「あなたは……。わたしを、ころしに来たの?」
やがて女は銃越しに相手をじっと見つめつつ、声を震わせながら問いかける。
「依頼があった。この町で行方不明者が続発し……。消えた者は皆、この花畑を最後に訪れている。ここには、人を食らう恐ろしい魔物がいるのかもしれないと……」
対するラグラッドは銃を微動だにさせず、相手から目を離さずに頷いた。
「それを探すため……。だから、来たんだ……?」
一方で女は本当に悲しそうな顔を浮かべ、毅然とした態度をしたラグラッドとは正反対だった。
「いや、その前にもお前の事を忘れた事はなかった。いつも赤い花を見る度、お前を思い出していた」
ラグラッドはなおも態度を変えていないが、あまり厳しさは感じられない。
「だが、だからこそ信じられなかった。お前が人を殺しているかもしれないなんて……」
ただし拳銃を持たない手にだけ感情を込めるかのように、強く握り締めていた。
「お前は昔から優しかった。今度の事だって、正当防衛ではないのか。食いつめた浮浪者とかに脅され、止むを得ず反撃したのだろう?」
そしてまだ相手を信じようとしているのか、希望を込めて問いかけていく。
「そう、私がてにかけたのは……。町をはなれ、この花ばたけにふらふらと近よってきたこわい虫さんたちだけ」
だが返ってきたのは、自らの犯行を認める迷いのない言葉だった。
「でも、たった一つでさえむだにした事はないわ。だってあれらは、たいせつな花のえいようですもの」
拳銃に恐怖を感じ、疑惑を向けられている事に対しての困惑はある。
しかしそのせいでわずかに体を震わせつつも、堂々とした態度は変わっていなかった。
どうやら女は自身が悪事を働いたという実感はないようで、慌てて釈明をし出している。
「そういえば未だに死体はおろか、まともな遺留品の一つも見つかっていない……。だからこそ警察も動いていなかった訳だが……」
一方でそれを聞いたラグラッドは表情を一変させ、ふと視線を横へ滑らせていく。
「まさか、お前は……! 死体をここに埋めていたのか……? 今までの分を全て、土の下に……」
やがてそこにあったものを確認すると、結論に達したらしい。
ここに来て初めて狼狽したような表情を見せ、改めて目を細める。
周りにある花々はただ美しいと思うだけで、今までは何の害も感じられなかった。
だが事実を知った後では、急にそれらが恐ろしい存在のように思えてくる。
「くっ……」
花々が作り出すほんの少しの日陰すら禍々しいものに映り、ラグラッドは思わず後ずさろうとした。
しかし周りは見渡す限りが真っ赤に染まっており、逃げ場などどこにもない。
まるで敵の本拠地に一人だけ残されたかのような感覚に、顔をしかめながらの動揺は続く。
「だって、花がなかなかさかないんだもの。これがないと、あなたはかえってきてくれないでしょう?」
そんな時、女は悪びれもせずに口元には笑みさえ浮かべていた。
「何を言っている。そんな訳ないだろう……」
ラグラッドは雰囲気が豹変したのを感じ、戸惑いながらも反論しようとする。
「だって、じっさいにあなたがまちを出ていって。いまのいままでれんらくすらよこさなかったじゃない。それはわたしのせいなんでしょう?」
だが女は言われた事をさらに否定し、素早く口を動かしていく。
「わたしがうまく、花をさかせられなかったから。わたしの方が、やくそくをまもれていなかったからなんだよね?」
ただ懸命に喋れば喋る程、どんどん幼さは増しているようだった。
感情も段々と不安定になっているのか、一向に言葉は止まらない。
「違う……」
対するラグラッドは畳み掛けるように話し続ける相手に対し、まともに言い返す事もできていなかった。
今や銃口は目標を見失い、手に力も込められていない。
「だから、わたしは花をさかせようとしたの。本をよんで。しらべて、なやんで。いっぱいいっぱい、どりょくして。いっぱいいっぱい、くろうして」
女は正面から聞こえる小声など意に介さないかのように、若干引きつった笑顔ながら熱に浮かされたように話していく。
「なんども、なんどもしこうさくごをくりかえして……。ぜんぶこの花ばたけのために。あなたのために、やったのよ……?」
目はただ一点を見続けていたが、そこにラグラッドは映っていない。
赤い花だけを虚ろな瞳で眺め、息を荒くしながら口を動かし続けた。
「……」
ラグラッドはすでに銃を下ろし、相手をただじっと見ているだけである。
かつて花が舞い散る花畑で、少年と少女は寂しくも別れていった。
時が過ぎた同じ場所では、かつてと同じような事が行われていた。
「ねぇ、ほめてよ……。わたしはじぶんのためにやったんじゃない。ディールによろこんでほしかっただけなの……」
そして女は病んだ瞳を揺らしながら薄ら笑いと共に、ゆっくりと両手を広げていく。
同時に風が吹き付け、大量の花びらが舞い散った。
真っ赤に染まりながらも笑うのを止めない姿は、最早まともな人とは思えない。
「俺は……。ずっと、お前は強いと思っていた。俺や町にいた他の連中と比べてもずっと……。だから一人でも大丈夫だと、そう思って……」
ラグラッドはそんな姿を見て、ようやく言葉を発していく。
ただし口から出たのは、落胆と諦めに近いものだった。
