「くっ、まずいな……」
その姿を見たトウセイは焦りを声に出し、刀を握り締めていく。
「うん、早くしないと。このままじゃ、また風龍は暴れ始める。そうなる前に何とかしないと……」
サクも気持ちは同じようで、すぐに自身の左手に紋様を光らせる。
そして木を作り出して攻撃しようと、風龍へ向けていった。
「ん……? あ、あれ……!?」
しかし意図した結果にはならず、どこからも木が生えてくる様子はない。
何故か紋様がうまく使えない事に慌てつつ、それでも左手に力を込めていく。
だが特に大きな成果はなく、何故か不調は続いていた。
木を生み出せはしても、見当違いの場所から生えたりすぐに枯れてしまう。
「え、えぇ……? 何でなのさ……?」
いくら挑戦しようとどうにもうまくいかず、サクはひどく動揺していた。
「僕には意思も覚悟もあるはず。叶えたい願いも、成し遂げたい思いだって……。足りないものなんてないはずなのに、どうして……」
やがて左手から紋様の光は消え失せ、代わりに頭を抱えると自問自答を繰り返していく。
横にいたトウセイはかける言葉もなく、不穏な雰囲気に戸惑うだけだった。
「ぐ、あぁっ……。ぐぐ、うがぁぁぁっっ……!」
その間にも、目の前では風龍が応急処置を終えようとしていた。
すでに傷は完全に塞がっており、シンがいなくとも再び活動出来る状態になりつつある。
力の復活を祝うかのように、周囲では強い風が渦巻き始めていた。
それに圧倒されてロウ達はもちろん、シンですら表情を険しくしていく。
「どうやら、あの少年は揺らいでいるようだ。精神的なものに囚われて不安定なこのままでは、力をうまく使えない。それでいいのか、木龍?」
その時、後方にいた光龍は静かに呟いていた。
文字通り一歩引いた立場で戦いを眺めているために冷静に努められているのか、視線はずっとサクの方に向いていた。
「……」
しかし側にいる木龍は目を瞑ったまま、何も答えない。
あくまでサクに全てを任せているのか、わずかに動く事すらなかった。
「お前等……。ただの器の、分際で……。俺様をここまで傷つけるとは……」
その時、風龍は傷の治癒を終えて立ち上がろうとしていた。
まだ痛みを堪える顔には、明らかに怒りが浮かんでいる。
だが血走った眼と震える体は、もう限界のようにも見えていた。
「ははっ、器か……。なら、お前は何なんだよ。その器にすら拒まれた、哀れな生き物はっ……」
それを看破しているのか、シンが笑みをこぼしながら口を開いていく。
体が倒れたままでセンカに介抱され、消耗具合は風龍以上である。
そんな状態でもなお、睨み付ける目はかなり力強かった。
「お前ぇっ……!」
一方で言われた事が余程頭にきたのか、風龍は激昂していた。
だがその姿からは、今までのような余裕などは微塵も見られなくなっていた。
「ぐが、グアアぁぁああっ……!」
そして上を向いて獣じみた叫び声を出していくと、周りには強い風が吹き荒れていく。
「く……! まだこんな力を残しているのか……」
トウセイは未だに衰えない力と異様な姿を前に、改めて脅威を感じていた。
「まだ何もしないのか、木龍。お前も風龍と同じく、人を器としか思っていないのか?」
そんな中、風が吹きつける地点から少し離れた場所では光龍がなおも問いかけていた。
「何だと……?」
木龍はそれを聞くとさすがに言い返したくなったのか、顔をしかめて振り向いていく。
「お前がしているのはただ見ているだけ、ただ聞いているだけだ。サクを一人きりにして風龍と戦わせ、何が分かる? 同化した存在を見捨てているだけではないか」
それでも光龍は動じる事なく、淡々と言葉を重ねていく。
「お前はそれで、本当に完全同化など出来ると思っているのか?」
さらに真剣な視線のまま、催促するかのような問いかけは続いていった。
一方で木龍は聞きながら反論もせず、目を閉じてじっと考え込んでいた。
「光龍。そうか……。ただ知ろうとするだけでは駄目なのか。常に側にあり、心そのものを重ね合わせるようにせねば意味はないのだな……」
そしてわずかに目を伏せてそう言うと、ようやく重い腰を上げていった。
目はゆっくりと開かれ、不安そうな小さい背中を見つめている。
「……?」
光龍はいきなり雰囲気の変わったのを訝しみつつも、それからどうするのか様子を窺っている。
「完全な同化を果たすには、やはりそれなりの手間がかかるものだな……」
やがて木龍は苦笑するように口の端を持ち上げると、ゆっくりと前に進んでいった。
「あ、あぁ……」
サクの体は小刻みに震え、それを押さえようと必死に力を込めている。
しかしそれに集中するあまり、前にいる風龍に気付いてすらいなかった。
今にでも泣きそうな表情はあまりに不安げで、絶望の声を漏らす様子は迷子の子供のようだった。
「ガァアアア……!」
一方で風龍は怒りに囚われているかのように、ただ咆哮を続けている。
まだ無防備なサクには気付いていないが、危険な状態なのに変わりはない。
「サク」
そんな時、後方から木龍が静かに現れてきた。
「木龍……? どうしよう、僕……。力がうまく使えなくなっちゃったよ」
サクは気付くとすぐに振り向くが、いつもの飄々とした雰囲気は感じられず別人のようだった。
「僕は龍にならなくちゃいけないのに。助けてよ、木龍……」
そして不安な胸の内を明かすように悲痛な声は出され、目には涙を浮かべてすらいる。
