第8話 火


「全く……」
 トウセイは遠ざかる背中を見つめながら、大きく息を吐いて力と怒りを抜いていく。
 結局は一人で勝手に大騒ぎした挙句、何もかもを放って逃げ出したサクに対してもう言葉もないようだった。
「ふふ、良い仲間じゃないか」
 だがリヤにとっては新鮮なやり取りに映ったのか、口元を隠すと楽しそうに笑っていく。
「はぁ……。他人事だと思ってからかわないでくれよ……」
 トウセイはそれとは対照的に溜息をつきつつ、顔に手を当てたまま疲れたように伏せていった。
「あぁ。それはそうと、トウセイ。ほら、これを持っていけ」
 一方でリヤは次に懐から何かを取り出すと、トウセイへと手渡してくる。
 布で出来たその袋はずっしりと重く、中には固いものが入っているのかじゃらじゃらという音も聞こえてきた。
「これは……?」
 トウセイはそれを怪訝そうに受け取ると、中身を確かめるために口を開いていく。
 するとその中からは、見るからに大量の貨幣が姿を現していった。
「これからも旅をするなら、それは欠かせないものだろう。当座の路銀にでも使うがいい」
 それは庶民から見れば大盤振る舞いと言える程の資金なのかもしれないが、あくまでリヤは事も無げに言っている。
「でも、これからいくらでも金は必要になるだろうに……。俺の方は自分で何とかしてみせるから……」
 一方でトウセイ自身は受け取ったはいいが、どうしたらいいものか困惑している様子だった。
「心配するな、これは僕が元々持っていたものだ。旅の中で金が足りなくなればお前だけでなく、僕も恥をかく。だから何も言わずに持っていけ」
 対するリヤは微笑んだまま、何度か首を横に振っていく。
 堂々とした態度には兄としての使命感のようなものも窺え、同時にたった一人の弟に対する真摯な心遣いも窺える。
「……そうか。それじゃあ、有難くもらっておくよ」
 トウセイもこれ以上は遠慮しても無粋だと思ったらしく、改めて袋をしっかりと掴み取ると素直に受け取っていった。
「そうしておけ。僕にはお前にこれくらいしか出来ないからな……」
「いや、これで充分だ。助かったよ、兄さん」
 リヤはその様を眺めながら少し自虐的に笑っていたが、応じるトウセイは朗らかな表情を浮かべている。
 その姿はこれまでになく穏やかであり、まるでかつての幼い頃の気性に戻ったかのようだった。
「トウセイ……。その言葉、その姿を見るだけでどれだけ救われるか。本当に助かっているのはむしろ、僕の方なんだよ……」
 それを見つめるリヤは静かに目を瞑り、顔を俯かせながら小さく呟いていく。 ただしその表情は決して暗くはなく、どこか嬉しそうでもあった。
「ロウさん。トウセイさんの雰囲気、何だか少し変わったような気がしますね。やっぱり、お兄さんと仲直り出来たからでしょうか?」
「そうだな、常に張り詰めた感じがしなくなった。もしかしたらあれが本来のトウセイなのかもな……」
 一方でサクを追うのを諦めたセンカはそう呟き、ロウも同意するように頷いていく。
「えぇ、そうかもしれないですね。長い時間はかかりましたが、最終的には丸く収まって本当に良かったです」
 センカも嬉しそうに微笑みみつつ、眩しく照り付けてくる日差しに手をかざして防いでいる。
「家族だからな。どうなろうと、いつからだろうと結局はやり直せる。遅過ぎるなんて事はないさ……」
 対するロウはどこか遠くを見つめるように目を細め、何か別の事でも考えているのか心ここにあらずといった状態になっていた。
「ロウさん……。はい、そうですよね。私もそう思います」
 センカはその姿を見上げつつ、寄り添うようにその隣へ歩み寄っていく。
 その視線はロウの思い描くものを知っているかのように優しく向けられ、顔に浮かべる表情もその場にあって一番嬉しそうに見えていた。

 やがてそれから少しの時間を置いた後、トウセイやロウ達が火の国を離れる時がやって来る。
「若様……。どうかお気を付けて。またいつでもお帰りになってくださいね」
 しかしその前に、足元の方からは幼いながらも心配そうな声が聞こえてきた。
 トウセイがそちらに目を向けると、以前に茶を運んできた少女がじっとこちらを見上げてきている。
