第8話 火


「あれれ〜? ひょっとして、迷っちゃったのかなぁ……」
 ほぼ同時刻、サクも城の中に潜入を果たしていた。
 ただし今は入り組んだ通路の真ん中で、頭に手をやったまま難しい顔で唸っている。
 どうやら初めて訪れる場所のために迷ってしまったのか、それからも次にどう進むかを悩んでいるようだった。
「ん……?」
 だがその時、ふと何かが目に入ったのかおもむろに歩き出していく。
 その先には戸の開いたままの部屋があり、次に慎重にその中を覗き込んでいった。
 部屋の中はあまり広くなく、人気もないためにかなり静まり返っている。
「何だろ、ここ。随分と散らかっているなぁ……。おまけに何これ。汚い字……。これじゃ何が書いてあるのか、全然分かんないよ」
 しかし物に溢れた空間にいる内に、段々と興味が湧いてきたらしい。
 サクは周りを見渡しつつゆっくりと歩き出すと、部屋の中へと足を踏み入れていった。
 するとそこかしこに紙が積まれているのが見え、そのどれにもびっしりと文字や図形が書き込まれている。
「うーん。読めない……。ていうか、これってそもそも文字なのかな? 規則性はあるっぽいけれど……。駄目だ、やっぱり分からないや」
 サクはまるで資料のようなそれらに目を通していくが、特に情報は得られそうになかった。
 それでも諦め切れずに部屋の中を見回り、他に目ぼしいものがないかを探していく。
 すると大量の資料の間に埋もれるようにして、何に使うのかもよく分からないが様々な装置が散見された。
「どれもこれも見た事のないものばかり、か……。でも、何だろう。ここにいると不思議と、落ち着いてくる気がする」
 サクはそれらを眺めながら部屋を一巡し、ふと立ち止まるとゆっくりと目を閉じていく。
 窓から入り込む柔らかな光に照らされる姿は、いつもと違って大人びて見えている。
 その体にはわずかに紋様も浮かび、今の状態には木龍の意識が混ざっているのかもしれなかった。
「ふわぁ……。あふっ……。でも、いつまでもここにいても仕方ないか。あれ、これは……? えっと、どこかで見た事あるような……」
 ただしそれも長くは続かず、あくびをした後に飽きたように呟く。
 続けて部屋を出ていこうと歩き出すが、その途中で机の片隅に置かれていた紙に目を落としていった。
「これは、そう……。龍人のいた施設の……。確か、フドって人が書いてたやつに似てる気がする」
 それは一度は見た事のあるものなのか、サクは少し驚いたように目を丸くしている。
 さらに紙を手にしてよく見てみると、そこには難解な文章に加えて簡単な絵が描かれていた。
 そこには人と龍が描かれ、二つが組み合わさったものが描かれている。
 それは言うなれば今までに幾度となく見てきた龍人そのものであり、雑な絵であってもかなりの異物感があった。
「それと、これも何だろ……」
 次にサクはそう呟くと、そのすぐ側で何かを発見したらしい。
 思わず手を伸ばすと恐る恐る触れていくが、果たしてそれが何なのかはまるで分からなかった。
 それはかろうじて何かの肉のようにも見えるが、動物のものとは違うように思える。
 そしてもちろん人のものでもなく、切り取られている状態だというのに不思議と暖かかった。
 まるでそれはまだ生きているかのように新鮮であり、触れているだけで活力がみなぎってくるかのように感じられる。
「えっ……。まさか、これって……?」
 サク自身も謎の物体に触れながら、言いようのない感覚に表情を険しくしていた。
 そして息を呑みながらじっと見つめていると、体には再び緑色の紋様が浮かんでいく。
 それは先程よりもはっきりとしていて、木龍の意識がより前面に押し出されているらしい。
「嘘でしょ。こんなものがここにあるなんて……」
