第3話 土


「くっ……」
 だがジュカクはそれらを気にせず、やがてロウの元まで辿り着くとその頭へゆっくりと手を乗せていく。
「し、師匠……?」
「ふっ、馬鹿者め。最後にこれぐらいは、させろ……」
 対するロウが怪訝そうにしているにも関わらず、ジュカクはそれからも何度も頭を撫でていった。 その姿は今にも消え失せてしまいそうなまでに儚く、生命力の欠片も感じられない。
「え……。どうしたんだよ、師匠。土龍は俺が倒したよ……? だから、もう大丈夫だろ。なぁ……!」
 するとロウは大事なものを喪失する恐怖に怯えるかのように、見る見るうちに表情を曇らせていった。
「は、ははっ……。やはり……。わしにとっては、お前はまだまだ子供だよ。ロウ……」
 一方でジュカクはそれを見ると、なおも一抹の寂しさを窺わせる表情で力なく笑っていく。
「ぐっ、う……」
 しかし不意に苦しそうに顔を歪めると、いきなりその場に膝をついてしまう。
「師匠!」
 それを見たロウはひどく狼狽しながらも、ジュカクの体を支えようと動き出していった。
「ロウ。龍達は今も探している。かつて失った、自らの肉体の代わりとなる器を……。だから、急げ。手遅れになる前に、ツクハを探すんだ……」
 だがジュカクはそれを手で制すると、絞り出すように声を発していく。 体からはもう血も流れてこず、完全に乾き切った土のようになっていた。
「何も手伝えず、口を出すだけですまないが……。後は、頼んだぞ……」
 そしてジュカクは最後にそう呟いた後、目を静かに閉じて何も言わなくなる。 その体は彫像のように固まり、二度と動き出す事はなかった。
 誰の身にもいつかは訪れ、決して逃れようのない死というものがそこにはある。
 ただしそれは土龍という原因があったからこそで、その点が普通とは明らかに異なっていた。
「師匠……。俺がもっと強ければ……。こんな、事には……」
 ロウはそれからも、ジュカクの体を支えるようにしっかりと掴んでいく。 そして自身は、悲しみに打ちひしがれるように、強く体を震わせていた。
「ごめん……。ごめん、なさい……」
 その姿はジュカクの死をまるで認めず、全て拒絶するかのようである。
 すでにジュカクの体からは紋様が完全になくなり、それに合わせるように遠くの土壁も音を立てて崩れていく。
 ロウがいくら目を背けようと、現実は過酷さを伴いながら一気に迫りつつあった。

「危ない、下がれ!」
 その頃、土壁の中の異変はすぐ外からでも感じ取れたらしい。 トウセイは危険を察知するとすぐに叫び、ぼうっと立っていたセンカの腕を引っ張っていく。
 そして二人は少し離れた木の側へと身を隠すと、そこから前方の様子を窺った。
 直後には急に支えを失ったかのように、土壁の全体が脆くも崩れ去っていく。
 地鳴りの音が響き渡る様は、まるで何かの生き物の断末魔のようだった。

「あ……。う、ああああぁぁぁぁっ!」
 そして土が崩れていく中、そこでは渾身の力で声を上げるロウの姿がある。 怒りや悲しみなど複雑な感情が混ざり合い、嘆きの声は一向に止む事はない。
 しかし、声はやがて周りの轟音にかき消されて全て聞こえなくなっていった。

「ロウさーん! どちらにおられるんですかー!」
 やがて土壁の崩壊から少し経つと、立ち込める砂煙も大分収まってくる。
 その頃を見計らい、センカとトウセイは土壁があった場所へと足を踏み入れていた。
 辺りはかつてとは変わり果てた様相を呈しており、所々に崩れた土の柱などの残骸がある。 未だに空中を舞う粉塵のせいで呼吸も苦しく、無残といってい有様だった。
 さらに視界もあまりよくない中、二人は連れ立ってロウの事を探し回る。
 そして土壁の中心付近で、ようやくロウの姿を見つける事が出来た。

「ロウさん!」
 センカは姿を見つけた途端、嬉しそうに声を上げて近寄っていく。
「……?」
 だがトウセイはその時、逆に歩みを止めて困惑した表情を浮かべている。
「……」
 二人の視線の先にいるロウはその時、黙々と何かの作業をしていた。
 土を掘って出来た穴には人の形をしたものが収められ、それにまた土をかけて埋めていく。 その行為はまるで、誰かの墓を作っているかのようだった。
「あの、ロウさん。どうされたんですか……?」
 センカもようやくいつもと違う様子に気付いたのか、心配そうに声をかけていく。
 しかしロウはそれに一切答えず、ひたすら作業を続けている。 どうやら無我夢中のあまり、声すら耳に入っていないようだった。
「あ、あの……。だ、大丈夫ですか……?」
「あぁ、うん。何とかな……」
 顔を覗き込んでくるセンカの事に、ロウは今になって初めて気付いたらしい。 だがちらりと見返しただけで、その後にはまた元の作業に戻っていった。
「ロウさん……」
「あのさ……。少し、一人にしてくれないか?」
 それを見たセンカがまたも不安げに声を発するが、ロウは土に手を伸ばしていくばかりである。 体中を泥だらけにしつつも、ひたすら目の前の作業に没頭しているようだった。
「あ、はい……」
 センカはそれを見ると何も言う事が出来ず、とぼとぼとその場を後にしていく。 それでも最後に名残惜しそうに、一度だけ振り返る。
 しかし墓を完成させるのが余程大事なのか、ロウがその視線に再び気付く事はなかった。

