第3話 土


「やめろ! これ以上、師匠を操るな!」
 それを見たロウは強い地震の中で立ち上がる事も出来ないが、悲痛な叫び声を上げる。
「ふん……。人間ごときが命令するでない。何とかしたいなら、自分で何とかしてみせてはどうじゃ。のう?」
 だが土龍はそんな姿を鼻で笑い、そう言い放って口を歪めていく。 さらにあからさまに相手を見下す態度をしながら、少しずつだが落ち着きを取り戻しているようだった。
 それと同調するかのように、地面の揺れも少しずつだが収まっていく。
「くっ……。行こう、師匠」
 ロウは言葉による説得を諦めたのか、ジュカクに自分の肩を貸していった。
「何故だ、ロウ……。さっきは何故、手を止めた……。あの時、わしごと斬っていれば……」
「ははっ、無茶な事を言うなよ。師匠を傷つけられる訳ないだろ。さぁ、今はそれよりこっちに……」
 おぼろげなジュカクの言葉に対し、ロウは励ますように言って自分より大柄な体を支えていく。
 そして近くにあった土の柱の陰に隠れ、土龍から見えない位置までやって来るとそこにジュカクを座らせた。
「無駄じゃ。どこに行こうが逃げられはせん」
 しかし土龍にはお見通しなのか、ロウ達が隠れた方を見ると目を細めていく。 同時に視線と同じくきつい口調で呟くと、ジュカクの体にある紋様に向けてさらに力を込めていった。
「ぐうぅ……」
 するとジュカクはにわかに苦しみ出し、体の紋様も鈍い光を放ちながら手足の末端にまで広がってくる。
「どうすればいいんだ……。師匠のために何か出来る事は……」
 それを見たロウはおろおろとしつつも、柱の陰から顔を出して土龍の様子を探った。
「ごほっ、ごほっ……」
 だが辺りに舞う土や粉塵によって、ひどくむせてしまう。 すでにこの場所では、まともな呼吸すら満足に出来なくなっていた。
 それに加えて離れた場所では土の壁が崩れ始め、土の固まりが剥がれ落ちる音が聞こえてくる。
 劣悪になって来た周囲の環境は不死身の龍である土龍にとっては何ともないが、ロウ達には不利にしかならない。 今すぐにでもここから脱出しないと、さらに危険になっていくのは明らかだった。
「むぅ……」
 そんな時、ジュカクはじっと自分の傷を眺めていく。 表情はぼんやりとしながらも、頭では自分の体に起きつつある異変に気付いているらしい。
 その体の一部は土に変容しており、さらに所々にはひびが入っていた。
 今は紋様が浮かんでいるために龍の力の保護を受け、その身も何とか保たれている。 しかし土龍の意思次第で、いつ崩れ始めてもおかしくはなかった。
「ふ……」
 そしてそれを見ると諦めたような表情をして、その部分を隠していく。 自身の体の異変を隣にいるロウに知らせないための、ジュカクなりの気遣いのようだった。
「ち、無理に同化したのは失敗だったかのう。早く別の体を手に入れねば……」
 一方で土龍は同化しているために、異変に気付いたようで顔をしかめている。 それでもあくまで心配してるのは自分の体についてであり、ジュカクがどうなろうと特に気にはならないようだった。
 そのためにすぐに興味を失い、何かを探すように視線を動かしていく。 その様はまるで壊れた道具を気軽に捨て、新しいものを探すかのようだった。
「霊剣、これであいつを倒せれば……」
 その頃、ロウは一人で霊剣を見つめながら呟いていく。 顔は真剣なもので、自分がこの状況をどうにかしないといけないという強い使命感が伝わってきた。
「ふふ……」
 ジュカクは忙しいロウや土龍とは違い、どこか穏やかな顔で空を見上げて目を細めている。
 まるでその姿は昔を思い出し、それを懐かしんでいるかのようでもあった。

