第8話 火


「……いや、いい。お前達はそこで待っていろ」
 トウセイはそんな姿を見ると、とても頷く事など出来そうにはなかった。
「な、何故です……? 私達ではお役に立てないのでしょうか?」
「違う、そうじゃない。俺がこの国と、お前達を守る。それが俺の役目。俺の、覚悟だからだ……」
 驚きと共に問いかけてくる爺の突き刺すような視線をものともせず、トウセイは自身の体に浮かぶ紋様をじっと眺めている。
 これから激しい戦いに身を投じようとしているのに、その顔はどこか穏やかですらあった。
「し、しかし……。この数をお一人ではとても……。せめてわずかなりとも、手助けくらい……」
「気にするな。俺はもう、昔の無力な俺じゃない。旅の中で力を手に入れ、色んな人間と出会い……。そうして強くなれた今の俺なら、負ける事などあり得ない……!」
 やがて爺にまた答えた後は、真剣な表情で刀を構え直す。 その胸中に抱いているのは、偽りのない素直な気持ちのようだった。
 対する龍人はまだこちらの様子を窺っているのか、依然として距離を保ったままである。
 トウセイはそれらをひとしきり眺めると、少しずつ距離を詰めていく。
 自分のために立ち上がってくれた町の人達の姿を誇りに感じ、それを守るために全力を尽くす。 そんな思いがあるからこそ、どれ程の敵を前にしようと勇ましくいられるようだった。
 それでもほんの一瞬だけ、トウセイの視線はわずかに揺れ動く。
 次に視界の端に捉えたのはかつて兄と約束を交わした場所であり、遠目に見た分には今も確かに残っているようだった。
「ふぅぅっ……!」
 トウセイはそれを確認すると、思い残した事がないかのように息を吐いて気合を入れ直す。
「……」
 すると龍人達はその姿や雰囲気から脅威を感じたかのように、唐突に動き出していく。
 トウセイの周囲を囲むような動きは非常に緩慢ではあったが、無言なまま規律正しく動く様はどこか不気味だった。
「さぁ、来い!」
 一方でトウセイはそれを迎え撃つため、力強い叫びと共に刀を幾度となく振るっていく。
 そして空中を斬る度に刀からは赤い線が発せられ、次々に龍人の方へ向かって飛んでいった。
「……」
 だが襲い来る投擲型の赤い線を前にしても、龍人は避けようともせずに手で軽く受け止める。
 どれだけ火が散ろうとも熱さを感じる様子もなく、衝撃もほとんどないらのか攻撃を受ける前とまるで変化がない。
 むしろ先程より目つきを鋭くすると、より好戦的になりつつあるかのようだった。
「見ろ、あの力……。あれってあのおかしな力じゃないか……?」
「ほ、本当だ。家を焼き、田畑を燃やしていった奇妙な火……。どうして若様があれを……?」
 そんな時、戦いを見守る人々の間からは困惑する声が漏れ出している。
 多くの人間が互いに顔を見合わせると、それからもひそひそ声で会話をし始めていった。
 国を襲った賊と同じ力を持つトウセイに対し、信じようとする気持ちと疑問が同時に湧いてきているのかもしれない。
「お前達、余計な事を言っていないで黙って見ておれ。我等のために危険を冒す御方を我等が信じず、何とするのだ」
 しかしその直後、それを一喝するかのように爺の静かな声が響いていく。
 爺は他の人々とは違い、今もトウセイの姿を瞬きもせずにずっと見つめている。
 その真剣な気持ちはすぐに周囲に伝わっていったのか、辺りは一気に静まり返って人々の気持ちは再び団結していった。
「ちっ……。他の連中に比べて、随分と丈夫な体だな。やっぱり、そう簡単に終わる訳はないか……!」
 一方でトウセイは悪態をつきながらも、構わずに連続で刀を振るっていく。
 それによって生み出された複数の赤い線は、次々に龍人に命中して激しい火を散らせていった。
 対する龍人は火傷すら負う様子はなかったが、それでも全身に火を浴びる事で前進は妨げられていく。
 以降もトウセイの攻撃は続いていくが、傷一つない龍人を見るとするだけ無駄のように思えてしまう。
 ただしそれもわずかな間だけで、龍人達には段々と変化が現れていく。
 まず顕著になったのはそれまでと比べて、龍人の動きが明らかに鈍くなっている事だった。
「ガアアァァァ……。グゥゥォオオ……」
 現在の龍人は体を丸めて防御の姿勢を取り、何とかトウセイに近づこうと試みている。
 だがそれもトウセイの苛烈な攻撃の前にしては、徐々に速度が遅くなりつつあった。
