第10話 風


「あれは私の力でも、ロウの体に残る闇の力でもない。ましてや霊剣の過剰出力、隠されていた機能という風でもない。では一体、何だというのだ……?」
 そんな時、今まで驚きのために無言を貫いていた光龍がようやく言葉を放つ。 目は見開かれたまま光る風をずっと見入り、流れに乗って視線を動かし続けていた。
 だが本来ならば霊剣が発する力は、光龍が与えたものでしかないはずである。 それにも関わらず、力を与えた側は今の現象の説明を出来ずにいた。
 しかしだからこそ新鮮な驚きを感じ、それは不可解さを覆い尽くす程だったのかもしれなかった。
「いけるぞ、この霊剣なら。これならきっと出来る……!」
 一方でロウは確信と共にそう言うと、視線を上向けていく。 さらに意気込みながら足を動かし、霊剣を携えたまま前へと踏み出そうとしていた。
 そして実際に移動し始めても光の風による壁には変化はなく、今も変わらずセンカ達を守っている。
 だからこそ後顧の憂いなく、風龍の元へと進んでいく事が出来そうだった。
「待ってください、ロウさん!」
 それでもセンカは危険へ向かおうとしているのを見ると、大声で止めようとする。
 ただし丁度その瞬間は、ロウが光の壁から出ていこうとしている所だった。 前方には人の形の切れ間が出来、そこからは激しい風が入り込んでくる。
「きゃぁ……! 待って、ください……。ロウさん……!」
 センカは思わず目も開けられなくなり、そのままよろめいてしまう。
 だがロウには声自体が聞こえていないのか、すでに壁の外側に出ていった後だった。
 それからはいくらセンカが叫ぼうとも、声が届かないようだった。 壁の外に出ようとしても、わずかな穴も開く事はない。
 一方でロウは霊剣に守られているために風の影響を受けないのか、暴風が吹き荒れる中をどんどん進んでいく。
「そんな……。どうしよう…」
 センカは段々と遠ざかる後ろ姿を不安げな様子で見つめ、苦しそうに胸の辺りを押さえていた。
「あれは既存の龍の力のどれとも違う。どういう事なのだ。私でさえ知らぬ何かが、霊剣の中で目覚めつつあるとでも言うのか……?」
 そんな時、背後では同じように見つめていた光龍が不意に口を開く。 ただし考えているのは、霊剣の放つ力に関する事のみのようだった。
「……」
 しかしセンカはまるで逆で、ロウの事が心配でならない様子だった。
 そのために両者の思考は一致せず、会話が行われる事すらない。 ただ同じようにロウが歩いていくのを眺め、どことなく不安そうな様子をしていた。
 光の壁の中は静寂で満たされ、外とはまるで違う世界を形成している。 だが中にいる者は不安や困惑を感じ、別の意味で不穏な空気を感じさせていた。
「あぁ……? ふん、こざかしい。どいつもこいつも、器の分際で……!」
 その頃、風龍は自分の力が防がれた事が気に入らない様子だった。
 こちらに歩いてくるロウを睨み付けると、風の刃を作り上げていく。
 そしてすぐ後にはいくつもの刃が、無軌道に乱舞しながら眼下へ向けて放たれていった。
「出来るはずだ。今の霊剣なら……」
 ロウはそれを落ち着いた様子で眺めながら、霊剣を静かに横に構える。
 すると光は前方に広く展開しながら、向かってくる風の刃をことごとく打ち消していった。
 それは相殺したというよりも、霊剣に取り込まれたと言った方がしっくりくる光景だった。 風はまるで初めから存在しなかったかのように、霧散してなくなってしまう。
「よし……」
 力が通用するのを見たロウは嬉しそうに笑みを浮かべ、さらに歩んでいく。 霊剣から溢れる光る風は、周囲に留まって美しい輝きを放っている。
 輝きを纏うかのような光景は離れた位置にいるサクやセンカなども見えたようで、驚きと共にずっと凝視していた。
「な……」
 風龍も同様で目と口を大きく開き、嘲る言葉はすっかりなりを潜めている。 自分が見下していた存在に自分の力が通用しなかったのが、余程衝撃的なようだった。
「いくぞ!」
 ただしその間にもロウは次の行動を始めており、霊剣を握り締めると走り出していく。
 未だに驚きに包まれている風龍との距離は見る見るうちに縮まり、攻撃が可能な範囲に入りつつある。
「ちぃっ。たかがあの程度の力を無効化したくらいで調子に乗るなよ。器がっ……!」
 しかし風龍は特に対処する様子もなく、顔を歪めるだけだった。
 いくら自分の力を打ち消したとはいえ、それでも所詮は人の扱う武器でしかない。 龍の体に通じるものなどないという楽観的な思考なのか、行動は完全に鈍っていた。
「うぉぉ……!」
 一方でロウは真下の辺りまでやって来ると、霊剣を後ろに振り被っていく。 すると纏う光はどんどん大きさを増し、粒子を発しながらあっという間に巨大な刃を形成していった。
「これなら、どうだっ……!」
 その状態から渾身の力を込め、自身よりも大きくなった霊剣で斬りつけていく。
「ぐっ……。何、だとっ……!?」
 鮮烈な輝きと共に襲い掛かった刃は、風龍の予想を裏切って体をあっさりと斬り裂いていった。 どんな手を使おうと傷つかないと思われていた龍の鱗や肉も、今の霊剣の前では紙も同然となっている。
