鬼 6



「で、とにかくだ。さっきの続きだが……。どうして食事の前後に、わざわざ決まった事を言う必要があるのかと言うとだな。それは、感謝が必要だからだ」
「感謝? 何にじゃ?」
「まずは食材となった命への感謝。そして当然、料理を作る俺に対しての感謝も含まれている」
「成程。後半はともかく、命に対する感謝は大事だのぅ。それまで確かにあったが、自分の糧となるために失われていったもの。それは、容易く忘れてはならぬものじゃ」
 一方で駆が諭すように話し出すと、麗も釣られたように表情を引き締めていく。
「何か聞き捨てならない言葉があった気がするが……。ごほん。まぁ、いい。とにかく礼を忘れず……。あと、手も合わせるんだぞ」
 それから駆はやや顔をしかめるが、気を取り直すと自分の体の前で手を合わせていった。
「手を? こうかのぅ?」
 麗はそれを見るとまだぎこちなくも、見よう見まねで真似をしていく。
「あぁ、そうそう。そうやるんだ。できるじゃないか」
「ほっほっほ、そうか。どうじゃ、ん? 妾にかかればこれくらいのものよ。何ならもっと、もっと褒め称えてもよいのじゃぞ? ふふっ」
 対する駆が満足そうに頷いていると、麗は満面の笑みを浮かべながら自慢げな声を発していった。
「うーん。いや。それにはまだ、物足りないというか……。あと本当に、もうちょっとなんだよな……」
 駆は少し離れた位置からその様を俯瞰するように眺めていたが、不意に立ち上がるとすたすたと歩き出す。
「何じゃと?」
「ほら、そんなに背を丸めてないで……。もうちょっと姿勢を正せば……」
 麗がその動きを眺めながら不思議そうに顔を傾げていると、すぐ側までやって来た駆が背中の辺りにそっと手を触れていった。
「ぶ、無礼者! お、おおおぉ……。お主! いきなり……。な、何をするのじゃ!」
 すると麗は瞬時に全身を震わせていったかと思うと、これまでにない上ずった声を上げる。
「え……。な、何だよ。俺は別に……。ただ、お前の姿勢が悪かったから……」
「う、嘘をつくでない! い、いくら……。妾と二人きりで、年頃のお主が劣情を催したとしても……。高貴なる妾の体は、そうそう気軽に触れて良いものではないのじゃぞ!」
 対する駆が明らかに戸惑った様子でいると、麗は顔を真っ赤にしながら距離を取るように後ずさっていった。
「全く……。これまで妾に興味がないふりをしておいて、実はずっと機会を窺っておったのじゃろう! 本当に、油断も隙もあったものではないわ!」
 頭の中は今も混乱で一杯なのか、慌てふためいた様子で体を隠すように丸め切ってしまっている。 普段はいくら大人ぶっていようと、その内面には世間知らずだったり初心な所が確かに残っているようだった。
「ふ……。ふふっ……。はっはっは……。あっはっはっはっ……!」
 突然の事に面食らっていた駆も、すぐに平静を取り戻すと今度は大きく笑い出す。 普段はあまり笑顔を見せる事はないが、この時ばかりは生き生きとした表情をずっと浮かべている。
「な、何じゃ……! 一体、何がおかしいと言うのか! うむぅぅうう……! このー! 小童の癖に、生意気じゃぞっ!」
 だが麗はその反応が我慢ならないのか、悔しそうに地団太すら踏んでいった。
「ふっ……。くっくっく……。くふっ……。はは……。はぁ……」
 それからも駆は心底面白そうにしており、ひとしきり笑い終えるとようやく一息つく。
「?」
 そうして我に返って辺りを見回してみると、先程まで麗がいた場所にはその姿はない。
 そこからさらに視線を移すと、部屋の隅に収まるように座り込んだ麗の後ろ姿が見えた。
「……」
 どうやらかなり機嫌を悪くしたのか、ずっとこちらに背を向けた状態のままでいる。
 それから何を話しかけても無視され、前へ回り込もうとしてもすぐにそっぽを向かれてしまう。
 いくら謝った所で効果はなく、いつまでも不貞腐れたように両方の頬を膨らませていた。
「はぁ……」
 駆も思い付く行動をやり尽くすと、疲れたように溜息をつくしかなくなっている。
「あ……」
 それでもしばらくすると新たに何か思いついたのか、はっとした表情をするとどこかへ向かっていった。
「?」
 麗が側からいなくなった駆の行く先を覗こうとしていると、やがて台所の方からは盛んに音がするようになってくる。
「……」
 さらにおいしそうな匂いまで漂ってくると、麗は音を立てないように猫のような歩き方で忍び寄っていく。
「ふ……」
 その気配に駆はあくまで気付いていないふりをしつつも、以降も大量の食事を楽しげに用意していった。
 麗はそれから壁際に身を寄せつつ、駆の後ろ姿をじっと眺めていたがすぐに我慢できなくなったらしい。
 先程まで悪かった機嫌はとっくに元通りになっており、定位置であるかのように駆の隣に佇んでいく。
 そして駆が料理を作る風景を眺めつつ、こちらも楽しそうに体を揺らしながら鼻歌を口ずさんでいった。
 たまにはこうしてぶつかる事のある両者も、一緒に生活をするようになってからすでに短くない時が経過している。
 他人とは思えぬ程に遠慮なく言葉を交わし、互いに思い合う姿はまるで本当の家族であるかのようだった。

