第7話 合成龍


「くっ……」
 その姿を見て、リヤは反論を諦めたらしい。 悔しそうな表情のまま後ろに振り返ると、逃げるようにその場を去っていく。
「兄さん!」
 トウセイはそれに気付いた瞬間、急いで振り返る。
 だが呼びかける声に対する反応はなく、足音はどんどん遠ざかっていった。
「全く……。あいつは、なぜあぁも強情なのだ。あの気性の激しさはわしの若い頃にそっくりだがな。全く、あの馬鹿息子め……」
 一方で王は疲れたように顔を俯かせると、強く目頭を押さえていく。
「父上……。にい、兄上が……」
 トウセイはそんな王の方を向くと、表情を曇らせたまま心配そうに呟いていった。
「おぉ、そうだな。トウセイ。すまんが、あいつをなだめてやってくれんか? わしが追いかけていった所でまともな話し合いにはなるまい」
 王はそれに気付いたのか元の姿勢に戻ると、穏やかな目つきで話しかけていく。
「でも、僕では……」
 対するトウセイは果たして自分がその役に適任なのかどうか悩み、目を伏せてしまう。
「あいつと一番仲の良いお前が適任なのだ。頼んだぞ」
 しかし王はなおもそう言い、不安を払拭させるかのように微笑みかけていった。
 そこにいるのは厳しく頼りがいがあり、時には怒声も上げる一国の主である。
 ただしそれと同時に父親として息子の事を考える、今のような別の一面も持ち合わせているようだった。
「……はい、やってみます」
 トウセイはそれに励まされたように明るい顔をすると、頷くとともに意気込んでいく。
 そして深く礼をすると、すぐにリヤの後を追って謁見の間を出ていった。
「……」
 一時の波乱も含んだがようやく謁見も終わり、辺りには安堵の空気が流れる。
 それでも後にも政務が続くため、以降は静かながらも場は動き出していく。
 だがそんな時、今まで傍から様子を眺めていた文官の一人が急に席を外す。
 後方から音もなく立ち去ったために、その行動に気付く者はいないままである。
 何故かその文官の口元には笑みが浮かび、足取りもどこか軽いものだった。

「ふん……」
 勝手に王の前から立ち去ったリヤは現在は外に出てきて、つまらなそうに石を蹴っていた。
 現在いる城壁の陰の辺りには人の姿もなく、一人きりでいるらしい。
「父上の方こそ何も見えていない……。今あるものを守るだけで、未来などあるものか」
 その口から出てくるのは王であり父でもある人物への愚痴だけであり、不満そうにずっと顔をしかめていた。
「あっ、いた……。はぁ、はぁっ……」
 その時、その場にはトウセイが現れるとこちらへ走ってくる。
 ずっと兄の事を探していたのか額には汗を浮かべ、少し前と同じように息を切らせていた。
「兄さん!」
 それでも無事にリヤを見つけると疲れも吹き飛んだのか、嬉しそうな声を上げて近寄っていく。
「……何だ、トウセイか」
 一方でリヤはつまらなそうな表情をして、最後にもう一度石を蹴った後に振り返る。
「えっと、その……。あまり気にしない方がいいよ。父上の言う事も正しいと思うけれど……。兄さんの考えだって、正しいと思っているから。その、だから……」
 対するトウセイは落ち込んでいる相手にどんな言葉をかけるか迷い、途方に暮れていた。
 そのために視線は泳ぎっ放しでしどろもどろになってはいるが、元気付けようとする頑張りは何となく伝わってくる。
「……分かっているさ」
 だからこそリヤもいつの間にか落ち着きを取り戻し、静かに答えながら視線を上向けていった。
「え?」
「父上の言っていることだって分かるんだ。不必要な軍拡は、国家間に緊張を生むだけだからな」
 対するトウセイは驚いたように目を見開き、その間もリヤはずっと空を見上げたまま話している。
「僕はこの国のためを思っていたけれど、父上には理解されなかった。結局、それを認められない僕が大人げなかったんだ。そう、それだけの事なのさ」
 やがてゆっくりと視線を下げるとその頃には穏やかな微笑みを浮かべていた。
