「はぁ、はぁ……。いないなぁ。本当にどこに行ったんだろう……」
ある晴れた暑い昼下がり、一人の少年が息を切らせながら懸命に走り続けていた。
どうやら何かを探している最中らしく、それからもしきりに辺りを見回しながら足を動かし続けている。
今は背の高い木々に挟まれてやや薄暗い、少し勾配のある坂を登っている所だった。
やがてそこを通り過ぎると、急に開けた空間に出くわす。
「う、ふぅ……。あといるとしたら、ここら辺くらいかな……」
そこは崖に面した小さな平地となっており、少年はそこで息を整えながらようやく走るのを止めた。
周りには花々が美しく咲き誇り、わずかに吹き付ける風で大量の花びらが舞っていく。
さらに頭上からは暖かな日の光が降り注ぎ、そこはゆっくりと時間の流れるとても平穏な場所だった。
「あ……。やっと見つけた。はぁ、全く……。人の気も知らないで、こんな所で何をしてるんだか……」
そして少年はそこで目的のものを何とか見つけられたのか、安堵の溜息を吐いていく。
次に息を整えるのもそこそこに歩き出すと、少し先の方を見つめながら大きく息を吸い込んでいった。
「兄さん! 兄さんってば!」
それからありったけの声を出していくと、眼前の相手の注意を引こうとする。
対する人物はその声を聞き、その時になって初めて背後にいる少年の存在に気付いたらしい。
「やぁ、トウセイ。今日もいい天気だね」
そこにいた一人の少年は崖の手前で振り返ると、余裕と落ち着きを保った態度で微笑んでいく。
その表情はとても華々しく、身に纏う雰囲気は空に輝く太陽のような眩しさで満ちていた。
「ところで……。どうしたんだい、そんなに慌てて?」
だが次にそう言うと、まだ荒い呼吸を繰り返している弟の事を不思議そうに見つめていく。
その体は発育が遅いのか年の割には小さく、トウセイと比べてやや幼い風体に見えた。
「はぁ、はぁ……。どうしたって……。兄さんを探して走り回っていたんだよ……」
「何だ、そうだったのか。それは悪かったな」
呼吸を整えながら話すトウセイに対し、リヤはなおも穏やかな微笑みを浮かべている。
その姿はどこまでも優雅で、全く取り乱す様子もなかった。
「いや、いいよ。気にしないで」
それを見ていると文句を言う気すら失せていくのか、トウセイは首を何度か横に振っていく。
目を瞑りながら口元はわずかに緩んでおり、何も不満な様子はない。
しかしそこからリヤの方へと足を進めていく内に、段々と表情は引き締まっていった。
「それより……。兄さん、父上が呼んでいるよ」
やがてトウセイはわずかに距離を置いて立ち止まると、真剣な表情で告げていく。
「そうか……。それで、要件については何か言っていたか?」
一方でそれを聞くリヤも、ほんのわずかではあったが表情に陰りを見せていた。
その顔は俯きがちになり、緊張するかのように体も強張っていく。
「あぁ、うん。詳しくは知らないけれど、兄さんが前に出した意見書の事だって……」
「父上もようやく僕の声に耳を貸してくれる気になったって事か。さて、結果はどうなるかな……」
トウセイと同じようにリヤも視線を横に逸らすと、深刻そうに考え込んだまま振り返っていく。
崖のすぐ手前から広がる光景を見下ろしていくと、大きな町並みが見渡す限りにあってその繁栄ぶりが窺える。
「……」
リヤもそれを見ていると段々と穏やかな目つきになり、町の姿を目に焼き付けるかのようにずっと眺め続けていた。
「兄さんはここで何を見ていたの?」
「全てさ。ここからなら、この国の全てが見渡せる。自然に囲まれた町や、そこに住む人々……。僕はここから見る景色が一番好きなんだ」
直後に近づいてきたトウセイに対し、リヤは誇らしげな顔をすると目を輝かせていく。
さらに両手を大きく広げると、嬉しそうに微笑んでいった。
「へぇ……」
するとトウセイもその背後から顔を覗かせ、同じように崖の下にある光景を見渡していく。
視界一杯に広がる町を凝視すると、そこには道を歩く多くの人々も目に飛び込んでくる。
彼等の表情や何をしているかまでは窺い知れないが、とても賑わっているのはよく分かった。
さらにその時、崖の上では風が吹いていくつもの花が揺らされる。
それによって大量の花びらが舞い散り、辺りを様々な色に彩っていく。
「うわぁ……!」
それらは視界に映る風景とも重なり、目にしたトウセイは思わず感嘆の声を漏らしていった。
「僕はこの国を強くしたいんだ。誰にも負けず、何も奪われる事のない。そうさ、龍にだって手出しが出来ないくらいに……。例え、どんな事をしてでも……」
だがリヤは対照的に苦しそうな声を漏らし、目には強い決意を宿している。
「そして、それは王族である僕と……。お前の役目でもあるんだ。分かるな、トウセイ?」
それからわずかに振り返ると、真剣な気持ちを間近にある顔へ向けていく。
「うん……。それは、分かっているよ。どうすればいいのかまでは思いついていないけれど……」
しかしトウセイは深く頷いてはいても、答えとは裏腹にあまり自信がないようだった。
「今は理解出来ているだけでいい。国のために尽くすという、最低限の志さえ持たぬ者達に比べればましな方だ。まぁ、あまり気負うな。大丈夫。お前なら、きっと出来るさ」
ただ自分とは真逆に見える態度を見ても、リヤは叱り付けるような事などしない。
むしろ微笑みながら励ますかのようにトウセイの肩を叩くと、そのまま崖を後にしていった。
「う、うん……。あ、待ってよ! ……兄さん!」
