花畑 4



「なるべく、真ん中が良いな」
 そんな時、女はふと呟きを発していた。 口から発せられたのは、相手を責める類のものではない。
 優しい目つきのまま、ただじっと自分の願いを伝えてきていた。
「……?」
 だがラグラッドは言葉の意味が分からず、思わず訝しむ。
「四方を花に囲まれた、この花畑の一番真ん中。そんな場所がいい。いつでも花が見られる、そこに埋めてくれたら嬉しいな……」
 その間にも女はじっと周りを見渡し、静かに話し続ける。 目には幾つもの花々が映り、今この瞬間も美しく咲き誇っていた。
 そしてやがて達観したように目を閉じ、脳裏で何かを夢見ているのか本当に幸せに微笑んでいった。
「く……。お前は……」
 ラグラッドはその姿と言葉を受け、初めて決意を固める事ができたらしい。 そのまま手に力を込めると、震えながらも狙いをつけようとする。
「ぐぅぅっ……! うあぁぁぁぁっ……!」
 そして撃とうと試みるが、いつまで経っても決定的な行動に移れない。 むしろ苦しむように絶叫じみた声を上げ、狙いはどんどんぶれていく。
 それにも関わらず、女はただ相手を信じ切ったように微動だにしない。
「俺は……。お前を……!」
 その直後、遂にラグラッドの指は動き出した。
 花畑には大きな銃声が響き渡り、同時に辺りには煙と火薬の臭いが立ち込めていく。
「……?」
 しかし女は痛みすら感じず、不思議そうに目を開いていった。 そして驚いたように自分の体を擦っていくが、どこにも傷はない。
 どうやらラグラッドの銃に込められていたのは、薬莢先端部に弾丸のない空砲のようだった。
「……」
 結局は撃たれていない事を理解した女は、唖然としたまま正面へ視線を向ける。
「これには初めから実弾は詰めてない。いや、今回だけは詰められなかった……」
 そこには疲れたような表情をするラグラッドがおり、そう言いながら手に持つ銃を見せていった。
 銃口は熱を持ち、今もわずかに煙を吐き出しているがそれだけである。 手の中にあるのは人を殺すための道具でなく、そもそも実行する気すらないようだった。
「じゃあ、あなたは……。どうして……?」
 ただ女にとってはまるで理解できないようで、困惑したまま詰め寄ろうとする。
 次の瞬間、二人しかいなかった花畑に何者かがやって来る足音が聞こえてきた。
 足音は二人分あり、すぐ後にその場へ走ってきたのは警察官のようだった。 特徴的な制服に身を包んだ男達は、花畑の中を勢いよく進んでくる。
「大丈夫ですか? 銃声が聞こえたのですが……」
 そして警察官の一人はやって来るなりそう言い、ラグラッドの方を眺めていく。
 どうやら両者は初対面ではなく、何らかの目的のためにここを訪れていたらしい
「あぁ。それじゃあ、後は頼む」
 ラグラッドもその時にはいつもの冷静さを取り戻し、淡々と言うと背を向ける。 その姿はもう用は無いと言わんばかりで、振り返る事もしなかった。
「あ、はい。協力に感謝します。えぇと確かお名前は……」
 一方で警察官は、まだ少し残る不穏な雰囲気に戸惑っているらしい。 帽子に手をやりつつ、何かを思い出そうと顔をしかめていた。
「ディール、だ」
 対するラグラッドは不愛想なまま、顔だけ振り返って自身の名を明かす。 だが口にしたのはかつて使っていた偽名であり、そうしたのは警察官に名前を知られないためだろう。
 そしてどうやら、警察官をここに呼んだのはラグラッドの仕業であるらしい。 言葉を発した瞬間の横顔は、どこか浮かない様子だった。
「そうですか、すみません。ディールさん」
 警察官は敬礼をした後、もう一人を伴って未だに呆然としている女の方へと向かっていく。
「いや、いいさ」
 ラグラッドは相変わらず背を向けたまま、横に咲く花の方に目を向けていた。
 視線の先にある花は昔からまるで変わらず、風に揺れながらただ静かに存在していた。
「では、彼女を連行していきます。また事情を伺う事もあるかと思いますが……。ひとまず我々はこれで失礼しますね」
 それから警察官は二人で挟むようにして女の腕を抱え、拘束したまま話しかけてくる。
 どちらも犯人を相手にしているために用心深そうで、女を引きずるようにして花畑から出ていこうとした。
「どういう事なの……。ねぇ……! あなたは……」
 しかしその時、女はいきなり警察官の腕を振り解く。 何かひどく焦った様子であり、力は思いのほか強かった。
 警察官も直前まで相手が呆然としているだけだったため、少し油断があったのかもしれない。 対応しようと腕を伸ばしても、すでに女は届く範囲にはいなかった。
「私をこのていどにしか思っていなかったの。わたしは、わたしの命なんかもうどうでもよかったのに。どうして、あなたの手にかけてくれなかったの……!」
 女は取り乱した様子で、ラグラッドの方へ詰め寄っていく。 盛大に赤い花を散らしつつ、手は今にも届きそうになっていた。
 だが次の瞬間、女の手は届かずに引き戻される。
 すぐに背後に目をやると、そこには追いついていた警察官の腕があった。
 そして女は先程よりも力を込めて拘束され、少し乱暴にでも連行されていく。
「……」
 ラグラッドは背後の騒動にも我関せずといった様子で、無言を貫き通していた。 それでもこの時だけは、連れ去られていく女の方へわずかに目を向ける。
 しかしそれも一瞬だけで、すぐに視線は逸らされていった。
「ねぇ……! お願い、答えて……!」
 ただ女はまだラグラッドに執着しているのか、両腕を警察官に強く掴まれながらも諦めようとしない。 叫び声を上げつつ、何とか少しでも近寄ろうとしている。
 だがそれは警察官達によって阻まれ、両者の距離は一向に埋まらなかった。
「俺はあの時とは違う。薄汚れた、醜い存在になった。でもお前には同じようになってほしくない。生きていてほしい。そう、思ってしまったんだ」
 そんな時、ラグラッドは背を向けたまま静かに呟く。
「ぇ……!?」
 女はそれを聞いた途端に暴れるのを止め、目を丸くしたまま呆然と立ち尽くす。
 警察官もその反応に少し驚きつつも、隙を突いて無理矢理に腕を引っ張っていく。
「……!」
 そして最後に女が何か名前を叫ぶ声が聞こえたが、ラグラッドはわざと聞かないようにする。 結局は姿も声も自分の側から一切が消えてなくなるまで、何かに耐えるように背を向け続けていた。

