第12話 追憶


「いや、いいよ。……僕は龍になる」
 そしてサクは静かにそう言うと、俯かせていた顔を持ち上げていく。 片膝を立てたままの雰囲気は、いつもとは全くの別物になっていた。
「何……?」
 木龍はまるで別人のような横顔を見て、訝しげな顔で呟く。
「僕は皆の家族になりたい。家族は何があっても互いに支え合い、助け合うべきなんだ。どんなに苦しくたって、見捨てちゃいけない」
 サクはやけに大人びた顔をして、ただ前の方を見つめている。 あまり感情を表に出さぬ姿は人と言うよりは、どちらかというと龍に近いように見えた。
「家族なら、絶対にそんな事しちゃいけないんだ……」
 同化するならばとっくに泣き出してもおかしくはないが、今は涙すら浮かべずに気丈さを見せている。
「サク……」
 木龍はじっと眺めながら、心の内に宿る真剣さに驚いたような表情を浮かべていた。
「ねぇ、木龍。僕は、僕の持てる全てを使って皆を幸せにしてみせるよ。家族から捨てられないため、必要とされるためには役に立つ存在にならなくちゃいけないんだ」
 サクも自身の変化に感づいてはいるようだが、特に戸惑いなどはない。 夢を語るかのように真っ直ぐで眩しい視線は、眼前に広がる雪の中を突き抜けていく。
 同時に邪魔するものなど許さないような、強い決意が感じられた。
 だからこそ木龍は口を挟む事もせず、じっと聞き入っている。
「そしてそのためには絶対的な力がいる。何者にも屈しない、どんな願いをも叶えられる比類なき力が」
 さらにサクはそう言うと、悔しげに歯を噛み締める。 頭の中には先程、ホウテンが受けた屈辱があったのかもしれない。
「僕はそれを手に入れるため、必ず龍になる。そう決めたんだ。完璧な存在になって、今度こそ自分の力で……。あの素晴らしい場所、優しい人達を守ってみせるんだ」
 その姿を思い出し、二度とそんなものを自分の家族に与えさせないためにも目を見開いていく。 厳しい表情から発せられる声には、力が込められていた。
 強い願いを言葉にする姿は、何者からの茶化しも届かないように見える。 純粋さと真剣さ、輝くような瞳は誰かのものと似ているようだった。
「でもそれには君の協力がいるんだけれど、大丈夫かな……?」
 だが直後には振り返ると、急にやや気弱な表情で問いかけてくる。
「随分と今更の言葉だな」
 木龍はそれに対し、答えるのも無粋と言わんばかりに目を閉じていく。
「ありがとう、これからもよろしくね。木龍」
 するとサクは顔を綻ばせ、嬉しそうな声を上げる。 その時の笑顔は年相応の、とても自然なものに見えた。
「あぁ、いいだろう。我はお前を龍にしてみせる。必ずな……」
 木龍はその姿を瞼に焼き付けるかのように、穏やかな表情で見つめていく。 透き通るような瞳には、応対に安堵するサクの姿が映っていた。
「うん、ありがとう。本当に君がいてくれて、心強いよ……」
 そしてサクは本当に嬉しそうに言って、また笑顔を浮かべていく。
 辺りが寒さに包まれる中、その場だけはどこか温かさに満ちているかのようだった。

 そして龍になるという決意を固めてから、ある程度の月日が経過する。 あれ程降っていた雪も最近は少なくなり、乾燥した空気が漂うようになっていた。
 そんな中をサクは木龍と共に、気ままな散歩を続けている。
「ん……?」
 その時、サクは何かに気が付いて顔を上げていった。 頭上からは、何かが大量に降ってきている。
 風や地震などもないのに降り注いできたのは、茶色に変色した木の葉だった。
「ぇ……?」
 サクはその光景を見て、思わず言葉を失っている。
 その間にも枯葉は音もなく落ち続け、足元に広がっていく。
 急いで辺りを見回すと、どうやらその木だけが例外ではなさそうだった。 幹には大きなひび割れが入って、生えている枝が何本も折れている木がそこら中に確認出来る。
 無残で痛々しいそれらを眺め、サクは自然と走り出していた。
 こうまで慌てているのは、周りの木が季節の変化によって装いを変えていたからではない。
 まだ緑色で生き生きとした葉ですら力なく地面に舞い落ちている異変の中、脇目も振らずに走り続ける。 そしてサクはあの大樹の元まで、息が切れるのも構わずに走っていった。
「はぁ、はぁ……」
 大樹のすぐ目の前まで急いでやって来ると、苦しそうに息を吐いていく。 そしてまだ肩で息をしながらも、じっと見上げていった。
 どうやら大樹にはまだ異変は起きていないのか、別段いつもと違った様子はない。
 その姿を見てサクは安堵し、改めて近づいていく。
「もうここまで影響があるのか。すでに現状を維持する事も出来ないとはな……」
 しかし木龍は表情を曇らせると、静かにそう呟いていく。 根の上を登っていくサクには聞こえないように配慮された声は寂しげで、どこか辛そうにも聞こえていた。
「活力を失って、循環は止まっていく。このままでは座して死を待つようなもの……。しかし、まともな肉体もない我等では……」
 さらに木龍は一人で考え込むと、深刻に悩んでいる様子だった。
 すでに大樹の幹の辺りにサクが辿り着いていても、呟きは終わりそうにない。
「木龍? どうしたの……?」
 サクはいつになく様子のおかしい事に気付くと、心配そうに見下ろしていく。
「これも運命なのかもしれぬ。決して変えられぬ、最初から最後まで決まりきった定め。同じ星の中で争い、自らの生きる場所を狭めていく。人も龍も、何と愚かな事か……」
 木龍は応答するかのような、あるいは独り言を呟くかのように言葉を発していった。 悔しそうに口を噛んで感情を露わにする姿は、あまり見られない珍しい事だった。
「木龍……」
 だからこそサクは驚きつつ、心配そうに見つめている。
 だが木龍はそれに気付かず、いつまでも真剣に考え込んでいた。
「わぁ、凄い」
 そんな時、遠くの方からはしゃぐような少女の声が聞こえてくる。
「?」
 サクが声のした方へ移動すると、そちらからは巫女の姿をした少女が元気に歩いてきた。
 さらに後ろからは古びた剣を腰に下げた青年と、長い刀を腰に下げた青年がそれぞれ歩いてくる。
「……」
 サクは見慣れない三人の旅人をじっと見つめ、新鮮な驚きに目を見開いている。
 その瞬間、辺りにはかなり強い風が吹き抜けていった。 同時に大樹から離れた木の葉は雪のように舞い、一斉に地面へと落ちていく。
 葉が擦れる音は静かな空間の中で、流れるような音を響かせていった。
「……」
 そして互いの存在に気付いたサクや訪問者達はそれぞれ、驚いた表情で見つめ合っていく。 どちらも言葉を発する事なく、その邂逅はあっさりと終わりを告げる。
 突然の訪問者に驚いたサクは慌てて離れるかのように、無言で駆け出していった。
 旅人風の者達がそれを止める間もなく、サクは屋敷の方へ走り去っていく。
 あまりにも呆気のないものだったが、それがサクとロウ達との初めての出会いの瞬間だった。

