第10話 風


「はっ……。まさかお前に、俺様と干渉する程の力がまだ残っていたとはなっ。やはり、この短時間の間で完全同化などそもそも無理があったか……」
 それでも風龍は黙り込む相手の事など気に掛ける様子もなく、視線を横に逸らして悔しそうな表情を浮かべていく。 自分の疑問に答えないのならば意味はないと考え、勝手に見切りをつけたようにも見える。
「だが、だとしたら……。邪魔な異物には消えてもらうしかねぇ。最早この体の主人は俺様だっ。自然といなくなるものはどちらか、決まってくるよな……!」
 それでも顔はすぐに笑みを浮かべると、横目でシンを眺めていった。 口元はひどく歪み、決意は固まっているのか迷いは見られない。
 そして直後には自らの欲望をひけらかすかのように、口を大きく開いていく。
 同時に周囲には風が渦巻き、徐々に勢いを増していった。 最早すぐにでも、龍の力が炸裂してもおかしくはない状況になりつつある。
「思い出した……」
 そんな状況にも関わらず、シンは体から力が抜け切った状態のままでぼそりと呟いていた。
 風を全身で受け止める様は自然体で、ほとんど抗うような事をしていない。 ただあるがままに身を任せ、無気力とでもいうべき姿だった。
「何?」
 風龍は落ち着き払った様子に対し、どこか違和感を覚えたのか怪訝な表情をする。
 そして呆気に取られている間、周りでは風だけが唸り続けていた。
「俺は過去を思い出したんだ。素体だった頃の記憶も。お前との出会いも。今まで思い出せなかったもの全部を、完全にっ……」
 シンはごうごうと音が響き渡る中、自分の意思をはっきりと声にして伝えていく。 初めは小さくほとんど聞き取れなかった声も、少しずつ大きくなっていった。
 さらにまだ憂鬱な表情をしていたが、視線はしっかりと風龍の方に向いている。
「ふん、なら分かっただろう? 何度も言わせるんじゃねぇ。お前は素体っ……。龍のための器なんだ。つまり、俺様のための都合のいい道具なんだよっ!」
 だが風龍は対等に向かい合う気などないのか、首を持ち上げると偉そうに見下ろしていく。 口からは憎しみを込めた言葉が、力の限りに吐きつけられていった。
「違う、そうじゃない……。俺が思い出したのは……。俺が、言いたいのはっ……!」
 一方で静かに佇んでいたシンは様子を一変させ、目を見開きながら慌てた様子で喋り出していく。 しかしそれは憎しみに対して弁明したり、反論するといった類のものではない。
 シンは頭を抱えながらも、苦しそうに己の心情を吐露しようとしている。 ただなかなかうまくいかないのか、言葉に詰まっていた。
「黙れ! 器ごときが……。これ以上、俺様の邪魔をするんじゃねぇ! 何様のつもりだっ!」
 風龍はまともに取り合う事もせず、大声で一喝する。 待つ事も聞く事もせず、ただ激昂したかのように声を荒げていた。
 叫び声が響く度に辺りには今までになく強い風が意思を持つかのように荒れ狂い、いくつもに分かれながらシンの方へ向かっていく。
 そのまま風は自在に折れ曲がりながら体を取り巻いてき、動きを制限させてまるで拘束しているかのようだった。
「くっ……。やめろっ! 風龍……。俺の話を、聞けっ……」
 風に捕らわれたシンはもちろん抵抗するが、力の差は歴然だった。 全身を押さえつけられて、逃れる事が出来ないでいる。
 そしていくら苦しげな声で訴えようと風龍が聞く様子はなく、風の拘束も一向に解除されない。
「がはっ……。うぐぁっ……」
 それどころか風はさらに勢いを増し、口の辺りを抑えられたシンは呼吸すら困難になっていった。
「あの器共を片付けたら、お前を真っ先に消してやる」
 風龍は体の自由を奪った上で、さらにそう告げていく。 さらに最後に、釘を刺すように睨み付けるのも忘れはしなかった。
「そして、今度こそ完全に取り戻す。俺様の本当の肉体をっ……」
 それからそう呟くと、ふと遠くの方を見つめていく。 視線は現在いる空間の外を見つめているようで、いつになく瞳は透き通っているように見えた。
「……」
 シンは今までとは違うその姿が不思議に思えたのか、横顔をじっと見つめている。
 だがそれもわずかな間だけであり、風龍の周囲には風が渦巻いていく。 それらは体を覆い尽くしながら、どんどん勢いを増していく。
 シンを拘束していた風とは違い、それは明らかに普通の風ではない。
 そして不意に一際強い風が吹くと、シンは一瞬だけ目を閉じてしまった。
「……?」
 やがて少し後に目を開いた時には、風はすでに収まっていた。
 ただし代わりに、向こうにいる風龍の体がおかしくなっている。 輪郭が徐々に失われ、白い空間に溶けていくかのように消えていく。
 姿勢は相変わらず外を見続けたまま、存在そのものがいなくなっていくかのようだった。
 しかしここが龍の体内ならば、その表現は適切ではない。 風龍は自らの中に還るだけであり、またいつでもここに戻ってこられる。
 だからこそ余裕を保ったまま、シンの前から姿を消そうとしているのかもしれなかった。
「くぁぁっ……。風龍……。待てっ、まだ話は終わってないぞっ……」
 それでもシンには深く考え込む余裕などなく、すぐに後を追おうとする。
 だが風龍はすでに消え去っていた後で、白く虚無な空間に一人だけ残される事となってしまう。
 シンは焦りを浮かべたまま、何とか風の拘束だけでもどうにかしようと悪戦苦闘していった。
 ただそれもなかなかうまくいかず、もがくだけもがいても状況は一向に好転しない。 そのまま無為に時間だけが過ぎ、何もない白い空間には苦悶する声だけが響いていた。 

