第8話 火


 そして丁度その頃、集団から少し外れた場所にはトウセイの姿があった。
 通りに面した建物の軒下に設置してある長椅子に座り、その目は賑やかな町や人々の方に向けられている。
「そうか、俺がいない間に町ではそんな事があったのか」
「はい。あの方達がおられなければ、どうなっていた事か……」
 次にトウセイがふと呟いたかと思うと、隣では爺が湯呑を手にしながら感慨深げに頷いていた。
「そうだな。ロウ達がいなければ、町や人々はどうなっていたか分からない。サクがいなければ、俺は兄さんを本当に殺していたかもしれない」
 さらにトウセイも湯呑に手を伸ばすと、茶を口にしながら視線を動かしていく。
 それらが向かう先にはロウやセンカ、サクの姿がある。 日向の下にいる三人は薄暗い場所から見ると、まるで輝いているかのようだった。
「ほっほ……。何もかも、お仲間のおかげですな」
 一方で爺はそれを横目に見ながら嬉しそうに呟き、中身を飲み干した湯呑を手元に置いていく。
「あぁ。俺は一人じゃなかった。あいつ等がいたから今の火の国や、兄さん……。今ここに存在する全てがあるんだ」
 やがてトウセイも同じように湯呑を側に置くと、呟きながら不意に立ち上がっていった。
 そして影の中から数歩前に進み出ていくと、よく晴れた空を見上げて眩しそうに目を細めていく。
 次に視線を下げると通りに立ち並ぶ店が見え、さらにその周囲には多くの家々が立ち並んでいる。
 見つめるそこかしこには火の国に暮らす人々の日常があり、幾らかは傷つきながらも大部分がその形をしっかりと残していた。
「えぇ、そうです。その通りですとも……」
 爺もその光景を同じように眺め、嬉しそうに何度も頷いていく。
「俺は、ずっと一人で戦ってきた。誰の力も借りず、全てを自分の手で終わらせるつもりだったのに……」
 だがトウセイはそれから目を伏せると、今度は顔を下げていった。 その表情は次第に険しさを増し、手は腰に下げられている刀を強く掴んでいく。
「ふっ……。重荷を背負っていたはずなのに、いつの間にか手伝ってくれる奴等が増えていたとはな。俺のためなんかに、酔狂な奴らだ」
 ただしそれも長くは続かず、呟く度に顔は穏やかさを増していった。 自然とその体からは力も抜け、すでに手は刀に乗せるだけとなっている。
「若様……。いつの間にかあのお方とそっくりになられましたな。まるで今もこうして、無事に生きておられるかのようです……」
 それを見つめる爺の目は懐かしそうに細められ、トウセイを別の誰かの姿と重ね合わせているかのようだった。
「あれ、トウセイ。何、笑っているのさ?」
 するとその直後、いつの間にかすぐ側までやって来ていたサクが話しかけてくる。
「いや……」
 トウセイはそれに気付くと、ややばつが悪そうに顔を逸らしていく。
 よりにもよってサクに顔を盗み見られてしまい、気恥ずかしさや面倒さを覚えているのかもしれなかった。
 一方でサクはどうして反応が返ってこないのか、純粋に疑問に思っているようで顔を傾げている。 少し前までは考え込んでいる事が多かったが、今はいつも通りの元気さを取り戻しているようだった。
「あ。分かった、お礼の事でしょ。助けてくれてありがとうとか……。似合わない事を言っている自分の姿を想像して、可笑しく思ったんじゃない?」
 やがて少し考え込んだかと思うと、それから唐突に手を叩いていく。
 さらにその顔には得意げな笑みも浮かばせ、正解を確かめるかのように近づいてきた。
「何を言っているんだ、お前は……。そんな訳がないだろう」
 しかしトウセイは頭に手を当て、呆れたように溜息をつくだけである。
「確かに。ちょっと想像してみたけど、トウセイには似合わないかもな」
「えぇ、そうですね。失礼ですが……。うふふっ……」
 その直後にはこちらもいつ来ていたのか分からないが、自然に会話に割り込んでくるロウとセンカの姿があった。
 今までのやり取りを側から眺めていたのか、二人の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
「何……?」
 それは密やかな笑いではあったが、トウセイは眉をひそめると二人を睨み付けていく。