「龍の体を、あんなに簡単に……!」
「馬鹿な、霊剣にあんな力が……!?」
 それを見た光龍や木龍は驚きのあまり、大きな声を上げて前のめりになる。 今のロウが操る霊剣の力はそれ程に衝撃的なものなのか、反応も今までにないものになっていた。
「まだだ、調子に乗るんじゃねぇ! この程度で俺様が屈するとでも思ったか!」
 だが戦う風龍の方は驚きよりも怒りの方が強いのか、叫びながら翼を広げていく。 体に出来た大きな傷からは大量の血が流れ出していくが、全く気にする様子はない。
「だったら、もう一度……!」
 ロウはそれを見るとさらに斬りかかろうと、霊剣を振り被っていく。
「馬鹿が、同じやり方が通用するなどと思うなよ……!」
 風龍はすでにそれを見越しているのか、巨大な翼を勢い良くはばたかせていった。
 それによって一気に地上には風圧が送られ、何もかもが吹き飛ばされそうになってしまう。
「くっ、あっ……」
 ロウも思わず地面に張り付き、風が通り過ぎるのを待つしかなった。
「ちっ、器が。なめるなよ……」
 一方で風龍は今までになく不快そうな表情をすると、より激しく翼を動かしていく。 またもや地上には風が吹き荒れ、それに伴って巨体は上へ浮かび上がっていった。
 なおも翼を動かし続ける風龍はそのまま、空を切り裂くように飛び上がっていく。
 そしてある程度までの高度に達すると、ようやく空中で静止していった。
「……!?」
 ロウはそれに気付くと大きく目を見開き、動きを止めてしまう。 見上げる視線の先にはすでに風龍はおらず、遥か上空の方に動く姿が見える程度だった。
 風龍は巨大な翼を余す事なく活用し、巨体でありながら高度を維持している。
「飛んだ……」
 龍なのだから空を飛べるくらい当然なのかもしれないが、やはり人であるロウにとっては驚くべき事のようだった。
 サクやセンカも今まで龍があそこまで高い場所を飛んでいるのを見た事がないからか、同じように口を開けて呆然としている。 それは誇張でも比喩でもなく、誰もがその時は空を見上げていた。
「ふん……。だがまぁ、器にしてはよくやる方だったがな」
 さらに風龍はそのまま地上を見下ろし、豆粒のように小さくなったロウ達を睨みつけている。
 地上にある霊剣からは、なおも光る風が溢れ出ている。 それはロウの周囲に満ち、さらに留まりながら辺りを暖かな輝きに染めていた。
「だが……。しょせん器では、龍の上に立てん!」
 風龍は忌々しそうに眺めた後、雲をも超えた高さで言い切った。 誰にも声は届いていないが、そのような事を気にも留めていない。
 体には霊剣がつけた傷があったはずだが、今はもう既に血が止まって治りかけていた。
 そして風龍は満を持して、口を最大限まで開いていく。 これ以上は広がらないという所まで開いた口の辺りには、風がどんどんと集まっていく。
 それは先程、風の玉を作り出そうとした時の所作とほとんど同じだった。
 しかしそこには、以前と違う点もあった。 出来上がった風の玉は一つではなく、大小いくつもの風の玉が同時に現れている。
 それらは組み合わさると、回転しながら膨らんでいく。
 ただし膨張は少しで止まり、ある程度の大きさになるとそれ以上は拡大していかない。 風の玉は一つに集まっていくが、一向にその大きさは変わらなかった。
 それでも勢いは保っているどころか、むしろ強まっているようですらあった。
 もしかすると風の玉は力を外に向けるのではなく、内に集中させているのかもしれない。 だからこそいくつ集おうが大きくならず、力だけを一つに凝縮する事が出来ているのかもしれなかった。
 もはやそれは風というよりも、純粋な龍の力そのものだった。
 さらにいくつかの風の玉を加えた後、大きさは変わっていく。
 だが膨れ上がるのではなく、むしろどんどんと縮んでいく。 すでに大きさは、先程の風の玉の十分の一もない。
 それにも関わらず、小粒な玉からは脅威しか感じられなかった。
「風龍。何をする気だ……」
 光龍は太陽の光が目に入り、眩しそうにしながらも見上げている。
 地上からは風龍の姿を確認する事すら難しいが、龍の目を用いれば何をしているのか明白らしい。 そして見えているからこそ、これからの行く末が気にかかってしまうようだった。
「これで今度こそ終わりだっ!」
 風龍は極小の風の玉が完成したのか、大声を上げると口を閉じていく。
 顔の前には本当に小さな風の玉が維持され、なおも回転しながら威力を高めているように見えた。
「器も、光龍共も……!」
 そしてそう言いながら地上を見て、目標物に狙いをつける。
 次に飛んできた空を落下していくと、勢いに任せて速度をさらに上げていった。 このままでは激突するのではないかと思われる程、凄まじい速さで地面に近づいていく。
「!?」
 今まで空を見上げてずっと固まっていたロウにも、ようやく異変が確認出来たらしい。 真っ先に脅威を感じると、あまりの出来事に目を見開いてしまう。
 そして凄まじい速さでこちらに向かってくる風龍に気付けても、すでに逃げる暇すらなかった。


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