第8話 火


「うっ……!」
 ロウは直後にしゃがむとそれを紙一重で避け、行き先を失った拳は店の戸へと向かっていく。
 すると殴られた戸は一瞬で打ち砕かれ、残骸は纏めて店の中へと吹き飛ばされていった。
 店の中には人はいなかったが、代わりに中に数々の商品が陳列されている。
 それらは破壊された戸に巻き込まれると、全てがぐちゃぐちゃに掻き回されていく。
 やがて店の中の動きが収まった頃には、まるで台風でも通り過ぎたかのような惨状になっていた。
「す、凄い力だ……」
 ロウはその壊滅的な被害を見ると、改めて龍人の力を思い知ったらしい。 そのせいで呆けたように固まり、何も出来ずにいる。
 だがそれはほんのわずかな間とはいえ、絶対に見せてはいけない隙だった。
 その直後には龍人がロウの胸倉を掴み、力任せに持ち上げる。
「ぐうっ、うあっ……!」
 次にロウは抵抗する暇もなく、あっという間に通りの反対側の家まで投げ飛ばされていく。
「うっ、くっ……」
 そして家の壁に乱暴に叩き付けられると、ロウは呻き声を上げながら昏倒していった。
「ロウさん!」
 センカはそれを見ると大きな声を上げ、すぐに駆け寄ろうとする。
「……」
 その時、龍人はロウより活発に動く相手を新たな標的と定めたらしい。 目をセンカの方へ向けると、体もそちらへと向けていった。
「ひっ、あぁっ……」
 センカはその鋭い目つき、そして圧倒的な迫力に対して怯えた表情で後ずさっていく。
「止めてくれ……」
 それに気付いたロウは何とか立ち上がろうとしているが、体が言う事を聞かないようだった。
 這いずるようにして前に進もうとはしているが、距離は全く稼げていない。
「止めろ! 俺はこっちにいるぞ……」
 力の入らない体で声を絞り出し、龍人の気を引こうとするがそれすら届いていないようだった。
「……」
 一方で龍人は自分に立ち向かおうとしているロウなど無視して、ただ歩き続けていく。
 その先にはあまりの恐怖によって地面にへたり込み、身を震わせるしかないセンカの姿がある。
「く……。駄目だ。俺には止められない。このままじゃ、また失う。師匠の時のように……。俺にもっと、力さえあれば……」
 その頃、ロウはなおも立ち上がろうとしてその度に倒れ込んでいた。 体は相変わらず思うように動かず、全くと言っていい程に進んでいない。
 すでに半ば意識を失いかけているのか、ぼんやりとしながら地面に手をついていった。

「力を示せ……。強き者こそ、正義だ……」
 するとそんな時、ロウの頭の中に何者かの声が響いてくる。
 やけにはっきりとしているそれは、かつて合成龍と戦った時に聞いた声と似ているような気がした。

「……」
 ロウは頭の中にその声を響かせつつ、何度も目を擦っていく。
 ただし視界はまるで定まっておらず、その目は虚ろでまともに物が見えているのかすら怪しかった。
「いや、待って……。こっちに来ないでください……」
 一方でセンカは怯えた様子で首を左右に振りつつ、立ち上がれないながらも後ずさろうとしている。
 しかし前方からはゆったりとした足取りながら、なおも龍人が向かってきていた。 その目は新たな獲物を逃がすまいと、鋭い視線を放っている。
「ふっふっふ……。申し訳ありませんね、巫女様……。私の龍人研究のために、死んで頂きましょうか」
 フドは両者の距離が少しずつ縮まっていくのを楽しそうに眺めつつ、口元を歪ませていた。
 すでにまともな思考などしていないのか、凄惨な結末を迎えようとしていても全く止める様子がない。
「そうだ、あの時……。闇龍に操られていた時の……。あの時の力があれば……」
 そんな状況でありながら、ロウは俯いたまま地面をじっと見つめていた。
 ただしフドとは違って何かを思い出すように集中しており、徐々に苦しげな顔をして目を瞑っていく。
