第10話 風


「ぐっ……」
 風龍はそれを見て何とか体勢を整えようとするが、うまく動けないようだった。 わずかに身をよじらせるしか出来ず、防御も迎撃もするのは難しい。
「うぉぉぉおお!」
 一方でロウは勢いを殺さないまま、霊剣を強く叩きつけていく。 ただし対象は風龍ではなく、地面だった。
 光の刃は激突した瞬間、弾けると波のように広がりながら前方へ向かっていく。
「ぐっ! うぅっ……」
 眩い輝きを伴った力は全てが襲い掛かってくるが、風龍はそれを焦った様子で眺めるしかない。 満足に起き上がる事も出来ないため、せめて被害を軽減しようと体に力を込めていく。
 それによってただでさえ硬い龍の体はさらに硬度を増し、そこへ光の波が集まりながら凄まじい速度で進んできた。
「がああっ……! ぐぁあああ……!」
 風龍はそれをまともに食らいながら、大きな傷を負って苦しみの声を上げる。
 激しい衝撃に地面は揺れ、大木が倒れる時のような豪快な音が辺りに響き渡っていった。
「ぐはぁっ……。がっ、ふっ……」
 やがて風龍は光の波によって全身を傷つけられたのか、息も絶え絶えになっている。 そしてそのまま眠るように目を閉じ、ゆっくりと意識を失っていった。
「はぁ、はぁ……」
 その頃、ロウは息を整えながら風龍の最期かもしれない姿を見つめていた。 すでに全身からは力が抜けているが、まだ興奮冷めやらないのか霊剣を握る手だけは強すぎる程に力が込められている。
 すぐ後には光の壁が消えたのか、後方で戦いを見ていたセンカ達が駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか。ロウさん……!?」
 真っ先にやって来たセンカは気遣うように声をかけると、怪我などをしていないか恐る恐る様子を窺う。
「あぁ……」
 しかしロウはかなり疲弊しているのか、口をうまく動かせないでいた。
 そんな時、霊剣にはある変化が訪れていく。 風龍への最後の一撃の直後から急速に力が失われつつあったが、この瞬間に遂に光を失ってただの古びた剣に戻ってしまった。
「霊剣……。さっきの力が消えている。結局、あの力は一体……」
 ロウはそれに気付くと、不思議そうに声を発する。 視線の先にある霊剣は、すでに完全に力を失くして沈黙していた。
 静かに横たわる姿はただの錆びた剣であり、先程のような力を出せたのが信じられない程であった。
「へっ……?」
 だがその直後、ロウは素っ頓狂な声を上げていく。 何かに驚くような声だったが、それからは呆然として固まってしまった。
「え、何か言われましたか……?」
 センカは怪訝に思ったのか、おずおずと問いかけていく。
「いや、一瞬だけ声が聞こえた気がする。いつか聞いた事のある、懐かしい声が……」
 ロウは神妙な表情をしたまま、自分でも何を言っているのか分からないようだった。
「えっと、ロウさん……。あの、本当にどうされたんですか……?」
 しかしそれ以上に訳が分からないのがセンカであり、もしや頭でも打ったのではないかと心配しているようだった。
「いや、何でもない。たぶん気のせいだよ……」
 それでもロウはすぐに気を取り直すと、霊剣から視線を外して微笑みかける。
 すでにその時にはいつもの調子に戻っており、センカもようやく安心出来たようだった。
「ぐっ……」
 その時、トウセイが呻き声を上げながら起き上がっていた。 ようやく体を動かせるようになったのか、辺りの様子を確かめている。
 だが自分が意識を失う前とはまるで違う状況に、目を丸くしているようだった。
 敵うはずがないと思われていた風龍は地に伏し、自分達は傷ついてはいても誰一人死んでいない。
 それはロウが必死に守った結果であるが、その状況は後から見れば本当に信じられないものであった。
「トウセイさん、大丈夫ですか?」
「ちょっと、まだ起きない方がいいよ。横になってたら?」
 センカやサクも目覚めた事に気付くと、口々に心配そうな声を発しながら近寄っていく。
「うるさい、耳元で騒ぐな……」
 しかしまだ少し気だるそうなトウセイは、そう言うと何事もなかったかのように歩き出す。 それでも強がりを言えるくらいには、体調が回復しているようだった。
 一方でサクとセンカは呆気に取られ、見送るしかなかった。
「嘘でしょ……」
「こんな事ってあるんですか……」
 二人は同時に呟き、同じように開いた口が塞がらないでいる。
 トウセイの体は相当傷ついていたはずだが、今はどこにも大きな傷は見受けられない。 痛々しい跡は少し残っていても、大半の傷は塞がっている。
 わずかな時間が経過しただけで治療などは施していないにも関わらず、傷は完治しているようだった。 それは驚異的な回復力であり、到底人のものとは思えない。
 紋様の力が関わっているのは間違いがなく、現に体には赤い紋様が光を放っていた。
 ただそれでもトウセイが命を取り留め、無事な姿を保っているのに変わりはない。 そしてだからこそサクやセンカは驚きながらも、安堵しているようだった。
 やがてトウセイは、今も地面に倒れ込んだまま動かない風龍の方へ近づいていった。
「これが、龍か……」
 やがてトウセイは今も地面に倒れ込んだまま、動かなくなっている風龍の元へやって来る。 これまでとは違って見下ろす側になってはいるが、緊張気味で表情も真剣だった。
「あぁ、そうだよ。本当に恐ろしい奴だった。力も凄かったけど、何よりも俺達とはまるで違う思考が一番恐ろしかった」
 そしてすぐ隣には、今までずっと様子を窺っていたロウの姿がある。 表情はトウセイ以上に深刻で、風龍が死んだように動かなくても体からは力を抜いていない。
 もしかしたら自分で意識せずとも、ロウは自然と緊張を保っているのかもしれなかった。 まだ風龍が何かを起こすという予感でもするのか、一向に勝利の余韻に浸る様子はない。
「ふむ、そんなものか……。風龍の人を憎むあの思い。放っておいたら、あいつも火龍のような事をしたんだろうか……」
 そしてトウセイはそんなロウを横目にした後、改めて風龍を眺めていく。 目はわずかに伏せられ、口は何かを思い出すように呟いていた。
 二人が至近距離から見つめている先にいる風龍は、まるで眠っているように見える。 体からは温もりが消え去り、身じろぎ一つ取る様子もない。
 龍なのだから簡単には死ぬ事もないだろうが、今の状態からいきなり復活するとはなかなか考えられない。
 これからどうすればいいのかを二人が考え込む中、風龍は今も沈黙してまるで精巧に作られた巨大な置物のようになっていた。

