第13話 光


「お前が教主か」
 その時、ソウガは教主の背後に歩み寄っていた。 自らが龍人になるきっかけを作った相手に対し、きつく睨み付けている。
「はい。あ……。あなたは……」
 教主は答えつつ振り返ると、その時になってようやく話している相手が龍人なのだと気付いたようだった。
「……」
 両者はそのまま睨み合い、どちらも緊張した様子で動かなくなっている。
「そうですね、あなたにとっては私は……。決して許されざる者ですよね」
 だが不意に教主はそう言うと、微笑みながら向き直っていく。 怒りを押し殺しながら自分と向き合うソウガを見て、何をしたいと考えているのか理解したようだった。
「どうぞ、遠慮なさらずに。私を殺されたいのでしょう?」
 そのために非常にさばさばとした様子で見上げ、問いかけていく。 気持ちには偽りや恐怖などといった感情はなく、本当に穏やかに見える。
「え!?」
 それでもすぐ側にいたセンカは、突然の言葉に自分の耳を疑っていた。
 同時にトウセイやサクまでも驚いた様子を見せ、呆然としている。
「あぁ、そうだな。俺は……。お前を許す事など出来そうにない……!」
 一方でソウガは動じる事なく、睨んだままで拳を強く握り締めていく。 目は大きく見開かれ、憎しみを込めた視線を向けながら腕を持ち上げていった。
 今にも教主に襲い掛かりそうな雰囲気であり、怒りの強さを窺わせる。 体から発せられる殺気によって、辺りに漂う緊張感は一気に最高潮になっていった。
「……」
 それでも教主は目を逸らさず、体も微動だにしない。 フドのように浅ましく逃げる事もせず、正面から向き合ったままである。
 その姿や雰囲気は全てを受け入れようとするかのような、一種の余裕に満ちていた。
「何故だ……。この目、どこかで……」
 ソウガはそれを見ると、何故か動けずに躊躇しているかのような様子を見せる。
 どうやら少し前に見た光龍の肉体の純粋な瞳や、アマツが光の弧を受け入れようとした姿を思い出しているようだった。 両者はどちらも潔い姿を見せており、今の教主とどことなく重なる。
 だからこそソウガは戸惑い、固まった体は自由に動けなくなっていた。
「だが……。俺の怒りはこんなものではない……」
 ただソウガも、簡単に諦めるつもりはないようだった。 考えを打ち払うかのように、頭を自ら強く揺さぶっていく。
 そして奇妙な感覚を無理にでも振り切ると、震える体を怒りによって再び動かしていった。
「……」
 一方で教主はまだ取り乱す事なく、復讐心という強い意志を見定めようとしているかのようだった。
「そうだ、俺にはこうして当然の権利がある……」
 対するソウガは自身に言い聞かせるように呟き、太い腕を力任せに振り上げる。 日に照らされた腕は、いつ振り下ろされてもおかしくはなさそうだった。
「駄目です、龍人さん!」
 しかしそれを見たセンカは必死の形相で叫び、教主の前に立ちはだかる。
 トウセイやサクもそれを見ると、凶行を止めようと動き出そうとしていた。
「う……」
 だが周囲の反応とは対照的に、ソウガはそれから全く動く様子がない。 それどころか苦しそうな声を出しながら、体を震わせて多量の冷汗もかいていた。
「ぐっ……。がぁぁっ……。い、痛い……」
 さらに次の瞬間、突然苦しむような声を上げる。 頭を両手で押さえ、巨体は勝手によろめいていく。
「う、うぁぁ……。あ、頭が割れるようだっ……!」
 そしてそのまま地面に膝をつくと、更なる苦悶の声を上げていった。
「……!?」
 それを見た周囲の者達は驚きつつも、怪訝な表情を浮かべている。 つい先程までは全く不調な様子など見られず、ひたすら不可解でしかなかった。
「あ、あの……。龍人さん……。どうしたんですか?」
 間近にいるセンカは特にそう思ったのか、不思議そうな顔で様子を窺っている。
