第8話 火


「……来たか」
 その頃、リヤは憂鬱そうな表情で呟きながら静かに空を眺めていた。
 今いるのは大きな城の中の一室であり、その身は頑丈そうな窓枠の上に寝そべっている。
 さらに体にはトウセイの体にあるのとよく似た赤い紋様があり、それは段々と強く輝くようになっているようだった。
「おや、案外早かったですなぁ……。しかし、これはなかなかまずい状況かもしれませんよ? どうやらあの男、予想以上に手強くなっております」
 そんな時、リヤの呟きに返答するかのように緊張感のない声が部屋の入り口から響いてきた。
 声を発していたのは顔をにやつかせたフドであり、直後には頭を掻きながら室内へと足を踏み入れてくる。
「未完成の龍人に手こずっていた時に比べ、まるで別人のようですなぁ……。さて、どうしましょうか。最早、今いる龍人では足止めにすらなりませんよ?」
 そして頭を掻くフドはどこか他人事のように喋ったまま、リヤの前辺りにどかっと座り込んでいく。
 その視線はどこか挑発的でもあり、相手の出方を窺おうとしているようでもあった。
「黙れ。トウセイの相手は僕がする。お前の役目は邪魔が入らないようにする。たったそれだけだ。もちろん、出来るよな?」
 対するリヤはわずかに顔を向けて答えるが、最初からフドの事など眼中にないらしい。 その口調や視線は強制的で、言い知れぬ迫力もある。
「うっ、うぅ……」
 それらが相まって向けられると、フドは怯えた様子で言葉を失ってしまう。
 一方で伝える事を伝えるとリヤは視線を外し、またぼんやりと空を眺めていく。
「い、いや……。そうしたいのは山々ですが……。どうやらあの男には仲間がいるようです。そいつ等は龍の力を持っているようで、案外手こずるかと……」
 それによってようやく圧迫感から解放されると、フドはたどたどしくもそう言ってくる。 腰の引けた状態でありながら、口の方はかなり饒舌に動き続けていた。
「もういい。その口をさっさと閉じろ」
「は……?」
「今まで散々でかい口を叩いておいて、少し旗色が悪くなっただけでそれか。……僕に同じ事を二度も言わせるなよ」
 だがリヤはフドの言葉を聞くどころか、そちらへ目を向ける事すら疎むように呟いていく。
 その体にある紋様はなおも輝きを増し、今にも火が噴き出しそうですらあった。
「は、はい……」
 フドはその迫力に呆気なく呑み込まれると、反論するどころか異を唱える気すら失せてしまったらしい。
 目を合わせぬように頭を下げると、体を緊張させたまま縮こまらせていく。
「ふっ……。だからといって、何もそこまで怯える必要はない」
 しかし直後にはリヤはそれまでとは対照的に、ふと可笑しそうに微笑んでいく。 その瞬間に見せた優雅な微笑みはリヤらしいものであったが、どこか違和感があった。
「はっ……?」
 一方でフドにはそのような些細な事は感じ取れないのか、ただ困惑するだけである。
「一応、お前は不義理者をこの国から追い払うのに役立った。その功績に免じて、褒美をくれてやらんでもない」
「はっ。あ、ありがとうございます。そ、それで褒美と言われますと……?」
 それでもリヤは気にせず話を進め、フドも不興を買わないように努めていて特に気にする様子もなかった。
「あぁ。お前には本番を盛り上げるための、特別な前座を任せようと思ってね。お前も失敗続きでは肩身が狭いだろ?」
 楽しそうに微笑むリヤは面白い遊びを見つけた子供のように純粋で、だからこそどこか恐ろしくも見える。
「は、はい。そ、それはありがとうございます……。それで私は一体、何をすれば……」
 対するフドは意識せずに身を震わせ、呼吸をするのも忘れそうになっていた。
「何、簡単さ。あの龍人を解き放つだけでいい。あそこにね」
「そ、それは……。まさか、あれの事ですか……!?」
 続けてリヤは城下を見下ろしつつ言葉を発し、それを聞いたフドは驚愕したように目を見開く。
「あぁ。お前が新たに作った龍人の事だ。まだ研究途中だとかいう言い訳は必要ない。今すぐに用意しろ」
「で、ですが……。あれは確かに実戦に投入するのは可能ですが、まだ制御に難があります。予期せぬ犠牲はもちろん、最悪こちらに牙を剥く可能性も……」
「気にするな。たかが龍人程度、龍の力を持つ者なら手こずる事はあっても必ず倒せる。ふふっ、あいつ等を見ればきっとトウセイも驚くんだろうな……」
 リヤはフドの言葉に耳を貸す事などなく、窓の方を向くと寝転んでしまった。
 すでにトウセイの事しか頭にないのか、他の一切はまるで気にならないように見える。
「はっ、はい……。承知致しました……」
 フドは狂気とも言えるリヤの言葉に対し、身を震わす悪寒を抑えながら頷いていく。
 そしてまだ若干、不満の残る表情をしつつもそれからすぐにその場を立ち去っていった。
「ふん……。自分のものではない力を己のもののように誇り、それによって自尊心を満たそうとするとは哀れだな」
 やがてその場から自分以外の人の気配がなくなると、リヤはつまらなそうに呟く。
「でも、これでようやく全てが揃うか。さぁ……。早く来てくれよ、トウセイ。あと少し、本当にあと少しでようやく全てを終わらせられるんだ」
 だが次に腕を持ち上げて自身の紋様を眺める時には、嬉しそうに表情を綻ばせていた。
 それから目を伏せるとゆっくりと視線を下げ、城下町の方を見下ろしていく。
 眼下の一部では激しい火が立ち上がり、龍人のようなものが次々に駆逐されつつある。
 そこで戦っているのはトウセイのようであり、ここからではよく見えないが今も懸命に戦っているようだった。
「僕はもう、待つのは嫌なんだよ……」
 一方でリヤはそんな光景を眺めつつ、戦いに向けた時を悠然と過ごしていく。
 争いが溢れる火の国とは違い、そこでは静かで穏やかな空気が流れている。
 そしてそれは空も変わらず、地上と違ってただ雲が流れていくだけなのを見るとまるで別世界のようだった。

