第3話 土


「何を呆けている!」
 その時、突然ジュカクの頭の中に何者かの声が聞こえてくる。
「!?」
 何度も反響するくらい大きな声によって、ジュカクは強制的に意識を取り戻す。 どうやら少しの間だけ意識を失い、夢を見ていたようだった。
 だが過去の光景は今や消え去り、現実へと復帰している。 そこは相変わらず土に囲まれ、自身の体の状態にも変化はなかった。
「やっと戻ってきおったか。今はお主の頭の中に語りかけておるんじゃぞ。で、儂の事はちゃんと分かるじゃろうな?」
「あぁ。土龍、か。くっ……。正体が分かっても、その不愉快な声は慣れんな……」
「ふん、減らず口を……、まぁ、よい。それよりも、今の状況はお主が一番よく分かっているはず。実を言うと、お主に残されている時間はもうほとんどない」
 土龍の声はジュカクにしか聞こえていないようで、ロウの耳には届いていない。 どうやらそれは、同化している相手にしか伝わらないようだった。
「儂との同化を拒絶したお主の体は今、土の紋様に侵食されておる。このままではやがて体は土となり、死して骨すら残らないじゃろう」
 土龍はさらに脅すように語り掛けてくるが、ジュカクは何の反応も見せていない。
 慌てる様子など微塵も見せず、目を瞑ったまま心の底から落ち着いているようだった。
「そんな無残な最後がお主の望みなのか? こんな場所で孤独な死を迎えても構わんのか? もちろん、そうではあるまい?」
 次に土龍は穏やかに語り掛け、どのような方法を持ってしてもジュカクを己の意のままに操ろうとしている。
「……」
 だがジュカクはそれに耳を貸さず、辺りの様子を窺おうとしていた。 いくら土龍の声が頭の中で響き渡ろうと、集中すれば何らかの音くらいは聞こえてくるはずである。
 なのにいくら耳を澄ませようと、何故か他の音が一切聞こえなくなっていた。 そのために仕方なく、黙って目を閉じて話を聞く事にする。
「うむ、そうか。そうじゃろう、そうじゃろう。とはいえ、あまり懸念する事もないぞ。ちゃんと助かる方法もあるでな」
 沈黙を肯定と受け止めた土龍は何度も頷き、勝手に嬉しそうな声を上げた。
「じゃがそのためにはまず、あの若者の持っている霊剣を奪え。そして動きを止め、儂が同化するのを手伝うのじゃ。そうすれば、お主の命は助けてやろう」
 さらに嬉々として言うと、大きく口を歪めていく。 ようやく自分の思い通りに事が運んだためか、段々と機嫌も良くなってきた。
 土で出来た体はぼろぼろと崩れているにも関わらず、気にしないで笑顔を浮かべている。
「何を言うかと思えば……。わしにロウを売れと言うのか……」
「いいや、そうではないさ。お主はただ、自分の身を省みるだけじゃ。そう、お主にはそれ以外の事を考える必要などないんじゃよ」
 それとは真逆にジュカクは思わず表情を険しくするが、裏切りを推奨する土龍はひどく醜い笑みを浮かべていた。
「……」
 一方でその言葉を聞くジュカクは口をつぐむと、じっとしたまま考え込んでいる。
「これは誰かのためではなく、あくまでお主の命に関わる事じゃ。よく、考えておけ。のう?」
 やがて土龍は最後に念を押すように言うと、急に頭の中から異物感が消えていく。 そして声がしなくなると同時に、ようやく他の音も聞こえてくるようになった。
「うっ、く……。自分だけ好き勝手に喋っておいて、こちらの言葉を聞く気はないのか……」
 ジュカクはそれを感じ取ると、体に力を込めてゆっくりと立ち上がる。
 そして顔はやや辛そうに歪ませていたが、それでも足は止めずにロウの元へと向かっていった。

