鬼 5



「人間か、それとも妖怪か。犯人は今でも見つかっていない。身寄りのなかった当時の俺は、朧機関って所に引き取られていた。そこでは、妖怪の討伐を主に行っていて……」
 それからも落ち着いて話す駆の脳裏には、目も眩む程に明るい夕陽が差し込む路地裏が映っていく。
「俺はたまたま、妖怪に対する力があったから……。そこで修行や勉学に励みながら、来たる時に備えていた。その時はまだ、実戦なんて遥か先の事だと思っていたけど……」
 そこに一人で立ち尽くすのは今より幼い駆であり、時が止まったかのようにぴくりとも動かない。
 隅々まで真っ赤に彩られた世界にあって、その顔は病的なまでに青ざめていた。
「でも、もしかしたらあいつはそのせいで狙われたのかもしれない。とにかく、本当にいきなり……。妹は当たり前に続くと思っていた、日々の風景から姿を消して……」
 やがて脳裏の映像が瞬時に切り替わったかと思うと、小高い丘の上には立派な大木が鎮座している。
 その木陰には一人で佇む少女の姿があり、眼下に広がる草原をただじっと眺めていた。
「それは、今も続いている。本当は、もっと長く……。ずっとでなくても……。もう少し、一緒にいられると思っていたんだけどな」
 頭上にはどこまでも澄み渡った青空と、大きな入道雲が途切れもせず延々と続いている。
 少女はそこでいつまでも前を向いたまま、やや強く吹き付ける横風に体をわずかに揺らめかせていた。
「その……。何じゃ。すまん……」
 やがて麗は遠慮がちに口を開くと、まだどこか気まずそうに目をきょろきょろとさせている。
「何で謝る? 別に、お前が殺した訳じゃないだろ」
「それは、そうじゃが……」
「ふ……。だったら、あまり気にするなよ。俺も久しぶりに妹の話ができて嬉しいんだ」
 駆はその浮かぬ様を見ていると、不意におかしそうに笑みをこぼしていく。
「ほ、本当か?」
「あぁ。だから、そんな顔するなって。お前らしくもない」
「う、うむ……。分かった。では、そうするとしよう」
 麗も逆に相手を気遣うような優しい目付きで見られると、ようやく安堵できたようだった。
 ただそれからすぐ、さりげなく前方の様子を窺うように目を動かす。
「……」
 再び本へ視線を落とすようになった駆は、一見すると何も動じていないように映る。 だがその体はいつになく小さく、弱々しい印象さえあった。
「そう言えば……。あの時も、久しぶりに妹の事を思い出したんだった」
「ん? それはどの時の事じゃ?」
「お前を見つけた時だよ。最初はお前を見かけても、面倒になるのが嫌だったから……。誰か人に知らせて、俺自身はそこから離れようとしていた」
 それから駆は誰かや何かを見るでもなく、どこか遠い目をして語り出す。
「そんな時、どこかから妹の声が聞こえた気がした。それは単に俺を呼ぶ、ほんの短いもので……。いつだったかに聞いた、何の変哲もない平凡なもので……」
 脳裏に映っていたのは麗と初めて出会った場所で、そこで駆はいつかのようにただその場に立ち尽くしている。
「でもそれは、俺の足を止めるのに充分で……。今ここをただ、通り過ぎちゃいけない。何故か、急にそんな気になったんだ」
 しかしそうしていたのもほんの一時で、すぐに表情を引き締めると前へと進み出す。
 やがてその先に見えてきたのは、うつ伏せに倒れたままでいる一人の少女の姿だった。
「成程。三雲とやら……。顔を合わせた事はないが、妾にとっては命の恩人という訳じゃな。あぁ、もちろんお主もじゃぞ。ちゃんと忘れてはおらんからな? 良いか?」
 話を聞いていた麗は腕組みをしたまま、感慨深げに何度も頷いている。 続けて思い出したように目を開くと、覗き込むように顔を傾げていった。