 その表情はどこか先程の王と重なって見えるが、自分の過ちを認めて自虐的に振る舞っている部分もあるらしい。
「兄さん……」
 トウセイはその事に気付いているのか、どこか複雑な心境のようだった。
「そういえば悪かったな、トウセイ」
 その直後にリヤは何かを思い出したように表情を変えると、いきなりそう言ってくる。
「え、何が?」
「さっき、僕が貴族とか平民とか言っただろ? あれは本気で言ったわけじゃないからな。そんな事が関係ないのは、よく分かっているんだ……」
 トウセイの方は思い当たる節がないかのように顔を傾げているが、対照的にリヤはかなり後ろめたく思っているらしい。
 顔を俯かせると声も自然と小さくなり、また足元にあった石を蹴り飛ばしていった。
「僕はお前の事を本当に信頼している。だから、あの発言は忘れてくれないか?」
 そして次に真面目な顔でじっと見据えると、気まずそうに笑みを浮かべていく。
「大丈夫。最初から気にしていないよ。兄さんが本気でそんな事を考えている訳ないって分かっているから」
 それを聞いたトウセイに不満を浮かべる様子すらなく、本心を表すように表情を緩ませていった。
「そうか……。ありがとうな、トウセイ」
 リヤはそれを見るとようやく胸のつかえがとれたのか、嬉しそうな表情で一息つく。
 やがて二人はしばし見つめ合った後、どちらともなく楽しそうに笑い出す。
 今そこにいるのは互いを認め合い、尊重し合うどこにでもいるような普通の兄弟だった。
「王子様」
 しかしそんな時、二人の間に割って入ってくるように誰かの声が届いてくる。
 次に二人がほぼ同時に声の方に振り向くと、そこには深く礼をする一人の男が立っていた。
 その男は王との謁見時にすぐ側にいた、文官達の内の一人である。
 年は初老程に見えるが立ち居振る舞いはしっかりとしていて、細身の割にはあまり隙が見受けられない。
「あぁ、サイハクか」
 リヤはそんな男と見知った間柄なのか、気軽にそちらへ歩いていく。
 さらにそのまま二人は打ち解けているかのように、明るく会話をし始めていった。
「……」
 一方でトウセイの反応は芳しくなく、サイハクの事を警戒するようにじっと眺めている。
 相手が何者なのかは知らずとも嫌悪する部分か、あるいは反発する所があるのか体は自然と強張ってもいった。
「ところで王子様。軍の改革案、惜しゅうございましたな。つきましては、別の案をお考えになられてはいかがかと……」
 一方でサイハクはまるで気負った様子も見せず、恭しい態度を維持している。 顔には張り付いたようなどこか不気味な笑みが浮かび、眼光はどこかくすんでいるように見えた。
「そうだな。じゃあ、またお前に手伝ってもらおうか」
 それにも関わらず、リヤは全面的に信頼を寄せているらしい。 相手の言葉を鵜呑みにするかのように受け入れ、大して考え込む事もしなかった。
「はい、もちろん……」
 次いでサイハクはいやらしく笑いながら、深く頭を下げていく。
 果たしてその内面にどんな考えや欲望があるのか、外から窺う事は出来ない。
 まるで分厚い衣服と張り付いた笑顔の中には、己の真意を丸ごと隠し込んでいるかのようだった。
「トウセイ。僕は用事があるから、もう行く。お前も剣の稽古があるんだろう? 遅れないようにしろよ」
 リヤはそれからおもむろにそう言うと、また穏やかに笑いかけてくる。
 その優雅な雰囲気を見ると、もう心配する様子はなさそうだった。
 しっかりとした足取りでサイハクを引き連れ、そのままどこかへと立ち去っていく。
「あ、うん……」
 ただしそれを見送るトウセイの胸中には、言い知れない不安のようなものが燻っているらしい。
「でもあの男、何か嫌な感じがした……。一体、兄さんと何を話していたんだろう?」
 本来なら言いつけ通りにすぐに剣の稽古に向かう必要があったが、どうしても兄の事が気がかりなようでそれからも立ち尽くしていた。
 そしてその細まった目は今もなお、遠ざかりつつある二人の方へ向けられている。
