「何でなんですか。どうしてあなたはいつも、誰かのために行動するんですか」
だが次の瞬間、センカは強い口調をして非難するような声を上げていく。
顔はようやく上げられ、じっと相手を見返していた。
「センカ……。いいえ。そんな事はありませんよ。私はそのような立派な人間では……」
当の教主は初めこそ力強い視線に驚いていたが、すぐに否定するかのようにまた首を横に振っていく。
そしてセンカの方へ向けられていた手は下げられ、代わりに誤魔化すかのような微笑みが顔に張り付いていった。
「違います。あなたはそうなんです……! 私にはよく分かります。つい最近まで、あなたとよく似た人と一緒でしたから……」
センカはその振る舞いが許せないかのように、さらに語気を強めていく。
誰だったのかは分からないが、確かに誰かの事を脳裏に思い浮かべているようだった。
だからこそ余計に顔は歪み、辛そうにしている。
「いつも気がつけば誰かを見ている。困っていれば手を差し伸べて、優しく微笑んでくれる。そんなあなただから、たくさんの人がついてきたんです」
さらにセンカは目を瞑ると、その人物とかつての教主の姿を重ね合わせているようだった。
「……」
しかし教主はなおも黙ったまま、ただじっと見つめている。
「どうやったって憎めませんよ。あの日、あの時に救われてからずっと……。あなたは私の憧れの人で、それは今だって変わっていなくて……」
センカは次に目を見開くと、おもむろにそう言った。
諦観の思いと共に、体からは力が抜け切っていく。
「自分でも訳が分からないんです。本来ならあなたは今よりずっと早く、今より幸せになれたはずなんです。誰の事さえ気にかけず、ただ自らの欲望に素直になってさえいれば」
さらに話す声は次第に小さくなりながら、震えだけが増していく。
目は小刻みに揺れ、焦点は合っていない。
「もっとひどい心の持ち主でいて、そもそも私なんて見捨てていれば……。そうすれば、きっと……。なのに、どうして……」
やがて涙声を混じらせながらとつとつと話すようになり、教主の手を両手で掴むとゆっくりと持ち上げていった。
「なんで、あなたは……。あなたは……。こんなにも、暖かいんですか……」
そして自身の顔の辺りにまで教主の手を持ってくると、それを両手で優しく握り締めていく。
口調には戸惑いを含みつつ、どこまでも心細そうに見える。
それは光の巫女としての責務を果たそうと、必死に気を張っていた昼間とはまるで違う姿だった。
「センカ……」
教主はその行動に驚き、目を丸くしている。
「ずるい……。あなたはひどい人ですっ。う、うぅっ…………」
言葉と共に目からは、玉のような涙が次から次へとぽろぽろと流れ落ちていく。
さらにセンカの目からは絶え間なく涙を流し、悲しげな声は室内に響き渡っていく。
「……」
教主は戸惑いと傷心を示すセンカに対しても、何もかける言葉が思いつかずにいる。
襖越しに月明かりを受ける儚い姿に目を奪われたかのように、呆然としているだけだった。
「ニンネ様……! うあぁぁぁぁっ……」
そうこうしている内にセンカは感極まったのか、大声で泣き始める。
「でもぜったい、死んだりしないでくださいっ……。そんなの、いやですから……。うっ、うわぁぁぁん……!」
そして涙を流したまま教主に抱き付くと、さらに大声で泣き出していった。
センカはこれまで光の巫女として常に己を律し、どんな時も正しき行動を取れるように心掛けていた。
そのために誰に対しても礼儀正しく振る舞い、そのために何かを我慢したり遠慮する事も厭わなかった。
だが今に限っていえばセンカは全てを投げ打ち、己の本心を曝け出していたのかもしれない。
そこにはなおも月の光が差し込み、室内のあらゆるものを照らしていく。
センカの涙や潤んだ教主の瞳はそれを反射し、薄暗い部屋の中では密やかながらも確かな輝きを放っていた。
「ごめんなさい、センカ……。私は目の前にいるあなたの事を、もっと考えるべきでした」
次に教主はそう言って宥めると、センカの体を優しく擦っていく。
自分の行動は相手を思っての事だったが、実際は突き放していたに等しかったと悟ったかのようだった。
「う、うぅぅっ……。ニンネ様……」
それでもセンカは泣き止む様子はなく、まだ泣きじゃくっている。
「本当に、ごめんなさい……。ごめん、なさい……」
対する教主は他に方法を知らぬかのように、ずっと謝り続けていた。
だが答えは返ってこず、センカは教主の胸の中でずっと泣き腫らしている。
それはまるで親に甘える子供のようで、すっかり安心し切っているようだった。
そして静かで薄暗く、落ち着かない雰囲気の室内ではそれからしばらく泣き声が止む事はなかった。
「すぅ、すぅ……」
あれから幾らか時間が経過した後、センカは泣き疲れたのか眠ってしまったようだった。
教主の体に寄り掛かったまま、静かに呼吸を繰り返している。
「ふふ……。泣き虫なのは変わっていないのですね」
教主は安らかに寝息を立てるセンカの頭を撫でながら、穏やかに微笑んでいる。
寝顔を優しく見つめる視線は、慈愛に満ちていた。
その時、不意にすぐ側の襖に何者かの人影が映る。
「あの、そこの方。部屋に入ってきてくれませんか?」
教主はそれを見かけると、廊下にいるであろう人物に声をかけていく。
ただしそれはとても静かで、センカを起こさないように気遣っているようだった。
