第1話 龍


「あれがフスイさんの独断なのか、それともそうでないのか。それは分かりませんが、とにかくこれまでのように巫女を続けられる自信はありません」
 どうやらセンカは今まで信じていたものを真っ向から否定された心持ちなのか、いつになく落ち込んでいるらしい。
「まぁ、無理もないさ……。あんな仕打ちを受けたんだ。色んな価値観がひっくり返ってもしょうがない」
「そうですね。あの……。これまでずっと頼ってきた指針を見失った私は、これからどうすればいいんでしょうか……?」
 ロウがそちらへ歩み寄っていくと、センカは疑問とも不安とも取れる言葉を口にしていった。
「うーん……。探せば、いいんじゃないかな」
「え……?」
 次にロウがあっさりとした答えを返すと、センカは思わず呆けたような顔を上げていく。
「いや、センカの事だから俺があまり口出しする事でもないのかもしれないけどさ。そもそも絶対に見つからないものを探している訳じゃないし……」
 ロウは続けて頭を軽く掻きつつそう言うと、そのまま振り返るように踵を返していった。
「何を探すか分からなくても、そこまで悩む必要はないんじゃないかな。前に言ったけど、焦らず見つけていけばいと思う。少しずつでも、センカの早さでさ」
 木陰から柔らかな日差しの下へ進み出たその身は、薄暗い場所からは少しばかり眩しく映る。
「はい、ありがとうございます……。あの、ロウさん……。実は折り入ってご相談があるのですが……。私は、ロウさんについていってもいいでしょうか……?」
 センカはその横顔をじっと見つめ、やや顔を赤らめながら軽く頭を下げていった。 それから思い切ったように表情を引き締めると、遠慮がちではあるがしっかりと口を開いていく。
「え?」
「私はこれまで旅をした経験がなく、何をどうすればいいのかまるで分からないんです。それ以前に一人きりだと寂しさで心が参ってしまいそうですし……」
 思いもよらぬ展開にロウが驚きの表情を浮かべる一方で、自身の髪を撫でながら話すセンカの顔は真面目そのものだった。
「もしロウさんさえよろしければ、私も一緒に連れて行ってもらいたいんです。もちろんご迷惑はおかけしません。絶対とは言えませんが、なるべく努力はします」
 次に木の幹から体を離すと、縋るような目付きをしながらロウの元へ向かっていく。
「簡単な料理の心得ならありますし、お金だって幾らか持ち合わせがあります。他に必要なら、どんな事だって覚えます。それに、えっと……。えっと……」
 歩きながら放つ声には精一杯の祈りが込められ、それは言葉が続かなくなっても変わりはしない。 体の前で組んだ手や見上げる視線からも、確かな懸命さが伝わってきた。
「そうか。それじゃあ、頼むよ」
 対照的にロウはほとんど考え込む事もなく、即決といっていい程に簡単に頷いていく。
「え……!? いいんですか! ほ、本当に……!?」
「俺は姉さんを探しているし、センカも大切な探し物がある。だったら、一緒に探しに行くのもいいんじゃないかなと思ったんだ」
 あまりにあっさりと済んだ交渉にセンカが目を丸くしていると、ロウは和やかな顔つきで話し出す。
「センカが見ず知らずの俺をここまで連れてきてくれたように、お互いに助け合っていけば案外どっちの探すものも早く見つかるかもしれない」
「はい、私もそう思います……! ロウさんがお姉さんを見つけられるように私、たくさん頑張ります。だから、これからよろしくお願いします……!」
 ロウからすれば当然の事をしたまでといった心持ちなのかもしれないが、センカは手をしきりに振るって興奮冷めやらぬ様子だった。 表情も一気に明るさを増すと、改めて深々と頭を下げていく。
「あぁ。こちらこそ、これから色々とよろしく。って、え……?」
 その礼儀正しさを微笑ましそうに眺めていたロウだったが、直後には驚いたような顔で動きを止めてしまう。
「ロウさん? どうかされました?」
 まるで視線の先に信じられないようなものでも見たかのような変化に気付くと、センカは不思議そうに顔を傾げていく。
「おい、お前達。いつになったら気付くのかと待っていれば……。私の事を忘れているのではないか?」
 するとその直後、何者かの声がセンカの背後の辺りから聞こえてきた。
「え……!?」
 驚くセンカがすぐに振り返ると、そこには光龍が姿を現している。
 ただし体はかなり小さくなり、人とほとんど変わらないくらいまでになっていた。 全身から発せられていた光もかなり抑えられ、その存在はやや希薄な印象すらある。
「あの、龍神様。この度の事は、本当に……。その……。」
 それでもセンカはまだ相手を畏れているかのように、様子を窺いながら慎重に声をかけていく。 その態度は光龍を初めて前にした時と同じで、どこか不安げでびくついたものに戻っている。
「確かセンカ、だったか。いちいちそのように気負う必要などないぞ。私とお前はもう、一つの存在になったのだからな。窮屈な呼び方や話し方も必要ない」
 一方で光龍の口調は実に穏やかなものとなり、態度や雰囲気も柔らかくなっているかのようだった。 その姿は外見的な意味も含めて、出会った当初とはまるで別物に見える。
「は、はい。龍神様! あ……。じゃなくて、うん! よろしくね、光龍!」
 センカもそれを感じ取ったからか、嬉しそうに顔を綻ばせると改めて微笑みかけていった。
 対する光龍は小さく頷き、センカの事をまじまじと眺めながら目を細めていく。 その眼差しはかつて人々に向けていたのと同じで、日の光のような暖かさが満ち溢れていた。
「なぁ、光龍……。あのさ、実は俺は行方不明の姉さんを探しているんだけど……。龍の力とかを使って、何とか探す事は出来ないかな?」
 それからわずかに間を置いた後、ロウは光龍の方に近づきながら声をかけていく。 いつになく緊張したような顔は、それだけ真剣だからなのかもしれなかった。
「人探し、か……。うむ。出来るならそうしたいが、私にはそのような力はないのだ」
「そうか……」
 だが光龍は静かに首を横に振るだけで、それを聞いたロウは肩を落としてがっかりとする。
 その表情はそこまで暗くはないが、落ち込んでいるのは確かなようだった。
「ふむ……。私の力を見込んでいたが、当てが外れてしまったようだな。何か他に願いなどはないのか?」
 光龍もそれを見ると、あまり感情は窺えないが気遣うような声をかけていく。
「いや、もういいんだ。確かに残念だけど、光龍はちゃんと答えてくれた。俺の事を考えてくれたんだ。それだけで充分だよ。な、センカ?」
 対するロウはすぐに気を取り直し、満足気な表情をすると今度はセンカの方へ目を向けていった。
「……はい、そうですね!」
 するとセンカも森での会話を思い出したのか、ロウ以上に嬉しそうに頷いていく。
「?」
 ただしそれを眺める光龍だけは、何の事なのか理解出来ていないらしい。
 ロウとセンカだけが楽しげに笑い合う中、不思議そうな顔をした光龍はその場で佇むだけとなっていた。

