第6話 素体


「いいか。お前はあくまで俺の肉体の代わりでしかないんだ。まだ理解していないなら言ってやる。お前の考えや意見など必要ない。全ての事柄は俺だけで決めていく」
 そんな中で闇龍は萎縮した相手を睨みつつ、先程よりも語気を強めていく。 さらに自らの中の鬱憤をぶつけるかのように、最後にはきつくはっきりと言いつけていった。
「ぁ……。う、うぅっ……」
 ツクハはそれを受けながら、勝手に体が震え出している事に気付く。 闇龍からの視線や言葉によって、寒さに凍えるかのように体は言う事を利かなくなっていた。
 ツクハは自分の体を強く押さえ付けて耐えようとするが、いくらやっても震えが収まる事はない。
「お前はただそれに従ってさえいればいい。俺が命じない事は一切する必要はない。自分がどういう存在か忘れているのなら、それをさっさと思い出すんだな……」
 やがて闇龍がそう言い終えて目を離した事で、ツクハはようやく圧迫感からは解放されていった。
「ふぅ、っく……。えぇ。私が何者なのか、それは私が一番よく分かっている。私は所詮、単なる操り人形でしかない。何を望んだ所で無意味。でも。それでも、私は……」
 そしてようやく一息つく事が出来ると、安堵すると共に荒い呼吸を繰り返していく。 ただし口はまだ動き続け、目も何とか闇龍を捉えようとしていた。
 その状態はどこか儚い上に脆く、少しでも押せばその場に倒れてしまいそうに見える。
 それでもツクハには決して失いたくないものがあり、それは闇龍に逆らってでも成し遂げたい悲願であるのかもしれない。
 だからこそどんなに分が悪かろうが、ツクハは強い意志を持って闇龍と対峙し続けていた。
 そんなツクハの体には、先程までよりも色の濃さを増した黒い紋様が浮かんでいる。
 すでに微かな光によって所々が欠けていた部分も補完され、それは周囲の闇と同じような黒さを取り戻していた。
「ふん……。そんなに動きたいなら、お前にやらせたい事がある。詳しい事は現地に着いてから伝える。行け」
 ただし闇龍はもうツクハ自体から興味を失ったのか、突き放すように言うと目を外していく。
「……」
 対するツクハは表情に分かりやすく不満を残しつつも、それから言われた通りに動き出す。
 無言のまま闇をかき分けるように突き進む姿からは、まだ未練のようなものが残っているのがはっきりと見て取れた。
 それでもツクハは結局は闇龍の言う事に従い、何をするかも分からないのに疑問もなくただ歩を進めている。
「人間か。あれは不必要なまでに他者との繋がりを求める。そして不完全な存在故に失う事を恐れ、必死で守ろうとする。ふん、本当に愚かで進歩しない生物共だ……」
 闇龍はそんな後ろ姿を眺めつつ、嫌悪するかのような表情で言葉を発していく。
 するとそれに同調するかのように、周囲では今までよりも濃い闇が蠢くようになっていった。
 やがてそれはツクハが残していった松明にも忍び寄り、灯されていた火はわずかな音と共に消されていってしまう。
 そうなると辺りは格段に暗さを増し、何も照らすものがない場は完全な闇に包まれていく。
 ただしそんな常人ならば正気を保っていられないような中にあっても、闇龍はそこに溶けるかのようにごく自然に穏やかな眠りについていった。

「へぇ……。ここは結構賑わっているね。いろんなお店があって楽しそう」
 その頃、高く昇った日の下ではサクが楽しそうに表情を輝かせていた。
 周囲はどこを見回しても明るい光で満ち、薄暗い影は存在していてもそれ以上の暗闇などはどこにも見当たらない。
 そこは町の中心部のようであり、町外れを探しても火の紋様を見つけられなかったトウセイとサクが二人して訪れていた。
 辺りには様々な店や簡易的な露店がいくつも並び、多くの人でごった返している。
 その活気は騒がしくもあるがどこか心地よく、その場を歩いているだけで自然と気分が高揚してくるかのようだった。
「ちっ……。はぁぁっ……」
 だが対照的にトウセイの表情は芳しくなく、その一方で目や顔を忙しなく動かしながら常に注意を払っている。
 どうやら火の紋様はまだ手がかりさえ見つかっていないのか、その焦り具合は手に取るようにはっきりと伝わってきていた。
「あ、トウセイ! ちょっとこっちに来て!」
 するとそんな時、すぐ側にある露店を覗き込んでいたサクがいきなり大きな声を上げる。
「何だ、どうした……! ひょっとして、火の紋様を見つけたのか?」
 それを聞いたトウセイは急いでその場に駆け付けると、背後から慌てた様子で問い質していった。
「ううん、違うよ。でも、おいしそうな飴があるんだ! ねぇ、あれ買って!」
 しかし答えるサクに緊張感などまるでなく、逆に明るい顔をしながら眼下を指差している。
 そちらへ目を向ければそこには木の箱が置いてあり、そこには色とりどりのおいしそうな飴がいくつも並べられていた。
 どうやらそれはなかなか人気があるらしく、この瞬間も他の客が飴を求めて店主らしき男とやり取りをしていた。
「……」
 だがそんな光景を眺めるトウセイはひたすら唖然とし、口を開けたままその場に立ち尽くしている。
「ちっ……。全く……」
 ただしそれもほんのわずかな間のみで、すぐに苛立った様子で踵を返していく。 見つけたのが単なる飴だと理解した顔はどこまでも呆れ返り、不満を漏らす声を抑える様子もなかった。
「あ、トウセイ! もう、待ってよ! 飴はー? 食べないの?」
 一方でサクは遠ざかる背中に対し、口に手を添えながらよく通る大きな声を発している。
 当人はどうしてもその飴が食べたくなったのか、いつの間にか律儀に行列に並んだ状態でそこに留まっていた。
「……自分で買え!」
 対するトウセイは周りから同行者だと思われたくないのか、そう言い放つと足早に立ち去っていく。
「えぇー!? そんなぁ、ひどいよー! だったら、あともうちょっとだけ待っていてよ!」
 するとサクは大きく不満の声を上げ、口を尖らせながら地団太を踏んでいった。
 今行列を抜ければ飴を買う事は出来ないが、そうしなければ今にもトウセイは遠ざかっていってしまう。
 仮にあまり時間をかけずに飴を手に入れられても、その頃にはトウセイがどこに向かったかは分からなくなってしまいそうだった。
「あぅ……。うぅ、うっ……」
 選べるのは飴かトウセイのどちらかだと理解すると、サクは非常に悩んだ様子で両方を交互に眺めていく。
「うー……。あぁっ、もう……!」
 しかしその後にようやく諦めがついたのか、不満そうな声を上げた後は前のめりになって走り出す。
 その先には今も歩き続けるトウセイの後ろ姿があり、サクはそこへ目掛けて一直線に向かっていったのだった。