そして次の瞬間、招かれた何者かは襖を開いて部屋に入ってくる。
「どうかしたのか?」
その人物とはトウセイの事であり、たまたま近くを通りがかっただけなのか怪訝そうに見下ろしている。
「この子、眠ってしまったようなんです。申し訳ありませんが、部屋まで運んでいただけないでしょうか?」
教主は憮然とした態度の相手にも、分け隔てなく穏やかに対応している。
自らの体の上に伏せるセンカを指し示すと、そう頼み込んでいった。
「そういう事か。まぁ、構わない」
特に断る理由もないのか、トウセイはそれをあっさりと了承する。
その場にしゃがみ込むと、軽々とセンカを抱え上げていった。
「すみません……」
教主はそれを見ると、申し訳なさそうに頭を下げていく。
「いや、気にするな」
トウセイは淡々と答えると、他に語る事もないのかすぐに部屋を出ていこうとした。
「あの……」
しかしその時、教主は背中に向けてやや遠慮がちに声をかけていった。
「何だ?」
トウセイはそれに対して足を止めると、顔だけ振り返っていく。
「あなたはセンカと同行されている方と聞きました。旅はどのような様子なのでしょう。もしや危険なものなのでしょうか……?」
教主は不安そうに見上げたまま、遠慮がちに問いかけていった。
「そうだな。まぁ、平穏無事ではないが……。常に危険という訳でもない」
トウセイはセンカを抱えたまま、わずかに考え込んでから答える。
そして言い終えた後は、すぐに前に向き直っていった。
「そうですか……」
教主はその言葉を聞き、安堵した様子だった。
大きく息を吐くと、嬉しそうに顔を綻ばせていく。
「では、連れていくぞ」
トウセイはそれをわずかに横目で眺めた後、センカを抱え直して今度こそ部屋から出てこうとする。
「はい。どうか、よろしくお願いします……」
教主は頷き返すと頭を下げ、次に顔を上げるとセンカの方をじっと眺めていった。
目は何かを名残惜しむかのようであり、少し寂しさや悲しさのようなものがない交ぜになっていた。
「ふむ……」
トウセイは月の光が降り注ぐ廊下を、センカを抱えたまま延々と歩いている。
豪勢な建物はとても広く、まだまだ歩いていく必要があるようだった。
「実の親ではないと聞いていたが……。大切に思われているのは、確かなようだな。あの目、あの表情。まるで子を思う、本当の親のようだった」
トウセイはそんな状況でも、何かを考え込んでいるようだった。
脳裏にはつい先程、部屋を出ていく直前まで教主から向けられていた視線が思い浮かんでいる。
「あれなら大丈夫かもしれんな。センカがここに残るという選択をしても……。いや、俺がいちいち憂慮する事でもあるまい……」
それは今、自分が抱えている相手に向けられていたのだとよく分かっているらしい。
だからこそ静かに呟くと、それ以降は思考を止めてセンカを運ぶのに集中していった。
「くぅ、くぅ……」
一方で抱えられたままのセンカは目を覚ます様子もなく、幸せそうな顔でぐっすりと寝入っていた。
だがその直後、不意に目からは一筋の涙がこぼれ落ちていく。
トウセイはすでにセンカを見ておらず、それに気付く様子はない。
「ニンネ様……」
センカはそれから、小さな声で寝言のようなものを呟いていった。
どんな感情で涙を流したのかは不明だが、それ以降は目からは何もこぼれ落ちはしない。
ただ夜空に浮かぶ満月が放つ淡い光だけが、涙の跡を優しく照らしていた。
「……」
翌朝、教主は部屋に差し込む眩い明かりに目を覚ましていった。
そのまま上半身を起こし、辺りを見回していく。
部屋の中には他には誰の姿もなく、他には何の気配もない静寂な空間が広がっている。
「誰か、いませんか」
教主はそれから外へ顔を向けると、小さな呟きを放っていった。
「は、ここにおります。いかがなさいましたか」
その直後、襖の向こうに人影が映ってそう言ってくる。
先程までは誰もいなかったはずだが、今は確かに人の存在があった。
「センカは今、どこにいるのでしょう」
教主は外に控える者に対し、続けて尋ねていく。
「はっ……。巫女様はつい先程、こちらに来られて教主様のご様子を心配なさっておりました」
襖の向こうにいるのは男のようであり、昨日いた護衛と同一人物のようだった。
「ですが教主様は眠られたままでしたので、起こすのも悪いと仰られてそのまま戻られていきました」
さらに部屋の中にいる教主にかしずいたまま、静かに話し続ける。
「そうですか。起こしてくれても良かったのですが……」
教主はそれを聞くと、落胆したような溜息と共に顔に手を当てていた。
「で、ですがそれは教主様のお体に障るのではないかと……。巫女様もそれは望まれておりませんでしたので……」
すると護衛は少し慌てた様子で、頭を下げながらそう付け加える。
「責めている訳ではありませんよ」
教主はそれに対して微笑みながら答えると、布団から体を出していく。
「はっ……」
護衛は恐縮したようでまた頭を下げ、短く答えた。
「他に報告する事はありませんか?」
そして教主はまだまどろみを残したまま、続けてそう問いかける。
「じ、実は……。巫女様はそれから突然、御出立を決められたようでして……」
対する護衛の表情は優れず、言い辛そうにしながらも何とか声を絞り出していった。
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