「む……。あれ、は……?」
ただしその時、涙で潤う目には不意にロウの姿が映る。
そのすぐ側にはつい直前まではいなかったが、見た事のない女の姿があった。
その外見は光に包まれているかの如く輝いており、顔つきすら定かではない。
それでもロウの側に寄り添うように立つ様からは、敵意のようなものはまるで感じられなかった。
「……?」
一方でロウは女の存在を知覚出来ていないのか、怪訝そうな顔を傾げている。
やがて光龍が次に瞬きをすると、次に見た時には女の姿は最初からいなかったかのように消え失せていた。
「そうか、その者もきっと誰かのために……。そしてお前もその者のために……。これは、実に美しい輝きだな……」
だが光龍は今もロウの事をじっと見つめており、心のままに柔らかな感情を露わにしている。
それは固く強張ったこれまでの面持ちと明らかに異なり、本当の人になったかのようでもあった。
「光龍……」
ロウもそれを感じ取ったのか、何かを伝えようと口を開きながら手を伸ばそうとする。
「何を手こずっている! 巫女以外など殺してしまっていい。いや、龍さえ手に入れば巫女もいくら傷ものになろうと構わん。とにかく、さっさと邪魔な連中を片付けろ!」
そんな時、向こうからは苛つきに任せて手を振り上げるフスイの声が聞こえてきた。
どうやらロウと光龍が話している間に、幾らかの時間が経過していたらしい。
すでに疲弊して戦う気力も失いつつある若者達に対し、包囲をした男達がじわじわと迫っていく所だった。
しかしその直後、何の前触れもなく鋭い閃光がその場を駆け抜けていく。
それは瞬きよりも短い刹那の間の出来事で、あらゆるものより速かった。
「ひっ……」
光の軌跡はフスイの本当にすぐ横を通り抜け、凄まじい鋭さに反応が追いついたのはその後である。
急に力が抜けると体はふらつき、腰が砕けるように水面へと尻餅をついていく。
「な、何だ……。馬鹿な、伏兵でもいたのか……?」
それからフスイは状況が分からぬまま、ひたすら怯えた様子で辺りを見回していた。
「うっ……! な、何が起きているって言うんだ……」
するとその直後、装着していた仮面には勢いよくひびが入る。
どうやらさっきの閃光が掠っていたのか、ぱらぱらと音を立てると破片は次々に水中へ沈んでいった。
そして自身はあと少しでも体がずれていれば閃光の餌食になっていた事に気付くと、恐怖を覚えながら静かに体を震わせている。
「……」
一方で閃光の出所へ目を向けると、そこにいたのは光龍だった。
表情に大きな変化はないが、少しだけむっとしているようにも見える。
その姿勢はフスイを指差すような状態となっており、指の先には不思議な煌めきを放つ光の粒子が残っていた。
「邪魔な連中を片付ける、か。確かにそれには賛成だ。ただしこの場から真に片付けられるべきなのは、お前達の方だがな……」
さらに神秘的な雰囲気と共に言い知れぬ迫力を纏わせると、光龍の全身を眩い光が包み込んでいく。
すると次の瞬間には光龍の姿が掻き消え、それと入れ替わるように上方には大きく翼を広げた龍が姿を現す。
「全く……。ひどく薄汚れた、醜い魂を持つ者共がこんなにもぞろぞろと……。よくも私の視界に入り、その気分をどうしようもなく害してくれたな」
それはセンカと同化する前の光龍とほぼ同じ姿をしており、空中に留まりながらゆっくりと地上を見渡していった。
煌めく光を纏った神々しい姿は、まさに地上に降臨した神そのものと言って差し支えない。
「あ、あ……」
「な……」
一方でそれを見上げるフスイはもちろん、村長や若者達も目を丸くして呆然としている。
これまで怯む素振りを見せなかった男達ですら、今や畏怖の感情に囚われているらしい。
もはやその場にいる誰もが体を竦ませながら、光龍の放つ輝きに魅入られるように瞬きすら出来ないでいた。
「総じて消し炭にされたくなければ、今すぐここから失せるがいい!」
やがて光龍は牙を見せつけるように大きく口を開くと、これまでになく盛大な声を発していく。
それは空気を震わせながら瞬時に広がり、ありとあらゆるものの深部にまで伝わっていった。
「う……。うわぁぁぁぁぁー!」
最も強く影響を受けたのは男達であり、恐怖に駆られると一斉に武器を捨てて逃げ出してしまう。
フスイも慌てるあまり何度も転びそうになっていたが、どんなに滑稽でもとにかくこの場から去る事だけに執心していった。
そして後は突然の事に戸惑うしかない若者達を残すと、敵対していた者達は呆気ない程に皆無となってしまう。
「ふん……」
それでも光龍はまだ機嫌が優れないかのように顔をしかめていたが、すぐに全身が眩い光で覆われていく。
続けてそれが弾けるようになくなっていくと、眼下では清廉な輝きを放つ光の固まりが現れる。
人の形をしたその光から徐々に輝きが薄れていくと、直前にいなくなったセンカの姿が浮かび上がってきた。
「な、なぁ……。さっきのは……」
「あれは光による幻。何の事は無い、他愛もない児戯のようなものだ。滅してしまっても構わなかったが……。あんな者共の命でも、奪ってしまえば痛む心があるからな」
