第10話 風


「全て消し飛べ!」
 風龍は地面に激突する直前、落下の勢いをも加えるようにして極小の風の玉を放っていく。
 そして自身は巨大な翼を大きく開くと、その場で急停止を試みた。
 鳥のような普通な生物でそのような事をやれば、体にかかる負荷も半端ではない。 だが龍ならばそれくらいの無茶な行動も、簡単にやってのけられるようだった。
 巨大な翼をはばたかせながら、風龍はその場に留まる事を成功させていた。
 一方で放たれた極小の風の玉は、直前まで狙いをつけた場所へと真っ直ぐに向かっていく。
 そして地面に着くと同時に、周囲に凄まじい風が巻き起こしていった。 それは今までで一番の風圧を作り出し、木などを纏めて吹き飛ばして地面をえぐっていく。
 最早それは風というより強烈な衝撃波であり、着弾点を中心にして円状に広がっていった。
 風の通った後に残るものはなく、 一切のものが消し飛んでいく。 先程までに放たれた力など、そよ風でしかなかったと思う程に凄まじかった。
「ふふふふっ……。くっはっはっはぁ……!」
 風龍は地上で風が猛威を振るうのを眺めながら、それが収まるまで笑い続けていた。
 それは勝利を確信した自信に満ちた笑いであり、無防備な体をさらけ出している。 敵からの反撃を考える必要すらない程、圧倒的な力による蹂躙だったからかもしれない。
 そして空中から変わり果てた地上を眺めると、満足そうな表情をして地面へと降りていった。
 しかし生憎と荒れ果てた地上では、土煙がひどくなって何も見えない。 風龍の力が凄まじ過ぎたがために、反動で視界はほぼ失われていた。
「はあっ!」
 それでも風龍は慌てる事なく、気合と共に自らの力を放つ。
 風龍を中心にして放たれた風は、舞い散る土煙を一気に吹き飛ばしていった。 かくして澄み切った視界を取り戻すと、改めて周囲を見渡していく。
「ふぅぅむ……」
 あれ程の力が駆け巡った周囲を見渡す風龍は、割と適当だった。 既に何も残ってはいないと分かり切っているからこそ、余裕のままに首を回していく。
 地上は極小の風の玉を撃ち込まれた場所を中心にして、木や地面が全て吹き飛ばされている。 それから逃れられたものは一つとしてなく、改めて完全な龍の力を思い知らせる。
 ただしそこには、唯一の例外があった。
「!?」
 辺りを見渡しながら、途中でそれを見つけた風龍は愕然として目を見開く。 本来なら有り得ないはずのものを見つけ、信じられないといった表情を浮かべていた。
「ぐっ……」
 驚愕する視線の先にいたのは、無事な姿のロウ達だった。 そこに被害を受けた様子はなく、全員が生存している。
 周囲の破壊し尽くされた状況とは真逆の状態であり、それが風龍には信じられないようだった。
「ふー。間一髪だったな……」
 ロウはそう言って安堵の表情を見せると、深い溜息を漏らしている。
 何とか自身やセンカ達を守る事は出来たものの、絶対に自信があった訳ではないようだった。 その証拠に今も心臓は強く脈打ち、体はわずかに震えを伴っていた。
 霊剣は今も光に満ち、たおやかな風にも似た優美な力を生み出し続けている。 その影響からか盾のようなものを作り出しており、それが荒ぶる風の全てを防ぐ事に一役買っていたようだった。
 光の盾とでもいうべきそれはロウだけでなく、センカ達をも守り切っている。
 全方向を網羅するように力は張り巡らされる様はまさに鉄壁であり、風龍の力を完全に無効化しているといっても差し支えなかった。
「ぬぅ……。俺様の風を、ことごとく防ぐだと……」
 だがそれを見た風龍は怒りを溜め込むかのように、歯ぎしりをしながら呟いている。 すでに余裕の態度などは見られず、血走った目は地上をきつく睨み続けていた。
 その場にはやっと風のない静かな時が訪れていたが、風龍がじっとしたままなのはどこか不気味だった。
「うぅっ……。これはあいつがやったのか……?」
 その時、今まで意識を失っていたトウセイがようやく目を覚ましていた。 まだ不確かな意識ながらも、何とか状況を掴もうと視線を四方に動かしていく。
「はい、あれは風の力が地上に激突する直前の事でした……」
 センカはその側にいて頷きながら、ゆっくりと答えていく。 目は大きく見開かれ、今もロウの後ろ姿を見つめていた。