「ぐ、ロウ……。ここにいたか……。少し、話がある……」
「師匠、休んでいないと駄目だ。無理に動かなくても、俺がどうにかする方法を探すからさ……」
 やがてジュカクが苦しげに近づいて来るのを見ると、ロウは驚いた様子でその体を支えようとする。
「いや、大丈夫だ……。それよりも覚えているか、ロウ。あの時の事を……。わしは鮮明に覚えているぞ……」
 しかしジュカクはそれを手で制し、近くに座り込んでいった。 続けて穏やかな顔を浮かべると、突然そう言い出す。
 この状況にありながらその態度は、何故か異様な程に落ち着き払っている。 それはまるで自らの迎える結果を、すでに受け入れているかのようだった。
「え? な、何をだよ……」
「昔、まだお前が幼かった頃……。あの日は確か、ツクハが出掛けた後……。剣の素振りの後に頭を撫でてやろうとしたな……」
 一方でロウは怪訝な顔をしているが、ジュカクはそれからもただ話し続ける。 虚空を見つめる目は何も映しておらず、まるで夢でも見ているかのようだった。
「師匠。急にどうしたんだ。頼むから、しっかりしてくれ……」
「お前はあの時、嫌がっていたがな……。しかし、わしにとっては……。とって、は……」
「くっ。早くここを出て師匠を医者に見せないと……。でも、むやみには動けない。正面に出ても、やられるだけだ……」
 ロウはそんな様を見ると逸る気持ちを抑え切れず、ジュカクを置いて向こう側の様子を窺おうと立ち上がる。
 すでに周りに立ちこめていた砂煙は大分収まり、ここからも土龍がはっきりと見えた。
「ほっほっ。ロウよ。気分は変わらんか? お主さえその気になれば、話はすぐに片付くのじゃぞ。なぁに、少しくらいは意識を残してやってもいい。どうじゃ?」
「勝手な事を言うな……。人は、操り人形じゃないんだぞ! 師匠も、俺だってお前なんかの体になってたまるものか……!」 
 そして向こうからそれを見計らったような土龍の声が響く中、ロウは柱の陰に身を隠しつつ憤ったように叫ぶ。
 ただしそうしつつもこれからの事を考えるのを忘れていないのか、目は唯一の武器である霊剣をじっと見つめていた。
「ふん、生意気な。何も言わず、逆らわず。大人しく、儂の思う通りに踊らされていればいいものを……」
「何だと……!」
「憤るな、何もおかしな事はない。龍が考え、人が動かされる。これぞ、龍と人のあるべき関係なのじゃ! ほっほっほっほっほっほぉ!」
 土龍は身を震わすロウの感情を手玉に取るかのように、顔を真上に向けて大きく口を開く。 さらに勝ち誇ったかのように笑い声を上げ、愉悦に満ちた姿を見せつけていった。
「ぐ……。俺、は……」
 その光景を目の当たりにするロウは、悔しそうに霊剣を握り締めている。 この状況を打破するには土龍以上の力が必要だが、今のロウにそれはない。
 そのためにただ焦りだけが募る中、それでもジュカクを救うために必死に方策を思案し続けるしかなかった。

 その頃、トウセイとセンカは町を出て雑木林の辺りに来ていた。
 そこからロウとジュカクの詳しい位置を光龍に探ってもらいつつ、二人は急いでそこへ向けて進んでいく。
 するとそれからほとんど間を置かず、土龍が作り出した巨大な土壁が視界に入ってきた。
「何だ、これは?」
「本当にこの中にロウさんがいるの、光龍?」
 林の中にあってやけに目立つそれを見上げると、その大きさはもちろん異様さに圧倒されてしまう。
 そのために二人はどちらも呆然としたまま、思わず言葉を失っているようだった。
「あぁ、間違いない。そしてここには、土龍もいる。どうやら誰かと同化を果たし、今も同化を深めているようだ。時間の猶予はなさそうだな……」
 一方で光龍はより警戒を強めるように険しい表情を浮かべ、今も視線を忙しなく動かしている。
「ならばなおさらここで立ち止まっている訳にはいかんが……。その前にこれをどうにかしないと駄目だな。とは言え、俺の刀や火の力ではどうにもなりそうにないぞ……」
 直後にトウセイは土壁に近づくと、手で触れながら固さなどを調べていく。
 それはとても分厚く、言葉の通りに今のトウセイ達では突破する事は難しそうに思えた。
「何とかする方法はある……。そこから離れていろ」
 ただし光龍の意見は違うのか、次に放たれた言葉には強い自信が込められている。
「何? ……!」」
 トウセイが背後から聞こえてきた声に振り返ると、次の瞬間には視線の先にあったものを見るとかなり驚いていった。
「どうしたんですか?」
 しかしそこにいるセンカは何も気付いていないのか、そう言って顔を傾げている。
 それでもその首の右側辺りから肩の辺りにかけては金色の紋様が浮かび、存在を誇示するかのように光を放ちつつあった。
「……いや、それだ」
 そしてトウセイは未だに目を離せないまま、その紋様をゆっくりと指差していく。
「え? あっ!」
 するとセンカはようやく自身の体に光る紋様に気付いたらしく、目を見開きながら声を上げていった。
「センカ。時間がないから手短に伝える。今からお前は私の力を使い、行く手を塞ぐあの障害を破壊するのだ」
「え……? そ、そんな事をいきなり言われても。確かに私はあなたと同化したけれど、力の使い方なんて分からないよ……」
「まぁ、そうだろうな。だが、仕方がない。今は講義する暇もないし、代わりに私がやってもいいが……。どうするかは、お前が決めるがいい」
 光龍は自身の体に起きている変化や未知の力に戸惑うセンカに対し、特に叱ったりはしない。 ただ間近からじっと見つめたまま、穏やかに話しかけていった。
「……うん。いいよ。私、光龍を信じているから」
 センカはそれを真正面から受け止め、静かに頷く。 その時には微笑みを浮かべ、相手を本当に信用していると思えるような安堵の表情を見せていた。


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