「……おい!」
 白い空間から元の世界に戻ると、トウセイが何事か分からないが大声を上げていた。 何かに気付いたのか視線は足元に向けられ、焦ったような表情をしてじっとしていられないようである。
「どうしたんだ?」
「何かあったの、トウセイ?」
 いつになく慌ただしい声を聞くと、他の三人も集まってくる。
「……これを見ろ」
 ただトウセイは明確に答えず、静かに目の前のものを指差していく。 厳しい表情から送られる視線はある意味、口で何か言うよりも雄弁に状況を物語っていた。
 ロウ達も思わず息を呑むと、視線を追って何があるのか確かめようとする。
 しかし先にあった光景を目にすると、全員が同様の驚きに満ちた反応を見せる事となった。
 トウセイの指差す先にあったのは、地面に倒れ込んだ風龍の体である。
 それはロウの攻撃によって激しく傷つけられ、どんな方法をもってしても治せないかのように見えていた。 だが今は、そんな予想を軽く覆していた。
 体にある傷は有り得ない程の速さで塞がり始め、急速という表現がしっくりくるように回復しつつある。
「う、嘘……。こんな事が……?」
 先程はトウセイの傷の治りの速さに驚いていたセンカも、今度はそれ以上の驚きを感じたらしい。
 見る見るうちに体が元の状態に再構成されていく様は、人と龍の根本的な違いを端的に示していた。
 龍と同化していても人間である自分達とは違い、完全な龍はここまでの自己治癒能力を保有している。 生物としての性能の差をまざまざと見せつけられ、誰もが言葉を失っている。
 さらにそれは目の前にある現実の脅威であるが、あまりの驚きに全員が成す術もなく立ち尽くしていた。
 そして眼前では風龍の治癒はさらに進み、すでに傷はほとんど治りつつある。
 時間の経過という概念を吹き飛ばし、未来にある無事な体と今の傷ついた体を交換しているのではないか。 そんな馬鹿げた発想を考えてしまう程、奇抜な情景が繰り広げられていた。
 それからほとんど間を置かずに治癒は終わったのか、すでにそこには元の完全な体を取り戻した風龍が横たわっている。
 まだ体は地面に伏しているが、傷一つない完全な状態を取り戻している ただし未だに意識はなく、安穏と眠りについているようにも見えていた。
 だがロウ達は無防備な姿を見ても、どうする事も出来ない。 自分達が直前に見たものの衝撃に圧倒され、ただただ呆然としているだけだった。
「ぐっ……! はぁぁっ……!」
 だが次の瞬間、いきなり風龍の目が開かれる。 同時に口からはくぐもった声が漏れ、全身に力を込めると体を起こそうとしていた。
 あまりの事にロウ達は反応が遅れるが、構わずなおも動き続けていく。
 振動と共に巨体はゆっくりとだが地面から持ち上がり、辺りに砂埃が舞っていった。
「くっ……」
「そんな……」
 ロウ達絶望の表情を見せ、体勢を崩しつつも少しずつ後退していく。
 倒したと思った風龍はわずかな間に傷を直し、すでに起き上がろうとしてさえいる。 これらの連続した衝撃的な出来事に対し、思考はやむなく停止しつつあった。
 そのためにゆっくりとした行動出来ず、そこへ起き上がった風龍の影が静かに覆い被さっていく。
「俺様がっ、はぁ……。この程度で、やられるものかっ……」
 風龍はロウ達を端から順に睨み付け、強気な言葉を口にしていった。 ただし気持ちとは裏腹に、あまり調子が良さそうには見えない。
 体勢を維持するのに過剰なまでに力が込められているが、それでもなお倒れそうになっている。
 しかし気力を何とか振り絞ると、自らの強い意志と共に体を奮い立たせようとしていた。
 肉体からはとっくに傷が消え失せ、血走っているが目にも活力が戻ってきているように見える。 翼と四肢の筋肉も力強く動き、いつ活動を再開してもおかしくはなかった。
「ロウさん……」
 センカは明らかな怯えを浮かべて震え出すと、助けを求めるように手を伸ばしていく。
「駄目だ。力が全然足りない……。これじゃ、もう……」
 だが服を掴まれたロウからは、弱気な声しか聞こえてこない。 暗く落ち込んだ視線は霊剣に向けられ、落ち込んだかのように顔はずっと俯いている。
 霊剣はそんなロウの心境を表すかのように、一片の光も纏う様子はない。 錆びた剣のままで、何の反応も見られる事はなかった。
 先程の凄まじい力を出した事でもう何も残っていないのか、今の霊剣はいつもの状態にすらなれないように見える。
 光龍によって力を補給してもらえれば少しは使えるようになるかもしれないが、果たしてそのような暇があるかは不明だった。


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