そして後悔の念と共に呟き、目は女ではなく地面を見つめている。
そんな時、女は手を下ろして無表情で見返していた。
胸中に何が去来していたのは定かではないが、それは誰にも分からない。
「元々、ここには仕事で立ち寄っただけで長居するつもりはなかったから……」
さらにラグラッドは言い訳じみた言葉を並べながら、自信のない顔で目を閉じていく。
顔を逸らし、事実から逃れようとでもする様は今までには見られない本当に気弱な行動だった。
「ちがうよ。わたしはつよくなんてない。あなたといられないわたしなんて、たったひとりのおんなだもの。さみしかった。つらかった」
次の瞬間、女は静かに呟き出す。
自虐的な微笑みを浮かべつつ、自らの感じていた事を隠さずに述べていく。
ラグラッドはそれを聞くと、驚いたように顔を上げていった。
「わたしは、あなたとずっといっしょにいたかったの。でも、そんなきもちをずっとしられないようにしていたんだよ」
そして女は全てを晒した事でようやく気が晴れたのか、穏やかに笑っていた。
ただし瞳と体は揺れ動き、まるで実体を伴っていないかのようだった。
それを見たラグラッドは手から自然と力が抜け、握っていた拳銃を落としそうになる。
「……だが」
それでも寸前で堪えると、自分の仕事を成し遂げようと改めて力を込めていく。
目付きは鋭さを取り戻し、正面の相手を睨み付けていった。
「うん。でもそれは、単なるいいわけだよね。私しか納得できない、かってなりくつだよね」
女も視線を真っ直ぐ受け止め、浅く頷いた。
ここに来て正気を取り戻してきたのか、落ち着いた態度を取り戻している。
「あぁ、そうだな。それが分かっているのなら……。もう、いいよな?」
ラグラッドも同意するように頷き、表情を引き締めていく。
拳銃は再び持ち上げられ、正確に狙いを定めようとしていった。
「うん」
女は抵抗する様子などまるで見せず、目を閉じながら一度だけ深く頷いた。
「じゃあ、終わりにしよう。この事件を引き起こした原因は、お前と……。そして、俺の弱さのせいだ」
しかし次の瞬間、今にも拳銃の引き金を引くかと思われたラグラッドはいきなりそう言った。
表情は冷徹さを崩していないが、目を伏せたままで懺悔めいた事を口にしている。
「え……」
対照的に女は目を大きく見開き、疑問の表情を浮かべていった。
「だって、そうだろ? これはお前の思いから逃げ続けていた、俺のせいでもある。ずっと答えを出せなかった俺にも責任はある」
ラグラッドは今も口を開けっ放しにして呆然とした女に向け、おどけたように話しかける。
拳銃は向けられたままでも、態度は一転して柔らかくなっていた。
「そう、半分は俺のせいだ。だからこそ、俺が後始末をつけないといけない」
そしてなおも相手を眺めたまま、それでもまだ拳銃を撃とうとはしていない。
舞い散る赤い花びらに視界を塞がれるこの場所では、女に逃げられてしまう可能性すらある。
ラグラッドがそれを考慮しないはずはないが、特に行動を起こす予兆は見られなかった。
拳銃を構えてからすでに短くない時が経過しているというのに、花畑には一向に銃声が響かない。
「ふふっ……。そうなんだ」
やがて女もつられたように、楽しそうに微笑みながら呟いていく。
体はその場に留まったままで、逃走は難しくないというのに動く気配すらなかった。
「何故、逃げない。抵抗もせず殺されるのか。俺に殺されたいとでも言うのかっ……。お前は、それでいいのか……!」
ラグラッドはそれを見ると、苛ついたように顔をしかめていく。
死を受け入れているかのような相手に対し、本来なら殺す側のラグラッドが食って掛かっている。
いや、実際はむしろラグラッドの方が追い詰められているのかもしれなかった。
「えぇ。あなたの手にかかって。ここで、永遠の眠りにつく。それもいいかなって。そう思ってしまったのだから、仕方ないわ。うふふふっ……」
一方で女は取り乱す事もなく、落ち着いた様子で頷いていく。
手は自然と側に咲く花を撫で、体はくるりと回転しながらずっと穏やかに微笑んでいる。
先程までの不安定さなど消えてしまったかのようで、もしかしたら今の状態こそが本来の正常な姿なのかもしれなかった。
「ぐ……!」
そんな時、ラグラッドは苦しそうに歯を噛み締めていた。
女が元に戻ったのを見て、躊躇する気持ちが強く生まれたのかもしれない。
指には力が込められ、今にも弾丸が発射されそうに見える。
だが実際には何の動きもなく、拳銃は用をなしていなかった。
これまでラグラッドは殺し屋として、罪を犯した殺人者を何人も殺してきた。
そこに個人的な感情を挟む余地などなく、ただ淡々と仕事をこなしてきただけである。
しかし今回はあまりにも事情が入り組み、すぐにでも終わらせられるというのにまるで動かない。
目の前にいるのはかつて共に時間を過ごした懐かしい存在であり、傷つけたり死に至らしめていいのか本気で悩んでいるようだった。
だからこそ決別のために拳銃を握り締めても、引き金を引く事ができない。
ここにきてラグラッドという存在は、ひどい揺らぎを見せ始めていた。
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