「……こんなもの、所詮は俺のエゴだ。例え殺されたのがどんな奴でも、その命は返ってこない。あいつが犯した罪は永遠に消えない」
 やがて自分以外は誰もいなくなったほぼ無人の花畑で、ラグラッドは静かに佇んでいる。 声は重苦しく、顔は俯きながら自己嫌悪するかのように悔しさを滲ませていく。
「俺が何かする義務もないし、何もできないのかもしれない。でも……。やっぱり、放っておけないな」
 しかし次にそう言った時には、徐々に顔を上げていった。 視線の先には、花畑のあちこちに満ちている赤い花々がある。
「また、いつか。今度は俺の方が約束を守る。お前がいなければここは完成しない。例え花が咲き誇っていても意味はないんだ……」
 ずっと思い続けていた光景を見つめつつ、ふと拳銃を握る手に力を込めていく。
 女もきっとこの赤い花々を見つめながら、ラグラッドに思いを馳せていたはずである。 それを考えるとやるせないが、見た目には特別な感情は見られない。
 むしろ冷徹さを増したまま、内ポケットから取り出した弾丸を拳銃に一つずつ込めていった。
「いつか罪を償い終えるまで、長い時がかかるかもしれんが……」
 そしてまるで憎いものを見るような目付きで銃を構え、風に揺れながら花びらを自然に散らす赤い花に狙いをつける。
 直後に躊躇なく拳銃を撃つと、中でも一際大きく咲いていた花を撃ち落とした。
 今度は空砲などではなく、しっかりと実弾が込められている。
 そして一発でも撃つと以降は全く止まらず、弾が切れるまでずっと撃ち続けていった。
「はぁ、はぁ……。それでも、俺はいつまでも……。お前が戻ってくるまで、待っているからな……」
 やがてきつい運動をこなしたかのように息を切らすと、虚しそうに拳銃を下ろしていく。
 そしてそのまま振り返り、拳銃はコートにしまいながら花畑を後にしていった。
 後には木端微塵に砕けたいくつもの花の残骸が、はらはらと地面に落ちていく。 今までに散っていた分と合わさり、誰かを撃ち殺して大量の血を撒き散らしたかのようだった。
「……」
 それでもラグラッドの気は晴れないのか、ひたすら険しい顔で歩き続けていった。

 ラグラッドが女の事を忘れず、ずっと気にかけていたのは嘘ではない。 密かに情報を集め、町の異変を知ったからこそ駆け付ける事ができた。
 それから町の住民に話を聞く内、花畑に巣食う異形の魔物がいるという都市伝説じみた話を聞く。
 初めの内は悪ふざけかと思ったが、わずかに残った住民達は誰もが真面目な顔をしていた。
 もしかしたら町の住人は、あの女が犯人だと薄々気付いていたのかもしれない。 それでも小さい頃から町で暮らし、見知った相手が殺人のような非道な事をするとは信じられなかったのだろう。
 憶測で警察に通報する訳にも行かず、かといって放っておく訳にもいかない。
 困っていた所にラグラッドが現れ、調査を依頼したというのが今回の一件の始まりだった。
 そしてラグラッドは依頼を引き受け、見事に花畑に巣食うという異形の魔物を退治した。 すでに赤い狂気に蝕まれ、殺人を繰り返した存在はどこにもいない。
 だが全てを終えた後に胸中に残ったのは、とても清々しい気持ちなどではなかった。
 ラグラッドは手短に報告を終えると、やって来た電車に乗って町を去っていく。
 帰り際に車窓からは、あの花畑が見えた。 血と死に満ちた、見た目とは真逆のものを孕んだ異様な世界である。
 遠くから眺める分には本当に美しく、かつての約束を思い出す。 しかし実際にあそこにあったのは残酷な現実であり、それを考えると後悔の気持ちが渦巻いていく。
 それでもラグラッドは目を逸らす事なく、花畑が見えなくなるまで瞬きすらしない。 その時に思っていたのは、最後にあの場所でした切なる誓いについてだった。


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