 二人はその後、町の中心部から離れて住居が立ち並ぶ区画を歩いていった。
 ただし先程あった騒動のせいか、トウセイは背後をついてくるサクに対してより不満そうにしている。
「ねぇ。そういえばさ、トウセイは体は大丈夫なの? 確かロウよりもひどそうな怪我を負っていたはずだけれど……。あ、そういえばロウで思い出したよ」
 それでもサクの方はいつも通りの様子を保ち、本当に気軽に話しかけていた。
 前を向いたまま振り返ろうともしないトウセイに対しても、その口は休む事なく動き続けている。
「落ち込んでいるロウにあんなひどい態度とったんだからさ。ちゃんと謝っておかなきゃ駄目だよ。このままじゃ、険悪な状態のまま旅を続ける事になっちゃうよ?」
 そして指を振りながら呆れるように言う表情は、まるで幼子に説教をしているかのようでもあった。
「ちっ。はぁぁっ……」
 トウセイも初めの内はそれらを聞き流していたが、いい加減に我慢が出来なくなったらしい。 顔を大きく俯かせると、これまでになくはっきりとした溜息を吐いていく。
「ん? どうしたのさ、トウセイ。もしかして歩き疲れちゃった?」
「疲れたのはお前の相手……。いや……。やはり、何でもない……」
 それに気付いたサクが顔を覗き込むも、トウセイの答えは芳しくない。 どうせ何を言った所で無駄だと思ったのか、力なく首を横に振るだけだった。
 サクはその対応に怪訝そうな顔をしていたが、その後もトウセイと共に火の紋様を探し続ける。
「ふわあぁ……。それにしても見つからないねぇ……。本当に火の紋様ってここにあるのかなぁ?」
 だが探索が予想以上に長引いてきた頃、体を伸ばすと飽きたように大きなあくびをしていった。 その姿には緊張感の欠片もなく、ひどくつまらなそうに見える。
「全く……。本当に呑気な奴だな。お前はただ、適当に町を観光しているだけだろうに……」
 一方でトウセイはそちらを見ずとも、ひどく呆れた様子で呟いていった。 先程は口をつぐんだものの、やはり我慢も限界だったらしい。
「え、何か言った?」
 サクはそれを耳聡く聞きつけると、すぐ横まで来て顔を傾げながら問いかけてくる。
「いいや……。別に何でもない。気にするな」
 それに対してトウセイは静かに答えを返しつつ、ふとその場に立ち止まっていく。
 これまでに二人は町の外れから中心部を経て、現在は反対側の端の方にまで辿り着いていた。
 もう町のほとんどの範囲は探し回ったはずだが、今に至っても火の紋様は見つかっていない。
 そのためにトウセイはこれからどうするべきなのか、遠目に町を見渡しながら考え込んでいるようだった。
「ねぇ……。何か探す当てみたいなのはないの? いい加減に疲れてきちゃった。このままずっと歩き続けるなんて嫌だよー」
 一方でサクはその場にしゃがみ込むと、トウセイをじっと見上げながら不満を述べていく。
 まるで足に根が生えたかのような体勢を見ると、そこからは容易には動きそうになかった。
「ちっ……。誰もついてきてほしいなど言ってないだろうが。嫌ならさっさと帰ればいいものを、いちいちうるさい奴だな……」
 対するトウセイは勝手についてきた上に騒がしく、一人だけ気楽な様子でいるサクを見ると顔をしかめていく。
 その手は自分でも意識せぬ内に刀に伸び、苛立ちのあまりいつ抜き放たれてもおかしくない状態にまでなっていた。


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