第8話 火


「だから、もういいぞ」
 その姿を一瞥したトウセイはわずかに目を伏せた後、そう小さく呟く。
「え? えぇっと、何がでしょうか……」
「特に気にしていないから、いい加減に頭を上げろと言っているんだ」
 そしてまだ頭を上げない男に対し、呆れたように声をかけていった。
「あぁ、すみません……。どうもこれは自分の性分のようなものでして……。昔から色んな人に注意されて治ってはきているんですが……」
 男の方もようやく自分の姿に気付いたのか、苦笑しながら顔を上げていく。
 年でいえばトウセイよりも大分上のようだが、その腰の低さは生来のものらしい。
 それでもおかげで辺りの空気は少し柔らかくなり、トウセイもようやく一息付けそうだった。
「……危ない所でしたな、旅の人。あのまま外にいては、どうなったか分かりませんぞ」
 するとそんな時、しわがれた声を発する一人の老人が奥から進み出てきた。
 杖をついて背を曲げた姿を見ると、あまり体は丈夫そうではない。
 それでも目からは射るような眼光が放たれ、薄暗闇の中でも視界の中にあるもの全てを捉えているかのようだった。
「む……!? そ、そんな……。あなた様はもしや……!」
 そしてだからこそトウセイの顔をいち早く認識し、誰なのかをいち早く気付けたらしい。
「?」
 だがトウセイの方は目の前の相手が何者なのか、未だに見当がついていない様子だった。
「おぉ……。や、やはり……。あなた様は……。覚えておられますか、若様? 私でございます!」
 対照的に老人はひどく嬉しそうな声を上げ、目に涙を浮かべながらゆっくりと近づいてくる。
 やがてお互いの顔がよく見える距離までやってくると、杖を両手で握り締めて剣を構えるような体勢を取っていった。
「……!」
 トウセイはそれを見た瞬間、再び鞘に手をやるとすぐに来るであろう攻撃に備えていく。
 しかしいくら待とうと、一向にそのようなものはやってこなかった。
「……?」
 そのためにトウセイは訝しみ、改めて前方の様子を窺う。
 対する老人は折れ曲がった体を懸命に正し、何とか今も杖を構えている。
 それを見ている内に眼前の老人と、かつてトウセイが幼い頃に幾度となく見ていた誰かの姿が重なっていく。
「あ!」
 やがてトウセイもようやく目の前の人物が誰なのか合点がいったらしく、目を見開きながら声を上げていった。
 そこにいる老人こそトウセイが剣を習い、爺と呼んでいた人物に他ならない。
 当たり前だが今はかなりの年を取っているようで体は衰えているが、かつての隙の無さなどは健在のようだった。
「良かった……。若様は生きておられたのですね……」
 それでもトウセイの無事な姿を見てほっとしたのか、爺は思わず顔を綻ばせていく。
「あぁ、爺こそ。お互いによく無事だったな……」
 一方のトウセイは爺の顔をよく見ようと近づきつつ、こちらも目元を緩ませている。
 火の国に入ってからはずっと気が抜けなかったが、よく見知った人物と再会出来た事が嬉しかったらしい。
「ところでこの国は一体、どうなっている。何故、町中に誰もいないんだ? 昼間から家の中に閉じこもって、一体何をしている?」
 ただしすぐに気を取り直すと、室内を見渡しながら問いかけていった。
 すでにその頃には薄暗い環境にも目が慣れてきたようだが、まだまだ疑問は尽きないらしい。
 辺りに改めて目をやると狭い家の中には、多くの人が押し込められているのが分かる。
 その構成は老若男女が入り乱れ、年齢で見ても様々な世代の人間が揃っているようだった。
 まさか全員が一緒に暮らしている訳でもないだろうし、人数の多い親戚の会合にも見えない。
 しかも何かやむにやまれぬ事情でもあるのか、家の中にいる人達は皆一様に体を震わせながら怯えているようだった。
「はい、まずはそれから話さねばなりませんな。その前に長くなりますのでこちらへ……」
 爺もそれを見て表情を曇らせると、そう言いながら部屋の中央にある囲炉裏の側に移動していく。
 その際に上座を譲るように手で指し示し、トウセイも爺と相対するように座り込んでいった。
「それで実はですな……。王。いえ、若様のお父上が……。その……」
 次に爺は何かを話そうとしたが、いきなり言葉に詰まると言い辛そうにトウセイの様子を窺っていく。
「構わない、はっきり言ってくれ」
 一方でトウセイは毅然とした態度を保ち、しっかりと爺を見据えている。
 ここに来て今さら躊躇する事などないのか、その堂々とした態度を見ているとやがて爺の様子も変わっていった。
「はっ……。失礼致しました。若様は王がお命を奪われるまでの事はよくご存じだと思われます。今から話すのは、それから後に起こった事なのですが……」
 爺は感服したように頭を下げ、改めて気を引き締めると真摯な態度で臨んでいく。
「あのサイハクという男は不可思議な力で、邪魔者を次々に排除していきました。そして兵達も完全に掌握し、暴力も合わせてこの国を自分の意のままにしようとしたのです」
 その目はしっかりと見開かれ、老齢にも関わらずはきはきと喋っていった。