「いいか、サク。思い出すのだ。お前が龍になるための理由を……」
だが木龍は優しく言葉をかけるのではなく、厳しい口調で話しかけていく。
淡々としつつもはっきりとした声を持って、すぐ隣から助言を与えようとしているようだった。
「誰かを思い、他者のために行動する。自分以外のために全力を尽くせる。そんな事を平気で貫ける事こそ、人の強さなのだ」
その言葉は風の吹き荒ぶ中でもよく響き、心に秘めた思いが的確に伝わってくる。
「……!」
サクはおかげで何かに気付いたかのように、強い衝撃を受けていた。
脳内には今までに見たり、感じてきた事が次々と浮かんでいく。
そこにはロウやセンカ、トウセイの姿が順に現れては消えていく。
それらは木龍の言葉通りに行動し、自らの強い思いを貫き通している。
サクは改めてそれを思い知ったからこそ、体を硬直させて驚いたような表情で目を見開いていた。
「ぁ……」
そして次に自分の体を眺めてみると、震えはいつの間にか止まっていた。
「ふー……。うん、そうだね。忘れていたよ、木龍……」
落ち着きを取り戻して目を閉じると一息つき、新たに集中を試みる。
体には次々と紋様が浮かび、余す所なく光を放っていく。
緑の鮮やかな輝きは、美しく辺りに存在を見せつけていくかのようだった。
そしてそれらは一通りの輝きを見せた後、皮膚の上を滑るように移動していく。
サクの顔や右手、胸や足といった体の各所にあったどれもが例外ではない。
緑の紋様は左腕に向け、何かの意思を持つかのように一斉に集まっていった。
「僕は……。僕は龍になるんだ……」
サクは一か所に集中した緑の紋様を顔の前に出し、じっと眺めている。
それは今までで一番の強い輝きを放ち、腕自体が発光しているかのようだった。
「僕じゃなく、皆のために……!」
そしてさらにそう言いながら、目を見開いていく。
目は紋様と同じく、緑色の輝きを見せていた。
「見える。龍の姿が……」
トウセイはサクの変貌する様を間近に捉え、呆然としている。
視界の先にいるのは先程までそこにいた、不安げに涙を浮かべる迷子ではない。
神々しい程の輝きを纏った姿に対し、思わず目を奪われていく。
それはその場にいる誰もが同じようであり、皆がサクの変わりように驚きを隠せないでいた。
「何だろう、これ。木龍の全てが流れ込んでくる……」
サクは緑色に輝く神秘的な眼を持って、特別なものを目にしていた。
それは木龍が今までに経験してきた過去であり、抱いてきた数々の思いである。
周りには今では見られなくなったような太古の自然の姿がありありと映り、驚異的な生命の胎動を感じさせる。
木龍との同化が劇的に進んだからか、現実にありながら幻のようなものを見続けていた。
「こんなにもたくさんの思い。僕なんかには抱え切れないくらい膨大で、深淵なるもの……。でもそれでいて、苦しくなんてない。むしろ、暖かいよ……」
だがサクは呆けたような顔をしながらも、それを嫌がる様子はない。
顔には笑みすら浮かべ、全てを受け入れていた。
「よくやったな、サク。これでお前も龍になれるだろう」
木龍はすぐ隣から眺め、呟きながら頷いている。
周囲に溢れる緑色の輝きを目に映し、とても満足そうに見える。
しかし他の者は驚きに包まれ、風龍でさえ例外ではなかった。
「これが、龍の持つ本当の力なの……?」
一方で意識を現実に戻したサクは、少し前までとはまるで違う自分の姿に対して呆然としている。
それでも変わった事をほとんど自覚していないのか、改めて確認すると驚きを隠せないようにしていた。
「これが木龍と同じ力。龍としての……。本当の、力なんだよね……!」
だがやがて、徐々に自身に満ちた表情を見せるようになる。
そして期待を込めてそう言うと、手を前に差し出していく。
それと同時に、地面からは凄まじい速さで木が生えていった。
「!?」
ロウ達はそれを見て、今までと比べ物にならない力に絶句していく。
木の生える速度も量も、どこを見てもそれは段違いだった。
生命力に満ち溢れた木々は群れを成して、辺りに森を作り上げていく。
それは人には扱う事の出来ない、まさに神の如き力だった。
「お前……! 人ごときが、その力を……!」
しかし風龍は、目の前で龍の力を自由自在に使われるのが我慢ならないようだった。
見てすぐ分かる程に怒り狂うと、我を忘れたかのように風の刃を放っていく。
ただし滅茶苦茶に放たれたように見えて、進路を変えながらそれらは全てがサクの方へ向かっていった。
その一つ一つが人間の大きさを軽く超え、当たれば無事に済みそうにない。
だがそれでも、サクには何も届かなかった。
サクの前に防壁のように編まれた木々は、風の刃をしっかりと受け止めて決して何も通しはしない。
「ぐ、ぐぐっ……」
風龍はその光景を見ると、思わず悔しそうに口を噛む。
しかしその結果は偶然ではなく、必然の結果である。
木龍の力が強まった事に加え、風龍自身の力も弱まっていたからだった。
風龍もそれを頭で理解してはいるが、心で認める事が出来ずにいる。
だからこそ顔をしかめ、口惜しそうにシンの方を一瞬だけ眺めていった。
ここにきて同化していた素体から拒絶され、切り捨てたという事実が重く圧し掛かってくる。
せめてまだシンがいれば、もう少し力を高められたかもしれなかった。
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