「何なんだ、王気取りのあの小僧はっ……。本格的にいかれてやがる。上客と思って我慢してきたが、もう限界だ」
 その頃、大股で歩きながらぶつぶつと独り言を呟いていたのはフドである。
 口から吐き出されるのは愚痴ばかりであるが、それを聞く者も咎める者もそこには存在し得なかった。
 城の中はどこを見ても人影はなく、フドの嫌味以外には微かな音すらしていない。
「いくら資金不足とはいえ、このまま唯々諾々と従っていたらいずれこちらの身の破滅だ。まだまだやりたい事は残っているが、そろそろ手を引くべきか……」
 しかしフドはなおも不満が収まらないのか、さらに顔をしかめていった。
「そうだな……。やはりあれを町に解き放ち、その混乱に乗じてこの国を去るとするか。ついでにあれの実戦の記録も取ればいい」
 それと共に自然と歩みも速まりつつあったが、何故かある所でいきなり立ち止まってしまう。
「町中であれを暴れさせる機会など、そうそうないだろうしな。くっくっく……。何だかあいつの気持ちが分かったような気がするな」
 頭の中には新たな考えが浮かびつつあるのか、すでに先程とは打って変わって機嫌が良さそうに笑みをこぼしていく。
 同時に体は震えつつあるが、それは恐怖を原因とするものではないらしい。
「一度思い切ってしまえば、これ程楽な事はない。合成龍をも凌駕する私の最高傑作がこの国を蹂躙する……。はっ、想像するだけでわくわくしてきたぞ」
 まるで歓喜に打ち震えるかのように呟きながら、なおもずっといやらしい笑みを浮かべ続けていた。
「もう、いくら被害が出ようと知った事か。こんな所、私にとっては単なる通過点……。数ある実験場の一つに過ぎないのだからな」
 その視線は現在は廊下にある窓から眼下に注がれており、その目にはリヤと同じような狂気が浮かんでいる。
「ふふ、そうだ……。見せてやる。あの思い上がった小僧にも、私の龍人を倒したあの男にも。私が新たに到達した、龍人の完成形をな……」
 そして今度は意気揚々と歩き出し、邪悪な笑みを浮かべながらその速度をどんどん増していった。
 その頭の内にある考えがこの国や、ここに住まう人々に何をもたらすのかは現時点では定かではない。
 ただしフドの異様なまでのはしゃぎようを見ると、少なくともそれがまともなものでないのは明らかだった。

「兄さん……。俺があの時、止められていれば……。もしかしたら、こんな事態には……」
 その頃、トウセイは刀を手にしたまま一人で城下町を疾走していた。
 付近にはすでに龍人の姿もなく、他にまともに動く者も見受けられない。
 それでも際限なく焦りが生まれてくるのか、トウセイの足はさらに速まっていく。
 同時に体に光る紋様からは、抑え切れない力が溢れ出ているかのように火が生み出されている。
 それらは次々に地面に落下すると、トウセイの進んだ後に火の道を作り上げていった。
 トウセイはそれからも走り続け、息を切らせても絶対に足を止めようとしない。
 その姿からは紋様の力が周囲に与える影響も、疲弊している自分のどちらにも全く感心がないかのように見える。
「今さら考えても仕方ない事だが……。それでも……!」
 顔はいつまでも苦しそうなままであり、発する声は何かを悔やんでいるようでもあった。
 さらにどこか遠くに向けた目が見つめるものは、現在にあるものではない。
 眉をひそめたトウセイが見通し、頭の中で懸命に思い出そうとしているのはかつてこの地で起きたある出来事だった。


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