第13話 光


「ロ、ロウさん! 待ってください……!」
 それを見たセンカは慌てて追いかけ、背後からロウの手を掴もうとする。
 だが急に横から歩いてきた人に行く手を阻まれ、目の前で手は遠ざかっていく。
「大丈夫だ、皆。俺は必ず、戻って来るから! だから、ここで待っていてくれ!」
 ロウは後ろに振り返ってそう叫んだ後、改めて小走りをするとルヨウの方へ駆けていった。
 やがて二人は行き交う人混みに紛れ、姿はあっという間に見えなくなっていく。
「……」
 センカはそれでもロウのいなくなった方向を、いつまでもずっと眺めている。
 心配する気持ちの方が強そうだが、全てを一人で決めて勝手にいなくなった事に対して不満を覚えているかのようでもあった。
「あまり思い詰めるな。あいつは自分の意思で行ったんだ。それにあいつなら、一人でも何とかするだろう」
 トウセイはすぐ横に立ち、同じようにロウの走っていった方を見ながら呟く。
「は、はい……」
 センカは納得したように相槌を打つが、顔は晴れないままだった。
「そうそう、ロウならきっと大丈夫だよ。それより僕達は今日の宿を探そう? ね、センカ? このままじゃ野宿になっちゃうしね」
 サクは明らかに落ち込んだ様子を見て、明るく微笑みかける。 さらにロウがいなくなった分も明るく努めようとしているのか、わざとらしくとも大きな声を出していた。
 そのまま軽快に歩き出すと、宿を探して町中を軽快に進んでいく。
「あぁ、そうしよう。行くぞ、センカ」
 トウセイもすぐに歩き出し、、その場にはまだ立ち尽くしているセンカだけが残される。
「私、信じていますから。だから、大丈夫ですよね……。ロウさん……」
 一旦はサクやトウセイの後を追おうとしたが、足はなかなか前に進まない。
 それでも最後に一度だけロウの行った方向に振り返った後、不安を振り切るかのように勢いよく駆け出していった。

「ふぅ……」
 ロウはルヨウに連れられ町を出て、今は山の中を歩いていた。
 側にはむき出しになった岩肌があり、隙間からは清水が上から伝わって流れ落ちている。 透き通った水は日の光を反射して、美しく輝いていた。
 ロウはそれを眺めると荘厳な光景に心奪われ、立ち止まって思わず言葉を失くしていた。 一方で町を出てから随分と歩いており、かなり疲弊もしているらしい。
「はぁ、はぁ……。な、なぁ。一体、どこに行く気なんだ?」
 疲労困憊で息を切らせながら、前の方へ視線を向けていく。
 先にはルヨウがおり、こちらを向いてはいないがロウが立ち止まったのを感じて待っていてくれているようだった。
「師匠に会いに行くってのは分かったけど……。せめてどこに行くのかくらい、教えてくれよ……」
 ロウはすでに息も絶え絶えの状態で、そう言いながら絶えず流れ落ちる汗を拭っていく。
「機の国」
 そんな時、ルヨウは振り返る事もなく眼下に広がる風景に目をやっていた。 顔は涼しいもので、ロウと違って欠片も汗をかいていない。
「聞いた事のない国だな。それに、国名に龍の名前がついていない……」
 ロウは横顔を怪訝そうに見つめながら、また重い足を動かしていく。
 脳内では、かつてセンカから聞いた国の名に龍のものを冠するというを話を思い出しているようだった。
「なぁ……。そこはどんな国なんだ?」
 そしてだるい体を引きずるようにして歩き、ようやくすぐ側に並び立つまで追いついていった。
「機の国とは……。全ての龍が集まり……。それによってあらゆる知識や技術を手にした。史上最も栄えた国の事……」
 ルヨウはそんなロウを一瞬だけ横目にした後、そう言ってまたすぐに歩き出していく。 しかし歩く勢いとは反対に、態度や雰囲気はあまり芳しくない。
 発する口調も重苦しく、あまり思い出したくない事でも話しているかのようだった。
 だがロウと二人きりになってからは、言葉をつっかえる事もなくなっている。 すでに町中で話していた時よりは、幾分か声も出てきているようだった。
「え、全ての龍? でも……」
 ロウは発せられた言葉から思いついた疑問を口にしようとするが、それよりもまずは追いつこうと歩き出す。
「そう。機の国に龍がいたのは過去の話……」
 ルヨウはまた開いた距離を調整するためか、それとも昔を思い出すのも辛くなってきたのかその場に立ち止る。 目は遥か遠くの景色を眺め、やや悲しげに伏せられていた。
 そしてあまり多くを語りはしないが、背中はやけに寂しそうにも見える。
「今は違うのか?」
 直後に足を止めたロウは、不思議そうに問いかけていった。
「えぇ……。もう今は違う……」
 ルヨウはそれに気が付くと、そう言いながら振り返っていく。 ロウよりもやや高い位置にいるため、見下ろすような形になっていた。
「龍の支配を脱却した国……。それが機の国……。でも……。かつてあった過去の栄光は今、あの国のどこにもない……」
 さらに浮かない顔のまま、静かに語り続ける。 頭上からは日に照らされ、影は長く濃くなって伸びていった。
「……」
 ロウは影に呑み込まれながら、落ち込むような姿を見てかける言葉も見つからないようだった。
 辺りには吹き付ける風の音しかなくなり、静寂に支配されていく。
「とにかく先を急ぎましょう……」
 しかしルヨウはすぐに気を取り直すと、表情を消して前に向き直る。 そしてただ前を向いたまま、また鋭く先へと歩き出していった。
「あ、あぁ……。そうだね……」
 ロウは雰囲気などにしばらく圧倒されていたが、我に返ると目の前の坂道を登っていく。
 頭上では雲が増え、徐々に日の光を遮り始めていた。