 しかしいくら考えようと原因は一向に掴めず、困惑するばかりだった。
「……」
 教主も突然の事に目を丸くして、何も出来ずにただ戸惑っている。
「ぐぉぉっ……。ど、どういう事だ……。な、何も見えんぞ……」
 ソウガ自身も何が起こっているのか、見当もつかないようだった。 そのために今はただ歯を食いしばり、激しく全身を襲う痛みに耐えるしかない。
「お、俺は……。誰だ……?」
 やがて意識が混濁してきたのか、虚空を見つめながらうわ言を呟き始めた。 すでに息は絶え絶えになっていて、ひどく衰弱している。
「大丈夫ですか、龍人さん? ……龍人さん!」
 センカが心配そうに声をかけるが、声に反応はない。
 というよりも、ソウガは何もかもを失念しているようだった。
「ぐっ……。ぐおぉぉぉおぉぉ!」
 それ程までに激しい痛みが体を襲っているのか、苦しみの中で猛るような声を上げている。
「俺は……。俺の体はどうなって、いる……」
 だが遂に力尽きたのか、そう言いながら遂に意識を失って地面に倒れ込んでいく。
「龍人さん! しっかりしてください、龍人さん!」
 それを見たセンカはそう叫びながら、必死に体を揺すっていく。
 しかしソウガには体を揺すられる感覚も、呼びかけられる声も届いてはいなかった。 意識は光の一切差さない、何もない暗闇に沈んでいく。
 何故か遥か下の方には、暗闇の中にあってもはっきりと輪郭の見える何かがある。 人の形をしているそれは、ソウガを受け入れるかのように手を広げていく。
 ソウガは虚ろな目でそれを眺めながら、何も出来ずにただそこを目指して落ちていった。
「トウセイ、周りを見てよ!」
 そして時を同じくして、サクは周りを見渡しながら驚きの声を上げていた。
「これは……。他の龍人達も……」
 トウセイもそれに倣って辺りを見回し、視線の先にある光景に思わず言葉を失っている。
「ひ、ひぃぃっ……」
 フドですら逃げる事を忘れ、体をがたがたと震わせながらそれに見入っている。 どうやらここに来てなお、尋常ならない事態が起きているようだった。
 視線の先では多数の龍人達が倒れているが、彼等は例外なくひどい不調に襲われている。
「グゥゥゥッ……」
「ウガァァァァァァ……」
 それは一見するとソウガと同じような症状であり、全員が一様に苦しみに喘いでいた。
 ただし同時に体は変容をきたし始め、明らかに異常な状態が続いていく。
「ウグォォォォオオオオ……」
 その内の一人は地面の上で仰向けになって悶えながら、胸の辺りをかきむしっている。 鋭い爪を立てて体を痛めつけていくと、鱗は簡単に剥がれ落ちていく。
 次に下から現れてきたのは何と、人の皮膚だった。 さらに変化はそこだけで終わらず、全身の鱗がどんどんと剥がれていく。
 人の体の部分が露出した後は、目や牙などの各部分から骨格までありとあらゆるものが変わっていった。 頭部では髪の毛なども一気に伸び、筋肉や皮膚も人が生来から持つものになっている。
 龍人は自身でも意図せぬままに、剥がれ落ちていく鱗の下では急激に体が作り替わっているようだった。 その姿はまるで蛹を脱ぎ捨て、新たな命に生まれ変わる蝶のようでもある。
「ぁ……」
 サクはそのその光景を立ち尽くしたまま、呆然と見つめている。
 視界のあちこちにいる龍人達は軒並み変化を遂げ始めており、そこはまるで別物の世界のようだった。
 そしてその時、劇的ではないが似たような変化が他にも訪れていた。
「う、うぅぅ……」
 アマツは地面にうずくまったまま、両目の辺りを手で強く抑えて痛みに耐えている。
「何なの、これ……。どうなっているのさ」
 サクは見渡す限りにある異様な光景に、戸惑いを隠せない。 だがだからといって何かが出来る訳でもなく、ただ見守る事しか出来ない。
「龍である部分がなくなり、人の部分だけを残して変わっていく……。まさか、こいつらは人に戻っているのか……?」