トウセイはそれを受けると思考や迷いを中断させ、慌てて後を追いかけていく。
二人が過ごした花の咲き誇る場所では今も風が吹き、美しく花びらを舞い踊らせている。
兄弟はそんな場所から去り、自分達がいるべき場所へと戻っていった。
どれだけの苦痛が待ち受けていようと、兄弟の歩みは止まらない。
二人揃っているからこそ安心出来、どちらも欠けていないからこそ心強い。
だからトウセイとリヤの歩みは速まりこそすれ、止まる事など考えられもしなかった。
そこは日毎に熱さが増していく外と違い、幾分か涼しい室内だった。
ただし普通の家屋とは違い、華美な装飾や調度品がそこかしこに見られる。
さらにそんな場に合わせるかのように、そこは一切の喧騒を許さない静寂に包まれていた。
「どうしてですか!」
だがそんな時、その場に一人の少年の怒号が響き渡る。
そこは火の国の中枢である城の内部にある、謁見の間だった。
トウセイと兄がかしずく前には、一人の中年の男の姿がある。
男は鼻と口の間に立派な髭があり、体格も立派だった。
加えて淡い色調の衣服を身に纏い、厳然として座す姿は一国の王にふさわしいものに見える。
彼こそ火の国の王であり、トウセイやリヤの父であった。
「何故、駄目なのです!」
そんな人物に対し、リヤはもう一度大声を上げて抗議する。
その様子は先程とはまるで違い、人が変わったかのように取り乱していた。
その姿に周りにいた文官達も驚き、ほぼ全員の視線がそこに集まっていく。
「リヤ、お前の提出した我が国の軍の改革案……。それは単に兵と軍備を増やすだけではないか」
それでも王は全く揺るがず、むしろ余計に落ち着き払っていた。
「こんなもの、到底認められはせぬ」
王は眉一つ動かさず、視線だけを自分の正面にいる少年に向ける。
厳格な声はたしなめるかのようであり、真っ直ぐに届いていく。
「……」
リヤはそれらから逃れるように目を逸らし、悔しそうに黙り込んでしまった。
するとそれにより、周りは再び静謐な空気を取り戻す。
「トウセイ。お前はどう思うのだ?」
やがて次に王が不意に口を開くと、視線を横にずらしていった。
「え? えぇと……。その、私は……。う……」
しかしトウセイはいきなり話を振られ、反応が遅れたまま慌てふためくだけとなっている。
「父上。何故、トウセイに聞くのですか? これは私の案です。兵と軍備の増強。それの何が問題なのです! 実際にそうすれば、戦に負ける事などないではないですか!」
その姿を横目にしたリヤは直後に真顔のまま、先程とはまるで違ってどこか強気に言葉を発していった。
怒りさえ感じられる程に語気は強められ、段々と叫ぶような声すら出されていく。
傍目から見ればその様は、不満に対してわがままに喚き散らすだけの幼い子供のようだった。
「に、兄さん……?」
一方でまだ幼いトウセイにとっては、その姿は恐怖に映ったのかもしれない。
体はびくつきながら萎縮すると、それ以降は何も言えなくなってしまった。
「……戦うという事は、傷つくという事。戦えば相手はもちろんの事だが、自分も傷つく。国同士が戦うとなれば、自然とその傷はさらに大きくなる」
王はそんなトウセイの代わりではないが、ゆっくりと口を開くと厳粛な声を響かせていく。
それには誰もが黙って自然と聞き入り、リヤですら例外ではなかった。
「そして結局、一番傷つく事になるのは民達だ。最も多く、最も弱い者達が苦しむのが戦。お前には何故、それが分からん……」
王は声を荒げていたリヤとは対照的に、冷静に言葉を紡いでいる。
ただしその中には確かな呆れも含まれ、内心にある失望も簡単に感じ取れた。
「では、龍を使えばどうです? あの神の如き力があれば、戦なんて無傷で勝てますよ」
だが頭に血の昇ったリヤはそれにすら気付かないのか、笑みを浮かべて茶化すように言い返す。
「もういい、下がれ。お前がそこまで馬鹿だとは思わなかった……」
その言葉には王もさすがに呆れ返ったのか、溜息と共に頭に手をやって視線をあからさまに外していった。
「……」
さすがのリヤもそうまでされれば自分の置かれている状況に気付いたのか、悔しそうに口を噛んでいる。
「父上が、いえ王が私を認めて下さらないのは私の母が平民だからですか? トウセイの母が貴族だから、私より信頼しているのですか……!?」
顔はどこか悲しげで俯いてもいたが、口からは怒りに任せて一気に言葉がまくし立てられていく。
「馬鹿者!」
王はその言葉を耳にした瞬間、本気の怒声を発していた。
声の大きさにはトウセイやリヤはもちろんの事、隣に控えていた侍従や周りにいた者達も驚きに包まれる。
「お前には何も見えていない。いや、ありとあらゆるものを見ようとしていないのか。民を守る責任も放棄して、自分のためだけに生きようとするなら勝手にするがいい……」
そして今までになく強く睨みつけると、厳しく叱り付けていく。
先程の言葉が余程許せなかったかのように、その言い方はまるで突き放しているかのようであった。
「父上……!」
リヤはそれを受け入れたくはないのか、それとも何か反論しようとしているのか立ち上がる。
「少し、頭を冷やせ。どうせしばらくはお前と話す気など起きん……」
しかし次に何かを言われる前に、王はそう呟くと再び視線を外していく。
そして口を閉じると、もうリヤと話す事は決してしないかのように目も閉じていった。
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