求めたもの 3



「だが……。お前がそうするのなら容赦はしない。今からでもお前をこの手で殺し尽くす。あいつにしたように残酷に、徹底的に」
 やがて少女は意を決したように拳を握り締めると、それまでまともに見せる事のなかった構えを取っていく。 鋭く研ぎ澄まされた刀のような視線や言葉は、すぐ目の前にいる相手に確かに届いているはずである。
「……」
 しかし少年はなおも動かず、差し出した手を下げようともしない。
 相手を見つめる瞳もほんの少しも逸らされず、堂々とした様は少女を信頼し切っているかのようだった。
「くっ……。何故だ。何故、こんな時にあいつの顔が浮かぶ。あいつは私を、遠ざけ……。平凡な世界へと、追いやろうとした人間だと言うのに……」
 そんな相手と接する少女は幾らかふらつき、痛みを堪えるように頭に手を当てている。
 雑音や眩暈が不定期に襲いかかる度、眼前にいる少年とかつて相対した誰かの姿が重なっていく。
 少女はそれからも顔をひどくしかめ、その脳裏には今とは違う場所の光景が思い浮かんでいった。

 とある寺の境内はひたすら穏やかな空気で満たされ、俗世とはまるで違う独特な時が流れているかのようだった。
 だがその直後、不意にその静けさを引き裂くような少女の泣き声が響き渡る。
 少女は前方にいる相手に必死に追い縋ろうとしているが、複数人の尼僧が羽交い絞めにして懸命に止めていた。
 それを眺めていた男は申し訳なさそうな表情を浮かべつつ、いくつか言葉を呟くと頭を下げる。
 そして悠然と身を翻した後は、振り返りもせずにその場を立ち去ろうとしていく。 その表情に喜びや嬉しさなど欠片もなく、いつまでも寂しさや辛さのようなものを含ませていた。
 しかしそのような感情の機微は、まだ幼子である少女にはほんの少しも伝わる様子はない。
 なおも少女は狂ったように泣き叫び、どうにか尼僧の手を逃れようと身をよじっている。
 その口からは誰かを呼ぶ声を張り上げながらも、もう誰もその場には戻ってこない。
 やがて少女は全てを諦め切ったように黙りこくり、姿勢を保てなくなる程に体からも力が抜けていく。
 人としての意思すらなくしたような表情からは、本当に失意のどん底にあるのというのがはっきりと伝わってきた。

「一度は拾っておきながら、あのような身勝手……。もう決別はついたと……。そう、思っていたのに……」
 やがて忌まわしい記憶から抜け出した少女の頬を、意図せぬ涙が一筋だけ流れていく。
「楔はすでに打ち込まれていたのですね。僕に教えてくれたように、彼女にも……。人を傷つけるのではなく、救うための拳。やはり、先生は凄い」
 そんな姿を見つめる少年は懐かしそうに微笑み、ふと静かに目を瞑る。
「僕は今になってあなたの強さが分かった愚かな弟子です。でもあなたの志を絶やさぬため、これから僕は努力し続けます。あなたのように、どこまでも」
 そして瞼の裏に映り込んだ相手へと話しかけると、改めて目を開いて一歩前へと踏み出す。
「っ……!」
 少女は今も突き付けられるような手を見ると、思わず怯えるような反応を浮かべていった。
「そして今度は今度は僕が先生のように教えを広めていきます。まずは国内、ゆくゆくは世界中に……」
 だが少年はなおも揺るがず、ゆっくりと天を仰ぐように視線を上向けていく。
 頭上にはどこまでも暗雲が広がっていたはずだが、その瞬間だけは急に空に変化が現れる。
 少年の頭上にある雲にわずかだが切れ間が生じると、そこからそれまで少しもなかった日が差し込んできた。
 眩く輝きながら降りしきるそれを追うように、少年は改めて視線を下げていく。
 丁度その頃、前方からは震えながらも開かれた手が伸びてきている所だった。
 動きとしてはそれ程速やかではない上に、どこかおっかなびっくりとした様はぎこちなく映って仕方がない。
 それでもやがて二人の間でお互いの手が交わると、どちらも相手の存在を確かめるように手に力を込めていく。
 すでにそこに敵意の応酬はなく、まだほんの少しであっても二人は互いを分かり合う第一歩を踏み出せたようだった。
「そう。今この瞬間に成った、あなたが求め続けたものを……。どこまでも、誰にでも……。人の世が続く限り、いつまでも……」
 少年はそれからも握手をした手を見つめ続け、もうそこにはいない誰かにずっと話しかけている。
 仄かに暗い世界の中でそこだけが暖かみに満ち、一人の人間の夢が叶った瞬間を密かに祝福しているかのようでもあった。


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