第11話 闇


 小雨が降り続く落ち着いた雰囲気のする町中を、ツクハは傘をさして一人で歩いていた。 周りにいる人達はごく普通な姿に対し、誰も違和感を覚えていない。
「ちっ……。本当に使えない奴だな、風龍。また肉体を失ったか」
 その時、すぐ背後からは闇龍の苛ついた声が聞こえてくる。
「そう、負けてしまったのね。風龍とあの改良型の素体なら、結構いい所まで行くと思ったのだけれど……」
 ツクハは前を向いて歩いたまま、自然に話している。 傍から見ればそれは、独り言を呟いているように見えた。
「結果は散々なものだ。光龍や木龍はもちろん、同化していた人間も一人も倒せなかった。どうせ過剰なまでの驕りで、自分から枷をはめていったのだろう」
 闇龍はそう言いながら目を細め、憎しみを込めた声を潜めようともしていない。 だがツクハ以外に聞こえる者はいないために、吐き捨てるように続けていった。
「じゃあロウはどうなったのかしら。無事だといいのだけれど……」
 ツクハは対照的に身を案じるように呟くと、ふと立ち止まっていく。
「言っただろう。一人も倒せなかった、と」
 それに対して闇龍は相変わらず苛ついたまま、進まなくなった背中を睨み付けていった。
「……そう。でも、だったらどうするの? 今からでもあの素体の子の所まで戻る?」
 しかしツクハはその態度を見て安堵したのか、わずかに微笑んでいく。
 それから傘を少し上げると、遠くに見える山の方を望んでいった。
「いや、もういい。今は予定通りに事を進める。いちいちあいつ等に構っている暇などない。あいつ等の相手は、手が空いた時にでもすればいい」
 闇龍は思案をしながらもそう答え、難しそうに溜息を吐いている。 それによって焦りや苛つきを抑え、平常心を取り戻そうとしているかのようだった。
「そう。じゃあ、行きましょうか。水の源へ」
 ツクハも気分を新たにすると、顔から余裕と微笑みを消し去る。
 やがて無表情になって歩き出すと、どこかを目指して町の奥へと入り込もうとしていった。
「いや、待て……」
 だがその直後、闇龍が不意に呟く。
「え?」
 突然の事に少し驚き、ツクハは前のめりになりながらも進めようとしていた足を止める。 さらに顔は背後に向けられ、真意を確かめようとしているかのようだった。
「もう一人、連れていく者がいる」
 闇龍はそれに答えつつ、じっと前方を見つめていた。
「……?」
 ツクハもそれに気付くと、視線の後を追っていく。
 すると両者の視線の先にある、建物に挟まれた路地からは誰かが姿を現してくる。
 出てきたのは女で頭には鉢金を捲き、体には鎖帷子を着込んでいる。 さらには軽装の鎧や手甲なども装備しており、先端に分銅の付いた鎖を引きずっていた。
 どこかの戦場から迷い出てきたような出で立ちからは、不気味さや不穏な雰囲気が伝わってくる。
「……」
 ツクハは格好や言い知れぬ圧迫感に思わず言葉を失い、その場に立ち尽くす。
「あたいの名前はサニ」
 一方で浮世離れした雰囲気の女は、薄ら笑いを浮かべながらゆっくりとこちらに近づいてきた。
 空に居座り続ける暗雲のせいで、辺りはかなり薄暗い。 そのせいでサニとかいう女の容姿も詳しく確認出来ず、霞がかっているかのようだった。
「ねぇ、あんた。あたいを、殺しておくれよ?」
 ただ近づいてきたサニをよく見てみると、日焼けでもしているのか肌が浅黒い。 南国育ちを思わせるような褐色の肌は、この辺りに住んでいる人達とは似ても似つかない。
 そして他とは違う容姿に加え、その言動もまた異質だった。
「えっ……? あなた、いきなり何を言っているの……?」
 ツクハはまるっきり意味が分からず、丸くなった目で瞬きを繰り返す。 いくら考えても相手の真意に辿り着けず、混乱しているようだった。
「何だ、出来ないのー?」
 しかしサニは相手の事など構わず、落胆の意思をはっきりと示していく。 不満気な顔をしたまま、じっと睨み付けてもいた。
「いいだろう」
 そんな時、闇龍の即決する声が響く。
「なっ……! 闇龍……!」
 ツクハが驚いたような反応を見せていると、地面から闇が溢れ出てきて体を包んでいく。
 闇は足から全身に広がり、あっという間に黒一色に覆い尽くされていった。
 ただそれで終わりではなく、直後には闇は皮膚から染み込むようにして一気になくなっていく。
 一連の流れは本当に短時間の出来事であり、サニは面白そうに眺めているだけだった。
 やがて闇が消え去った後、そこに残されていたのは見た目にはいつもと変わらないツクハの姿である。
「……」
 だが今までとは目つきも、体に纏う雰囲気も全くの別物になっていた。
 この異変を引き起こしたのは間違いなく、闇龍の仕業によるものであると思われる。
 闇龍は素体に対して絶対的な命令権を持つが、ツクハも抵抗しようと思えばわずかなりとも抗う事は出来る。 例えわずかでも無駄を省くために、このような手段に出たらしい。
 そして今のツクハの体は闇龍に完全に支配され、意思は全く介在していない。 自らの意思で指一本も動かす事が出来ず、成すがままの状態になり果てていた。
「……」
 そして体を乗っ取った闇龍は、感慨にふける暇もなく力を行使する。
 空間に丸い面上の闇を作り出すと、そこから大剣を引き出していく。
 それと連動するかのように体からは闇が染み出し、腕や手を伝わって大剣に纏わりついていく。