 手持無沙汰になった二人は、それから少し離れた場所でロウが作業を終えるのを待つ。
 トウセイは腕を組んで折れた土の柱に背を預けながら、今も作業に没頭するロウの姿をじっと眺めていた。
 隣にいるセンカは悲しげな表情で俯き、両手で服をしっかりと掴んでいる。
 そこには一切の会話がなく、静かな空間にはロウの作業をする音だけが響いていた。
「さっきの墓はまさか……」
「はい、きっとジュカクさんのものだと思います」
「ふむ……。やはり、そうか……」
「ロウさん、辛そうでした。当たり前なんでしょうけど、いつものロウさんとは全然違って……。本当に悲しそうで……」
 トウセイと話すセンカはそう言いつつ、目には自分の事のように涙を浮かべている。
 ただしその純粋な思いは誰にも届かず、拭い切れない悲しみだけがそれからも募っていく。
「かなり仲が良さそうに見えたからな。仕方がないだろう」
 トウセイはそれに頷くと目を閉じ、それから静かに口をつぐんでいった。
 そしてジュカクの死を悟り、ロウの悲しみを慮る二人の間にはまた沈黙が流れていく。 それは食事の時に二人の間にあった静かな時間よりも、遥かに気が重いものだった。
「悪い……。随分と待たせてしまったな」
 やがてそれから幾ばくの時が流れた後、不意に静寂を突き破ってロウがやって来る。
 ただし身に纏う雰囲気は針のように鋭いか、あるいは強く張りつめられた糸のようにきついものだった。 それは普段とはあまりに違ってどこか危うく、脆い印象も感じられる。
 センカやトウセイはその姿を見るとどう声をかけたらいいものか戸惑い、固まるしかなくなっていた。
「二人共、もうとっくに準備は出来てるよな? それじゃあ、すぐにでも出発しようか」
 だがロウの方は、二人が唖然としているのを気にも留めていない。
 次の瞬間には何事もなかったかのように言い、どこかへ向けて歩こうとしていった。
 体の所々には小さな擦り傷や出血などもあるが、手当をする様子すらない。 というよりも、それらに気付いているかどうかも怪しかった。
 そして先程までロウが作業していた場所には、土を盛って作られた墓がある。
 それは簡素なものだったが丁寧な出来で、思いを込められているのが一目で分かった。
 さらにそこには墓標の代わりなのか、ジュカクの使っていた斧が突き刺さっている。
「え? ロウさん。あの、待ってください。そんなに急がれなくても、ここで少し休まれた方がいいですよ。それに一体、ここで何があったんですか……!?」
 センカはその後ろ姿や墓を交互に見て、戸惑いつつも何とか声を絞り出す。 様子や態度がいつもと違いすぎるロウに対し、ひたすら困惑を募らせているようだった。
「……」
 ロウはその言葉を背で聞くと、ふと歩みを止める。
 ただしそれでも、決して後ろに振り返ろうとはしない。 前に進む気持ちを途切れさせないためか、そこには頑ななまでの意思が感じられた。
「土龍。奴とここで会い、そして戦ったのか?」
 その時、突然その場に光龍の抑揚のない声が響く。
「あぁ」
 静寂な場にやけによく通る声を背に受け、ロウは体の震えを押さえながら頷いていった。
「奴を倒したのか」
「あぁ……。そういえば光龍なんだよな。あの時、俺の霊剣に力を貸してくれたのは……」
 さらにロウは思い出したように言うが、やはり表立った感情はほとんど見られなくなっている。
「そうだが……。それがどうかしたのか」
「やっぱりそうか。ありがとう、助かった。あの力がなかったら、俺はきっとやられていたよ」
 光龍がなおも問いかけるが、ロウの方は相変わらず淡々としていた。 異様な程にまで落ち着き払った姿や雰囲気からは、薄ら寒さすら感じられる。
「いや、それはいいが……。少し前までお前と共にいたあの人間は、今……。一体、どこでどうしている?」
「師匠か。師匠はもういないよ。今はあの土の下にいる」
 その事に気付いた光龍が表情を険しくしていると、対照的にロウはかなりあっさりと答えていく。
 すぐ側で様子を窺っていたセンカやトウセイなどはそれを聞くと、改めてかなりの衝撃を受ける事となっていった。


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