「それでも、僕は諦める事だけはしたくない……。例えどんな果てに行き着くとしても……。あんな奴等に負けるよりは、ただ屈するよりはきっと幾らかましだから……」
それでも少年は立ち上がると同時に歩き始め、よろよろとしながらもゆっくりと前へと進んでいく。
ただしその目や表情はそれまでより遥かに暗く、朽ちたような見た目をしている町の人々とどこか似ているように感じられた。
だが少年はそれからも立ち止まる事なく、暗い路地裏から少しでも明るい往来の方へと一歩を踏み出す。
その先にあるかどうかもも分からない、神の火という名の伝説を求める少年の旅はそこから始まっていったのだった。
気付けばそこはどこまでも続く永遠の闇の中で、周囲をどれだけ見渡しても何も見える事はない。
それどころか自分の足元の感触すらなく、宙に浮いているか漂っているかのような感覚だけがあった。
いくら手を伸ばしても何かが掴める事もなく、どこかへ向かおうにも自分の居場所はもちろん方向すら定かではない。
それでも手足をばたつかせて何とか移動しようと試みるが、目印になるものすらないのでどれだけ動いたかも分からず終いだった。
「……!」
そんな時、目の前にいきなり目も眩む程の輝きが姿を現す。
しかし周囲を一気に照らし上げる程の光はすぐに収まり、後には揺らめく火のようなものが残っていた。
それはまるで松明やかがり火に灯された明かりによく似ており、それからも音を立てながら燃え続けている。
灯されたそれにゆっくりと手を近づけると、熱くもなければもちろん冷たくもない。
何の刺激も感じない事を不思議に感じつつ、さらに手を伸ばすとその瞬間に何かが炸裂したように光が瞬いていく。
視界の全てを白く染め上げる眩さに対し、思わず目を瞑ると身を硬くして乗り切ろうとする。
その瞬間に意識は急に途切れてしまい、あれだけ眩しかった輝きも周囲を満たしていた闇も一切を感じなくなっていった。
「……!」
彼が目を覚まして体を大きくびくつかせると、まず目には明るい光が飛び込んでくる。
ただしそれは決して眩し過ぎるという事でもなく、静かに揺れながらきらきらとした輝きが見て取れた。
それから段々と目が明るさに慣れてくると、自分が見ていたのは木々の枝葉から覗く木漏れ日だった事に気付く。
その時になって自分の体勢に思い至ったが、どうやら彼は仰向けになって地面の上に寝ているようだった。
改めて周りを見渡せばそこは木々が生い茂る森の中であり、すぐに土や草のむせ返るような匂いもしてくる。
だが自分がどうしてここにいるのかも、何故ずっと寝転んだ状態のままなのかも分からない。
不思議と起き上がる気にもなれない中、ただぼうっと柔らかな日差しの心地良さに浸る時間だけが続いていく。
「やぁ、どうやら無事に意識が戻ったようだね。良かった、良かった」
そんな時、眼前には光を遮るように唐突に人影が現れる。
彼を覗き込むような姿勢の人物は全身を古ぼけたマントで覆い、頭までフードを被って人相はよく分からない。
逆光のために表情もほとんど窺えず、かろうじてそれ程年を取っていない男だと分かるくらいだった。
その手には火の消えた松明が握られ、それはついさっきまで火がついていたかのように煙が立ち昇っている。
「地上に残された数少ない光明……。その内の一つもまた、こうして潰えてしまったか。まぁ、仕方ない。この出会いも何か運命のようなものなのかもしれないのだから」
その視線に気付いたのかは定かではないが、マントの男はそう言いながら松明をその辺りに放り投げていく。
地面に落ちた松明はすぐに煙すら発しなくなると、後は普通の木の枝と同じように地面に転がるだけとなっていた。
「う……。ぁ……」
「ついこの間、ここでは火を巡った激しい戦があったらしいが……。それもあるはずもない、まやかしの情報に惑わされたのだろう。本当に愚かしい事だ」
男がなおもそちらへ視線を向けていると、マントの男も周囲へ視線を向けていく。
それまで気付かなかったが辺りには武器や鎧がそこら中に散らばり、大量に流れた血の跡もすぐに見つけられる。
死体は人か獣が片付けたのか付近にはないが、それでも激しい争いがあったのは容易に予想がついた。
「あぁ、心配ない。君の体の傷は完全に癒えている。火を近づけ過ぎた影響だろうが、少し命が若返ってしまったし……。記憶も生前のものはほぼ失われてしまっているだろう」
マントの男はそれから彼の方へ視線を戻すと、その全身を眺めながら声をかけてくる。
「それでも、これから生きていくのに不都合はないはずだ。後は君を引き取ってくれる所を探すだけか。よし。少し、ここで待っていなさい……」
そして一通り告げた後は大きく頷き、彼を残すとどこかへ向けて歩き出す。
残された彼はその後を追う事もできたが、何故かそうする気にもなれない。
再び上を向いて木漏れ日をじっと眺めた後、肌を優しく撫でるような風を感じながら穏やかに目を閉じていった。
「う、ん……」
少年が声を上げながら目を覚ますと、そこは薄暗い馬車の中だった。
多少粗末な相乗り馬車の中は他にも乗客がいるが、全員がひどく疲れた様子で他人を気にする余裕などはないように思える。