「ねぇ、木龍。急に昔の話なんかしてどうしたの?」
 地面に座り込んだサクは木に寄りかかったまま、すぐ側にいる木龍に問いかける。
「いや、ふと思い出してみただけだ」
 木龍は懐かしさに目を細めながらそう言い、空を見上げていた。
 青く晴れ渡った見事な空には、大きな雲がいくつも流れている。 それに同調するかのように、辺りには静かで穏やかな時間が訪れていた。
 そしてその場の雰囲気も、いつの間にか柔らかなものへと変わっていた。
 少し前まで両者の間にあった険悪な空気も、昔の思い出に触れる内に薄まっていったようだった。
「ふーん……」
 一方でサクは、木龍からいつもとは違う印象を感じ取っているようだった。 そのために、少し怪訝な顔をして相槌を打っている。
「サク。もうお前はいつでも龍になれる。これから先、お前の好きな時に龍になればいい。我の事など気にするな」
 木龍はずっと空を眺めたまま、淡々と口を動かしていく。
 それはしばらく続き、どこか遠い所に思いを馳せているかのようだった。 口調などは普段通りだが、空を映し込む瞳はどこか寂しげに見える。
「……」
 サクは同化しているからこそ、わずかな変化を感じ取れたのかもしれない。 直後に無言のままで急に立ち上がると、何歩か前へ歩き出していった。
「どうした?」
 木龍は唐突な行動に呆気に取られながら、後ろ姿に問いかける。
「……ねぇ、木龍。龍になると僕はどうなるんだっけ?」
 サクは背後からの視線を感じつつ、静かに問い返していった。 表情は落ち着き払っていて、冷静さを保っているように見える。
「文字通り、完璧な存在になれる。肉体的にも、精神的にもな。抑制された感情、合理的な思考。そして圧倒的な力。龍になればそれらの全てが手に入る」
 木龍はそれに対し、悩む事なく即答していく。 語る言葉は自信に満ち、素晴らしさを教え込もうとしているかのようだった。
 それは疑問に明確に答えるものであり、これ以上の答えなど存在しないかのように感じられる。
「……でも、君は消えてしまう」
 しかしサクにとっては、まるで納得がいかないもののようだった。 突然振り返ると不満さや理不尽さといったものを込めた視線を、真っ直ぐに向けていった。
 そして口にした言葉はあくまで憶測だが、確信めいたものがあるらしかった。 それは龍の知識を得ているからこそ、一人で結論に至れたのかもしれない。
「それは分からない。やってみなければ我にも、どうなるかは……」
 木龍もこの問題に関しては確固たる自信がないのか、そう言って視線を背けていった。
 だがそれは図らずとも、サクの推測を自ら認めるに等しい行為だった。
 完全同化を果たせば、どれくらいの確率なのかは分からないが木龍が消滅する可能性がある。 それはサクにとっては、完全同化をためらうには充分な理由だった。
「……木龍」
 だからこそ悲しそうに見つめ、表情を曇らせていく。 涙こそ浮かんではいないが、泣き出してしまいそうな程だった。
「だが例え消えたとしても、お前が龍になるなら我に悔いは……」
 木龍はまだ目を逸らし、まともに見ようとしていない。 心苦しげな言葉は自らの思いを託すかのようであったが、消えても構わないという自虐的なものにも聞こえる。
 だからサクもそれに素直に頷けず、恨みがましいかのように見つめるしかない。
 木龍も叱ったり、諌めたりする事も出来ずに両者の間にはまた気まずい空気が流れていく。 事ここに至っては、現在の静かな空間が最も仇となっていた。


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