 片手だけで済んでいた防御も両手に変わり、最後にはその場に留まってまで防御を優先するようになっていく。
 それから歩みを止めた龍人達は結果としてさらなる攻撃を受け、遂にはその中の一体が崩れ落ちる。
 するとそれを合図としたかのように、他の者も火を堪え切れずに倒れていった。
 以降もトウセイは攻撃の手を緩める事なく、つい先程までは周りを包囲する程いた龍人も残すはただ一体だけとなる。
「グゥゥゥ……!」
 さらに度重なる火の攻撃によって、最後に残った龍人の体も傷ついてふらついていた。
 それでもトウセイへ向けられる視線は弱まる事なく、なおも前進しようとしている。
「お前も俺も、普通の人生を送っていればこんな風に争わなかった。傷つける事も、傷つく必要もなかったのに……。互いに因果な事だよな……!」
 一方でトウセイは火避けの外套の向こうからその姿を眺め、何かを哀れむように言葉を発していく。
 そして直後に外套を翻すと、戦いを終わらせるために大きく刀を振り上げていった。
 それから一気に刀を振り下ろし、そこから放たれた特大の赤い線は龍人に見事に命中する。
「グ、グハァッ……」
 すでに限界寸前だったのか、最後に残った龍人は激しい火に焼かれながら屈するように膝をつく。
 その後に再び立ち上がる事は出来ず、そのまま地面に前のめりに倒れ込んでいった。
 トウセイはそれを見終えると刀を下げ、ふと龍人へと近づいていく。
「ちっ……。俺は生き残ったはずなのに、何でこんなに虚しいんだ。そして何でこんなにも、落ち着かない気分になるんだろうな……!」
 直後にした呟きは独り言だったが、次の瞬間にはそれに反応するかのようにわずかに龍人の体に反応があった。
 ただしトウセイは構う様子はなく、相手が復活する可能性があってもなおも近づいていく。
「ァ……」
 対する龍人はほとんど閉じられた瞳でトウセイを見上げつつ、震えるように口を動かしていた。
 その口から発せられたのは恨み言であったのか、あるいはどうしても伝えたい事があったのかもしれない。
 しかし最早声にならないくらい小さいそれは、誰にも届かずに空気中にただ散っていく。
「くっ……。俺に何が言いたい。いや、俺に何か言った所で……。俺に何が出来るっていうんだ……!」
 トウセイはそれを見つめたまま手を握り締め、体を震わせながら静かに憤っていた。
 龍人はそんなトウセイをなおも見返していたが、やがて力尽きたかのように目を閉じていく。
 そしてそれ以降は体をわずかに揺らす事もなく、眠ったように動かなくなっていった。
「まだだ。まだ、こんな所で立ち止まる訳にはいかない……。俺は、必ず……」
 一方でトウセイは頭の中に浮かんだ考えを振り払うかのように、何度も頭を左右に揺らす。
 その体にはまだ赤い紋様を輝かせ、なおも刀は鞘から抜き放ったままである。
 それでもトウセイはその状態のまま、ゆっくりと動き出すとどこかへ向けて歩き出していった。
 前に進む事しか頭にないような姿は、胸中にあるただ一つの思いを貫く事しか考えていないようである。
「わ、若様……」
 残された爺はそんな後ろ姿を見つめ、声をかける事すら出来ずにいた。
 それは周りにいる人々も同様であり、危うさすらあったトウセイの事を不安そうにじっと見つめるしかない。
 すぐ側にはトウセイを止めようとした女の子の姿もあったが、もう今さら止めに入る事などない。
 トウセイの纏う有無を言わさぬ雰囲気に対し、誰もが呆然としながら見送るしかなくなっていた。
「大丈夫だ、俺が……。俺が必ず止めてみせる。兄さんもサイハクも全て、俺が終わらせてやる……」
 一方でトウセイは自分の身を省みる素振りもなく、強い責任感だけを胸に歩き続けている。
 そして振り返る事などせずに虚ろな目で呟くトウセイの足元には、自分が倒した龍人が何体も倒れていた。
 トウセイはそれを乗り越え、さらに先にいるであろう兄の元を目指してひたすら進んでいく。
 やがて前を見据える視線の向こうには、所々が焼け焦げて不格好な城が見えてきた。
 遠目でも分かる程に荒れた城の外観は、すでに安定などなくしたこの国を象徴しているようにも思える。
 そしてそここそがかつてトウセイが幸せに暮らしていた場所であり、今となっては思い出す事すら苦痛となっている所でもあった。


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