 やがて大剣は形を見る見るうちに変容させ、大きさや太さは当初よりかなり増している。 刃の部分もより鋭利になり、攻撃性を隠そうともしない歪な形となっていた。
「うふふっ……。くははははっ……」
 サニは目の前で繰り広げられている異様な光景を目の当たりにしても、全く動じていない。 それどころか以前とはまるで違う姿になっているツクハと大剣を見ると、わくわくしているようですらあった。
「何だ……?」
「え、どうしたの?」
「いや、あれを見てみろよ」
 周囲にいた人々も、日常には似つかない二人の姿に気付き始めたようだった。
 片や戦装束に身を包んだサニ、片や漆黒の大剣を手にしたツクハである。 そんな二人を見つめる目は次第に増え、にわかにざわめき出していった。
「……」
 しかし闇龍は周囲に響く雑音など一切考慮する様子などなく、大剣を容赦なく振り被る。
 まだサニとの距離は少し開いており、間合いには入っていない。 それでも何かの確信を持って、勢いよく振り下ろしていった。
 すると大剣からは、何かが爆発したかのように大量の闇が噴き出してきた。
 それは地上に現れた津波かのように激しく、巨大な力のうねりを持って真っ直ぐ進んでいく。
「……!」
 そして大挙してサニの元に押し寄せると、一気に呑み込もうとしてさえいる。 だがサニは逃れようとする仕草すら見せず、何故か笑みを浮かべていた。
 やがて闇の津波を直接その身に受けると、全身は先程のツクハのように黒一色に染め上げられていく。
 闇自体はそれからすぐに霧散するように消え、初めからサニだけを目標にしていたのかかなりあっさりとなくなっていった。
 後には立ち尽くすサニだけが残り、体は少し揺れていたが外見的にはあまり変化がないように見える。 ただ目からは光が失われて、全身から力が抜けているようだった。
「効くねぇ……」
 そして口元に緩く笑みを浮かべて呟くと操り人形の糸が切れたかのようにいきなり後ろに倒れ込んでいく。 その光景はまるで、意識が丸ごと何かに呑み込まれていったかのようだった。
「お、おい……!」
 それを見ていた一人の男は、慌ててサニの元に駆け寄っていく。
「嘘だろ……」
 続けてサニの容体がどうなったのか確認しようと、呼吸などを調べていた。
「し、死んでいる……」
 しかし結果として分かったのはすでに死亡しているという事で、驚きと共に立ち上がると後ずさっていく。
「きゃぁああああ!」
「ひ、人殺し!」
「何なんだよ、あれは!?」
 一連の衝撃的な出来事を見ていた人々は、悲鳴や恐怖におののく声を上げている。 ある者は腰を抜かし、またある者は自身の目を疑ったまま固まっている。
 さらにはもしかしたら自分達もあぁなってしまうのではないかと、怯える者達さえいた。
「あっはっはっは……。ちょっと、やり過ぎじゃないー?」
 そんな中、その場には不釣り合いな程に明るい笑い声が響いていく。 発していたのはサニであり、さらに体を起こしていった。
 死亡したはずだがその状態から復活すると、何事もなかったかのように立ち上がってさえいる。
「あ、あれ……」
「どういう事……?」
 これにはサニの死亡を見届けた男も、それ以外の周囲の人々も困惑し切っている様子だった。
 龍の姿自体は、素養のない普通の人間には決して見る事は出来ない。 そしてだからこそ、ごく平凡な人々は目の前で起こった現象をすぐには理解出来ないでいた。
「客寄せのための仕込みか何かなのか……?」
「人騒がせな……」
「そうよね、おかしいと思っていたわ……」
 だがやがていたずらだったのかと思うと、すぐに興味を失くして足早に立ち去っていく。
 一時はかなりの騒ぎだったが、あっという間に人の波は過ぎ去っていった。
「ふん……。ただの人間ならこの時点で命はない。その様子だと、首尾は上々のようだな……」
 そんな状況にあっても、闇龍に変化はない。
 目の前にいるサニをじっと眺め、淡々としている。 ただし口調はどこか愉快そうで、顔自体にもわずかな笑みが見られた。
「あぁ、ばっちりさ」
 それに対し、サニは笑顔を持って答える。 一度死んだにも関わらず、やはりほとんど変化が見られなかった。
「はぁ……」
 しかしツクハだけは違うのか、深い溜息を吐き出しながら頭を抱えていく。
 大剣を地面に突き刺して手放すと、地面に現れた黒い面状の闇に吸い込まれるようにして消えていった。
「一体どういう事なの? 説明してよ、闇龍……?」
 すでにツクハは自らの意識を取り戻しているのか、目付きや雰囲気は元のものに戻っている。 ただわずかな時間で披露したのか、顔にはどことなく陰りが見えていた。
「お前はこいつと会った事がなかったか?」
 闇龍は元の姿のまま背後に現れると、サニの方を眺めながら問いかける。
「記憶にないわ。あなたも同化しているのなら分かるでしょう?」
 だがツクハはまだ頭に手を当てたまま、難しそうに答えるだけだった。
「……いいだろう。なら教えてやる。そこにいる女は、人間ではないのだ」
 闇龍はわずかに間を置いた後、いきなりそう言い放つ。
 対するツクハは驚きと共に耳を疑い、逆にサニはといえばずっと楽しそうに笑っているだけだった。


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