 トウセイもそう呟きながら、地面に落ちていた鱗を拾い上げていく。 顔には明らかな疑問の表情が浮かび、自分の言った事だが信じられないでいるようだった。
 しかし実際には推測の通りなのか、周囲の龍人達はますます人らしくなっていく。 苦しみつつも、痛みを我慢しながら人と何ら遜色のない形になる。
 ただしそれは、元から人が持っているものに戻っているだけなのかもしれなかった。
「がはっ……」
 そして次の瞬間、一番近くにいた龍人が口から何かを吐き出していった。 それは地面を転がると、サクの方に転がっていく。
 以降は龍人も苦しむ事はなくなり、穏やかに意識を失っていったようだった。
「あ、あれ? ねぇ、ちょっと……!」
 サクは狼狽した様子で駆け寄ると様子を見るが、龍人は死んだ訳ではない。 しっかりと呼吸をしており、意識がないだけで他には異常はないようだった。
「何だ、もう……。ん……?」
 サクは溜息をつきつつも、無事な姿にひとまず安堵した様子だった。
 だがその直後に、何かが足元に転がっているのに気付く。 それはつい先程、龍人が吐き出したものだった。
「これはもしかして、龍の肉……?」
 見覚えがあるのか凝視しつつ、怪訝そうな顔をしながら拾い上げていく。
 ただし赤く透明な外見はとても龍の肉とは思えず、小さく固まった宝石のようだった。
「何だと……!? それじゃあやはり、こいつ等は……」
 一方でトウセイは驚いた様子で、改めて周りを見渡していく。
 すでにその頃には周りにいた龍人達は、誰もが人の姿に戻っている。 ほぼ全員に意識はなく、倒れたままではあるが誰も死んではいないようだった。
「う……」
 その頃、アマツも状態が落ち着いてきたようだった。 まだ調子が悪そうだが体を起こすと、辺りの状況を把握しようとしている。
 他の龍人と違いあまり見た目に変化はないが、そのおかげでこうして意識を保っていられるのかもしれない。
 ただし目は先程までとはまるで違い、今や普通の人間のものと変わらないまでになっていた。
 視界もそれに伴って変わっていったのか、アマツは自分の瞳に映るものの全てを新鮮な気持ちで眺めていた。
「ぐ、ぅ……」
 時を同じくして、ソウガはう呻き声を上げながら身を起こしていく。 すでに体の変化は全て終わっており、動悸や息切れも収まっている。
 意識を取り戻した側には、他の龍人達と同じように吐き出した龍の肉の固まりが転がっていた。
「戻ったのか……? 俺は……。やっと、人に……」
 そして元の姿に戻ったのを実感しているのか、自分の手や体をじっと眺めている。 ただ気分は青い空のように澄み渡っているのか、今までとはまるで違う感覚に静かながら確かに心を躍らせていた。
「だが……」
 それでもあまりに突然の事に疑問がいくらでも現れ、そのせいで手放しでは喜べないらしい。
「恐らく、私の肉体が消滅したからだろうな……。あの時、私の肉体は滅びを受け入れて自ら眠りについていった」
 そんな時、光龍が答えるように話し出す。 視線はかつての自分の肉体へと向けられ、わずかに目は伏せられていた。
 先にある光龍の肉体は今や完全に崩れ去ろうとしており、ほとんどが粉塵のようになっている。 まるで一瞬で悠久の時が流れ去ったかのようであり、一気に風化を遂げていた。
 しかし通常ではありえない現象も、光龍の肉体が自ら望んだからこそ起きたらしい。
「分かたれた自身の肉体の一部にもそれに倣うよう、光を届け……。分身もそれに倣い、龍人の体から抜けていったのだろう……」
 だからこそ光龍は切なげな瞳をして、推測を述べていく。 龍らしく落ち着いているように見えるが、やや俯く姿はやはり落ち込んでいる風だった。


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