笑顔 2



「くっ……」
 だがいくつもの笑みに囲まれるラグラッドだけは顔をしかめ、その心はささくれ立っていった。
 子供達が懸命に浮かべている笑顔はきっと、ここで生き延びるために必死で覚えたものだったのだろう。 今にも掻き消えそうな笑い声は、ひどく残酷な現実をそのまま表しているかのようである。
「もういい。笑うな……」
 そんな中でラグラッドの脳裏に思い浮かんでくるのは、少し前に出会った道化の死ぬ寸前の顔だった。 あの少年も今と同じように、いつまでもただ笑い続けていた。
「今すぐ、笑うのを止めろ……!」
 その声がいつまでも頭の中で響いているからか、ラグラッドの顔は重苦しい。 そして気付くと鉄格子を握り締め、牢屋の中の子供に声を荒げていた。
「あはっ……。ねぇ、どうしてそんな顔するの……? まだ私の笑いじゃ物足りないのかな……」
 一方でそこにいる少女はまだ笑みを浮かべたまま、じっとラグラッドの方を見上げていく。
「違う。もう、いいんだ……!」
 対するラグラッドは苛立ちを募らせるように声を出し、強めに鉄格子を叩いた。 すると鍵はかかっていなかったのか鉄格子は開き、中に入れるようになる。
「ねぇ、笑って。私を買って。何でもするよ。どんな命令も聞くから。お願いっ……」
 少女はそれを見ると小さく呟きつつ、虚ろな目つきのままラグラッドの方へ向かおうとする。 しかしその途中で足首につけられた鎖が引っかかり、床に前のめりに倒れ込んでいった。
「もう、誰にも媚なくていいんだ……」
 ラグラッドはそんな少女を見下ろしながら、ゆっくりと牢屋に入り込んでいく。
「分からない。お兄さんが何を言っているのか、分からないよ……」
 一方で少女はそう言いながら起き上がろうとするが、そんな力さえないらしい。 小さく体を震わせながら、困惑した様子で表情を曇らせていく。
「それはこっちの台詞だ。お前は商品なんかじゃないだろう……。売り買いなんて初めからできやしない……」
 ラグラッドはそれからしゃがみ込むと、眼前の少女に対して諭すように語り掛けていく。
「私じゃあ駄目なの……? 愛してくれないの……?」
 少女はまだ床に身を這わせたまま、ゆっくりと顔を上げていく。 その虚ろな瞳には、ラグラッドのひどく憂いに満ちた顔が映り込んでいた。
「お前は自由なんだ。誰にも縛られず、解き放たれて……。自分の思うままに、好きに生きていいんだから……」
 次にラグラッドは少女の肩に手をやると、励ますように声をかける。
「ぇ……。私が、自由に……?」
 すると少女は、先程までとは一転して明るい表情を浮かべていく。
「いいな。それ、楽しそう。でもそんな事、考えた事もないや……。私はずっと暗い所にいたから……。だから……」
 そしてラグラッドの手から伝わる温かみをより感じようとするかのように、顔をそちらへ傾けていった。
「あれ、何だかうまく考えられない。もう目が開けていられないよ……」
 だがラグラッドの方へ体重を預ける内に、安堵したかのように少女の体からは力が抜けていく。 その顔には穏やかな笑みが浮かび、意識や呼吸は少しずつ弱まっていく。
「すごく……。すごく、ねむいや……」
 やがて少女は静かに眠りにつくように完全に床に伏し、ゆっくりと短い生涯を終えていった。
「くっ……。おいっ……!」
 それを見たラグラッドはすぐに手を伸ばし、動かない体を強く揺すっていく。 少女の衣服などは決して綺麗ではないが、全く気にする様子はない。
「あーあ、汚いったらありゃしない。そんな売れ残りのために馬鹿みたいだね」
 そんな時、背後の方からいきなり男の声が飛んでくる。 まだ何者かは分からないが、嘲笑うような意思だけはかろうじて感じ取れた。
「ちっ……!」
 ラグラッドも普段なら近づいてくる人の気配に気付かぬはずはないが、子供の方に集中していて反応が遅れたらしい。 慌てて振り向いた所で、すぐ近くにいる人の姿が目に入ってきた。
「やぁ、初めまして。君がラグラッドだね」
 そこにいたのは見た目はごく普通な優男であり、軽く手を上げて挨拶してくる。 しかしにやけた顔や釣り上がった口元などからは、あまり好意的な印象は持てない。
「お前か。お前がこんな地獄を作ったのか……」
 さらにここにいるのが一般人のはずはなく、ラグラッドに油断する様子はない。
 子供を床に寝かせると相手を強く睨み付けながら、ゆっくりと立ち上がっていった。
「ぷっ……。あっはっはっは……! どうしたんだい、そんなに怖い顔をして」
 一方で優男はラグラッドを見るといきなり吹き出し、緊張感の欠片も見られない。
「ふふっ……。ものに対してそんな感情を抱くなんて、君も案外人らしい所があったんだね。え? そうだろ、ラグラッド?」
 そしてそれからもにやついた顔のまま、だらけた体勢で話していく。
「ちっ……」
 対するラグラッドは顔を歪めながら舌打ちをし、拳を強く握り締めていった。 だが敵に言われて冷静さを取り戻したのか、それからは静かに感情を内側に押し込めていく。