「い、いえ……! 間違えました。とてもお似合いで、素敵な笑みだと思いますよ……!」
 対するセンカはきつい視線を受けると、慌てて訂正しながら乾いた笑みを浮かべていった。
「そ、そうだな。うん。トウセイらしくていいと思うよ。あははっ……」
 それから少し遅れるも、ロウも追随するように答えていく。
「はぁ……。前言を撤回する。荷物を分かち合う奴等は、慎重に選ばないとな……」
 一方でトウセイはにわかに騒がしさを増した場に辟易とするかのように、少し顔を逸らしながら呟いていった。
 それでも本気で嫌悪しているという訳ではなく、本当にわずかだがその口元は持ち上がっているように見える。
「え? 何か言った?」
 トウセイの呟きは本当に小さかったが、サクはそれを耳聡く聞きつけたらしい。 表情の細かな変化までは気付けなかったようだが、じっと見上げたまま興味深そうな視線を向けている。
「何でもない……。それより、もう行くぞ」
 対するトウセイはすぐに話を切り上げると、外套をたなびかせながらすぐにでも出立しようとしていった。
「とうとう行ってしまわれるのですね……」
 するとそれを聞きつけたのか、寂しそうな表情をした爺が側にやって来る。 その目は少し涙ぐみ、ようやく帰ってきたトウセイがいなくなるが辛いようだった。
「あぁ。俺がいない間も兄さんの事を頼んだぞ」
「はい、お任せください。リヤ様の御側で最後の御奉公を致しますぞ……!」
 だがトウセイは対照的にさっぱりとした様子で、それを見ると爺も背筋を伸ばして力強い返事をしていく。
「全く、お前達は……。僕はそんなに頼りないのかな……?」
 そんな時、どこからともなくひどく呆れたような溜息交じりの声が聞こえてきた。
「兄さん……!? 動いて大丈夫なのか……!?」
 トウセイはそれを聞いた瞬間に、誰が現れたのか気付いたらしい。 取り乱したように声のした方を向くと、いつになく感情の乗った声をかけていく。
 その姿を見たロウ達は誰もが呆気に取られ、目や口を開けっ放しにしている。
 しかしトウセイが普段はあまり見せないような反応を見せたのも、ある意味では仕方ないと言えた。
 そこに現れたのは何とか命は助かったが、本来ならまだ安静にしていなければならない重傷者だったためである。
「全く、お前はここしばらくいつもそう言うな。いい加減に怪我人扱いは止めてくれ。僕の体はすこぶる快調だよ。お前達のおかげで、な」
 ただしその当人はまだ包帯が残ってはいるものの、ぱっと見た印象では健常者とほとんど変わらない。
 当人もやや過剰な反応を面倒に思っているのか、頭に手を当てて呆れている。
 とはいえその姿はやはり兄弟なのか、つい少し前のトウセイと本当にそっくりだった。
「へぇ……。もう動いて大丈夫なんだ。凄いね、あんなにひどかった傷がもうこんなに治っているなんて」
 一方でサクはそれからリヤのすぐ目の前まで歩いていくと、様子を窺うように顔を覗き込んでいく。
「ん……?」
 対するリヤは外見的には同じくらいの年齢、身長に見える子供に対して怪訝そうな顔をしているだけだった。
 火の城の中でサクを見ていてもおかしくはないが、記憶の一部を失ったために忘れてしまったのかもしれない。
「あぁ、こいつはサク。そしてそこにいるのがロウとセンカだ。兄さんにはもう話したと思うけれど、こいつ等とは少しの間だが一緒に旅をしていたんだ」
 トウセイはその事に気付いたのか、特に慌てる事もなく他の三人を順に指し示していく。
 ロウやセンカはそれに応じて会釈をし、サクはリヤに微笑みかけながら何度も手を振っていった。
 それはどこか調子に乗っているように見えるが、実にサクらしい姿のようでもある。
「ふむ……」
 だが普段のサクを知らぬリヤにとっては、それは珍しく映ったらしい。
 そうすると次第に興味が湧いてきたのか、わずかに顔を傾げながらじっと見返していった。
「な、何……?」
 対するサクは顔をじっと見つめられると、目を瞬かせながら今度はこちらが怪訝そうな顔をしていく。
「いや、何でもないよ。弟がどんな人と旅しているのか、少し気になってね。自分以外に龍と同化している人間を見るのも初めてだし……。無礼に思ったなら許してくれ」