 時は少し戻り、風龍が極小の風の玉を放つ直前の事だった。
「あれは、どうすればいいんだ……」
 ロウは風龍が地上に向けて速度を上げてくる中、いち早く極小の風の玉の存在に気付いたようだった。 それでも感じるのは絶望しかなく、対抗するための策など思いつかない。
 圧倒的な龍の力だというのは距離が離れていてもしっかりと感じ取れ、しかもそれは刻一刻と迫ってきている。
 あれが放たれれば自分はもちろん、後ろにいるセンカ達も助からない事は明白だった。
「いや、でも……。何とかしなくちゃいけない……! 俺がここで、やるしかないんだ……!」
 それでもロウは逃げる事も、諦める事も選ばない。 自身の持つ霊剣と、体にある黒い帯に力づけられるかのように決意を新たにしている。
 すると思いに応えるかのように、手にある霊剣は不思議な輝きを放つ。 さらに力は止めどなく溢れ、半ば制御不能な状態に陥っていた。
「これは……。そうか、力を貸してくれるのか……。だったら、後は俺が何とかする……!」
 ただし生み出される力は今までと桁違いであり、ロウは奮起すると霊剣を両手で握り締めていく。
 目の前に危機が迫っているにも関わらず、さらに霊剣を頭につけて祈るように目を閉じていった。
 その行動はおよそ、戦いに臨む者の姿には見えない。 しかしそれは、思いもよらぬ変化をもたらしてきた。
 霊剣が放つ光は盾のように形を変えて、突然ロウの前面に展開していく。 内に抱える願いや望みを受け取ったかのように、力の変化は滑らかで速やかだった。
「……!?」
 だがそれを見るロウにとってはあまりにも不可解な出来事であり、言葉を失うしかない。 それでも風龍が地面に迫っている中で、他に取れる行動などなかった。
 すでに風の玉は放たれており、直後には最大級の風が吹き荒れていく。
 他の場所が風によって次々と無残に破壊されていく中、光の盾の後ろだけは無事となっていた。
 言うならば霊剣が今まで纏っていた光りが、より明確な形を持って強化されたようなものだった。 それによってそこだけはどんな強い風も入り込めない、安全地帯のようなものになっている。
「……」
 やがて風龍の力を防ぎ切った後、驚くように口を開いたままのサクは立ち上がった。 しかし体はその場に留まる事はなく、何故かロウの方へ向けて歩き出していく。
「サク君!」
 不意の行動に驚いたセンカはそう叫び、急いで止めようとする。
「ねぇ、木龍。似ているよ……」
 だがサクは言葉に耳を貸す事はなく、そう呟いている。 目は虚ろであり、意識が定かであるかどうかも怪しかった。
「む……?」
 木龍はその姿に不安を覚えていたが、口から出た言葉に対しても怪訝な顔をしていた。
「僕が自分を制御出来なかった時と、今のロウの姿が何だか似ている感じがする……。絶える事のない力が溢れてくる感じも、そっくりだ……」
 サクはそれでも話し続け、目は現実にあるものを見ておらずにまるで夢でも見ているかのようだった。
「何……? どうしたのだ、サク……」
 木龍はその様子が本格的におかしい事を気取り、声をかけていく。
 しかしサクはそれに答える事なく、まだゆっくりとロウの方へ向かおうとしていた。
「駄目ですよ、サク君! 危ないです! ここから出たら死んじゃいますよ……!」
 その時、追いついたセンカが慌てて腕を引く。 それによってサクの歩みは途中で止められ、後ろへ引き下がらされる事となった。
「……」
 サクはセンカの泣きそうな忠告と共に足を止め、何とかその場に留まっている。 それでも目はまだ、眼前にいるロウの後ろ姿から離れる事はなかった。
 視線の先には眩いばかりの光が広がり、その大元にはロウと霊剣がある。
 幻想的な光景は目が離せない程に美しく、そこに無言の風龍が降りてくる。
 両者の力は激突を果たしたが、どちらもが大きく傷を負う事もなかった。
 風は全てが無効化され、勝負は振り出しに戻っている。 そしてだからこそ両者は相手の次の出方を窺い、緊張感を保ちながら睨み合いを続けていた。
「もう、やめよう」
 だがそんな時、ロウは何故かいきなり霊剣を下げていく。
「こんな事をしても意味なんてないだろ?」
 さらに体から力を抜き、穏やかな顔をして見上げていった。 その頃には霊剣からも光が消え去り、本当に戦いを放棄しようとしているかのようだった。
「何だと……?」
 一方でそれを見つめる風龍は、驚きや困惑に包まれていた。
 普通なら一気に勝負をつける場面ではあるが、あまりに不可解な行動を前にして思考は停止していた。 罠である可能性も否定出来ないため、今も身動き一つ取れずにいる。
「それよりも聞きたい事があるんだ。闇龍の居場所に心当たりはないかな? 俺の大切な人を探すためにどうしても知りたいんだ」
 しかしそんな状況でも、ロウは躊躇いや迷いを見せない。
 今度は地面に霊剣を突き刺し、訝しむだけの風龍に近づいていく。 穏やかな姿はまるで旧知の間柄の相手に話しかけるようで、全く敵意が感じられない。
「例え知っていたとして、この俺様が素直に教えてやるとでも思っているのか……!」
 だが風龍にとっては愚弄されているようなもので、込み上げてくる怒りを何とか抑えていた。
「それは……」
 あまりの迫力に対し、ロウは思わず答えに窮してしまう。 嘘でも頷けたら良かったのかもしれないが、視線をわずかに逸らしてしまった。
「だったらくだらない質問は止めろ……! 俺様とお前は、優雅にお喋りをしている訳ではない」
 風龍はなおもきつく睨み付け、暴風を伴いながら怒りを爆発させていく。
「口を開くのではなく、体を動かせ。言葉ではなく、力を向けてこい。器がぁ!」
 そして口にした通りに自らの力を遠慮なく振るい、周囲に嵐のような状況を生み出していった。
「……いや、俺は人だ。器じゃない。そしてお前は龍だ」
 ロウはまだめげる事はなく、見上げたまま会話を再開させていく。 とても落ち着き払った姿からは、荒ぶる龍を前にしても一歩も引く様子はない。
 周囲には先程まで霊剣が放っていたにも勝るとも劣らない、爽やかな空気が満ちている。 それらは太陽光を反射し、きらきらと光り輝いていた。
「でも本当は、そんな事は関係ない。人と龍は争う必要なんてないはずだ」
 そんな中でロウは穏やかなまま、警戒する様子すら見せない。 戦う気配など微塵も感じられず、本当に無防備な姿を晒していた。


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