第8話 火


「あ、ロウさん。良かった、ご無事だったんですね……。怪我とかはされていないですか?」
「あぁ。龍人とは出くわさなかったから大丈夫だった。でも、どうかしたのか?」
 やがてセンカは少し前方にロウを見つけると、心配そうに駆け寄っていく。
「いえ……。先程のお爺さんがこの国にはまだ化物がいると仰っていたので……」
 次にセンカは顔を俯かせると、不安げに辺りへ注意を向けていった。
 どうやら周りの不気味なまでに静かな状況も相まって、いつも以上に怯えてしまっているらしい。
「もう、気にしすぎだよ。センカ。今の僕達にとって脅威になるくらいの相手がそう簡単に出てくる訳ないって。まぁ、火龍と敵対したら結構手こずりそうだけれど……」
 一方でサクはまるで杞憂と言わんばかりに二人を追い越し、勇ましく進んでいこうとする。
「龍人くらいなら僕達が揃っていれば物の数じゃないよ。まさか合成龍くらい強いのが、そう易々と出てくるはずもないしね!」
 そして振り返ったまま後ろ向きに歩き、笑顔で励ますように断言していった。
 だがその時、家と家の間にある薄暗い路地から何者かが姿を現す。 頭から体にかけては大きな白い布で覆われているが、隙間からは鱗や屈強な体が覗けて見えている。
 そして日を浴びる巨体はゆったりとした動きのまま、ロウ達の進路上に立ち塞がるように移動していった。
「サク君……」
「お、おい……。サク……」
 センカやロウは前を向いていたからこそ真っ先に気付き、呆然とした様子で呟く。
「ん、どうしたのさ? まさかトウセイでも見つけた? そんな訳ないか、ははっ」
 しかし当人は未だに何も気付いていない様子で、首を傾げながらまだ後ろ歩きを続けていた。
「い、いえ……。う、後ろ……」
 対するロウやその体に隠れるセンカは、二人して同時にサクの背後を指差していく。
「え? 何さ、変なの……。言いたい事があるなら、もっとはっきり言ってよね……。ん、何だろ……?」
 それを見たサクはなおも怪訝そうな顔をするだけだったが、直後に何かにぶつかって立ち止まる。
「え、あ……!? うわ、うわわわわっ……! な、なんだよぉ……!」
 そして振り返ると同時に、ようやくそこにあるものに気付いたようだった。 目を見開くと町中に響き渡る程の大きな叫び声を上げ、勢いよく駆け出していく。
「うぁ、うぅ……。もう、どうせ出てくるなら吼えるなり何なりしてよね……。べ、別に驚いたとかじゃないからいいけれどさ……」
 それからロウの背後に隠れたサクは、センカ共々体から顔だけを出して前方の様子を窺っていった。
「……」
 どうやら現れたのは龍人一体だけのようであり、こちらを睨むように見つめてはいるが他に行動を起こす様子はない。
 無言でそこに留まったまま、何者をも通さないようにどっしりと構えているだけだった。
 とはいえ微動だにしない姿勢は逆に不気味でもあり、そのせいでロウ達も迂闊には動けないでいる。
 そして辺りには緊迫した空気がひしひしと感じられる中、不意にこちらに近づく足音が聞こえてきた。
 それは龍人が姿を現した路地からであり、直後に龍人と比べると小さな人影が現れる。
「あなたはどうして、ここに……。いえ、まさかここにいる龍人さんを作ったのはあなたなのですか……!?」
 するとセンカは驚いたように声を上げ、龍人の事など忘れたかのように前に出ようとしていった。
「……」
 次の瞬間、龍人は先程までとは比べ物にならない程の素早い反応を見せる。
 両手を勢いよく広げながらセンカの眼前に進み出た姿などは、直前に現れた人物を護衛しようとするかのようだった。
「あ、あぁ……」
 一方で屈強な体によって生み出された日の陰りの中にいるセンカは、恐怖を感じて足を止めてしまう。 さらに全身は意図せぬ内に震え出し、もはや逃げる事も出来なくなっていた。