 さらに気配を感じて視線を上げると、すぐ近くでは町の人達が並んでこちらに元気よく手を振ってきていた。
 そこにいる誰もはトウセイ達の無事を願い、口々に励ましの声をかけてくる。
「心配はいらない。俺はまた必ず帰ってくる。いつか元通りになった、この国にな……」
 トウセイはそれらを受けると一度だけ深く頷き、その後に雄々しく振り向いていく。
 そして力強い目付きを前に向けた後はもう振り返る事はなく、ロウ達と共に火の国から旅立っていった。
 火の国の先にも世界は広がり、数多くの新たな出来事が待ち受けているはずである。
 だが向かうロウ達に不安は見受けられず、暖かな日差しはまるでそれを見守るかのように頭上からずっと降り注いでいた。

 ロウ達はそれから城下町を後にすると、火の国の国境付近までやって来る。
 そこでは起伏のあまりない一本道が長く続き、遠くの景色まで見通せる平原となっていた。
 道には沿うようにして草花が点々と咲いており、どこか牧歌的な雰囲気も漂っている。
 さらに辺りでは爽やかな風が吹き抜け、数日前から下がった気温のおかげで大分過ごしやすくなっていた。
 ロウ達はそんな心地の良い場所を、四人揃ってゆっくりと進んでいく。
「トウセイ、体は大丈夫か?」
 丁度その頃、ロウはふと前方にいるトウセイの方に声をかけていた。
「ん、あぁ……。兄さんから火の紋様を移してもらったからな。そのおかげかは知らんが、傷の治りもこれまでに比べて大分早まった気がする」
 対するトウセイは自分の体を眺めながら答えているが、どことなくその反応は鈍い。
 とはいえ体には特に火傷などの影響はあまり見られず、傍目には健康体そのものに見える。
 それでも浮かぬ顔をしているのは、何か他に理由があるのかもしれなかった。
「へぇ、紋様にはそんな効果もあるんですか。全然知りませんでした……」
「僕は木龍から聞いた覚えがあるけれど、完全に理解してる訳じゃないんだよね。という事で、ここは詳しく解説してもらおうかな。ね、木龍?」
 そこへ話を聞きつけたセンカが現れ、サクも参加すると自らの隣へと顔を向けていく。
「どうして我がそこまでせねばならぬのだ……。いちいち言葉で捉えずとも、感覚的に掴んでいるだけで充分だろうに」
 すると視線の先では木龍が姿を現し、わずかに眉をひそめながら面倒そうに呟いていた。
「ふふっ、いいじゃない。木龍は何だって知っているんだからさ。少しはそれを皆に教えてあげてよ」
 しかしサクは小言を軽く受け流すと、何故か自慢げに微笑みかけていく。
「はぁ……。一度しか言わんからよく聞いておけ。とにかく、結論から言うならば……。龍と同化、あるいは紋様を体に宿せば誰しも肉体的な変質を受けるという事だ」
 それを見るともう何を言っても無駄だと悟ったのか、木龍はさして抵抗せずに口を開いていった。
「人によって差異はあれど、体が丈夫になって自然治癒力が強化されるために外傷ならばすぐに塞がる。骨折や臓器の損傷なども余程でない限りは放っておいて問題ない」
 そしてサクの方を眺めていったかと思うと、説明を補足するように紋様を光らせていく。
「いずれ紋様と体が深く結びつけば、さらに細かい制御も可能になるだろう。龍の肉体のように不老不死とまではいかずとも、不老くらいは叶うはずだ」
 するとその場には緑色の光が満ちていって、サクの腕の辺りに残っていたわずかな傷跡に変化が現れる。
 それは治癒という程度のものではなく、ほんの小さな跡も残らずにまるで最初からなかったかのように消えてなくなってしまった。
 その光景を見守っていた他の三人は、その誰もが息を呑んで言葉を失くしている。
「へぇぇ。龍の肉を体に埋め込むともっと直接的に変わるけれど、紋様はそれとは少し違うんだ。あ、じゃあさ。怪我だけじゃなくて、病気とかも治ったりするの?」
 サク自身も眼前の出来事に驚きつつ、さらに興奮したように問いかけていった。
 目を大きく見開いて木龍を眺める様は、龍に関するあらゆる事を知識として吸収しようという貪欲さで満ちている。
「そうだな。だが一応、限度もある。大怪我ならばその分だけ全快まで長引き、そもそも人の身では防ぎ切れないものは治しようがない」
 ただし対する木龍はそんなサクを間近から見つめ返すと、わずかに顔をしかめていった。
