鬼 2



「え、本当か? その見た目で? どう見ても、俺より年下にしか見えんが……」
「そんな事で嘘なんぞついてどうする。それに……。妾が鬼というのも本当じゃ。鬼というものはな、人だって食べてしまう事があるんじゃぞ?」
 対する青年が明らかに困惑していると、麗はこれ見よがしに笑みを浮かべながら大きく口を開けていく。
「丁度、今は腹と背中がくっつきそうな程に空腹な訳じゃし……。目の前にいる若くて、食べがいのありそうな人間をぺろりと平らげてしまおうかのぅ?」
 さらにもっと恐怖を与えようとしているのか、じりじりと青年の方へ距離を詰めていった。 ただしまだ幼い見た目も相まって、圧迫感や緊張感はさほどない。
「ふーん。そりゃ大変だな。人助けをしたつもりが、まさか鬼に食われる羽目になるとは」
 青年もすぐに平静を取り戻すと、頭を掻きながら気の抜けた相槌を打っていく。
「むぅ。お主は本当に変わっておるのぅ。単に肝が据わっているのか、愚か者なだけなのか……。こうして相対していても、まるで図り切れん」
「そう言われても、元からこういう性格だからなぁ。俺自身は別に自分が変わっているとも思わないし、これからも変えるつもりはないよ」
「そうか。まぁお主みたいに気の抜けた獲物では、どの道食欲も湧かんよ。妾は鬼であって、畜生とは違う。食えれば何でもいいという訳でもない」
 すると麗も呆れた様子で身を引き、やや恨めしそうに相手を眺めながらその場に座り込む。
 そうしていると前触れもなく、腹の辺りからは大きな音が自己主張するように鳴り響いていった。
「でも、ちゃんと腹は空くみたいだな」
「うむ……。こればかりは致し方ない。これも妾が、今日もきちんと生きている証じゃしな……」
 青年が少しおかしそうに笑いかける一方、麗は手で腹を押さえたまま深く頷く。 その恥ずかしそうな顔はそれからも俯いた状態で、なかなか元には戻らなかった。
「ま、俺なんか食ったってそもそも美味しくないに決まってる。それより、腹が空いているならもっとうまいものを食わせてやろう」
「何? お主が用意するのか?」
「そうだけど、嫌か?」
 それから青年はにわかに立ち上がると、気付いた麗がおもむろに顔を持ち上げていく。
「い、いや……。構わぬぞ。この際、贅沢は言えぬ。本来なら妾に料理を振る舞うなど、誰にでも与えられはしない栄誉ではあるが……。今回は特別に許可してやろう」
 さらに腕を組むと目を閉じたまま何度も頷き、やがて得意げな笑みを浮かべていった。 しかし偉そうな態度とは裏腹に、その口元には涎らしきものがきらりと光っている。
「全く、口の減らない奴だな。年上だって言うなら、もうちょっと大人の振る舞いってのをしてほしいけど……。まぁ、いいや。少し待ってな」
 対する青年は仕方なさそうに軽く息を吐くと、麗から視線を外して台所の方へ向かっていく。
「ふぅむ……。待っている間は、どうしても手持ち無沙汰じゃな。それにしても、人の住処に入り込んだのはこれが初めてじゃからな……」
 そして料理を始める音が聞こえてくるようになると、麗は改めてきょろきょろと周りを見回していった。
「ほぅ……。やはり人は手先が器用じゃのぅ。ん、これは……? おぉ、こんなものまで……」
 さらに興味を引いたものを片っ端から手に取ると、じろじろと眺めながらそれを何度も繰り返す。 その遠慮のなさは自分の家にいるかのようで、とても初めて訪れた場所とは思えない程のくつろぎようだった。

「よし、できたぞ。料理を置いていくから、机の上を片付けてくれるか?」
 やがて台所から姿を現した青年は、いくつもの皿や器を手に持ちながら歩いてくる。
「何、片付けじゃと? そう言われても、何をどうすればいいのやら……」
「適当でいいよ、適当で。とりあえず物をどかして、料理が置けるくらいの場所を確保できればいい」
「成程。それならば、妾に任せるが良い」
 対する麗は最初こそ狼狽えていたものの、続く声にしっかりと頷いたかと思うと身を前に乗り出す。
 そして腕や体全体で押し出すようにして、机の上にあったものを一気にどかしていった。
 だが豪快なやり方によってそこにあった物の大半は、勢い余って下に落ちてしまっている。
「どうじゃ? これで完璧じゃろう!」
「あぁ……。まぁ、確かにな」
 だというのに麗は誇らしげに胸を張り、青年の方も一応自分の言った通りにした相手にあまり強く言い返せないでいた。
「さて……。それじゃあ、とりあえず置いていくぞ。今さらだけど、好き嫌いとかはないよな? 今ある材料で作れるものを作ってきたんだが……」
 それからすぐに気を取り直した青年は、手にしていた皿や器を次々に机の上に並べていく。
「うむ、妾にそんなものはない。遠慮などいらんから、じゃんじゃん持ってくるがよいぞ」
 相変わらず麗の態度は尊大なままであるが、そこまで嫌味だったり険悪な印象はない。
「あぁ、はいはい。分かったよ……」
 だからなのか青年も苦笑するように口元を緩め、次の料理を取りに行くために台所へと戻っていった。