「もう、何やってるのさ! ほら、こっちに来てよ……!」
 だがすぐ後にはサクがやって来て手を引き、二人は再びロウの背後へと舞い戻っていく。
「くくっ……。く、くははははっ……。あっはっはっは……」
 路地から現れた人物はそれを見ると何が面白いのか、肩を揺らしながら笑っている。
 よく見てみるとその人物は龍人を作った張本人であり、センカと同じ龍神教に属するフドであった。
「な、何だよ……。そんなに笑っちゃって。何がおかしいって言うのさ……?」
 対するサクはロウの体越しに強気な態度で臨んでいるが、未だに動揺を完全には打ち消せていない。
 その原因は目の前にいる龍人にあるようで、視線は今もそちらに集中している。
 そもそも龍人自体が常識外の存在と言えるのだが、そこにいる龍人はその中でも特に異質さで満ちているようだった。
「今さら、一体だけの龍人を引き連れても……。そ、それだけで何が出来るっていうんだい……?」
 サクはそんな別次元の存在とも思えるような相手に対し、なおも余裕の態度を保とうとしている。
 それでも心からのゆとりはなく、体と声を震わせながらセンカと共にロウに縋り付いてしまっていた。
「ふっふっふ……。はっはっはっはっは……! これを今までの龍人や合成龍と一緒にしてもらっては困るな! 何も知らん素人はこれだから駄目なのだ!」
 しかしフドはそれとは真逆に、丸腰にも関わらず非常に堂々としている。
 そして体を仰け反らせながら大きく笑ったかと思うと、いきなり体を勢いよく戻していった。
 対するロウ達は必要以上に強気な態度を目の当たりにし、疑問の言葉を挟む余地もない。
「いいですかな。私はこれまで、人と龍の完全な融合を目指してきました。それは新たなる存在を生み出すという事であり、私が神の如き知性を持つという証明でもあります」
 一方でフドはひとしきり笑って落ち着いたのか、龍人の前に回り込む。 続けて理想を語るように演説する目は、夢を見る子供のように純粋でもあった。
 だが同時にそこには、恐れを知らぬ狂気が偏在しているようにも感じられる。
「完全な融合……? 龍との同化以外にそんな事が出来るのか……?」
 対するロウはそれを聞くと、やや懐疑的な視線を龍人の方へと向けていった。
 一方で龍人はこちらに注意を払いつつ、布の隙間からやけに鋭い視線だけを返してくる。
「えぇ、出来ますとも。龍と同化出来ぬ人間でも、龍の肉は定着しますから。素材探しに困らないという点では、むしろこちらの方が成功しやすいとさえ言えるでしょう」
 次にフドは質問に答えつつ、間近にある巨体を乱暴に何度も叩いていく。
 あまりに雑で礼を逸した行動は物を扱うかのようでもあったが、それに対しても龍人は明確な反応を見せてはいない。
 何らかの命令でもない限りは腕を上げるというような考えすら思い至らないのか、いつまでもじっと立ち続けているだけである。
「……」
 その頃、同化という言葉を聞いてからサクの顔は険しさを増していた。
 本人の龍になるという目的のためか、いつものおどけた態度や笑みはすっかり奥深くに隠れ潜んでいる。
「しかし、龍人や合成龍では駄目でした。あれ等は片方に寄り過ぎていたのですよ。合成龍は龍に。龍人は人の方にね……」
 フドはそれからも感慨深げに語りつつ、静かに目を閉じていく。
 その姿はある意味では誇らしげであるが、龍人の事など単なる実験材料のようにしか扱っていない様はどこまでも傲慢である。
「そして結局は、そのどちらもが人と龍が完全に融合したものとは程遠く……。駄作とでも言うべき、不完全な存在へとなり果ててしまったのです」
 とはいえあくまで功績などには興味はないのか、研究内容に関してだけの話が続いていく。