「例えば龍、もしくはそれに準ずるような存在から攻撃を受けた場合……。傷を治す暇もなく、即死する可能性もあるという事だ」
 そしてなおも険しい顔のまま、忠告するかのように語気を強めていく。
 直後には今まで発せられていた緑色の光も収まり、その行為は紋様ですら抗えないものがあるとでも言いたげだった。
「うへぇ、怖いねぇ……。多少は丈夫になっても、所詮は人間の体って事か」
 だがそれを聞くサクはあくまで高揚した気分のまま、あまり深刻そうには受け止めていない。
「これは真面目な話だ。すでにお前達はこれまでに、幾度となく死んでいてもおかしくはなかったのだ。恐怖する感覚があるなら、もっと慎重に動くべきだ」
 それを見た木龍は叱るように言うと、側にいるロウ達にも真剣な目つきを向けていく。
「はーい。分かりました。これからは気を付ける事にするよ」
 それでも肝心のサクは間の抜けた返事しかせず、本気で受け止める様子はなかった。
「お前という奴は……。少し痛い目に合わねば分からぬようだな……」
「ははっ、サクは仕方ないな。っと、いたた……」
 木龍はそれを見ると呆れた様子で目を閉じ、その一方でロウは微笑ましそうにしている。
 ただし体を動かすと痛みが走るのか、わずかに顔をしかめて辛そうにしていた。
 センカはそれに気付くとすぐに近寄り、体を支えようかと手を伸ばしている。
「全く……。お前は人の心配より、自分の心配をしていろ」
 するとそんな時、トウセイは木龍のように呆れながらふとそう呟いていた。
 その言い方はこれまでと同様にぶっきらぼうなものではあったが、以前とはどこか違うようにも聞こえる。
 それは言葉には現れない程のほんの些細な変化であり、ロウ達はもちろんトウセイ自身も気付いている様子はない。
 しかし火の国に来るまでには起こり得なかったその変化が、今のトウセイには確かに起こっているようだった。
「あ……。そういえばロウさんの傷の具合はどのようなものだったんですか? もう少し火の国で休まれていった方が良かったのでは……?」
 それとほぼ時を同じくして、センカは思い出したように問いかける。
「いや、大した事ないって。少しの打撲と擦り傷くらいだよ」
 対するロウは何でもないかのように答えているが、顔はまだ少しだけ苦しそうに見えた。
「痩せ我慢しちゃって。お医者さんに無茶しないようにって叱られていたじゃない。一歩間違えていたら、一生寝たきりになっていたかもしれないんだってさ」
 その姿を見ると今度はサクが呆れたように答え、背後からにじり寄ると腰の辺りをつついていく。
「ぐっ、痛っ……。おい、勝手にばらすなよ……」
 ロウはそれだけで苦痛に顔を歪め、サクの悪戯から逃れようと前のめりになる。 何とか平静を保ってはいるが、予想以上に重傷なのかもしれない。
「な、何でそんな大事な事を黙っておられたんです! そんな状態で旅なんて出来るんですか……!?」
 一方でセンカは途端に取り乱すと、審議を糾すかのようにすぐに詰め寄っていく。
「いや、だから心配ないって……。今だって歩けない程じゃないしさ」
 ロウはその勢いに押されるようにして後ろに下がっていくが、手で押し返すようにしながら何とか安心させようとしていた。
「で、でも……。うぅっ、ロウさん……」
 だがセンカが納得する様子はなく、ロウの服を掴むと段々と涙目になっていく。
「う……。だから。その、さ……」
 対するロウは龍人と相対していた時より狼狽え、思わず目を背けると反応に窮していった。
「あーっと……。そ、そういえばさ。ロウって僕達と比べて傷の治りが遅いよね。それって、さっきの話と関係あるのかな?」
 するとサクは空気が変わったのを敏感に察知したのか、急に明るい声を上げていく。
「……それはもしかして、我に聞いているのか?」
 対する木龍はあからさまに面倒そうな反応をして、もう説明する気はないように見える。
「もっちろん!」
 しかしサクはそんな木龍の反応などすでに織り込み済みなのか、気にする様子もない。 むしろ清々しい笑顔を浮かべると、それから潔く頷いていった。


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