 それから季節は流れ、二人はいつものように同じ時を過ごしている。
 物に囲まれた室内で机を挟んで向かい合ったまま、特に何かをするでもなくただぼうっとしていた。
 窓の向こうではしとしとと雨が降り続け、湿った空気は室内にも流れ込んできている。
「なぁ、鬼ってまだお前の他にもいるのか?」
 そんな時、畳の上に寝転びながら本を読んでいた駆がふと口を開く。
「ん……? 探したのは随分前じゃが、少なくともこの地方では見当たらなかったの。もっと遠くの田舎や、人のおらぬ僻地にでも行けばまだ幾らかは残っておるじゃろうが」
 答える麗も茶をすすりつつ、眠そうな顔つきで虚空をじっと眺めていた。
「そうか……。それで、鬼って皆がお前みたいな見た目をしているのか?」
「何故、そのような事を聞く?」
 すると駆はおもむろに体を起こし、気付いた麗はそちらを見ながら目の前にある煎餅を手に取っていく。
「いや……。昔話に出てくるのはもっと強そうな奴じゃないか。見上げるような背丈で、体の色も赤だったり青だったりしてさ。でもお前は、人と見分けがつかないだろ?」
「そ、そうか? お主に買ってもらったこの服のおかげかのぅ」
 しかし続く言葉に思わず照れると、やや紅潮した顔を隠すかのように煎餅を顔の前に持っていった。
「あぁ、傍目にはお前が鬼だなんて全然分からないよ。きっと俺以外でも、誰もがそう思うんじゃないか」
 駆が頷きながら眺めるのは卸し立てに近い新品の服であり、麗がここに運ばれてきた時に着用していたものではない。
「おぉ。そうか、そうか……。ようやくお主にも妾の魅力が伝わったのだのぅ……。これからもじゃんじゃん、褒めていくと良いぞ」
 あまり豪勢ではないが艶のある美しい和装をじっと眺めていると、自然と麗の目も潤んだようになりながら細められていった。
「いや本当に、そこらではしゃぐ童にそっくりだよ」
 だが次の瞬間、平然と言い放たれた言葉によって辺りの空気は一気に冷え込んでいく。
「……」
 特に麗は先程までとは打って変わり、じっと恨めしそうな目付きになっていた。 あくまで無言を貫いてはいるが、その口元は拗ねているかのようにずっと尖ったままでいる。
「あ、あれ? いや、冗談だって……。そんなに怒るなよ。人と見分けがつかないってのは、本当なんだからさ」
 対する駆は正面から発せられるある種異様な雰囲気と、無言がずっと続く時間に耐えかねたらしい。 手を上げたままいやに明るく言うと、何とか誤魔化そうと試みている。
「……」
 ただし麗はその言葉を聞き終える前に、すっと立ち上がると移動を始めていた。
 それから壁のすぐ前に移動すると、いつぞやのようにそこに座り込んだまま動かなくなる。
 こちらをちらりとも見ようとしない様は、一切の釈明を受け付けまいとしているかのようだった。
「お、おいおい……。何も、本気で言ったんじゃないから機嫌を直せよ。な? お詫びにお前の好物を、好きなだけ作ってやるからさ……。ほら、この通り」
 駆はそちらへ距離を少しずつ詰めつつ、相手の機嫌を窺いながらひたすら下手に出るしかない。
 顔の前で手を合わせたまま、拝むように何度も頭を下げていく。
「ふぅむ……。よし、分かった。お主がそこまで言うのなら、今回は特別に許してやろう。じゃが、いいか。あくまで、今回だけじゃからな?」
 すると麗は息を吐きながら肩の力を抜き、明らかに態度を軟化させていった。
「それと大の男が、そう簡単に頭を下げるものではないぞ。お主も一人の男なら何事にも動じず、もっと山のようにどっしりと構えておらねばならぬ。良いか?」
 そしてまだ顔には不機嫌さを残しつつも、言いながら振り返ると佇まいを元に戻していく。
「あ、あぁ……。分かった。努力するよ。ふぅ……」
 駆もそれでようやく一息つけると、額の辺りを手で拭いながら安堵の表情を浮かべていった。
「……妾は、特に人に似ておったそうじゃ」
「ん?」
 それから少し間を置いた後、不意の呟きに駆は思わずそちらへ顔を向ける。
「子供の頃はそれが大層、嫌じゃったのじゃがな。しかし余程そうじゃったのか、父様や母様にはよくそう言われてからかわれたものじゃ」
 そこにいる麗はいつになく真面目な様子ではあるが、あまり重苦しさは感じられない。 むしろ明るさの片鱗すら漂わせながら、かつての思い出を鮮明に脳裏に描き出しているかのようだった。
「へぇ……」
 それを眺める駆も珍しく淑やかなその姿に、目を見張りながら小さく声を上げていく。
「じゃが、妾の兄様は物語に出てくる鬼そのものでな。筋骨隆々としており、非常にたくましく……。そして雄々しいだけでなく、優しくもあった」
 一方で麗はそんな反応も気にならないくらい、ひたすら集中しているようだった。 ゆっくりと目を閉じていくと、和やかな顔つきで遠い日々に思いを馳せている。
「その姿は見惚れる程に美しく、誰にも負けない強さを併せ持つ……。まさに妾の憧れの存在じゃった。日を浴びた横顔などは、今でも目に浮かぶ」
「お前がそこまで言うとは……。やっぱり人より、鬼の方がいいもんなのか?」
 やがて満足気に頷き終えるのを待つと、駆もあまり気負う事なく口を挟んでいけた。


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