 やがて目を開きながら忌々しそうに呟いていったが、その間も側にいる龍人はぴくりともせずに意思のように固まっていた。
「やっぱり、あの龍のような存在もあなたが……。あなたの、せいで……」
 一方でそれを聞くセンカは顔をしかめ、普段はあまり見せない感情を露わにしている。 その手には力が込められ、視線もフドの方へ一直線に向かっていた。
「だが、これは違う。これこそ、完全なる龍人の姿! そう、完全体とでも呼ぶべきものだ!」
 それでもフドの方はまるで気にする様子はなく、高らかに宣言していく。
 同時に今までになく強く龍人の体を叩いているが、その時にはただ固いものに手を打ち付けたような音が響き渡るだけだった。
「さぁ、行くのです! お前の力、そして私の天才ぶりを見せつけて差し上げなさい!」
 そして自身は後ろへと下がりながら、ここに来て初めてはっきりとした命令を下す。
「……」
 一方で龍人は確かにそれを聞いていたはずだが、すぐには動きが見られない。 先程と変わらぬ体勢のまま、わずかに顔が俯いたくらいしか変化はなかった。
「……?」
「くっふふふ……」
 ロウ達がそれを不思議に思う中、フドは何故かその反応こそがおかしいかのようである。
 フドが笑いを堪え切れずに口を抑え、龍人を咎めもしない態度からするとちゃんと命令は行使されているらしい。
 それから改めて視線を龍人の方へ戻していくと、その体はわずかに震えていた。
 全身に強く力を込めているのが原因なのか、それに伴って筋肉は徐々に膨らんでいく。
「グ、ガ……」
 そしてやや腰を落とすと、力を溜め込むように拳を握り締めてから強く踏ん張っていった。
「ガアアァッ!」
 次の瞬間にその体が大きく膨らんだかと思うと、纏っていた白い布が一気に弾け飛んでいく。
 それは自らの筋肉の動きだけで布を破いたという事であり、今まで以上に強靭な肉体だというのが窺えた。
 やがて体に纏っていた布の残骸が地面の上に散った頃には、隠されていた頭や腕などが晒されていく。
 頑強な筋肉や鱗はほぼ全身に及んでおり、もちろん頭部なども龍とそっくりになっている。
 人間の名残を感じさせる部分などはほとんどなく、全てが龍のものに置き換えられているかのようだった。
 下半身の辺りには普通の衣服を着用しているが、何も纏わぬ上半身などは明らかに普通の人間とは似ても似つかない。
 眼光なども龍に似てかなり鋭く、その姿にはまるで隙が見られなかった。
「あれは……。まさか、五体の全てを龍にしたのか……? どうして、そこまで……」
 ロウは前方から放たれるあまりに異様な雰囲気に対し、口を開けたまま唖然としている。
 それはサクも同様で驚愕という感想しかないのか、ほとんど口から言葉など出てこない。
 今もなお見つめる龍人の体にある鱗の色はかなり濃く、どちらかと言えばより禍々しくなった印象を受ける。
 ただしそのせいで、人と龍のどちらでもない存在という異形さもさらに増す事となっていた。
「あれも合成龍のように、ひどく歪められている存在という事か……。あぁまですると分かっていれば、あの時に消しておけば良かったな……」
 その頃、センカの背後にはいつの間にか光龍が姿を現していた。 しかし顔はひどく険しく、ただ前だけをじっと見据えている。
「一体どれだけの人を犠牲にして、いつまであんなひどい事を続けるつもりなの……? もうこれ以上、誰にも苦しんでほしくなんてないのに……」
 一方でセンカの方はそれとは対照的に、ひどく悲しそうな顔をしていた。
 内心ではフドへの怒りよりも、その狂気が生み出した被害者である龍人への心苦しさの方が強いのかもしれない。
 両手を胸の辺りで強く握り締めたまま、今にも泣き出しそうな顔にすらなっていた。


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