第13話 光


 その頃、センカはひたすら黙って教主の後をついて歩いている途中だった。
「あ……」
 丁度その時、色とりどりの花が植えられている区画に気付いて目をやる。 花々は頭上から降り注ぐ天からの光を受け、伸び伸びと咲き誇っていた。
「……」
 だがセンカはすぐに後をついていかねばと思い直したのか、そちらに顔を戻していった。
「教主様。お耳に入れねばならぬ事が……」
 そんな時、不意に教団員らしき男が現れると教主の側にやって来て跪く。 さらにそのまま、何事かを話し込んでいった。
 何か余程大きな問題でも起こったのか、両者の顔はとても険しいものをしていた。
「……」
 センカはもうしばらくここに留まれると思ったのか、また庭園の方を見下ろしていく。
 視界の隅々まで花に埋め尽くされる程にそこは広く、敷地内でもかなり目立つ所だった。 どの花も管理が行き届き、枯れているものや生育が遅れているものも見当たらない。
 見事な庭園を一望し、センカは夢でも見ているかのように呆然と立ち尽くしていた。
 次の瞬間、その場には勢いのある風が一気に吹き抜けていく。
「そうだ、あの時……」
 センカは風に髪や体を揺らしながら、ぼうっとした表情のまま目を細めていく。
 どうやら派手に舞い散る花びらという光景を契機に、過去の出来事を思い出しているようだった。

 今から数年前、龍神教の施設の立ち並ぶ敷地はまだあまり大きくはなかった。
 そのために庭園に割ける面積も少なく、植えてある花もあまり種類や数は多くなかった。 それでもそこには常に美しい花々が咲き、時折吹く風によって花びらが舞い散るとても美しい場所だった。
 そして頭上から心地いい日の光が降り注ぐある日、幼いセンカの姿がそこにはあった。
「ねぇ、ニンネ様。りゅうじんさまはどこに行ったのかな?」
 しゃがみ込んだままそう言うと、センカは側にいる教主を見上げて疑問の表情を浮かべていた。 手の中には拾い集めた花びらが溢れており、豊かな彩色を誇る一枚の絵画のようだった。
「……そうですね。龍神様は今、別の場所におられるのですよ」
 教主は純粋で真っ直ぐな視線を受けながら、浮かない表情で答える。 同時に何かを深く考え込んでいるように見え、どこか体調が悪そうに見える程に顔色も良くなかった。
「どこにいるの? ここのちかく?」
 しかしまだ幼いセンカには悩みや心配など思い至らず、特に考えもせずに矢継ぎ早に質問を重ねていく。
「それは、その……。龍神様は暗く、深い暗闇の中で眠られているのです。ここにいては想像もつかないような所に……」
 教主は無下に扱う事もせず、幾らか答えに詰まりながらも真摯に答えていった。
「そう、くらいんだ……。りゅうじんさまはそんな所に……」
 対するセンカは残念そうに表情を俯かせ、手にしていた花びらを一気に地面へと舞い散らせていった。
 その瞬間に強い風が吹き抜け、花びらはどこかへ一斉に飛んで行ってしまう。
「じゃあもう、りゅうじんさまは光で照らしてくれないの? さいきん、よくくもっているのもそのせい?」
 センカはそれを目で追いながら、不安そうな表情でまた問いを重ねてきた。
「え、えぇ……。そうかもしれませんね」
 教主はうまく答える事が出来ず、愛想笑いで誤魔化そうとしていく。 疲れたような顔は暗く、ずっと俯いているために薄暗さを伴っていた。
「だから、ニンネ様もこまっているの?」
 センカはじっと見上げ、心配そうに立ち上がっていく。
「え?」
 教主は鋭い質問に対し、一瞬だけ驚いたような表情を浮かべていった。
「だって、ニンネ様。このごろいっつも、ためいきばっかりついているんだもん。あんまりわらったおかおも見ていないし……」
 センカはさらに近づいていくと、足元に縋るように話しかける。 表情は重苦しく、まるで自分の事を深く悩んでいるかのようだった。
「えぇ。まぁ、それはそうですね……。でも、大丈夫。龍神様は不死です。今は肉体と魂が分かれているために、うまく力を使えないだけなのです」
 教主は幼いなりに自分の事を本気で心配してくれている事に対し、最初の内は驚いたような顔を浮かべるだけだった。
 だがすぐに元の調子を取り戻すと、微笑みかけながら答えていく。 そして慌てる事なく落ち着き払い、じっとセンカを見つめながらどこか嬉しそうでもあった。
「でも光の巫女が龍神様の魂を見つければ……。光さえあれば、龍神様はすぐに蘇られますよ」
 次に希望を込めて言うと、手をかざしながらゆっくりと空を見上げていく。 先には過去から現在までずっと空に在り、今も地上を照らし続けている太陽の姿がある。
「ほんとう? 見つければいいんだ……」
 センカは同じように太陽を見上げながら、表情を一気に明るくさせていった。 そこには教主と同じか、あるいはそれ以上に大きな希望が満ちている。
「じゃあ、わたしがなる!」
 やがて元気よく叫び声を上げると、片手を勢いよく上げていった。
「え?」
 教主は突然の行動に対し、呆気に呆気に取られて声を出す。
「わたしがひかりのみこになるよ。そして、みんなをあたたかいひかりでてらすの! そうすれば、ニンネ様もげんきになるでしょ!」
 しかしセンカは本気なのか、目を見開いて大きな声で宣言していく。 嬉しそうに満面の笑みを浮かべる顔は、光を浴びてとても輝いて見えていた。
「あ、えぇ……。そうですね……。ふふっ……。あなたは偉いですね、センカ」
 教主はその姿を自分の瞳に映しながら、本当に嬉しそうに微笑んでいる。 そして誇らしげに言いながら手を伸ばし、センカの頭を何度も優しく撫でていった。
「えへへっ……」
 柔らかな手つきを感じ、センカも幸せそうな笑顔を浮かべていく。
「本当にそうなれば、どれだけいいか……。もしセンカが光の巫女になればあらゆる人々を救えますよ。きっと……。いえ、必ず……」
 一方で教主は対照的に、まだわずかに浮かない顔をしていた。
 だがそれはまだ幼い子供に全てを任せるのを、不安に感じているからではない。 口にする言葉は、確かにセンカを全面的に信じ切っている。
 直上からじっと見下ろす視線はとても暖かく、教主はただセンカを心配しているだけのようだった。
 次の瞬間、辺りには先程より強い風が吹き抜けていく。
 風に乗った花びらは辺りに舞い散りながら、二人の姿を覆い隠す程の量を伴っていた。
「うん! わたし、がんばるからね!」
 ただしセンカは動じる事もなく、ずっと尊敬の眼差しを向けている。
「えぇ、期待していますよ。でも、あまり頑張り過ぎないでくださいね。私にとってはあなたが無事でいる事の方が遥かに大事なのですから……」
 教主はそんなセンカをそっと抱き締めると、祈るように目を閉じていく。
「ふふっ。はーい、わかりました……!」
 その行動にも感じられる暖かさからも、自分の身を案じているのだと感じ取れる。 だからこそセンカも、教主の事を強く抱き返していった。
 二人の絆は何者よりも強く、何があろうと簡単には断ち切れそうにはない。
 その後も大量に舞い散る花びらに囲まれながら、センカは庭園を楽しげに駆け回っていく。
 教主はそれをいつまでも楽しげに見つめ、庭園からは談笑する声が絶える事はなかった。

