第10話 風


「はい、サク君は龍と同化していますから……。ほら、もう傷もほとんどが塞がっています」
 センカはそれに対し、サクの様子を窺いながら慎重に答えていく。
「ふむ……。確かに疲労で寝ているだけのようだ。心配いらん」
 さらにその時、顔を覗きこむ存在がもう一つあった。 それは木龍であり、表情はいつもと変わらずに冷静な言葉を発している。
 サクと同化しているからこそ、その調子がどうなっているか手に取るように分かる。 だからこそ不安や焦りを見せる事なく、静かに様子を窺う事が出来ていた。
「そうか、無事なのか」
 トウセイはその後すぐに、小さく呟いた。 感情をあまり表に出してはいないが、声には少し安堵が含まれているようだった。
 それは本人くらいしか分からないようなほんのわずかなものだったが、あざとく聞きつけた者がいる。
「良かったですね、トウセイさん!」
 センカは嬉しそうに笑っていくと、じっと見上げてきた。
「あ、あぁ。だが俺は別に心配していた訳じゃ……」
 トウセイは表情を読み取られないように慌てて顔を逸らすと、弁明の言葉を口にしていく。 だがそれは逆に心配していたと自ら認めるようなものであり、明らかに墓穴を掘っていた。
「ふふっ。正直じゃないんですね、トウセイさんってば」
 センカは微笑ましそうに言うと、口元を隠しながら楽しそうにしていた。
「馬鹿な事を言うな。俺は本当にだな……」
 トウセイは少しむっとすると、指摘された事に対して反論しようとしていく。
「はいはい。分かっていますよ、トウセイさん。何も言わなくても大丈夫ですから」
 しかしセンカはまともに取り合う気もなく、笑顔のまま生暖かい視線を送り続けていた。
「お前は……」
 それは親が言い訳をする子供を微笑ましく見つめるようなものであり、トウセイは気に入らないようにしている。
 そのためにそこからしばらく、二人の不毛な言い争いが続く事となっていた。
 だがトウセイがどれだけ言葉を重ねようと、センカには届かない。 微笑ましく見つめられ、あげくの果てには軽くいなされてしまう。
 確かに言い争ってはいたが、そこに真剣さや緊張感などといったものは欠片も存在しなかった。
「はははは……」
 だからこそ見方を変えると仲の良さそうな光景に対し、ロウはおかしそうに笑っていた。
「……。ふっ……。はっはっはっはっ……!」
 そして近くにいるシンも少し呆気に取られていたが、やがて楽しそうに笑い出す。
 人と龍の激闘が繰り広げられた跡地では、戦いとは似ても似つかない笑い声が長い間響き渡っていた。

 しかしそこから少し離れた場所ではサクが一人で寝込み、静かな寝息を立てている。
「我は本当は知っていた。お前がどれだけの覚悟を持っていたのかを。そして同時に感じていた重圧の事も……」
 すぐ横には木龍の姿があり、顔を上から覗き込むようにして眺めていた。
 サクは穏やかな表情で寝入っているが、体は戦いの激しさを物語るように汚れている。 傷跡も生々しく残り、流れた血は固まって変色している。
 それでも満足気な表情からは、後悔など微塵も感じられなかった。
「我はお前と過ごしてきた日々の中で、それらを何度も知っていった。同化しているが故に、常に心を感じ取る事が出来たからな……」
 ただ木龍は、逆に心苦しそうな表情を浮かべていた。
「だが、そうやってお前を知るたびに迷いが生まれた。本当にお前を龍にしていいのか。人でないものに変えていいのか。その答えは永遠に見つからないと思っていた」
 そしてサクと違って後悔を直接顔に浮かべると、目はどんどん伏せられていく。
「だがそれほどの覚悟があれば、もう充分だ。人としてまだ未熟な体でよくここまでやったな、サク。お前はもう、立派な龍だぞ。しばらくはゆっくりと休むがいい……」
 それでも細まった目でサクを見つめるのは止めず、そう言う顔は今までに見た事のないくらい穏やかなものとなっていた。
「えへへへっ……」
 そしてそう言われた瞬間のサクの顔はというと、意識はなくとも言葉を聞いていたかのように微笑みを浮かべていた。
 実際にはまだ眠りについており、今の反応もただの偶然かもしれない。 だがそれも間違いではないのではないかと思える程、その時の顔は安堵に包まれていた。

