第5話 龍人


「ね、ねぇ。光龍。もう顔を出しても良いかな? 多分というか絶対、戦いは終わっていると思うんだけれど……」
「ん、あぁ……。そうだな。もう敵はいないようだ。ついでにトウセイもいなくなっているが……」
 一方でその頃、センカがおずおずと問いかけると光龍が代わりに外の様子を窺っている所だった。
「え、うそ。あ、本当だ……。うーんと、どうなってるの……? まさかトウセイさん、やられちゃった訳じゃないよね……」
 対するセンカはそれから物陰から顔を出すと、まずは怪訝そうな声を発していく。 その視線も方向が定まらずに左右に泳ぎ、目的の人物を探そうと以降も懸命に動かし続けていた。
 だがそこに倒れているのは気絶している兵士達ばかりで、肝心のトウセイの姿はどこにもない。
 代わりにこちらを襲うような相手もいないために安全は保障されていたが、そのせいで誰かから情報を得る事も難しそうな状況となっていた。
「ト、トウセイさーん。どこにおられるんですか……? まさか私の事を忘れて、お一人でどこかに行っちゃった訳じゃないですよね……?」
 センカはそれから途方に暮れたように呟くが、声は虚しく廊下に響き渡るだけである。
「ふむ……。こうして見ると、危険がないのはいいがやはりセンカだけではいささか不安な所だな」
「光龍ったら……。冷静にそんな事言わないでよ。でも今、誰かに見つかったらどうしようもないよね……」
 やがて光龍がふと思い出したように呟くと、センカは不安そうな素振りをしながら近づいていく。
 そしておもむろに手を伸ばしていくが、実体のない光龍には届かずにすり抜けていくだけだった。
「あ、そっか。うぅ……。サク君は見つからないし、ロウさんやトウセイさんもどこに行ったか分からなくて……。私はこれから一体、どうすればいいのかな?」
 それでもセンカはこの場で唯一頼れる存在に対し、縋るように見つめ続けている。
「ふむ……。まぁひとまず、ここに残っていても仕方がない。とりあえずは前へ進み、トウセイかロウのどちらかを探すとしよう」
「う、うん。そうだよね。一人きりでいるよりは、そっちの方がよっぽどいいよね。よし、それじゃあ行こう。光龍……!」
 対する光龍がわずかに考え込んだ後にそう言うと、センカはその提案を鵜呑みにするように何度も頷いていく。 ただしやはり心細さが募っているのか、方針を決めた後は焦りを隠さずに小走りを始めていった。
「おいおい、そんなに慌てると……。はぁ、それ見ろ。むぅ……。やはり、センカだけではいささか不安だな……」
 光龍はそれからすぐにつまずいて転びそうになっているセンカの後ろ姿を眺めつつ、呆れたような言葉と共にその場からいなくなっていく。
 そうするとそこには床に倒れたままの兵士達以外は、本当に誰の気配もしなくなる。
 辺りは不気味なまでの静謐さで満たされ、何かがわずかに動いたりする兆候すらない。 まるでそれはいずれ起こるであろう大きな事態の変化を、今はただじっと待ち構えているかのようだった。

