれは叶わず、木の型はさらに木々を伸ばしていく。 それは年月を経た木が周りにあるものを呑み込むかのようであり、空恐ろしさすら感じる。
 だからなのか、ロウ達はその光景に言葉を失っていた。
 風龍がいくら抵抗し、懸命に傷つけてもすぐに木は再生を図る。
 もう風龍は暴れながら叫び続ける事しか出来ず、木の中にどんどん埋め込まれていった。
「無様だね……。君も最後まで堂々としていなよ。龍なら、さ」
 サクはまだ諦め切れない様子でいるのを、じっと見上げながら呟く。 自身が目指すのとは真逆な姿を奇異に見ているのか、どことなく冷めた目をしていた。
「このっ……。餓鬼が! どの口でそんな事をほざくっ! たかが器の分際でっ……! 外せ、ぐぉぉおぉおおお!」
 だが風龍にとっては、人ごときにそのような事を指摘されるのは我慢ならないようだった。 激昂すると今まで以上に力を込め、大暴れしながらもがいていく。
「そう、その目だ。僕は君を倒して龍になる。せめて、それをしっかりとその目で見届ければいい……」
 自分を強く睨んでくる視線にも怯む事なく、サクは冷静に言い放つ。
 さらに同時に、木が力を一気に増して風龍の動きを封じていった。 それはまるで、木自体がサクの意思を表しているかのようでもあった。
「ぐぅ、そんな……。俺様が、龍が器ごときにっ……」
 すでに風龍はほとんど木に呑みこまれ、もう顔の辺りしか見えなくなっている。
 それでも最後まで目を閉じる事がない辺りには、自分が龍であるという誇りや意地のようなものが感じられた。
「何故だ。どこを間違った……。何がいけなかったんだっ……」
 そして風龍はいつまでも睨みつけながら、弱々しい言葉を口にしていく。 もう自分の力ではどうする事も出来ないと分かっているのか、その頃には抵抗もすっかり止んでいた。
 体は木に完全に呑まれ、その光景をロウ達や龍達が見つめている。
「……」
 その中にはシンの姿もあり、視界から消え去りつつある風龍の事を神妙な顔で見上げていた。
「俺様はっ……。全ての生命の頂点に立つ、龍だぞっ……」
 風龍は最後にそう叫ぶが、やがて全身が木に呑み込まれて見えなくなっていく。
 そしてその後、木の動きは止んで辺りには静寂が訪れていった。
 一つの固まりとなった木からは風龍の動きはもちろん、息遣いすらも聞こえてこない。 それは戦いも、命すらも全てが終わった事を示していた。
 風龍は素体から完全な肉体を手に入れ、かつての力を取り戻した。 しかしそれは自身が見下し、怒りや憎しみさえ抱いていた人によって無為に帰す事となる。
 今や風龍はまた肉体を失い、完全に大木の中に取り込まれていった。
 全てが終わった跡には龍の形を模した大木が、さも昔からあったかのように厳かに佇んでいるだけだった。
「ねぇ、木龍……。これで、僕も……」
 木々と同じかと見紛う程にひっそりと立ち尽くすサクは、疲労困憊といった様子だった。
「……あぁ、龍になれる」
 刺激を与えないかのように静かに話す木龍は、横顔をじっと見つめている。
「うん。そう、だよね……。ふぅ……」
 サクも安堵すると、もう力を振るう必要はないと判断したようだった。 深い溜息と共に緊張を解くと、ゆっくりと手を下ろしながら全身から力を抜いていった。
「終わったのか?」
 トウセイは背後の方から近寄ると、慎重に声をかけていく。 まだ激しい緑の輝きが目に焼き付いているのか、どこか気の抜けたような状態だった。
「う、うん……」
 一方で力を使い切っているのか、サクはそう答えるのが精一杯のようだった。
 そのままよろけて倒れそうになるが、それをロウが間一髪の所で支える。
「もう、皆……。本当に物好きだね。僕なんかのために傷ついて……。ロウもいい加減に、誰かのためなんて考えを捨てた方が良いよ」
 疲労困憊といった様子のサクは、朦朧としながらも口を動かし続けている。
「そんなんじゃ、いつか大きく損をする事になるからさ……」
 まるでもう人として話す事が出来なくなるのを惜しむかのように話は止まらず、熱に浮かされるように喋り続けた。
「サク君、あまり喋らないでください」
 センカは心配するように表情を曇らせ、本当に熱でもあるのかと額に手を当てていった。
「だってもう、今くらいしか皆と話せそうにないんだもん……」
 だがサクは向けられた手を弱々しく掴むと、虚ろな目をしてそう言った。
「……そんな事はないですよ。これからだって話す事は出来ます。好きな時にいくらでも」
 センカはその手を優しく握り返すと、穏やかな微笑みを浮かべる。 そしてさもそれが当然の事のように、淀みない言葉を口にしていった。
「本当に……?」
 しかしサクはまだ不安げな様子で、じっと見つめ返しながら瞳を揺らしている。
「えぇ。必ず」
 センカはそれに対して確信めいた言葉を返し、最後に大きく頷いた。
「そう……。だったら、いいか……」
 サクはそれでようやく納得が出来たのか、安堵の表情を浮かべて目を閉じていく。
 そして完全に緊張が解け、疲労が頂点に達したのかそのまま穏やかな眠りについていった。
「よっこらしょっと……」
 その時、ロウ達から少し離れた場所から人の声が聞こえてくる。 声の主はシンであり、ある程度は体が回復したのか特に行動に支障はないようだった。
 何事もないかのように立ち上がると、まだ血に塗れた状態ながら普通にこちらへ歩いてくる。
「あ、あれ? もう立てるのか?」
 ロウはその体力に驚き、思わず声をかけていく。
「あぁ、何とかな」
 シンは頭をかきながら、口元に笑みさえ浮かべて気楽に答えている。 それを見ると、本当に大した事などないかのように思えてくるのが不思議だった。
「それより、そいつは大丈夫なのか?」
 シンは次にサクの方を覗き込むと、そう問いかける。 先程の木龍の力を目にしているからこそ、興味深そうな態度をしていた。


  • 次へ

  • 前へ

  • TOP















  • inserted by FC2 system