 さらに口からはずっと抑揚のない呟きが漏れ、頭の中には龍人にどうすれば対抗出来るかという考えしかないかのようだった。
「相手の事も自分の事も考えず、力に身を委ねる。ただ、力のみを願う……」
 やがてそう言ったかと思うとゆっくりと顔を上げ、前を向いていく。 その表情は直前までとは一変し、特に目付きは別人のようになっていた。
 というよりもそれはまさしく、ロウではない別の何かに見える。 その腕には黒いものが浮かび、体を蝕むかのように刻一刻と広がっていく。
 それはかつてツクハがロウに移した闇の紋様であり、腕から手を伝わって霊剣へと流れ込んでいった。
 すると霊剣が纏っていた光の刃は黒く変色し、今までにない鈍い輝きを放つようになっていく。
「グゥウウ……」
 龍人はその異様な気配に気付いたのか、唸り声を上げながら警戒する意思を露わにしていった。
 いつの間にかセンカからも目を離しており、体はロウの方を向いている。
 睨むような視線の先には霊剣があり、どうやらただ怯えるだけのセンカよりも明白な脅威を感じ取っているかのようだった。
「ふっ……!」
 一方でロウは大きく息を吐いたかと思うと、その場で勢いよく立ち上がっていく。
 その様からは先程までの不調は見られず、直後に霊剣を構えると龍人を見据えていった。
 同時に霊剣を覆う刃は大きさを増し、やがて大剣と呼べる程にまでなっていく。
 それは見方によってはツクハの持っていた大剣とそっくりであり、光の刃とは違って隅々まで黒く淀み切っていた。
「よし……。続けるぞ」
 次にロウは無表情のまま霊剣を振り被り、これまでと見違える速さで走り出していく。
「……!」
 それを見た龍人はさらに警戒を強め、改めて向き直ってロウを迎え撃とうとする。
「はぁっ……!」
 対するロウは勢いを緩める事なく、黒い霊剣を力の限りに振っていった。
「ガァッ!」
 龍人は腕を交差させると全身に力を込め、一気に堅さを増した体で防ぎにかかる。
 そして次の瞬間には龍人に対して大きな衝撃が襲い掛かってくるが、それは通常の霊剣がもたらすものとは比較にならなかった。
 質量や鋭利さなど全ての面で黒い霊剣の方が上回っており、しかも攻撃は一撃では終わらない。
「くっ、おぉぉぉっ……!」
 ロウは息継ぎも程々に霊剣を振るい、その猛攻は龍人に次々に襲い掛かっていく。
 まだ致命的な一撃こそ与えていないが、それは龍人の巨体をも押し返す程の勢いがあった。
「グッ、ガアアアアァァァッ……!」
 対する龍人は防御を続けたまま、攻撃の隙を見計らって反撃に打って出ようとする。
 だが次の瞬間、予想だにしない事態が起き始めた。
 ロウが黒い霊剣を振るう度、命中した部分には黒いものが纏わりついていく。
 それは闇の紋様が生み出したものであり、粘度が高く体の動きが阻害されてしまう。
 いくら人より遥かに強靭な肉体を持つ龍人でも抗うのは難しいのか、黒い粘液によって段々と動きが封じられていった。
 残された行動は防御に徹するという事しかなく、すでに攻守は完全に逆転している。
 龍人は体を強張らせたまま、ただロウの攻撃に耐えるしかなくなっていた。
「グ……」
 それでもなお体は分厚い鱗に守られ、大した深手は負っていないように見える。
「おぉぉっ……!」
 ロウもそれを分かっているはずだが、まだ一心不乱に黒い霊剣で斬りつけていく。
「ガ、ハァッ……」
 対する龍人は黒いものが纏わりつく腕を交差させ、その向こうから何度も飛んでくる黒い霊剣をじっと防御し続けていた。
「違う。こんなの、いつものロウさんじゃない……」
 その頃、センカはようやく立ち上がるも困惑した様子を隠せないでいる。
「あれは……? 体に残っていた闇の紋様を目覚めさせたのか。だが、あれでは意味がない……」