「よし。それじゃあ、そろそろ出発しようか。日が落ちる前には森を抜けておきたいんだ」
 やがてひとしきり談笑を終えた後、ロウは軽く背伸びをするとそう呟いていく。
 顔を向けた先には森の出口へ向かう大きな道があり、そこを進んでいけばこことは違う新たな地へ向かえそうだった。
 しかし確かな安全が保障されている訳ではなく、どのような危険や災いが待ち受けているかもしれない。
「はい。道はお任せしますね、ロウさん」
 それでもセンカは意気揚々と答えると、ロウの隣に並び立って共に歩みを進めていく。
 すぐ背後には何も言わずとも光龍が続き、それからも距離を開けずにぴったりとついていった。
 今も頭上で輝く太陽から発せられる暖かな光は、大地にあるものをくまなく照らし出している。
 ロウ達はそれをしっかりと受け止めつつ、ゆっくりとだが着実な一歩を踏み出していく。
 これまで人と龍はどちらもあまりに違い過ぎるからこそ、理解や誤解を幾度となく繰り返してきた。
 その中で互いの心を通わせる事もあれば、それとは真逆に争いや対立が引き起こされる事も珍しくない。
 だからこそ両者は同じ世界に生きているというのに、その気持ちはどうしようもなく離れてしまっていた。
 だがそんな関係だった者達の心も今はきちんと繋がり、同じ方へ向かって足を揃えている。
 その表情は一様に穏やかで満たされており、それぞれが何物にも代えがたい大事なものを手に入れたかのようだった。


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