「ん……?」
 するとその時、トウセイはふと視線の先に何かを見つけたようだった。
 立ち去っていくサイハクの腕には、何か刺青のようなものがある。
 さらにそれは赤く光り、日中だというのによく目立っていた。
「何だ、あれ。あれが何なのか、知っている気がする……。でも、思い出せないな……」
 だがトウセイの位置からでは距離が離れているために詳細は窺えず、おまけに二人は角を曲がって見えなくなっていく。
 そのためにいくら疑問について考えようと、それを解消する事は一向に出来ないらしい。
 トウセイはそれから仕方なく顔を傾げたまま、もやもやとした気持ちを抱えながらも稽古へ向かうために足を踏み出していった。

「うわ……っ!」
 板張りの広い道場の中では、トウセイの大きな声が響いていく。
 その身は道着に包まれ、手には木刀も手にしている。
 どうやら誰かと稽古をしている最中のようだが、今は足を滑らせて転んでいく所だった。
「ごほっ、ごほっ……」
 直後に床に背をしたたかに打ち付けると、思わず苦しそうに咳き込んでいく。
「はぁっ、はぁ……。はぁぁ……」
 さらに木刀を手放すと、そのまま少し床の上で呼吸を整えようとしているようだった。
 ただしその姿はどことなく、深い溜息をついているようにも見える。 
「うぅむ……。一体どうなさいました? 今日はまるで集中されておられませんな。足を滑らせるなど、若様らしくない」
 その時、すぐ目の前にいた中年の男が心配そうに覗き込んできた。
 すでに体は衰えつつあるようだが、まだ筋骨隆々としていて武芸を嗜んでいるのだと何となく伝わってくる。
 加えてその視線は、まだ仰向けになったままのトウセイを身を案じているかのようだった。
「あぁ。そう、みたいだ。自分でも腑抜けているのが分かる気がするよ、爺……」
 対するトウセイは自分の不甲斐無さが悔しいのか、顔をしかめている。
 さらに痛みを堪えるように打ち付けた背中を擦ってもいるが、そうなってもまだどこか意識が定まらないようだった。
 それはまるで何か他に気がかりな事があり、今はそれ以外の事など手につかないように見える。
「ふむ、そうですか……。では少し早いですが、今日はもう終わりに致しましょうぞ」
 爺と呼ばれた男もそれを感じ取ったのか、首を横に振りながらそう言った。
 立派な顎髭を伸ばしているためか、見た目は実年齢以上に老けて感じられる。
 二人は互いを親しげに呼び合いながら話しており、どうやら長い付き合いがあるようだった。
「今の若様では、何をやられても上達など致しません」
 そしてだからこそ相手の気持ちを感じ取る事も出来るのか、爺は真面目な顔で忠言していく。
 取り出した手拭いで汗を拭いながらも、頭の中ではトウセイの事をきちんと考えているらしい。
「うん、そうしよう……」
 しかしトウセイはそれに思い至る事もなく、まだ呆けたような顔をしていた。
 次に体を起き上がらせると、悩んでいるせいか動きもぎこちないが立ち上がっていく。
 それから爺に木刀を手渡すと、おもむろにどこかへ歩いていってしまった。
「若様があぁまでなるとは本当に珍しい。何かあったのだろうか……」
 爺はそれを心配するように見つめた後、木刀を壁へと立てかけにいく。
「……」
 一方でトウセイはそれからもぼうっとしたまま、道場にある小さな窓から空を見上げていた。
 日はすでに高くまで上がり、気温も高いためにうだるような暑さにまでなっている。
 少し前までは気温も激しく変動する事はなかったが、ここ最近は何故か一年中夏のような気候になっていた。
「あれは……。もう少しで思い出せそうなんだけれど……」
 そんな中でもトウセイにとっては、暑さもあまり気にならないらしい。
 ひたすら流れる雲を目に映しながら、悩んだような表情をして静かに呟いていた。


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