 一方でその背後にいる光龍も同様に戸惑っているようで、何かを深く考え込んでいた。
「ちっ……。何故だ、何故うまくいかない……」
 それから幾らか間を置いた後、ロウは攻撃がまるで効果を見せない事に苛立った様子を見せていく。 その態度や表情は、普段はあまり見られない乱暴なものだった。
 そして忌々しそうに霊剣を最後に一度だけ振った後は、距離を取るために後ろに退いていく。
「グ……」
 やがて攻撃が途絶えたのを確認すると、龍人はようやく動き出そうとする。
 ただし体にはまだ黒いものが纏わりついており、自由な行動は取れそうにない。
 それでも黒い霊剣に斬られた体は未だに健在であり、ほとんど無傷なままだった。
 きつい目つきからも戦意はまるで失われておらず、今もロウをじっと睨み付けている。
「見るがいい! 今さら何をしようと無駄なのだよ。くはっはっは……。あーはっはっはっはっは!」
 フドはその光景を見ると大きく開いた両手を持ち上げ、勝ち誇ったような笑い声を上げていく。
「何でだ……。何で、強くなれない。俺は確かに願ったはずなのに……」
 それとは対照的に新たな力を手に入れたはずのロウは、黒い霊剣を見つめたままうなだれていた。
 その顔は意気消沈としており、先程までの勇ましい雰囲気は掻き消えてしまっている。
 体からは自然と力が抜け、その瞬間には黒い霊剣にいきなり異変が起きていった。
「なっ……!」
 ロウの手の中では霊剣が跳ねるように暴れ始め、漆黒の力が暴走していく。
 どうやら元からあった光の紋様と、新たに霊剣に入った闇の紋様が反発し合っているらしい。
 続けて霊剣は相反する二つの力を、次々に辺りに撒き散らしていく。
 それは明確な意思を持っているかのようで、周りのものを容赦なく破壊していった。
「ぐ、ぐぁっ……!」
 ロウは暴走する力を抑えようと必死になっているが、まるでうまくいかない。
 それどころか力の放出はさらにひどくなり、終いには霊剣が勝手に手から飛び出していく。
「はぁっ、はぁっ……。どうなっているんだ……」
 ロウは近くの地面に転がっていった霊剣を見つめ、かなり呼吸を乱している。 そこには心理的な動揺も含まれているのか、すぐには霊剣を拾いにいけずにいた。
 それでも地面に落ちた霊剣は、ロウの手を離れた直後から力を急速に失っていく。
 まず初めに闇の紋様の力がなくなると、すぐに光の紋様の力も消え失せていった。
 すでに霊剣はただの錆びた剣に戻り、今はもう置き物のように何の動きもない。
「もっと力を解放すればいいのか……? でも、それは……」
 ロウはその様を確認すると、若干ふらつきながらもようやく動き出していく。
 辺りは静寂さを取り戻し、先程までの慌ただしさはどこにもなくなっている。
 そんな中でロウはゆっくりと、恐る恐るだが霊剣を拾い上げていった。
 しかしその後はただ霊剣をじっと見つめたまま、何も出来ずに固まってしまう。
 どうやらロウは未知の黒い力に対し、恐怖や躊躇いのようなものを感じているようだった。
 今のままでは龍人に勝てないが、これ以上の力を使おうと思えばまた暴走する可能性がある。
 だがまた霊剣が暴走すれば周囲のものをさらに破壊し、今より事態が悪化してしまうかもしれない。
 そんな予想というよりは確信に似た考えがあると、自分すら信じ切れずにただ霊剣を握り締めるしかなかった。
「ガァァァァア!」
 一方で龍人は悠長に待ち続けるという気などないのか、直後には咆哮を響かせていく。
 すでに体ある黒い戒めはほとんど解かれ、残っているものも後どれくらい持つのかは分からない。
「!?」
 それに驚いたロウやセンカは身を堅くし、逆にフドは歓喜と期待に打ち震えていた。


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