 それからリヤは視線を外すと、にこやかな表情で答えを返していった。
「別に気にしていないよ。むしろ謝らなくちゃいけないのは僕の方かも。龍の肉をトウセイに渡したのは僕だからさ……。実はあれから気にしていたんだよ」
 サクはそれを見ると首を横に振り、今度は少し表情を曇らせていく。
「ふふっ、心配は無用さ。何しろ君のおかげで、僕は今もこうして生きていられるんだ。感謝こそすれ、恨みなどするはずがない」
「へぇ、それは良かったよ。やーっと安心出来た。すぅ、はぁ……。あぁ、清々しい気持ち……!」
「じゃあ、過ぎた事よりこれからの話をしよう。僕の弟は見た通りの無愛想なんだが、そんなに悪い奴でもないんだ。だから、どうかこれからも見捨てないでやってくれ」
 一方でリヤは気分が晴れたかのように明るい表情を見せ、それを見るとサクも安堵したように微笑んでいった。
「に、兄さん……。それじゃ俺がまだ小さな子供みたいじゃないか。頼むから、あまり変な事は言わないでくれよ……」
 ただしそれを聞くトウセイだけは恥ずかしそうに慌て、リヤを止めようと悪戦苦闘している。
 それでもリヤはなかなか言う事を聞かず、以降もトウセイの事を頼むように話し続けていく。
 サクはもちろん爺や町の人もその光景を眺め、誰もが楽しそうに笑っていた。
「うふふっ……。見てください、ロウさん。トウセイさんのあんな姿、初めて見ますね」
「あぁ、そうだな。本当に珍しい……」
 センカもそれを微笑ましそうに眺め、ロウも頷きながら飽きる事なく目をやっている。
 しかし兄弟の仲の良い姿に何か特別なものを感じているのか、ロウの表情はどこか寂しげでもあった。
「はぁ……。全く、お前達……。その生温かい視線はやめないか……」
 それから少し経った後、トウセイは息を切らせながらそう訴えかけてくる。
 どうやら自分の気持ちも理解せずに勝手に楽しまれているとでも思ったのか、その顔はどことなく不満そうだった。
「ふふ、大丈夫だよ。トウセイが無愛想だなんて今さらだもん。皆がとっくに知ってるよ」
 するとその直後、サクが嬉々とした様子で話しかけてくる。 その顔や発する声は得意げであり、特に悪意などを含んでいないのは察しがつく。
 だがその言葉が無神経であるのは確かで、決して口にするべきではない言葉であるようにも思えた。
「……」
 それを証明するかのように、サクの言葉を受けたトウセイは無言のままわずかに身を震わせている。 ただしその原因は怯えや恐怖からくるものではなく、まして風邪を引いた訳でもない。
 あくまで元凶は今もその事に気付かずに楽しそうにしている、調子の良いサクの性格にあるのは明白だった。
「あーあ……」
「本当にサク君は……」
 ロウとセンカはすでに幾度となく繰り返されてきた光景に対し、二人して同じような呆れ顔を見せている。
「どうしたの?」
 一方でサクはまだ自分が何をしでかしたのか理解していないらしく、怪訝そうな顔を傾げていた。
「……」
 するとその事について熱心に教授するつもりなのか、トウセイはサクを見下ろしながら一歩ずつ詰め寄っていく。
 ただしサクのすぐ眼前に張り付くような状態になっても、何か言う訳でも行動する訳でもない。
 それでも明らかに怒りを溜めたのが分かる状態のまま固まっており、それはいつ爆発してもおかしくなさそうだった。
「えーと。そ、そうだ。僕はちょっと先に行こうかな! うん、そうしよう!」
 やがてサクの方もそうまでされると、ようやく自分がまずい状況にある事を理解したらしい。 顔には張り付いたような笑みを浮かべ、全身には冷汗も流れ始めていった。
「じゃあねー! トウセイは後からゆっくりでいいよー!」
 そして前方からの圧力に耐え切れなくなると、面倒な事からは逃げるが勝ちと言わんばかりに駆け出していく。
「あ、サク君! 一人でどこに行く気ですか!」
 その速度は相当なもので、センカが止める暇もなくあっという間にこの場から姿を消していった。


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