隙間だらけの幌しかないそこでは雨や風が入り放題の上、道の悪い場所を走る度に大きな振動にさらされる事となった。
それはおよそ快適な移動手段とは言えないが、そんな中でも少年は疲労のためか意図せず寝入ってしまったらしい。
「夢、か……。でも、何なんだろう。あんな光景、見た事がないはず……。なのに、この不思議な気持ちは……。懐かしい……。とても、懐かしいものを見たような……」
その後も膝を抱えたまま呟いている内に、また眠気がぶり返してきたのか瞼は自然と重くなっていく。
周りにいる誰がそれを止める訳でもなく、馬車の揺れに身を任せながら少年は再び深い眠りへと落ちていった。
それからどれだけの時間が経ち、どのような道筋を少年が辿ってきたのかは分からない。
その心や体にどれ程の苦労や悲しみ、あるいは痛みを感じてきたのかも不明なままである。
全てを知り得るのはあくまで少年だけであり、推察するとすれば現在の外見から行う他はない。
それもひどく薄汚れた風貌や、他者を寄せつけようとしない心情などからあまり順風満帆な旅ではなかった事が窺える。
ただしとても一筋縄ではいかないような、一言では表し切れないような道筋もようやく終わりが見えつつあるのは確かなようだった。
村を後にした少年は山間の谷間に入り、今は巨大な岩がいくつも乱立した地帯にやって来ている。
辺りにあるのは人より遥かに大きい岩ばかりで、水場はもちろん植物なども見当たらない。
空には相変わらず黒雲がたなびき、折りしもゴロゴロと雷の音さえ響かせつつあった。
「……あれ、どうしたんだい? 道案内でもしてくれる気になったのかな」
そんな下でふと立ち止まった少年は、後方から聞こえる足音の方へと振り返っていく。
「はぁ、はぁ……。いやいや、道案内なんてできはしないよ……。でも少し、思う所があってね。私も一緒に行っても構わないかな?」
そこにあったのはつい先程、少年を追うように家を出ていった夫の姿だった。
ここまで少年を探して走り回っていたのか、息を切らして全身には汗もかいている。
「うん……。まぁ、いいさ。誰が居ようと、僕のやる事に変わりはないからね……」
少年はそれを一瞥したかと思うと、すぐに前に向き直って歩き出す。
尖った岩ばかりで足場が不安定にも関わらず、その足取りは非常に軽いものだった。
「あっ……。ま、待ってくれよ!」
対する男はわずかに呆気に取られていたが、直後には慌ててその後を追いかけていく。
辺りを吹き抜ける風はまだ冷たさを伴っているものの、どういう訳か辺りの気温は村と比べてやや高くなっているかのようだった。
「この辺り、こんな風になっていたのか……」
「あなた達はあまりこの辺には立ち入らないの?」
「そうだね。何か役立つものがある訳でもないし……。用事がなければ、わざわざこんな奥地まで入っていかないさ」
あれから少し谷中を進む内、二人は連れ立つように歩いている。
「ふぅん……。いくら人が少ないとは言え、これまで神の火が見つからなかったのはどうしてかと思っていたけど……。人から意識を逸らすような何かでもあるのかな」
「……? よく分からないが、君には神の火とやらの位置は分かるのかい? てっきり地図か何かでも使うのかと思っていたけど……」
岩が折り重なって道を塞いでいる時などは、二人で自然と力を合わせて乗り越えるようにすらなっていた。
「そこら辺は色々と、ね。というか、ここまで来ればあなたにも分かってくるんじゃないかな」
少年は続けてそう言うと、辺りを見回すように顔を動かしていく。
「え?」
「ほら、この暖かさ。今まで全然気付かなかったのかい?」
「言われてみれば……。何だ、この陽気……。こんなに暖かいなんて、ここに来て初めてだ……」
夫も言われるままに周囲へ意識を向けると、驚いたように目を見開いていった。
村ではあれ程吹いていた風は完全に収まり、曇り空の下でも不思議と辺りは暖かい。
それから少年の方へ視線を戻すと、当人はじっと一方向だけを眺め続けていた。
自然と夫の目もそちらへ向くようになり、今も自分達が進もうとしている先にある何かに気付く。
夜のように薄暗い辺りの中にあって、岩の向こう側は不思議と明るくなっていた。
それは夜の海をぽつんと照らす灯台のようで、進んだ先には光源となる何かがあるのだと察しが付く。
そこから二人は無言のまま岩を乗り越え、やがて岩場の最も奥まった場所へと辿り着いていった。
二人の足はその時にどちらともなく止まり、全く同じような動きのまま顔を上げていく。
「素晴らしい……」
そうして流れるように眼前のものを見上げると、まず少年の口から感嘆の声が漏れていった。
巨大な岩をくり抜かれるようにして作られた空間には、巨大な松明が整然と設置されている。
燃料などが逐一供給されているようには見えないが、その先端にはいつまでも火が揺らめき続けていた。
形容し難い存在感のある松明と火は、明らかにいつも人間が利用しているものではない。
その全てが人間の理解の及ぶものではなく、神の持ち物だと言われても容易く信じてしまいそうに成る程だった。
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