第7話 合成龍


 本来ならばその時間帯は、暗闇しか存在を許されないはずだった。
 だが今は異様な明るさの前に闇は霞み、辺りを満たす赤い光は魂を焦がすかのようになおも広がっている。
「はぁ、はぁっ……。うっ、くっ……」
 そしてそのような日常とはかけ離れた状況の中を、二人の少年が息を切らせながら走っていた。
「ねぇ、兄さん。父上や母上はどうなったの。それに、僕達を逃がすために残った兵士の人達は……?」
 その内の一人であるトウセイは、困惑した様子のままリヤに懸命についていこうとしている。
「喋るんじゃない、舌を噛むぞ……!」
 対するリヤはトウセイの手を引きながら、時折その存在を確認するように振り返っていく。
 どうやら二人は何かから逃げようとしているのか、それからも辺りに注意を払いながら走り続けていった。

 やがて自分達がどこを走っているのか分からぬ程に無我夢中なまま、二人はとある場所へと辿り着く。
 崖に面した平地は本来ならば、花が咲き誇る美しい場所のはずだった。
 しかし今はそんな事が気にならなくなる程、強烈な景色が真っ先に目に飛び込んでくる。
 小高い崖から見下ろす先にあったのは、火に支配されたかのように燃えていく城だった。
 吹き付ける風によって火の粉が舞い散り、時間と共に勢いを増す赤い輝きはここまでも充分に届いている。
 そのせいで月のない暗闇の中にあっても、辺りは随分と明るく感じられた。
「……」
 ただし二人の兄弟は自分達の家ともいえる城が燃えているというのに、何故か声さえ上げようとしない。
 燃えさかる炎は近くにいると熱しか感じられないが、遠くから眺める分にはとても美しく見える。
 だからなのか二人はそれからも隣り合ったまま、目を奪われたように呆然とし続けていた。
 それでも時間の経過と共に気持ちが収まってくると、次第に二人の胸中には再び苦悶が渦巻いていく事になる。
「火龍! これは一体、どういう事だ! あれはお前の力ではないのか。どうしてあのような不逞な輩が火の力を扱える……!」 答えはない 「くっ……。何もかもあの男に図られていたという事か。全ては火龍を封印から解き放ち、己が目的のために利用するため。僕の心を焚き付け、愚かな方へ差し向けていった」 「その上であんな数の人や潤沢な装備まで準備して……。こんな事、一朝一夕で出来るものか。相当の昔から準備を重ねていたに違いない」
 まず口を開いたのはリヤであり、悔しそうな表情をして口を強く噛んでいた。
 普段は滅多に見られない怒りの感情を浮かべる様からは、その心の内の荒れ具合が窺える。
「兄さん、どういう事? 何か知っている事があるなら教えてよ……」
 一方でトウセイは息を切らせつつも、今も混乱した様子だった。
 口からは隣にいるリヤを疑うような言葉が漏れるが、当人には聞こえてすらいないらしい。
「僕に近づいたのも、きっと初めから……。くっ、あいつの翻意を見抜けなかったとは……。いくら龍との同化に神経を使っていたとはいえ……」
 リヤはなおも俯いたまま固まっており、内部に渦巻く感情は疑念や怒りに支配されている。
 それは最早トウセイの存在すら気にかけていない程であり、いつの間にかずっと繋いでいた手を離していた。
「許さ、ないぞ……。よくも、奪ってくれたな。あんなに素晴らしかったもの、その全てを……。今日の事は決して忘れないぞ。いつか必ず、復讐してやる……」
 さらにそう言うと今度は顔を上げ、遠くの方を見てただ唇を噛み締めている。
 その横顔や異様な雰囲気は、トウセイが今まで見た事のないものだったのかもしれない。
「兄さん。ねぇ、大丈夫なの……?」
 そしてそれは同時にあまり見たくはないものだったのか、トウセイの目は自然と伏せられていく。
「やはり、力なんだ。僕は正しかった。力がなくては何も出来ない。守りたいものも失いたくないものも皆、守れやしないんだ……」
 だがリヤはなおも独り言を続け、怨嗟を込めた呟きと共に崖の向こうを見据える。
 それからゆっくりと手を伸ばしていく姿は、大切なものを奪おうとする者に必死で抗おうとしているかのようだった。