 ころころと表情を変えながら明るく話しているのを見ると、どうやらいつもの調子を取り戻しつつあるらしい。
「そうか。それは良かったよ」
 すると駆も言葉短めに頷き、対を成すかのように朗らかな表情を浮かべていった。

「いいか。食事の前にはいただきます。食事の後にはごちそうさまと、きちんと言うんだぞ」
「もぐもぐ……。何じゃ、いきなり。まるで幼子に物を教えるような言い方をしおって……。ごくん。お主、妾を馬鹿にしておるのか?」
 風流な虫の音が外から聞こえてくる静かな夜、駆と麗は机を挟んで話し込んでいた。
「別に馬鹿にはしてないが……。これまで言おうと思ってずっと我慢してたんだよ。お前、ここに来てからそういうのを一度でも言った事あったか?」
「はて……? どうじゃったかのう。食事の前は今日はどんなご飯かと気になり、食事の後は余韻に浸るのに忙しいからのぅ。うーむ。本当にどうじゃったか……」
「はぁ……。そうか。だったら、言ってやる。一度もない。いいか、一度もないんだぞ。どうなってるんだ。鬼ってのは。礼儀作法の一つも知らないのか?」
 駆は背筋をぴんと張って整った姿勢をしているが、麗の方はお世辞にも上品とは言えない。
「むっ……。えぇい、妾だけでなく鬼そのものを侮るとは。むぐ、もぐ……。失礼な奴じゃのぅ。良いか。鬼にも当然、礼儀作法はある。本当じゃぞ」
 丸まった背筋で胡坐をかき、さらには料理を頬張りながら口を動かしてさえいる。
「最近の人間は外から文明を取り入れ、古いものをないがしろにしておるようじゃが……。そんな者に言われずとも、よっぽど厳格なしきたりが鬼には未だ根付いておる」
「その割にはあまりというか、全く成果が見られないんだが……。食事以外でも色々と雑で、がさつだし……」
 間の抜けた様をそれからも見ていると、駆は思わず嘆くようにうなだれていった。
「むかっ……。むぐ、もぐ……。お主、やはり妾を馬鹿にしておるな! それは確かに、妾も多少は至らぬ部分もあるかもしれん。じゃが、それには理由があるのじゃ」
「理由? 何だよ」
「妾はつい最近まで、一人で暮らしておったからのぅ。誰も見ていなければ、礼儀などいちいち気にする必要はない。そういう暮らしに慣れてしまっていたんじゃよ」
 すると麗は急いで咀嚼を済ませ、なおも不満気な視線を向けてくる。
「え? そうだったのか。でも、何で……。そう言えば、お前の家族の事とか聞いた事なかったな」
「そう言えば、そうじゃったな。じゃが、取り立てて話す事など……」
「何だよ、別にいいじゃないか。どんな事でもいいから、話してみてくれよ」
「う、うむ……。なら、そうじゃな。妾の家族。まずは父様と母様じゃが……。実は二人の記憶は、あまりない。妾がまだ幼い頃、いなくなってしまったからのぅ」
 対する駆が純粋な疑問をぶつけてくると、麗は神妙な面持ちでやや目を伏せていった。
「え……?」
「まだ妖怪も人も互いの境界を守っていた頃は、この地方にもかなりの数の鬼がいたそうじゃ。それでも増え続ける人の勢力に追いやられ、徐々にその数を減らしていった」
 駆はいつぞやの麗のように素直に驚きつつも、耳を澄ませて話を聞く事に専念していく。
「ただ妾の家族は人の寄り付かぬ特別な場所を住処にしていての。そこでは実に平穏で、幸せな毎日が続いておった。じゃが、ある日……。父様と母様はごく普通に出かけ……」
 麗は話ながらわずかに気持ちが上向いていたようだが、またすぐに陰鬱そうな表情や雰囲気を浮かべていった。
「そしてそのまま、二度と帰ってこなかった。まだ妾には兄様がおったから、しばらくは何とかなったが……。結局は兄様も、人に狩られてしもうた」
「そうか……。お前も、そうだったのか。えっと……。こういう時、何と言えばいいのか。その……」