そこへ近づくロウに答えたのはまだ光龍であり、表情も変えずに淡々としている。
ただしその手は胸の辺りに添えられ、そう言う目付きはどこかこれまでと異なる印象があった。
本来なら龍が見えない相手にわざわざ幻を作り、閃光を命中させなかったのも警告の意味合いが強かったからなのかもしれない。
そしてそんな面倒にも思える手順を踏んだのは、どうやら自分のためなどではないようだった。
「えっと、それでさっきのは……。結局、俺達を助けてくれたって事でいいんだよな?」
「うむ。どうしてだかあの時は、考えるより先に体が動いた。お前達を害さんとする奴等が許せなかった。そうだな……。私は、お前達を守りたいと思ったのかもしれない」
「そうか。じゃあ、お礼を言わせてくれ。ありがとう、光龍」
次にロウが遠慮がちに尋ねると、光龍はわずかに顔を逸らしながら呟いていく。
自己分析するかのような態度は落ち着いているが、顔は少し赤らんでどことなく照れくさそうでもあった。
「う、うむ……。別に構わん。さて、そろそろ頃合いのようだな……」
その後に光龍が服を払いながら佇まいを直すと、周囲に満ちていた光の粒子が少しずつ消えていく。
辺りに響くのは木の葉を揺らす風の音だけとなり、目を瞑った光龍は穏やかな眠りについたかのようでもあった。
「あっ……! あれ? 私は、一体……。どういう事なの? 確か龍神様と同化をして、それから……」
だがそれからほとんど間を置く事なく、閉じられていた目は急に見開かれる。
その顔つきや雰囲気は別人のように変わっているというより、どうやら元の人格に戻ったらしかった。
以降も明らかな困惑を浮かべたまま、自分の体が本物か確かめるように何度も各所へ手を伸ばしている。
その様は非常に忙しないが、ついそれまでにはなかった人らしさもふんだんに表されていた。
「ん……!? センカ! もしかして、元に戻ったのか……!?」
「あ、はい。そうみたいです。でも、えっと……。どうして私は泣いているんでしょう……? 全然、悲しくなんてないのに……」
それを見たロウが慌てて近寄る一方で、センカはまだ目を瞬かせながらどこかぼんやりとしている。
それでも不意に自身の顔に残る違和感に気付いたのか、目元の辺りをしきりに指で拭っていた。
「ふぅ、どうやら本当に大丈夫みたいだな。あれ……。それじゃあ、光龍はどこに行ったんだ……?」
ロウはその頃ようやく安堵の溜息をついていたが、ふと思い出したように周囲へ視線を向ける。
しかしいくら探しても目当ての相手は見つからず、その場にはもう人間だけしか残されていなかった。
後に深く反省した村長は何度も謝罪を繰り返し、センカもそれを受け入れて許していく。
そして村長は最後に改めて深く頭を下げると、若者達を伴って村への帰途へついていった。
「皆、いなくなっちゃったな……。なぁ、センカ。あれで本当に良かったのか?」
「はい、私はもう特に気にしていませんから。皆さんに守って頂いたおかげでこの通り、体も無事なままですし。あ……。でも、ごめんなさい」
残った二人は去りゆく村の者達を見つめつつ、様々な音の混在する森の中で話をしている。
「ん?」
「だってロウさんに何も相談せず、私一人で話を進めてしまいましたよね。何かいけない事など、なかったでしょうか……?」
「いや、大丈夫だよ。センカがそれでいいなら、俺も気にする事はないさ。結局、俺は何も出来ないままだったし」
センカは少し恐縮したように身を縮めていたが、対するロウは怒るよりむしろ気安く笑いかけていった。
「いえ、そんな事はありません。ロウさんは素晴らしい活躍をされたと思いますよ」
「ん……? そんな覚えはないんだけどなぁ」
「ふふっ……。ロウさんはお気付きではないかもしれませんが、私はちゃんと分かっていますから。もちろん龍神様だってそうですよ」
センカも応じるように穏やかに微笑むと、間近にいるロウの事をじっと見上げていく。
「うーん、何だかよく分からないけど……。あぁ、そうだ。それより、センカはこれからどうするつもりなんだ? 一緒にいた人達はもう一人も残っていないけど……」
するとロウは気恥ずかしくなったのか、顔を掻きながら視線を逸らすように横を向いていった。
「それが……。実は私はこれまで、自分がどうなりたいのかなんて考えた事もなかったんです。幼い頃からずっと、周りから言われた事をこなすばかりでしたから」
一方でセンカはその間に表情を曇らせると、ふらつくような足取りで歩き出す。
「でも龍神教の巫女でいれば、いつかはそんなあやふやな気持ちにも答えが見つかると思っていたのですが……。さすがに今日のような事があると……」
やがて近くにあった木陰に辿り着くと、背中を幹の部分に預けながら呟いていく。
俯いた顔はなかなか上がる事はなく、視線もずっと地面に向けられたままとなっていた。
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