 しかし何をしようと今さらどうにもならず、その手には何も掴めはしない。
「兄さん!」
 一方でトウセイは、明らかに様子のおかしくなった兄の肩を強く掴んで揺らしていく。
「……」
 それに対してようやく我に返ったのか、リヤは少しずつだがトウセイの方に顔を向けていった。
「!?」
 だがそこにいたのは、かつて自分が慕っていた兄ではない。
 その目は虚ろで顔にも表情はなく、赤い紋様が所々に爛々と光っている。
 妖しいまでの赤い光は、城を燃やして町の方まで届こうとしているものと同じ輝きを持っていた。
「……兄さん」
 トウセイはそれを目の当たりにすると時が止まったかのように動きを止め、口から出す言葉を失ってしまう。
「……」
 対するリヤは前に何もないかのように反応を見せず、目から流れた一筋の涙は紋様の光る頬の上を伝っていく。
 それでもすぐにそんなものは不要と言わんばかりに涙を拭うと、反転してどこかへ歩き出していった。
 今の二人には行く当てなどないはずなのに、その歩みにはわずかな躊躇いも見られない。
「どこに行くの!? 兄さん!」
 それを見たトウセイは驚きと共に叫ぶと、すぐに後を追いかけようとする。
 一方でその叫び声を背に受けるリヤは、徐々に歩みを遅くすると少し進んだ所でいきなり止まっていった。
「トウセイ、お前は来るな。そして今すぐにこの国を去るんだ。それもなるべく早くにな」
 ただし停止したのは、追い縋る弟を思ってではないらしい。 口から出た言葉は明確にトウセイを拒絶し、振り向かない動きからはその決意の程が窺える。
「きっと奴等は僕達を血眼になって探している。見つかったら殺されるぞ。だから早く逃げるんだ。そしてお前だけでも生き延びて、幸せになってくれ」
 そして自身の体に現れた紋様をじっと眺めながら、腕を軽く振り上げていった。
 するとその先にあった地面がいきなり膨れ上がり、その直後には火が噴き出してくる。
「なっ……! 嘘だよね、兄さん!」
 それに驚いたトウセイは足を止め、信じられないものを見るように目を丸くした。
「いいや。僕とお前はここから別の道を歩んでいくんだ」
 リヤは次に振り返ると同時に、無表情のままで腕を水平に振るっていく。
 次の瞬間にはそれを命令としたかのように、火が生き物のように地面を走り出す。
 そして勢いを増してさらに燃え上がると、最終的に二人を隔てる火の壁にまでなっていった。
 それは大人の背程にまで大きく、とても乗り越える事など出来そうにはない。
「くっ……。う、あ……」
 トウセイは火に行く手を阻まれ、向こう側を覗く事すら難しくなってしまった。
 しかし揺れながら燃え続ける火の向こうには、まだ確実にリヤはいるはずである。
 そのために少し手を伸ばせば届くが、身を焦がすような熱さの前に勝手に体は竦んでしまう。
「に、兄さん。どうして……」
 恐怖と困惑で頭が一杯になったトウセイは、何も考えられずに身を震わせている。
「じゃあ、トウセイ。もう二度と会う事はないと思うけれど、くれぐれも元気でな……」
 対するリヤは寂しげではあるが、その態度は優しげだった。 目は火の壁の向こう側を意識しつつ、口元は緩んでさえいる。
 その表情はかつてここで見た、暖かな日差しのような笑顔とどこか似ていた。
 だが今のトウセイはそれを見る事は出来ず、リヤも反応が返ってくる事など期待していないらしい。
 かなり短い今生の別れの挨拶を終わらせると、あっさりとその場を立ち去っていく。
 すでに未練すらない態度は、まるでいらないものを気負いもせずに切り捨てるかのようだった。
「待ってくれ! 兄さん!」
 一方でトウセイからすれば不可解な行動は看過出来ないのか、たまらずに問い詰めようとする。
 その体は火の壁を避けようと横へ動いていくが、火は阻むように柔軟な動きを見せていった。
 それは意思を持っているかのようで、地を這い回る度に全てを焼き払っていく。
 辺りにあった草花などは一気に焼け焦げ、辺りは焦げ臭さと煙に包まれていった。
「急にそんな事を言われても、一人でどうすればいいんだよ……。これからずっと一人きりなんて無理だ……」