 丁度ロウが山を登っていたのと同じ頃、サクやトウセイは率先して宿屋を探していた。
 ただセンカだけは呆けたような顔をして、所在なさげに佇んでいる。
 そこから少し離れた建物の影には、その様子をじっと眺める何者かの姿があった。 全身をぼろぼろの布で覆い、体は町にいる人達よりもかなり大きい。
 そのために望まざる内に注目を集めてはいるが、本人はまるで気にする様子はなかった。
「ふん……」
 さらに謎の人物は所々穴のあいたぼろ布を纏った一見するとみすぼらしい姿ながらも、瞳には活力がみなぎっているようだった。
「まさかこんな所で再会出来るとはな。あいつ等の姿を見るのも久しぶりだ……」
 視線を逸らす事もなくそう言うと、意気揚々とセンカ達の方へ向かおうとする。
「!」
 だが次の瞬間、驚いた様子で急に足を止める。 視線の先には直前まではなかった、異様な光景が広がっていた。
 そこに現れたのは中心に豪華な籠を運ぶ、数十人にも及ぶ見事な行列だった。 厳かな雰囲気を纏わせながら、真っ直ぐに町中を闊歩していく。
 そして行列を構成する人達は皆が一様に、外見がセンカと似ている特殊な装束に身を包んでいるようだった。
「あれ、何?」
 サクは徐々に町中に満ちる異様な空気に気付いたのか、振り返ると不思議そうに呟く。
「あれは龍神教か……。だが、何故こんな所にいる?」
 トウセイも同じ光景を眺めながら、訝しげな表情をしていた。
 行列は遅々としながらもしっかりとした足取りをして、どんどんとこちらに近づいてくる。
 二人はそれを驚いたような表情で眺め、すっかり立ち止まってしまっていた。
「……」
 そんな中でセンカはただ一人、行列を険しい顔で見つめていた。 重苦しい表情は只事ではなく、いつもとはまるで様子が違う。
 そして行列はセンカのすぐ前にやって来ると、ぴたりと動きを止めてしまった。
「?」
 サクは目の前の行列を見て顔を傾げ、トウセイも訝しげに長々と続く行列の端の方まで目を向けていた。
 その時、行列の中からは何者かが進み出てくる。 小奇麗な身なりをした男は特別な地位にあるのか、一つ一つの所作は優雅なものだった。
 そこにいる全員の視線を一身に受けながら、ただ一つの目標へと向けて歩を進めていく。
「巫女様、お久しぶりです。その後に体調などはお変わりありませんか?」
 そしてセンカの前に立つと、恭しく首を垂れてそう言った。
「えぇ、大丈夫。私は元気ですよ。ライリ」
 センカはじっと見つめながら、堂々とした態度で返事をしていく。 雰囲気は穏やかなものだったが、どこかいつもとは様子が違うように思える。
「ぇ……?」
「む……」
 だからこそサクやトウセイは困惑したように、少し顔をしかめていた。
「それはこちらとしても把握しております。フド殿から報告は受けておりました故」
 ライリと呼ばれた背の高い男は二人とは対照的に、終始にこやかな笑顔を浮かべている。 しかしそれは張り付いたような歪なもので、敬うように見える態度もどこか空々しく感じられた。
「そう、ですか……」
 センカはその顔をまともに見られず、目線を横へ逸らしていく。
「ですが残念でしたね」
 ライリはそれを見透かしたかのように、鋭い言葉を投げかけていった。
「な、何がでしょう……」
 一方で声を聞いたセンカは思わず体をびくつかせ、顔を強張らせる。
「教団から逃れて自由になるなど……。そのような事は決して出来ないのですよ」
 ライリは冷たく歪んだ笑顔を見せつけるかのように、そう言いながら顔を近づけていった。
 雲によって陰った頭上からは日も差し込まず、余計に表情は暗く淀んで見える。
「わ、私はそんなつもりは……」
 センカはそれをまともに見る事も出来ず、顔を俯かせてひどく動揺していた。 当初の落ち着いた態度は形もなく、今にも泣き出してしまいそうだった。
 だがそれは間近でないと分からず、傍目からには穏やかに会話をしているようにしか見えない。
「ではどうして、すぐに戻られなかったのです? かなり早くの段階ですでに光は手に入れられていたはず」
 ライリはそれを充分に理解し、その上でセンカの心の揺れ動きを楽しむかのようだった。
「それとも、外の世界で人と触れ合う内に勘違いでもされましたか。自分も彼等と同じ、自由な人間なのだと」
 微笑みは一向に崩れず、やけに引っかかる含みを持たせた言い方をしている。
「……!」
 センカはそれを聞き、衝撃を受けるかのように目を見開いていた。
「もしそうなら、この先も苦しむだけでしょうから訂正して差し上げます。あなたは光の巫女。その身は龍神様のために。その魂は教主様のために……」
 そしてライリは今までで一番冷たい声で、眉一つ動かさずに言っていく。
 流れるように発せられる言葉は、顔を俯かせて立ち尽くすセンカの耳に染み込んでいく。
「全ては教団のためにあるべきで、あなたは過去も現在も未来も持たぬ身。ただ光を納めるための器。それだけでしかないのですよ」
 鋭い視線はなおも見下ろし、言葉と共に体に突き刺さっていくかのようだった。


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