 まるでここではないどこか遠くを見据えたままの麗に対し、駆はどう声をかければいいか真面目に思案し続けている。
「えぇい、できもしない事を無理にする必要などない。そもそも弱肉強食は自然の理。ましてお主が兄様を殺した訳でもあるまい。だから、そんな顔をするでない。良いな?」
 その様を見ていると麗の方が思わず声をかけ、表情も段々と緩んでいくのが分かった。
「あ、あぁ。そうだな。分かった。ふっ……。それにしてもまさか、お前に励まされる日が来るなんてな」
「ん? どういう意味じゃ」
「い、いや……。それより、一人になってからはどこで暮らしていたんだ。今までと同じ場所に、ずっと一人でいたのか?」
 すると駆もやや塞ぎ込んだ状態を改め、頬を掻きながら向けられる視線から目を逸らしている。
「うむ……。他に行く当ても、知り合いもおらんかったからな。幸いにも水や食べ物は豊富にあったから、しばらくは何の問題もなかった」
「じゃあ、今は何でここにいる? そう言えば、用事がどうとか言っていたな……」
「おぉ、よく覚えておったな。そうじゃ。妾はある理由があって、こうして人里に下りてきたのじゃ」
 麗はその反応を深く考える様子もなく、その後には満を持したかのように机の上へと手を置いていった。
「理由……?」
「兄様が鬼として人に狩られた以上、妾もそうなるのも時間の問題と思ったからの。狩られる前に、こちらから打って出ようと思ったのじゃ」
 駆が今度はそちらへ目を向けると、麗は机に覆い被さる勢いで前のめりになっていく。 ただし強い自信に裏打ちされた表情の割に、あまり迫力は感じられなかった。
「しかし散々道に迷って、食事も満足にできず……。あえなく路上に行き倒れてしもうて……。最早これまでかと思うていた時、お主と出会った訳じゃな」
 さらにわずかな威勢も長続きはせず、麗はがっくりと肩を落としてうなだれていく。
「そうか……。つまりお前は自分が思う以上に、おっちょこちょいだって訳だな」
「な、何故そうなる。お主はこれまで一体、何を聞いておったのじゃ! よりにもよって妾がお、おっちょこちょいなど……。鬼に対して使う言葉ではないぞ!」
「そんなにでかい声出すなって。ちょっとした軽口じゃないか……」
 続けて駆が冷静に言葉を放つと、瞬時に反応するかのように麗は上半身を跳ね上げさせていった。 
「むうっ……。いや、そもそもお主には妾に対する尊敬が足りておらんのじゃ。普段から妾を侮っているからこそ、そのような言葉が口を突いて出るのじゃろう」
 そして上目遣いでじっと睨み付けたまま、激昂に合わせて机を勢いよく叩き出す。
「だってお前はどう見たって、子供に他ならないしなぁ……。言動もそうだし、鬼だって事もいっつも忘れそうになるし」
 対する駆は耳を手で塞ぎながら、呆れた様子を隠さず表していた。
「むむむむうっ……! お主は、本当に……。前々から思っておったが、小童の癖に生意気じゃぞ! もう少し目上の者に対する礼儀を弁えぬか!」
 すると麗の怒りはますます燃え上がり、机を乗り越えるようにして詰め寄ってくる。 真っ赤になった顔はもちろん、その行動や大声にも周りを気にする配慮は感じられない。
「あぁ……。分かった、分かった。じゃあお前が、きちんと礼儀作法を守れる立派な大人だって分かったらそうしてやるよ。それで構わないだろ?」
「む……。何かその物言いのせいで、いまいち納得しかねるが……。まぁ良かろう」
 だからこそ駆の対応もどこか軽く、いそいそと机を降りる麗の顔もいつまでも浮かぬままだった。


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