第13話 光


「そう、器……。私も結局は……」
 センカは強く目を瞑りながら言葉を受け入れ、悲しげに呟く。 だが最後の瞬間には、少しだけ悔しそうに表情を変化させていた。
「まだ揺れ動きますか。どうやらあれから余程、世間に毒されてしまわれたようだ」
 ライリはほんのわずかな変化を見逃さず、そう言いながら少し横へ視線を滑らせていく。
 先には今もこちらの様子を窺っている、サクやトウセイの姿があった。
 二人はセンカと馴染みがある龍神教の者との話だと思ったからこそ、そこに立ち入ってはこない。
「あの二人を排除すれば少しは戻られますかね……? 汚れのない純粋無垢な、本来のあなたに」
 しかしライリはいやらしい笑いを浮かべ、自らそちらへ浮かべようとしていた。
「……!」
 センカはそれを感じ取った瞬間、ひどく青ざめた顔を持ち上げていく。
「いいえ。やめてください」
 そしてやけに強く、命令するような口調で言った。
「はい?」
 それを聞くとライリは視線を戻し、少しわざとらしいが聞き返していく。
「私は何も変わってなどおりません。今までの旅は、ただこの身に光を馴染ませるためだけのもの」
 センカはそれに対し、抑揚のなくなった声で答える。 だがほとんど表情はなく、先程までの動揺は欠片も残さずに凛としていた。
「全ては教団のため、教主様のため。それ以外には一切の意味も意図もありません」
 少し前とは別人かのように、一歩も引かずに気炎を上げている。 そこには普段なら見られない、異様ともいえる迫力があった。
「えぇ、そうでしょうね。巫女様に翻意など有り得るはずがありませぬ。私は最初から信じていましたとも。無礼の数々、お許しください」
 ライリは見聞きした後は満足したかのように、またどこか白々しい笑顔を浮かべる。 さらに変わったセンカにたじろぎもせず、笑ったままでそう言ってのけた。
 先程までいたルヨウとはまた違った、特別な雰囲気が今目の前にいる相手にはある。
「……構いません」
 センカはそんなある種の異様な存在を前に、一切の感情を失ってしまったかのようだった。
 表情は面でも被っているかのように画一的で、消え入るような声には暖かみがない。 冷え切った態度は、普段は滅多に見られないものだった。
「そうですか。では早速ですが、私達は自分の仕事を果たさせていただきます」
 しかしライリはそれを見て改めて口元を歪めると、背を正していく。
「えぇ、分かっています」
 センカは鋭い視線を受けながらも、落ち着いた様子で頷いた。 そこにいるのはただの少女ではなく、龍神教の巫女に変貌を遂げていたかのようだった。
「巫女様。教主様がお呼びです」
 やがてライリは態度を一気に硬化させ、真剣な顔でそう言う。
「はい」
 それを受けて、センカも険しい表情のまま頷いていった。
「光を見つけ、その身に宿す事は叶ったのか……。教主様はそう仰っておられました。どうなのでしょう、巫女様。あなた様は無事に使命を果たされたのでしょうか?」
 先程に口にした目的とは余程重大な事なのか、ライリの顔も少し憂いを帯びている。 そして何か重大な心配事を抱えているかのように、慎重に問い質していった。
「えぇ。私は見つけました。とても強く、とても素晴らしい。他に比肩しようもない最高の、光を……」
 センカは静かに頷くと何かを諦めるように目を閉じ、そう伝えていく。
「そうですか。巫女様、お見事で御座います。そして悲願の成就、真におめでとうございます……!」
 ライリはそれを聞くと本当にほっとしたように微笑み、先程以上に頭を下げていった。
 さらにその様子を見ると、側にいた行列を構成する全員が同じように頭を下げる。
「おめでとうございます、巫女様!」
「おめでとうございます、巫女様!」
「おめでとうございます、巫女様!」
 誰もが訓練されたかのように規律正しく、何度も大きな声を張り上げていく。
 それはごく平凡な町中にあってかなり異様な光景であり、周りにいる人々から奇異の視線に晒されていた。
 だが行列にいる者達はそれをものともせず、むしろ誇らしげな表情を浮かべていた。
「ぇ、え……?」
「何だ……?」
 その明らかにおかしい姿に対し、サクやトウセイはただ戸惑うばかりだった。
「では巫女様。教主様の元へお戻りください。道中は我々が無事にお運びいたします故」
 それから身を正したライリはそう言うと、センカに対して道を譲っていく。
 行く手には豪華な籠が現れ、そこに導くかのように手は向けられている。
「えぇ……。どうやら、その時がきたようですね」
 センカはそれを見て慌てる事も戸惑う事もなく、じっと冷静さを保っていた。
「ですがその前に……。彼等にお別れを告げられてはいかがでしょう?」
 しかし次の瞬間、ライリは翻弄するかのように自らの手をあらぬ方向へ動かしていく。
「え……?」
 センカが困惑しながら後を追うと、先にはサクやトウセイの姿があった。
「あなたがもう外に出る事はない。もう彼等と会う事は、二度とないのですから」
 ライリは二人を指差しながら、残酷な宣告と分かっていても敢えて告げている。
 その顔はどこまでも楽しそうで、まるで子供がするような純粋な笑みに満ちていた。
「……は」