 だがそれまでは活力に満ちていた表情も、話をする内に段々と険しさを増していく。
「我々はそれに反発し、何度も抵抗しました。しかし、奴もそれを抑えつけようとして何度も衝突したのです」
 うなだれながら話していく様子からは、これまでの苦労が窺い知れるかのようだった。
「そしてそれが今まで続き、現在はしばらく膠着状態になっているという訳なのです。何故かここ最近は静かになりましたが、それが逆に不気味に感じられますな」
 やがてそう言うと今度は頭に手をやり、不安そうに考え込んでいく。
 火龍の事などに関しては知らないようだが、それでも得体のしれない存在を無意識に感じ取っているのかもしれない。
 爺の言葉を聞く内に周囲にも不安が伝播していったのか、誰もがますます怯えた様子になっていく。
「よいしょ……。あの、どうぞ」
 そんな時、一人の女の子が盆に湯呑を乗せて運んでくるのが見えた。
 そしてまだ不慣れなのかぎこちない動きながらも、そう言うと湯呑を差し出してくる。
「あぁ……。すまんな」
「い、いえ……。若様のために出来る事があるのは光栄ですから……」
 女の子はトウセイの目も合わせないおざなりな対応にも関わらず、とても嬉しそうに微笑んでいた。
「それで、人が表に出ずにこうして閉じこもっているのもそのせいなのかか?」
 一方でトウセイは受け取った茶を口にしながら、周りにいる人達を眺めていく。
「いいえ、それだけではありません。実はあの男の手の者とは別に、最近この辺りでおかしなものが出てくるのです」
 すると爺は何度か首を振り、逆方向にある表通りの方へ目をやった。
 どうやらそこに悩みの種があるらしく、その表情はさらに険しさを増している。
「おかしなもの?」
「えぇ、化物です。龍の頭、それに人の体を持つ……。恐るべき力を持った怪物共です」
 茶を飲むのを止めたトウセイの問いに対し、爺は声を潜めながら答えていった。
 すでに全ての戸や窓は閉め切られているが、それでも外にいる脅威に感づかれないように神経質になっているらしい。
「!?」
 対するトウセイは自身の耳を疑い、手にしていた湯呑を傾けて茶をこぼしそうになってしまう。
 もしも聞いた情報が正しければ、それは今までに遭遇した事のある龍人の外見と一致するからである。
「ですが、本当におかしなのはここからなのです。どうやら怪物は我々を襲う事をほとんどせず、逆に国を奪った賊共に積極的に狙っているようなのです」
 一方で爺はその驚きに気付く事なく、顔をしかめたまま考え込むように唸っていた。
「何……? それはおかしな話だな」
「えぇ。怪物共はこちらが手を出さない限り、この国の住人には一切手を出してきません。しかしそれとは対照的に、おかしな火を使う連中などには特に容赦をしません」
 不思議そうなトウセイに対し、爺も再び頭に手をやると真面目に悩んでいく。
「とはいえ連中の争いはかなり激しく、巻き込まれでもしたらひとたまりもありません。それを防ぐために我々はなるべく表に出ないようにしているのですよ」
 そして爺はそう言うと、また表通りの方へ目を向けていった。
 戸の隙間を通して暖かな光が差し込んではいるが、その先には現実的な脅威が依然として存在している。
 そのせいで自由に外を歩く事もままならず、ここに住まう者達にとってはかなり深刻な問題となっているようだった。
「こうして皆で固まり、時折必要なものを男達で取りにいく事で何とか生活出来ていますが……。かつての平和な国とは程遠く……。本当にサイハクが恨めしいです……」
 爺は悔しそうに体を震わせ、次に床に握り拳をぶつけていく。
 ただしその力自体はかなり弱く、静かな場でも音がほとんど響く事はない。
 そして自身の体が衰えて何も出来ないのを悟っているからこそ、余計に無情さを感じているようでもあった。
 周囲にいる者達も自分達ではどうにも出来ないという気持ちは同じなのか、誰もが表情を暗くして自然と俯いてしまっている。
「火を使う連中は恐らく、サイハクから紋様を分け与えられたのだろう。そしてそれを狩る龍人を率いているのは恐らく……」
 ただしトウセイだけは一人で考え込みつつも、その目はまるで火が燃えるように爛々と輝いていた。
「成程な……。あれだけの力を持っていたのは、サイハクの持っていた紋様までをも自らの体に宿したからなのか……」
 自然と手には力が込められ、湯呑を強く握り締めていく。 ただし胸中には複雑な感情があるのか、あくまで単純に憤っているという訳ではないようだった。
「若様……」
 傍らにいる女の子はそんなトウセイの姿に目を奪われ、自身も盆を強く抱いていく。
「あぁ、それともう一つお伝えしなければならない事があります。実は、この近くでリヤ様を見かけたという者がいるのですが……」
 それから爺は思い出したように声を上げると、トウセイの方へ目を向ける。
 まだ爺はトウセイがリヤと再会している事を知らないのか、視線や言葉の端々には遠慮が感じ取れた。


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