 やがてトウセイは火の壁を超えられず、他に取る行動も思いつかなくなったらしい。 募る焦りと押し寄せる絶望の中で、顔だけが苦しそうに歪んでいく。
「ぐ……。うぁ……。うわああああ!」
 口からは自然と悲痛な叫び声が出て、それしか出来ないからかがむしゃらに大声で吠え続けていった。
 目の前にはまだ燃え盛る火の壁があり、遠くでは未だに城が燃え続けてもいる。
 周囲にはただ火だけがあり、代わりに側にいてほしい人物は誰もいない。
 それでも火はいつまでも無情に燃え続け、全てを煌々と照らし続けていた。

「それから俺は一人で旅をして、火の紋様を探し続けた。その間にいろいろな事があったが……。とにかく今はこうして、ここにいる」
 かつてあった出来事を話し終え、トウセイは一息をつく。 どこか虚ろな目は、すぐ前にある燃えるたき火だけを映し込んでいた。
 しかしそれもわずかな間だけであり、すぐにそれから目を逸らすと側にあった木の枝を手に取る。
 そしてたき火に継ぎ足すと、爆ぜる音と共に火の粉が辺りに散っていった。
「そう、なんだ」
 サクはその音を耳にしながら、力なく呟いている。 先程の話を重く受け止めているためか、いつになく暗い表情で伏し目がちだった。
「昼間に再会した兄さんはもう、昔の兄さんではなかった。豹変したと言えるくらいで、別人のようで……。いや、もしかしたらもっと前から変わっていたのかもしれない」
 そんな時、トウセイも同じように目を伏せながら寂しそうな口ぶりで呟く。
 先程から手はさらに木をくべようと動いていたが、話す内にふと止まっていった。
「火龍と同化し、憎しみを募らせ……。ただそれだけに囚われていく内に、昔の優しい兄さんはどこにもいなくなってしまったんだろう。きっと、そうに決まっている……」
 そしてもうこれ以上は継ぎ足す必要はないと判断するかのように、手はゆっくりと引っ込められていく。
 その視線はじっと覗き込むようにたき火だけを見つめ、赤く燃える火だけが揺らめいている。
 まるでその様子は火に魅入られているかのようで、暗闇の中でやけに目立っていた。
「ねぇ……。一つ、聞いてもいい?」
「何だ」
 遠慮がちに口を開いたサクに対し、トウセイは無表情に見返していく。
「君は口ではお兄さんの事を否定したがっているけれど……。でもだとしたら、どうして君はそんなに哀しそうな目をしているの?」
 サクの視線はただ一点を見つめ、たき火の向こうにいるトウセイの目だけをじっと覗き込んでいるかのようだった。
「そうか。まだ、そう見えるのか。おかしなものだな……。とっくに決意は固めたはずなのに……。そうか、まだ……」
 対するトウセイはその瞳にサクを映しつつ、驚いたような表情を浮かべている。
 その顔は俯いて声に力はないが、口元には少しずつだが笑みが浮かんでいく。
「は、はは……。はははははっ……」
 やがて弱々しく笑い出すが、それも長くは続かずにすぐに黙り込んでしまう。
「……」
 サクの方も何か声をかけられる訳でもなく、辺りには火が弾ける音だけが響いていった。
「ねぇ、トウセイ。ひょっとして、君が森で見つけた人って……」
 それでも重く閉じていた口を開くと、改めて尋ねようとする。
 その内容はどうしても聞かねばならない事だったのか、サクにしては真剣な顔つきをしていた。
「もう、お前は宿に戻れ」
「え?」
「火葬はまだ時間がかかる……。俺はもう少しここにいる事にする」
 だがトウセイはそれを遮るように立ち上がり、サクの怪訝そうな声にも振り向かない。 厳しい顔つきのまま、まだわずかに煙を上げている木の棺の方を眺めていた。
「いや、僕もここにいるよ」
 一方でサクはそれに対して首を横に振り、手伝おうとしようと立ち上がっていく。
「やめろ。お前には関係ないだろう」
「それは、そうかもしれないけれど……。でもさ……」
 しかしトウセイは拒絶するように言い、サクもそれを理解しても尊重する事は出来ないらしい。
 顔を俯かせるとその場に立ち尽くし、自分に何か出来る事があるのではと模索し続けていた。


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