第6話 素体


「え……。決して出来ないっていうのは、どういう事? じゃあ、君ならどうするの? もし、自分の家族がツクハのようになっていたら?」
「俺なら……。殺す。そうするしかないのなら、俺は……。間違いなくそうするのだろうな」
 サクがそんな姿を怪訝そうに見つめていると、トウセイは重い口をこじ開けるようにして短く答える。 ただしそれを言った瞬間の顔は、苦渋の決断をするかのように険しい。
 そして答えを徹底させるかのように呟いた後は、その場から立ち去ろうとするかのように足を動かしていった。
「うーん……。ちょっと、聞き方がまずかったかな? 殺す、か……。まぁそれも、龍と同化してしまった人を救う一つの方法か」
 サクはその後ろ姿を見つめつつ、苦笑しながらしばらくその場に留まっている。
「でもその時が来たのなら、果たして本当に君はそれを出来るのかな? あ、そういえばトウセイにはお兄さんがいるって話だったけれど……」
 そしてわずかに顔を傾げると、遠ざかる背中に対して純粋な疑問を投げかけていく。
 だがそれは決して相手に届かず、結局は単なる独り言に終わってしまっていた。
 今も視線の先ではトウセイが躊躇や迷いなどなく、ひたすら一人で歩き続けている。
「ううん。まさかそんな事、あるはずないよね。気のせい、気のせい。ふふっ……」
 すでに二人の差はどんどん広がり、サクはその時になってようやく置いてかれている事に気付いたらしい。 頭を幾度か横に振った後は、口元に笑みを浮かべつつ元気に走り出していく。
 やがてそのすぐ後には前方を歩いていたトウセイの耳に、自分の名を呼ぶサクの大きな声が届いてきた。
 トウセイはそれに顔をしかめて溜息を吐きながらも、決して立ち止まるような事はしない。
 少し前よりも照ってきた太陽の下を進みつつ、その意識はどこかにあるはずの火の紋様だけに向けられていた。