「ほぉ……。そこまで期待はしていなかったが……。これはなかなか大したものじゃな。お主、料理人か何かなのか?」
 あれから麗は器の高さに目線を合わせたり、様々な角度から料理を観察するように眺めていたようだった。 それもひとしきり終わると、最後に小皿を手にした青年の方へ声をかけていく。
「いや、料理の心得は特にはないよ。ただ一人暮らしだし、節約のために自炊を始めたんだが……。どうせなら最低限はできた方がいいと思ってさ」
 当人は謙遜するように頭を掻いていたが、実際に料理は豪勢でないものの完成度は決して低くない。
 盛付などの見栄えにもきちんと気配りがされ、まるでどこかの店で出てくるものと比べても遜色はなかった。
 何よりできたての料理は見ているだけで食欲を刺激し、麗の手に握られた箸も今や遅しと出番を待ち構えている。
「ふむ……。じゃがこれだけできれば、充分じゃろう。とは言え、見た目だけでは料理とは言えん。実際に味を確かめてみぬ事には……」
「あ……。おい」
「ん? 何じゃ?」
 やがて麗は矢も楯もたまらず、制止しようとする青年の声も聞かずに料理を頬張っていった。
「いや、まぁいいや。それで? 味はどうだ」
「むぐ……。まだ食べ始めたばかりではないか。評価については……。んぐ、もう少し待つが良い。全く……。慌てん坊じゃのぅ」
「……」
 合間に何か言おうとした青年だったが、その見事な食べっぷりには思わず閉口してしまう。
 以降も麗は食べる事だけに集中し、そのためだけに口を動かし続けていった。
 気付けば二人分より大分多めに作られていた料理も、麗一人によってどんどんその量を減らしていく。
 そして大した時間も経過していないはずなのに、机の上にあった料理はほぼ完全にその姿を消していく事となっていった。

「ふぅ〜。やはり食後の一杯は格別じゃのぅ。明らかに安い茶ではあるが、この際それには目を瞑ろう」
「悪かったな。安い茶しか置いてなくて。それにしても、たった一人でこんなに食べ散らかして……。その小さな体によくそんなに入るもんだ」
 それから麗が湯呑を口元に運んでいると、対面に座る青年は心底呆れた顔つきをしていた。
 視線の先に広がるのは空になった器や皿の群れであり、残ったタレや汁などは無残に散った血の跡にも思える。
「? 何をこの程度で驚いておる。妾の腹はまだ八分目どころか半分程度じゃぞ。本当ならまだまだ食べられるが、妾は慎ましいからの。節制しておるのじゃ」
 一方で麗は悪びれる様子もなく、少し膨らんだ腹をぽんと叩くと誇らしげな表情すら浮かべていった。
「よく言うよ……。まぁ、いいや。それで、もうそろそろいいか?」
「ん? あぁ、そうじゃったな。確か、味の評価だったか。まぁ、悪くはなかったのぅ」
「そうか、そうか。そりゃ一応、良かった」
「特に料理人という訳でもないというし、お主くらいの年ならこれくらいできれば上出来じゃろう。後は日々、精進あるのみじゃ。料理の道は険しく、果てしなく長いのじゃぞ」
 対する青年は机に頬杖をついたまま、麗の説教じみた言葉にも淡々と頷いている。
「はいはい……。それで? もう充分、腹も膨れただろう。別にここに用がある訳じゃないんだし、そろそろ帰ったらどうだ?」
 その視線は中空を漂うかのようで、どこか片手間に話すような態度もそのままとなっていた。
「帰る? 先程は何やら、届け出るとか申してなかったか」
「あれはお前が人間かと思ったからで……。鬼なら関係ないだろう。どうやら子供って訳でもないみたいだしな。今からだって、普通に帰れるだろ?」
「まぁ、それはそうじゃが……。うーむ。そうじゃな。どうしたものかのぅ……」
「おいおい……。一体、何を悩む必要がある?」
 しかしにわかに言葉を濁し始めた麗に対し、青年は動揺を隠せない様子で思わずそちらへ目を向ける。
「いや……。確かに腹は膨れたんじゃが。どうやらその分だけ、動き辛くなってしまったようじゃな。たははっ……」
 すると麗はそれまでになく緩んだ顔つきのまま、かなり満足気に微笑みを浮かべていった。
「は?」
「じゃからの。今少し、妾がここにいてやっても良いぞ。ふふっ、さぞかし嬉しかろう?」
「は? いや、いや……。ちょっと待てって。何を訳の分からない事を言っているんだ……!」
 逆に青年は明らかに困惑し、堂々とした麗とは対照的なくらい狼狽えている。
「まぁまぁ、落ち着くが良い。いくら気が昂るとは言え、そう取り乱すな。何も特別な事を要求している訳ではない。お主はただ、妾を普通にもてなすだけで良いのだ」
「それが分からないんだよ。どうして俺が、お前をもてなさなくちゃいけないんだ」
「妾を、もてなしたくないのか?」
「あぁ」
「正気か?」
 麗はそんな相手を宥めようとするが、頑なな応答をされると本当に不思議そうに顔を傾げていった。
「その言葉、そっくり返してやろうか」
「ふーむ。お主、本当に変わっておるのぅ……。人間とは皆、お主のように頑固なのか?」
「いや、頑固とかそういうのじゃなくて……。うーん。どうすればいいんだよ……」
「だから、さっきから言っているではないか。妾をもてなせば良いと」
「あぁ、もう……! そうじゃなくて……!」
 対する青年は一向に進まない話に苛つき、思わず頭に手をやりながら深く考え込む。
「む……。そうか、成程。お主の言いたい事が、ようやく理解できたぞ。つまりは、こういう事じゃな?」
 それを見た麗はおもむろに胸元に手を差し込むと、そこから鮮やかな柄をした巾着袋を取り出す。
 次いで太めの紐で縛られたそれの口を解くと、中に入っていた物を一斉に机の上にばら撒いていった。


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