「ニンネ様。私だってそうです。あなたの事を今でもとても大事に思っています」
 やがて思い出から現実に立ち返ったセンカは、ひどく浮かない顔でそう言う。 かつてと同じ場所にありながら、態度はほとんど真逆のものと成り果てていた。
「でも、それでも私は……」
 陽だまりの中にあってもなお暗い表情だったが、目にはまだわずかでも力が残っている。
「……」
 光龍は背後の方にいて、思い悩むセンカに声をかけようとしているようだった。
「センカ、こちらに来て下さい」
 しかしその時、教主が先に声をかけていく。 近くには先程まで話していた教団員の姿はなく、またどこかへ向かおうとしているようだった。
 光龍は機先を逸したのか、すでにセンカに対して何も言えなくなっていた。
「は、はい……」
 センカも気付く事なく、不安そうな表情ながら駆け出していく。
「……」
 光龍はそれからも少しの間その場に残っていたが、思い直すとまた二人の後を追っていった。

 やがてセンカは敷地の隅の辺りに辿り着くと、そこでは何人かの教団員が仰々しく跪いていた。
「もう準備は出来ていますか?」
 教主はそれを見ると立ち止まり、穏やかに話しかけていく。
「はっ。こちらに……」
 教団員の中の一人の男はそう答え、横の方へ手を向ける。 先には木と石で組まれた、地下へと続く階段があった。
 普段は厳重に閉じられているのか、辺りには取り外したと思われる木の板などが重ねられている。
「センカ」
 教主はそれを確認すると振り返り、静かに話しかけていく。
「は、はい……」
 センカは緊張した面持ちで答え、わずかに上ずった声を上げていった。
「どうやら良からぬ者達がここに紛れ込んだようですが、ここの守りは万全です。ですので慌てずに、私の後にちゃんとついてきてくださいね」
 教主は改めて微笑みかけた後、迷う事なく階段を降りて暗い地下へと足を踏み入れていった。
 後には護衛のためか教団員達も続き、その場にはセンカと光龍だけが残される。
「こんなものがあるなんて知らなかった……」
 センカはそれからゆっくりと穴を見下ろし、まだ驚いたような顔を浮かべていた。
「必ずしも行く必要はないぞ、センカ」
 光龍はセンカの感じる恐怖が分かるのか、難しい顔をして声をかけていく。
「ううん、大丈夫。光龍は行きたいんでしょ? きっとこの先に、光龍が知りたい事があるんだよね」
 だが答える体勢はまだ穴を覗き込んだままで、首は横に振られている。 一応は明るく振る舞っているが、やはり無理をしているようで足は少し竦んでいた。
「それは……」
 光龍は思わず頷きかけるが、やはりセンカの身を案じて言い淀む。
「私の事なら心配しないで。……行こう、光龍」
 しかしセンカは意を決したかのように言うと、大きく足を前に踏み出していった。
 光龍は後ろ姿をじっと見つめながら、付き添うように続いていく。
 両者は共に光に満ち溢れる地上から、ほとんど明かりの届かない暗い地下へと降っていったのだった。


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