 だがそれとは対照的に、センカの顔はひどく落ち込んでいる。 そして頭の中ではどこかに救いはないか、必死に考えを巡らせているようだった。
 ただしそれもすぐに無理だと悟ると、表向きには出さずも心は絶望に支配されていく。
「……はい」
 やがて悲壮感を隠す事も出来なくなると、そのままとぼとぼと歩き出す。
 ライリは後ろ姿をじっと見つめ、隠し切れない程の満面の笑みを浮かべていた。
「センカ、どうしたのさ?」
 サクは様子のおかしなセンカを遠目から眺めていただけで、事情がよく分かっていない。 そのために不思議そうな顔を傾げ、無邪気に尋ねている。
「……何があった」
 一方でトウセイはやや不穏な空気を感じ取ったのか、眉間にしわを寄せていた。
「いいえ、何でもありませんよ。ただ、私が元の場所に帰る時が来た。それだけです……」
 センカはいつもと変わらない様子をしようと努めているが、それでもどことなく態度がおかしい。
 忙しなく体は揺れ動き、目は右往左往している。 不安げに自分の腕を強く握る姿は、今までに見た事のないものだった。
「元の場所? それって……」
 サクも何となくおかしな空気だと分かってきたのか、見る見るうちに表情を曇らせていく。
「龍神教。私の居るべき場所、帰らなくてはならない世界そのものです」
 センカは次にそう言った瞬間、盗み見るような目線を向けていった。 先にはライリの姿があり、それを見た瞬間に小さく体を震わせていく。
「ちょっと、センカ……」
 サクは当然、言葉を鵜呑みにする事など出来るはずもない。 そう言いながら問い質そうとしたのか、頼りなさげに手を伸ばしていった。
 だがそれを見た瞬間、センカは驚いたように目を見開く。
「触らないでください!」
 そしてサクの手を乱暴に跳ね除けると、今までになく強く叫んでいった。
「え……」
 思いもよらぬ行動に対し、サクは呆然としたまま口を開きっ放しにしている。
「ごめんなさい! 違うんです、これは……。ごめんなさい。すみません、サク君……。そ、そんなつもりはなくて……」
 一方でセンカは直前にした事を今になって自覚したのか、目には涙を滲ませながら本気で謝っていく。 その様子はあまりにおかしく、ひどく取り乱しているかのようだった。
「ト、トウセイ……」
 それを見てサクもどうしたらいいのか分からず、ただおろおろとしながら助けを求めていく。
「おい、センカ……」
 さすがにトウセイも様子をおかしく思ったのか、そう言いながら手を伸ばしていった。
「あっ……。あの……。その……。ご、ごめんなさい……」
 しかしセンカはそれを見ると、気まずそうな顔をして避けていく。 さらに二人から少し距離を取ると、俯いたままで黙り込んでしまう。
「……」
 トウセイもそれを見て、向けた手を宙に浮かべたまま怪訝な顔をするしかなかった。 
「センカ……。本当にどうしたのさ? ここでお別れなんて、嘘だよね?」
 その時、サクは心配そうに見つめながら問いかけていた。 いつになく心細そうな姿は、やけに幼く見えている。
「……」
 センカはそれに対しても、不安と恐怖が綯い交ぜになったような顔で何も答えない。 それでも体に力を込め、きつく結ばれた口を開こうとしていく。
「巫女様。まだ時間がかかるようでしたら、私が変わりましょうか?」
 だが次の瞬間、ひどく凍てついた声が聞こえてくる。
「……!」
 センカはそれに押されるように、体を大きく跳ねさせた。 それは恐怖に勝手に反応したようなもので、顔からは一気に血の気が失せていった。
「な、何でもありませんよ〜。冗談です、冗談。いつもサク君がふざけてるのを、やり返しただけですよ……。あははっ……」
 直後には急に笑顔を浮かべると、センカは声や体を震わせながら話していく。 ただし明らかに無理をしているのか、ずっと虚しく空笑いが続いていた。
 さらに嘘をついて胸が痛むのか、ずっと心臓の辺りを手で押さえている。
 だがもちろん、それを見つめるトウセイやサクには全く通用していない。 二人のどちらもが信用せず、どこか物悲しげな表情を浮かべている。
「私は家に帰るようなものです。心配はいりませんよ。ロウさんには私が謝っていたと伝えて下さい」
 センカは演技に夢中で気付かないのか、微笑みを浮かべながらなおも言っていく。 しかしやはり、思い詰めたような態度は隠し切れていなかった。
「すみませんが、よろしくお願いしますね……!」
 そして今出来るとびっきりの笑顔をすると、後方へ踵を返す。
 最後の方はこの場から逃げ出すように素早いもので、すぐにここから立ち去ろうとしていた。
「……」
 トウセイは何かを考え込んではいるが、引き止める事も出来ずに立ち尽くしている。
 だがサクはそれで終わりになど出来なかったのか、横を駆け抜けていく。
「待ってよ、センカ!」
 そして力の限りに叫びながら、手を伸ばして追いつこうとしていった。
 しかし眼前には巫女を護衛する役目の男達が立ち塞がり、行く手を阻む。
 サクは何とか間をすり抜けようとするが、屈強な体に阻まれてそれは叶わなかった。
 さらに不審者を囲むようにして男達は動き、決してセンカの方へは進ませはしない。


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