 そこには、茫漠とした白い空間だけが存在している。
 それは比喩でも誇張でもなく、本当にそこには白一色しか存在しない。 生物も無機物も関係なく、見渡す限り何も見つけられない。
 寂しさを感じる暇もなく、そこにいると頭が狂ってしまいそうだった。
 それくらい異様な空間には、シンが一人だけで立っている。
「ん……。そういえばここは……。どこというか……。何なんだ、ここ?」
 やがて何かに気付いたように声を上げると、目をしきりに瞬かせながら辺りを眺めていく。 どうやら今に至ってようやく、自分の置かれている状況のおかしさに気付いたようだった。
「この空間は俺様の肉体の内部。いや、今は俺様とお前の肉体だったな……」
 その時、背後の方からいきなり声が聞こえてくる。
 シンは慌ててそれに反応すると、声のした方へ顔を向けていった。 視線の先には体の大きさがシンより少し大きい程度の、小さい風龍が現れていた。
「龍の体内……?」
 何故かシンはその姿を見ても驚きも慌てもせず、落ち着き払っている。
「あぁ、と言いたい所だが……。正確には龍の体内にある異空間か」
 だがそれは風龍も同じであり、いつになく冷静に疑問に答えていった。
「何故こんなものがあるのか、龍である俺ですら分からん。だが、ゆえにここは法則が不規則でな。物体の大きさはもちろん、時間も曖昧になっている」
 さらにそう言いながら首を回すと、辺りを見回していく。
 白い空間の中には近くにも遠くにも何もないが、周囲に視線を移しながら説明していく。
 それに合わせてシンも視線を動かして、何とか説明された事を理解しようとしていた。
「もしかしたら死者と再会する……。いやかつて、この世界に生きていた者と語り合う事すら出来るかもしれんぞ?」
 そして得意げに言うと、小馬鹿にするかのように笑いかけていった。
「……」
 しかしシンはいつになく機嫌の良い風龍を怪訝な表情で見つめ、無言を貫いていた。
 何か不穏なものを感じ取ったからこそ、何も言わないのかもしれない。 両者の間では緊張感が高まり、音もしない空間ではやけに静けさが目立っていた。
「だがこの姿は意識の中に作り出した幻のようなもの。この作られた空間と同じ紛い物だ。そしてここはお前達が普段いる場所とは違う空間」
 ただしそんな中にあっても、風龍はなおもご機嫌なままだった。 懐かしそうに目を細めたまま、一方的に語っていく。
「器如きでは理解出来ねぇだろうが、する必要はねぇ。その前に答えてもらう事もあるからなっ……!」
 だが口調は次第に荒くなり、歯ぎしりをしているようにも見えた。
「……?」
 シンは急に様子が変わったのを怪訝そうに見つめ、何事かと思っているようだった。
「……さっきはなぜ止めやがった? あの時、俺様の動きを阻んだのはお前だろう。あのままいけば、邪魔者共を纏めて片付けられたんだぞっ……!」
 対する風龍はきつく睨み付け、そう言って詰め寄ってくる。 先程までの落ち着きは嘘のように激しい感情を露わにし、厳しい追及が行われていく。
「……」
 しかしシンは明確に答えず、ずっと沈黙していた。 顔は風龍の方を向いておらず、俯いて自分の手だけを見つめている。
 自分でも何をどうしたのかよく分かっていないのか、顔からは自信が全く感じられなかった。


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