 すると頭の中には確信めいた推測が流れていったのか、直後には驚いた顔でぽつりと呟いていく。
 それでも導き出された答えはとても信じられないものだったのか、その後も体を小さく震わせ続けていた。

「くっ……。はぁっ、はぁっ……」
 トウセイは未だに火龍を食い入るように見つめ、その上でまだ自分の目を疑っているようだった。
 眼前にいる存在は火の洞窟で見た時と寸分違わぬ姿をしており、堂々とした態度や物言いも変わっていない。
 同時にそれは火の国をここまで乱した元凶であり、敬愛する兄や自分にも多大な影響を及ぼした存在である。
 そんな忘れたくても忘れようのないものを直に目にすると、動悸が激しくなってきたのかトウセイは思わず胸の辺りを強く掴んでいった。
 そして数え切れない程のものを奪われた仇という存在を前にしながらも、未だに刀を振るう事すら出来ないままとなっている。
「ふん……。確かお前と会うのは二度目だな? あれから幾らか時間は経ったようだが、お前の事はちゃんと覚えていたぞ」
 火龍はそんな姿を高みから見下ろすと、いきなりそう言ってきた。 赤い体は緩やかに揺らめき、たてがみや鱗も全てが輝いている。
 煌めく火をいくつも周囲に纏わせる姿は神々しく、その状態のままずっと空中に漂っていた。
「どうしてお前が兄さんと一緒にいる。まさかお前がずっと、兄さんを操っていたのか……?」
 対するトウセイは余裕などなさそうで、まだ困惑した様子で問いかける。
 辺りに舞う火の粉のせいで、周囲の空気は焼けつくように温度が高い。
 そのために呼吸の苦しさも変わらず、暑さも加わって何もしなくても朦朧としてくるようだった。
 だがトウセイは揺れる自分の体を押さえこみ、決して視線を外そうとはしない。 じっと相手を見上げたまま、質問の答えを待ち続けていた。
「いや。さっきまではお前をからかうのが面白かったから、少し体を借りたがな。それ以外ではこいつを操って何かをさせた事などはない」
 一方で火龍は向けられる視線など意に介さず、嘲笑を含んだ言葉を返していく。
「まぁ紋様が増えて俺との同化が深まる度に少しずつ龍に近づき、人間らしさを失っていく事はあったかもしれんが……」
 ぴくりとも動かないリヤを見下ろす様は、遊びに興じているかのように楽しげだった。
「それもあくまで、ちょっと背中を押してやったようなものだ。結局はこいつがしてきた事は、全て自分がしたかった事なんだよ」
 そして火龍がそう言ったかと思うと、真下にいるリヤも同時に笑みをこぼしていく。
 どうやらリヤはすでに完全に火龍の支配下にあるのか、自らの体だというのに今は自由な行動を許されていないようだった。
「減らず口を……。そもそもお前が同化しなければ、兄さんはこんな事には……」
 トウセイはそんな光景を目の当たりにすると、ひどく動揺した風に声を上げていく。
「馬鹿を言うな。同化を望んできたのはこいつの方だぞ。そして他に紋様を分け与えた者をことごとく打ち破り、見事に勝ち残ったのもこいつだ」
 対する火龍はその反応を面白がっているのか、むしろ挑発するように言い返す。
「こいつがより強い力を手にしていく過程はなかなかの見物だったぞ。あれより前に人間共に紋様を与えた時は、どいつもまるでつまらん働きしかしなかったが……」
 大きく開かれた口は相手を小馬鹿にしているかのようで、機嫌もいいらしくかなり饒舌になっていた。
「今回は紋様を宿らせた人間に当たりが多くてな。初めは暇つぶし程度になればいいと思っていたのだが、予想以上に楽しめた」
 その人の事などまるで考えず、気の向くままに力を行使する凶悪な姿は光龍や木龍とは似ても似つかない。
「しかもここまで舞台を広げ、兄弟同士の争いにまでなるとはな。まさに思いもよらない僥倖というやつだ。くっはっはっは……」