「いいぞ、その調子だ。あまり力むなよ、ロウ」
 満足そうに笑うジュカクの視線の先には、一生懸命に木刀を振る幼い子供の姿があった。
 ジュカクは武術が得意で、近くの町の剣術道場で剣を教えている。
 そのためかロウも剣に興味を持ち始め、習いたいと何度もせがんできた。
 初めはそれに難色を示していたジュカクも、やがては根負けして教えるのを承諾する。 その日も古い民家の縁側に座り、庭で素振りをしているロウを指導していた。
 家の周囲は田んぼや畑に囲まれており、遠くには大きな山も見える。
 畑には農作業に従事している村人達の姿もあり、自然が豊かなそこでは穏やかな時が流れていた。
「うん、分かった」
 ロウは褒められても、素振りに集中しているのか動きを止めない。 返事をした後も、黙々と木刀を振り続けている。
「あら……。ロウはまた、剣の練習をしているのですか?」
 その時、家の中から不意に誰かが姿を現す。 そこにいたのは目にも鮮やかな銀色の髪をした少女で、背中の辺りまで伸びた髪は少女が歩く度に不規則に揺れていった。
「おぉ、ツクハか。うむ、あいつはなかなか筋がいいぞ」
 ジュカクは自分の隣までやってきた少女を確認すると、顎に手をやりながら満足気に呟く。 細められた目は、どこか嬉しそうでもあった。
「そうですか……。怪我をしないといいんだけれど……」
 一方でツクハは顔に手を当て、心配そうに眺めている。
 だがすぐに思い直すかのように違う方向に向き直ると、玄関の方へ向かっていく。
「む、そんなものを持ってどこかに行くのか?」
「はい、ちょっと山へ行ってきます。つい最近、おいしそうな山菜がたくさんある場所を見つけたんですよ」
 直後に聞こえてきたジュカクの疑問に対し、ツクハは振り返りざまに手に持っていたざるを持ち上げていった。
 そして楽しげな微笑みを浮かべた後は、そのまま玄関の方へと向かっていく。
「そうか。お前なら心配ないとは思うが、充分に気を付けるんだぞ?」
「えぇ。分かっています。近くの山に行くだけですから大丈夫ですよ」
 すでにツクハは玄関に座り込み、履物に足を通しながらそう答えていった。
「それでも注意するに越した事はあるまい。この辺りには出ないだろうが山賊や獣に注意して、危険を感じたら大声を上げながら、すぐに逃げてくるんだぞ」
「……えぇ、分かりました。では、行ってきますね」
 ツクハはやや大きな声で答えると、ゆっくりと立ち上がる。 しかし声には、わずかに呆れが混じっているようだった。
「もう、いつまでも人を子供だと思って。私の事なんかよりロウの方を心配すればいいのに……」
 そして小さく呟きながら、玄関の戸を開いていく。 薄暗い家の中から外に出ると、眩しいほどの陽光が出迎えてきた。
「ふぅ……。それにしても今日もいい天気ね」
 一気に目の前が白く霞む中、眩しさに目を細めながら顔を上に向ける。
 目を傷めないように手で遮りながら空を見上げていると、そこからは突き刺すような熱さを併せ持った鋭い太陽光が降り注いでいた。
「お姉ちゃん、どこかに行くの?」
 そんな時、ロウは素振りを中断して近寄ってくる。 少し息を切らせながらも、顔は充実感に満ちていた。
「えぇ、山菜を取りにね」
 ツクハがその姿を見下ろす目付きは慈しみに満ち、その表情や言葉もかなり穏やかに感じられる。
「そうなんだ、いってらっしゃい。山菜、一杯取ってきてね!」
「うん、ロウも頑張って。でも本当に、怪我にだけは気を付けてね。休憩や水分補給もしっかりして、無茶だけはしないでね?」
「大丈夫。すぐに強くなって、お姉ちゃんを守ってあげるからね!」
 一方でロウは心配するツクハとは対照的に木刀を力強く握り締めると、意気揚々と庭の方へ戻っていく。
 ツクハはそれからもしばらくロウの事を心配そうに見つめ、ずっと立ち尽くしていた。
 それでもロウが笑顔を浮かべながらこちらに手を振ってくるのを見ると、思わず幸せそうに微笑んでいく。
「それじゃあ、行ってきます」
 そして名残惜しそうな顔をしつつも動き出すと、敷地から出て山へと向かおうとする。 陽光の下をゆっくりと進んでいく後ろ姿は、どことなく輝いているかのようだった。
 やがてツクハの姿が見えなくなり、ロウも素振りを続けてその場からは話し声がなくなる。
「そういえば……。あの子達をわしが育てるようになってから、もうずいぶん経つな。いつの間にか、あの時からもうあんなに時間が経ったのか……」
 ジュカクはそんな中でぼうっとしながら、ふと独り言を呟いていた。
 上向いた視線の先には相変わらず眩しい光を放つ太陽があり、その側では白く大きな雲がゆっくりと動いている。
「振り返ってみれば本当にあっという間だった。わしはこれからもちゃんと、この子達を育てられるのだろうか。親代わりになってやれるのだろうか……」
 それからさらにジュカクは小声で呟くと、目をわずかに細めていった。 それは不安だったからなのか、眩しかったからなのかは分からない。
 ただ問いに答える者はなく、空にはいくつもの雲と穏やかな時が流れているだけだった。
「ねぇ。素振り、終わったよ」
 そんな時、不意に誰かの声が届いてくる。 気付いて顔を下げると、そこにはロウがいた。
「ん、おぉ……。そうか、頑張ったな」
 ジュカクはそれを見ると顔を綻ばせ、思わず頭を撫でようと手を伸ばす。
「もう、それはやめてって言ったよね」
 だがロウはうっとうしそうに顔をしかめると、近づいてきた手を払い除けてしまう。
 対するジュカクは手とロウを交互に見返し、不思議そうな顔をしている。
「僕はもう、子供じゃないんだから」
 次にそう言うロウは不満そうに頬を膨らませたまま、そっぽを向いてしまう。
 しかしその姿は発言とは真逆に、まさに子供そのものの行動に他ならなかった。
「ははっ、何を言っておる。お前はまだまだ、子供だろうが。はっはっはっは……!」
 そのためにジュカクは盛大に噴き出すと、豪快に笑い出していく。 大きな笑い声は近所中に響くかのようで、いつまでも続いていった。
 一方のロウはそんな大笑いが我慢ならなかったのか、両頬を膨らませて怒りを募らせている。
「むー! 笑わないでよ!」
 ロウは木刀を振り回し抗議するが、なおもジュカクは面白そうに笑い続けていく。 そこには心配するまでもなく、暖かい家族の日常の一幕があった。


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