 そこは漆黒に包まれた、深い闇だけが広がる空間だった。 何も見通せぬ場では天井や床、あるいは壁があるかどうか測る事すら出来ない。
 その空間ではどこまでも暗い闇が続き、生物はおろか無機物すら存在していないように思えた。
 しかしそんな空間にあってただ一つだけ、確かに存在するものがいる。
「……」
 それは周囲にある漆黒の闇と同等か、あるいはそれ以上に黒い体を持つ龍だった。
 体に翼はないがどことなく光龍に似たような体型をしている龍は、やがて閉じていた目をゆっくりと開く。
 そしてそのまま視線を横にずらしていくと、ちょうどその方向から何かがやって来る。
 それは真っ暗な空間の中では少し眩しすぎる程に感じる、松明の放つ明かりだった。
「闇龍……」
 直後に姿を現したのは松明を手にしたツクハであり、思い詰めたような表情のままこちらに歩いてくる。
「ツクハ。どうやら失敗したようだな?」
 それを確認した闇龍はまず首を動かした後、少し億劫そうに体を動かして向き合っていった。
 ただしあくまでそこには実体は存在せず、あるのは闇龍という存在だけである。 それでも威圧的な視線や声は健在で、確かな存在感を持って否応なく突き刺さってくるようだった。
「えぇ、そうね。望んだものは手に入らず、こうしておめおめと戻ってきて……。確かに失敗としか言いようがないわ」
 ツクハはそれから逃れるように目を逸らし、悔しそうに口を噛んでいる。
「ふん……。お前がどうしてもとこだわるから行かせてやったのに情けない。あんな中途半端な同化しかしてないような連中すら、押さえる事が出来ないのか」
 対する闇龍はツクハを見下ろすような状態で話しかけ、態度もそれと同じでどこか相手を見下している印象があった。
「そう、ね……。あなたからすれば大した事のない相手なのかもしれないけれど、彼等はなかなか手強かったのよ。それにまさか、霊剣があんな反応をするなんて……」
 一方でツクハはそう言い返すと、あの時に起きた出来事を思い出すように目を閉じていく。 そして歯切れの悪い声を発しながらも、自分の不甲斐無さを悔いるように握り締めた手を緩める事はなかった。
「言い訳など必要ない。あの時点でもお前が全力を出して戦えば、あの場にいた全ての者を薙ぎ倒す事は軽く成し遂げられたはず。だが、それをしなかったのはどうしてだ」
 闇龍も労うような言葉をかける事はなく、そのまま視線を落とすとツクハの全身を眺めていく。
 次の瞬間にはツクハの体には黒い紋様が浮かぶようになるが、それは所々が欠けているようだった。
 さらにそこにはあの時に受けた霊剣の力の影響が残っているのか、似通った光がわずかに放たれている。
「どうせお前が執心しているあの人間が傷つく可能性があったからこそ、まともに戦いもせずにあっさりと退くしかなかったのだろう。本当に期待外れだな」
 だがそれは闇龍にとって面白くない展開だったのか、不機嫌さを隠そうともしなかった。
「えぇ。あなたの不満は理解出来る。私に落胆しても仕方ないと思う。でも、もう一度だけ機会をちょうだい。せめてあと一度だけでいいから、ロウの元へ……」
 対するツクハは自身に付いた光に気付く様子もなく、そう言いながら詰め寄っていく。 今は行動する事にしか意識が向かわないのか、懇願するような表情や姿は真剣そのものだった。
「いいや、駄目だ。お前は少し、あの人間に情を込め過ぎている。よしんばあの人間を連れてこれたとしても、これからのお前の判断や行動を鈍らせていくだけだろう」
 それでも闇龍は願いを打ち消すようにきつく言い放ち、ツクハの思いを決して認めようとはしない。
「そんな……。お願い。私はあの子を守りたい。そう思っているだけなの。例え今は自分の思い通りにならないこの身でも、それくらいは望んでいいでしょう?」
 一方でツクハはまだ諦め切れないのか、闇龍を震える瞳でずっと見上げ続けている。
「……」
 闇龍はそれを見ても答えを簡単に変える様子はなかったが、必死なまでの態度を見ると今までとは少し違う反応を見せていく。
 ツクハが本当にどうしてそこまでロウにこだわるのか、目を細めつつその理由を見定めようとしているかのようだった。
「私はもう二度と、霊剣の光には気圧されたりしない。龍の力を持つ人間や、龍人が相手でも目の前に立ち塞がる者は必ず打ち倒してみせる。だから……」
 そして眼前にいるツクハはどれだけ望みが薄かろうと、決して諦めようとしない。 自身が心から願う本当に叶えたい事は、周囲に闇しかない状況でも全く揺らぐ事はなかった。
 そんな姿は体にあるわずかな光と合わさると、真っ暗な空間の中で輝いているようにすら見える。
「くっ……。少し、黙れ。お前の意向など知った事か。ただでさえ今はやるべき事が山積みなのに、これ以上些末な事にかかずらっていられるか」
 しかし闇龍はそれを見ると願いを聞き入れるどころか、逆に苛立ちを募らせているようだった。
 直後にはツクハと光のどちらもから逃れるように目を閉じると、そのまま何かを考え込んでいく。
「やるべき事……? それって私と別行動を取って調べていた、あの施設に関する事……?」
 ツクハはその様を見ると思わず不思議そうな顔を浮かべ、少し気を抜いてしまう。
 すると次の瞬間、周囲の闇に浸食されるかのように体から急速に光が消え失せていった。
「……あそこは元々、龍について研究するための施設だった。といっても表層的な部分にあるのは、蓄えられた知識や技術のごく一部だけだ」
 闇龍はそれによって落ち着きを取り戻したのか、薄っすらと目を開いて口も動かしていく。
 ただし再びツクハの方に目を向ける事はなく、虚空に向けて独り言のようなものを放っていた。
「本当に重要なものはあそこの地下に厳重に保管されていた。あの目障りな連中もそこまでは気付いていなかったようだが……。そこを探しても結局、大したものはなかった」
 続けて視線を横の方に移していくと先には無数の紙の束が乱雑に放置されており、それらは何かの資料のように見える。
「俺の求めるものは何も得られず、あったのは今となってはほとんど意味のない情報ばかり。事態は何も進展していない。全く、苛立たしいものだ……」
 そのほとんどが龍人のいた施設にあったもので、どうやらいつの間にかここに持ち帰ってきていたらしい。
「現状から鑑みれば、調査は一旦差し置いておくしかない。その分で浮いた時間や労力は失せ物探しに回すとするか……。こちらもいい加減に放っておけんしな……」
 だがそれを眺める闇龍の顔は険しく、自然と機嫌も悪くなる一方のようだった。
 そして意識は考え事に集中しているのか、すでにその場にツクハがいるのを忘れているかのように見える。
「どうしたの、闇龍? ねぇ、お願いだからこっちを見て。自分だけで納得していないで少しは私の話を聞いて。これまで私は、あなたの言う事に何でも従ってきたでしょう」
 ツクハも同化をしているというのに、相手の考えを思うように推し量れないのに困惑しているようだった。
「それはこれからも変わらないし、あなたに反抗する気だってほんのわずかもない。だから少しくらい私を信用して、自由にしてくれたって……」
 しかしだとしても決して譲れない事があるからか、語り掛けるのを止めようとはしない。
「ちっ……。いい加減にしろ……! 先程からどうでもいい事をぺらぺらと……。少しは自分の立場を弁えろ!」
 一方で闇龍はその顔を大きく歪めると、怒りを含んだ声で一喝していく。
 向き合う相手の心を理解しようと努めるツクハに対し、闇龍にはそのようなつもりは欠片もないかのようだった。
「っ……」
 ツクハはその凄まじい迫力に対し、思わず身を固くすると口を閉ざしてしまう。
 そしてそれきりツクハが黙り込むと、辺りはやけに静まり返って一切の音が取り除かれていった。


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