 それと時を同じくして、トウセイはサクの後ろ姿を睨むように眺めながら廊下を歩いていた。
 途中に通り過ぎたいくつもの部屋の中には、よく分からない設備や資料らしき紙が散乱している。
 しかしトウセイにとっては特に興味は惹かれないのか、それらは無視して通り過ぎていく。
 やがて二人はいくつか通路を曲がっていくと、開けた広場のような場所に辿り着いた。 そこは丁度、施設の中央の辺りに位置している吹き抜けの空間である。
 この場所は休憩などに利用されているのか長椅子がいくつも設置され、観葉植物なども置かれていた。
 上階にある複数の通路とも繋がっているそこは、かなり広々としている。 見上げれば天井部分からは空も眺められ、爽快感に溢れてなかなか過ごしやすそうだった。
「おい、どこまで行くつもりなんだ。お前が何を考えているのか知らんが……。もうここで充分だろう」
 そしてトウセイはそんな辺りを眺めつつ、広場の真ん中辺りで不意に立ち止まる。 その姿はここからは一歩も動かないと言いたげで、不満そうに顔をしかめていた。
「うん、そうだね。もう……。この辺りでいいかな」
 サクもそれに合わせ、わずかに体を揺らしてからその場に立ち止まる。 まだ背を向けたままであるが、その顔には不遜な笑みが浮かんでいた。
「……お前の目的は何なんだ」
 トウセイはその姿へきつい視線を送りつつ、同時に体を強張らせていく。 その手は鞘をしっかりと握り締め、いつでも刀を抜く事が出来そうだった。
「ふふ……。そうだね。じゃあ教えてあげる。僕はね、龍になりたいんだよ」
 するとサクはゆっくりと振り返り、そのまま口を開いていく。 その目はきらきらと輝き、希望に満ち溢れているかのようだった。
「は……。いきなり、何を言い出すんだ……!? お前が……。人が、龍になるだと……?」
「実はここに来たのもその目的のためでね。龍人である彼の事を知れば少しは役に立つかと思ったんだ。まぁ確かに、少し軽率だったのは認めるけれどさ……」
 一方でトウセイは驚愕した様子で目を見開き、サクはそれを横目にしながら歩いていく。
 そして近くにあった長椅子の背もたれの辺りに手を伸ばすと、そこに倒れ込むように体を沈めていった。
「別にあれくらいの力なら、今の僕でも絶対に対処出来ない訳じゃないからね。とにかく、僕は龍になる。これは決して譲れない、僕がずっと願い続けてきた事なんだ」
 さらに長椅子に体重を預けると、そのまま思いの丈を得意気に語っていく。 その様子はトウセイなど構わず、ひたすら自分の事しか頭にないかのようでもあった。
「馬鹿な……。第一、そんな事をどうやってやるつもりだ。何か具体的な方法があるというのか?」
「うん、人と龍が完全に同化すればいいんだ。今みたいな不完全な同化ではなく、本当に同一の存在になればね」
 以降も困惑したままのトウセイと違い、サクはずっと気負わない微笑みを浮かべている。
 先程から尋ねられた事にはやけにあっさりと答えているが、余裕綽々ともいえる態度はすでに未来が決定していると確信しているかのようでもあった。
「完全な同化、だと? 龍との同化は一度では終わらず、いくつかの段階があるという事なのか……?」
「そうだよ。今よりも深く龍と結び付く。完全に一つになるといってもいいかもね。とは言っても、そうなるための方法は一つとは限らないんだ」
 それからもさらに顔をしかめるトウセイに対し、サクはやや大人びた笑みを口元に浮かべていく。
「まず単純なものとしては龍の力を極めたり、あるいは龍に関する知識を集めたり。後は龍と心を通わせたり……。何でもそういうのは、人によってまるで違うらしいよ」
 分かりやすいように身振り手振りを交えて話す姿は明け透けとしていて、本心を包み隠さずつまびらかにしているのがはっきりと分かる。
「でも、そうすればなれる。今みたいな中途半端じゃない、本当に龍といえる存在に……。そして僕は今、その方法を模索している最中なんだ」
 そして頭の中に浮かぶものを噛み締めるかのようにゆっくりと目を閉じ、次に開いた時にはどこか挑発的な笑みを浮かべていった。
「お前はそれでいいのか。人を捨てて龍になるなんて、本気で思っているのか……」
 だがトウセイは真っ直ぐに向けられる視線を、浮かない顔で見つめ返すだけでいる。 もしかしたらその胸中では龍に固執するサクの事を憐れむか、あるいはひどく呆れているのかもしれない。
 どちらにせよ龍を憎んでいるトウセイだからこそ、サクの考えは到底理解出来ないようだった。
 そのために先程からずっと二人の距離が縮まる事はなく、いつまでも開いたままでいる。
「うん。第一、僕はそのために君達についてきたんだからね。でも、別に隠してた訳じゃないよ。君達に説明した所で、どうにかなるとも思えなかっただけだから」
 ただしサクの態度に変化は見られず、今もあっさりと答えを返していた。
 そんな迷いも躊躇もない自信に満ちた態度に対し、トウセイは次の言葉に窮して黙り込むだけとなっている。
「あ、そうだ。言うのを忘れていたよ。ちょっと突然になっちゃうけれど、ごめんね」
 一方でサクはいきなりそう言うと手を叩き、その顔をわずかに傾げていく。 手を合わせながら覗かせる口元は、笑いを堪え切れないかのように少し釣り上がっていた。
「彼がさ、君と戦いたいんだって」
 そしていきなり長椅子から立ち上がると、そう言ってトウセイの方をじっと見つめる。
 しかしその視線が本当に向かっているのはトウセイ自身ではなく、その後方にいる何かだった。
「?」
 トウセイはそれに気付くと視線の先を追い、その時になってようやく自分の背後に誰がいるのか悟ったらしい。
 先程までは誰もいなかったはずのそこに立っていたのは、つい前日にトウセイに圧倒的な力の差を見せつけたあの龍人である。
 果たして龍人がいつこの場に現れ、どうやって気配も感じさせずに真後ろにまで進んできたのかはまるで分からない。
 ただし今はそれらを気にするよりも、相手の全身から強く発せられる殺気のようなものがトウセイを否応なしに警戒させていった。
「ちっ……!」
 それは昨晩の比ではなく、トウセイは体ごと振り返ると同時に勢いよく飛び退いて距離を取っていく。
「ふっふ〜ん。ふんふ〜ん。さーて。龍の力の一端と、もう片方は龍の体の一部。果たしてどちらが勝つのっかな〜」
 一方で離れた両者の中間にはサクが残り、興味深そうな目を頻繁に左右へと動かしていた。 その表情は何かを期待しているのか楽しそうな笑みを浮かべ、体も小刻みに揺れている。
「……龍に属するもの」
 それとは対照的に龍人は集中するように目を閉じ、体からも力を抜いてじっと立ち尽くしていた。
「滅する!」
 だが次の瞬間にそう叫ぶと目をかっと見開き、その勢いのままこちらに向かってくる。 体が大きい分だけ体重もかなりあるのか、先程は全くしなかった大きな足音が辺りに響き渡っていく。
 圧倒的な迫力は大きな岩が突進してくるかのようであり、それはトウセイの真正面から覆い被さるように襲い掛かってきた。
「ちっ……。体もでかけりゃ、態度もでかい野郎だな。だが、だからといって負ける訳にはいかん……!」
 対するトウセイは刀を抜き放つと、間髪入れずに意識を集中させていく。
 その側には今も観戦を続けるサクの姿があるが、それは無視するくらいでないと自分の身が危ないのは明らかである。
 だからこそトウセイはよそ見などせず、ただ一方向のみを見据えて次の動作へ移ろうとしていた。
 しかしまだ完治していない事に加え、いきなりの事で強張ったままの体では何もかもうまくいかないらしい。 強い意気込みに反するかのように、トウセイの動きはひどくぎこちないものとなっていた。


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