 次に声を上げて笑い出した後には、笑みに合わせて周囲の火がどんどん燃え上がっていく。
 その度に空気中の温度もさらに高まり、圧迫感を伴った熱気が広間中に満ちていった。
「あーはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
 さらに己の企みが思い通りに進んでいるのが余程面白いのか、火龍の高笑いはなおも続いていく。
 そして腹の底からの笑いと同時に、火龍の背後にはいくつかの火柱が立ち昇っていった。
 自然には存在し得ないそれらは火龍の機嫌と同調しているのか、笑い声に合わせてずっと蠢いている。
「くっ……。やはりお前が全ての元凶だったんだな。俺から何もかもを奪い……。それだけでは飽き足らずにまだたくさんの人々を苦しめて……。絶対に許しはしない……」
 一方でトウセイは心底憎そうに火龍を睨み付け、静かに体を震わせていた。
 身の内に満ちているのはどうやら怒りのようであり、火龍の耳障りな笑い声や人を嘲る態度などの全てが許せないらしい。
 それから火龍とは真逆に悔しそうな顔をすると口を噛み、刀を強く握り締めていく。 同時にその体には、赤い紋様が光を放ち始めていった。
「ほぅ……。そうだ。燃やせ、怒りを。滾らせろ、憎しみを。強い思いこそ紋様を激しく輝かせる。お前の方が力をよりうまく扱えるのなら、俺の体にしてやってもいいぞ?」
 真っ赤な輝きはリヤの体にある紋様にも劣っておらず、それを見た火龍は唸るように声を上げる。
 続けて感情を逆撫でするようにはやし立てると、また大きく口の端をつり上げていった。
「火龍……! お前は、俺が倒す!」
 対するトウセイは煽るような一言で我慢の限界に達したのか、遂に刀を抜き放つ。 それは相手の思惑通りといえばそれまでだが、かなり奮起しているのも確かだった。
「食らえ……。お前の、力だ!」
 そしてそのまま刀を振り被ると、一気に振るって赤い線を飛ばしていく。
 今までで一番大きな赤い線は強い力を有しており、当たれば龍といえど何らかの影響は免れないように思えた。
「ふん……」
 しかし火龍はまるで動じる事なく、つまらなそうな声を発するだけである。
 それとは違って今まで動く事のなかったリヤが、いきなり腕を前に向けていく。
 その表情は死んだように固まっていたが、その腕にはトウセイに負けぬくらいの輝きを放つ紋様があった。
 すると次の瞬間には飛んでくる赤い線の進路上に火球が現れ、二つの火は激しく激突していく。
 結果として火はそれぞれ相殺されながら散る事となり、火龍に向けた攻撃はリヤによって完全に阻まれてしまった。
「くっ……」
 トウセイは外套を使って向かってくる火を防いでいたが、リヤはまだ余裕がありそうに佇んでいる。
 幾らかはましになったとはいえ、火の扱いに関してはやはりトウセイの方がまだ不利のようだった。
「無駄だ、お前ごときの力ではどうにもならない。自覚出来ないなら、はっきりと教えてやる」
 火龍はそう言いながら見下ろしているが、あくまでその目にトウセイは映っていない。
 眺めているのは紋様だけであり、火龍がそう言った後にはやがて少しずつ変化が訪れていった。
 トウセイの体にあった紋様はその輝きを失うどころか、徐々にその形を失っていってしまう。
 やはり紋様は厳密にはトウセイのものではなく、まだ火龍に主導権があるらしい。
 そのために火龍の意思によって紋様が消された後は、トウセイの生み出した火も完全に消えてしまう。
「な、何だ。これは……!?」
 それに驚いたトウセイはうろたえつつも、力を使おうと試みる。
 だがどれだけ念じても力は戻らず、今まで使えていた力を失って隙だらけな状態を晒していた。


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