「なぁ、あのさ……。悪かったな、あんた達をこんな事に巻き込んじまって……」
 ちゃんとした会話を交わす前にロウ達と笑い合っていたシンだったが、やがて急に神妙な顔をするとそう言い出していった。
 顔は申し訳なさそうで、わずかに俯いてもいる。 言葉ではあまり真摯に謝っているようには感じられなかったが、反省しているのは確かのようだった。
 言われるがままに安易に行動した事を思い出しているのか、表情が明るくなる事は一向にない。
「いいさ。気にしなくて良いよ。俺達、いつもこんな感じだからさ」
 しかしロウは全く気にしていないかのように、ふと口元を緩ませていく。 穏やかに言う姿からは本当に恨みや怒りなどは感じられず、いつもとまるで変わらない様子だった。
「はぁ……? あんた達、いつもこんな事やってるのか?」
 シンはその反応に驚き、思わず呆けたかのように言葉を失っていく。
 さらに視線はトウセイやセンカの方に向けられ、まさかいくら何でもそんな事はしてないだろうという疑念の表情を浮かべてもいた。
「えぇっと……。考えてみたら、そうかもしれないですね」
「そうだな。確かにそうかもしれん」
 だがそれに対し、センカとトウセイの反応は同じものだった。 二人はさも当然といった具合で驚く事もなく、落ち着いたまま頷いている。
「はっ……。ははははっ、そうかっ……。おかしな奴等だな……」
 その姿を見て、シンは笑いを堪え切れなくなったようだった。 先程の生きるか死ぬかといった窮地とは真逆の、安らいだ雰囲気がそこにはある。
 それを感じて嬉しくなったのか、一人でずっと笑い続けていた。
「まぁ、今さら否定もせんがお前も相当な変わり者だとは思うぞ……」
 トウセイはそれを見ると、少し怪訝そうな顔をしながら呟いていった。
「あぁ、そうだな。はっはっはっはっ……」
 シンはそれを否定する事なく、まだ笑い続けている。
 そしてその時、風龍が倒れてから今まで止んでいた風がまた吹き始めていった。
 ただし少し前までの暴れ狂った力に満ちてはおらず、本当にゆったりとした涼やかなものだった。
「おっ……」
 シンは心地のいい感触に表情を明るくすると、いきなり座り込んでいく。
「へっ……。そうだ。こうでなくちゃいけない。やっぱり風は、これくらいがちょうどいいよな……」
 さらにそこから仰向けになって地面に寝転ぶと、空を見上げながら満足気な表情を浮かべていった。
 周りからの視線も気にする事なく、気持ちよさそうに目を閉じて誰に言うでもなく独り言を呟く。
 そこには風龍に操られていた時からずっと抱いていた、本音のようなものがあったのかもしれない。
 そして思う存分に自由に振る舞える今となっては、安らいだ表情で風に身を委ね続けていた。
 シンはそれからも風を感じながらまどろんでいたが、長くはなくすぐに立ち上がる。 側に落ちていた刀を拾い上げると、破れた服も整えていった。
「よしっ……。さてと、それじゃあ俺はそろそろ行くぜ。色々世話になったな」
 出立の準備にはあまり時間もかからず、振り向くと颯爽と挨拶を交わしていった。
 そこにいるシンは風龍からの影響を受けていた面影などほとんどなく、本来の性格が現れているようだった。
「体の具合は大丈夫なのですか?」
 ただセンカはどことなく心配そうに言うと、体に目を向けていく。 いくら素体とはいえ、まだ体が本調子ではないのではないかと考えているようだった。
「あぁ、問題ない。自慢じゃないが、俺の体はかなり頑丈でな。これくらい何ともない」
 だがそれに答えるシンからは、不調などほとんど感じられない。 声や表情には力が漲り、全身には活力が溢れている。
 むしろ普段以上に元気なのか、見せつけるかのように力を込めて手を握り締めていった。
「それは素体だから体がかなり丈夫だという事か? 見るのはこれが初めてではないが、本当に信じられん体をしているな……」
 トウセイもじっと眺めていくと、激闘の跡すらほとんどないのを驚いている。
「うーん……。ま、俺にもよく分からんがそういう事なんじゃないか?」
 本来なら自分の事なのだからもっと気にしてもおかしくはないはずだが、シンが取る反応は極めて薄い。 というよりも特に関心がないのか、疑問を軽く流していった。
「そうか、彼は素体……」
 だが少し離れてじっと見つめるロウは、反応が違った。 特別な思惑でもあるのか、深く考え込む顔は少し暗かった。
「でも、あなたには随分と助けられましたよね」
 そんな時、センカは明るい声で言うと微笑みかけていく。
「あぁ、あんたの抵抗がなかったら少しまずかったかもな」
 トウセイも笑顔こそなかったが、珍しく労いや賞賛のような言葉を向けていった。
「あなたとかあんたとか止めてくれ、こそばゆい。俺の名はシンだ」
 シンはそれを受けつつ、恥ずかしそうに笑っていく。 それでも名を言う姿からは確固たる自信が感じられ、誇るような意思が感じられた。
「そんで、あんた達は何て名前なんだ?」
 さらにシンは順にロウ達を見回していくと、今さらだが問いかけていく。
「はい、私はセンカと申します。それで、そこにいるのがサク君です」
「トウセイだ」
「……俺はロウだよ」
 それに対してセンカやトウセイはいつも通りだったが、ロウは少し様子が違った。
 穏やかな表情をしていたが、どこか影を感じさせてる。 そしてそれ以降は、また何かを考え込んで黙ってしまっていた。


  • 次へ

  • 前へ

  • TOP















  • inserted by FC2 system