「あ、そうそう。そういえば、君が彼を殺したんだって? 彼も素人にしてはなかなかの手練れだったはずだけど、やるもんだね!」
 優男はそれを見ると少しつまらなそうな反応を見せ、ひとしきり続けていた笑いを終える。 次に思い出したかのように手を打つと、一転して明るい顔で話し出していった。
「お前があいつを作ったのか……」
 するとラグラッドはわずかに驚いたように目を開き、あくまで険しい態度は崩さずに優男の方を見返す。
「うん。彼は悩んでいたからねぇ。どれだけ頑張っても、どれだけ努力しても認められはしない。世間からまるで存在していないように扱われる」
 今度はその反応を楽しげに見ていた優男は、腰に手を当てて何度も頷いていった。
「彼はせめて一言、声をかけて労ってもらいたかっただけなんだと思う。だからこそ僕はその飢餓感を少ぉーし煽ってやっただけだよ」
 続けて身振り手振りも交えて話していくがが、その態度はお世辞にも真面目とは言えない。
「屑が……」
 一方でそれを見るラグラッドはどこまでもふざけた相手の態度が癪に障ったのか、眉間にしわを寄せて嫌悪感を露わにしていく。
「そうだね。別にわざわざ言われなくても、それくらいの自覚はあるさ。でも散々人を殺している君の方が、人間の屑としてはかなり先達のはずだけど?」
 すると優男はむしろその反応を待っていたかのように、満面の笑みでそう言い返した。 先程からの話し方なども含め、全てはラグラッドを挑発するためのものだったのかもしれない。
「知っているさ。だからこれはいわゆる、同族嫌悪って奴だ……」
 しかしラグラッドの方は、もうまともに相手をするつもりはないようだった。 ただ静かに答えていくと、拳銃を取り出して構えようとしていく。
「……」
 だが次の瞬間、ラグラッドの不審な動きに反応したかのようにどこからともなく別の男が現れる。 音もなくその場にいきなり現れたのは、黒のスーツに身を包んだ屈強な男だった。
 そして優男を守るかのように立ち塞がり、ラグラッドに威圧的な視線を送っていく。 その外見はスキンヘッドに加えて厳つい顔をしており、口元の髭なども相まって人相は良くない。
 身に纏う緊迫した空気からはまるで隙が窺えず、明らかに戦闘の修練を積んだ猛者に見えた。
「あんたは……」
 ラグラッドは突然の乱入者に面喰いつつも、先程より強く警戒の意思を露わにしていく。
「おや、君がやってくれるのかい?」
 一方で優男だけは今までと変わらず、頭の後ろに両手を回すと呑気な声を出している。
「さっさと下がれ。邪魔だ」
 それとは真逆に厳つい男はラグラッドから目を離さず、真剣な声で警告していた。 ただし一見するとボディガードのようだが、その言葉遣いから察するに対等な間柄なのかもしれない。
「プロ同士の戦いを少し見てみたい気もするけど、荒事は君に任せているし……。責任ある立場からすると、あんまり危険も冒したくないしね。じゃあ、頼んだよ〜」
 対する優男は残念そうな反応を隠さなかったが、すぐに気を取り直すと手を振りながら立ち去っていく。 その間にも周りの子供達に視線を向ける事はなく、最後まで気楽な態度も変わる事はなかった。
「待て……!」
 しかしラグラッドがみすみす標的を見逃すのを許すはずもなく、すぐに後を追おうとする。
「今すぐ去れ……。そうすれば見逃す」
 その直後、厳つい男は黒の手袋に包まれた大きな手を振りかざす。 得体の知れない相手の不意の行動により、進もうとしていた道は一気に塞がれていった。
「くっ……」
 ラグラッドは先程まで感情が揺さぶられていた事に加え、次第に遠ざかる標的のせいで焦りが生まれているらしい。 自然と顔は歪み、不必要なまでに体が強張っていく。
「といっても、無理そうだな。ここを見たからにはそういう気持ちになっても仕方ないだろうが……」
 一方で厳つい男は対照的なまでに冷静で、目を細めながらじっと相手の様子を窺っている。 その姿にはどことなく威厳すら感じられ、わずかに曇った表情からは子供達への憐憫の気持ちすら感じられた。
「己に厳しく、道理もある……。どうしてあんたみたいなのが、あいつを守ろうとする?」
 ラグラッドはそれを見ていると次第に毒気が抜かれていったのか、普段の調子を取り戻すと思わず問いかけていく。
「こっちにも事情がある。受けた恩は返さんとな」
 だが厳つい男は事情を話す気はないのか、おもむろに腰の後ろへと手を伸ばす。
 そして直後に横向きにナイフを抜き放つと、逆手に持ったまま前へ突き出していく。 銀の光沢が美しくも見える大型なナイフを構える姿を見ると、すでに戦闘態勢へ移行しているらしい。
 もう言葉を交わすつもりは完全にないのか、その視線はこれまでになく鋭くなっている。
「……」
 ラグラッドも一気に緊張感が増したのを感じ取ったのか、表情を改めて引き締めていく。
 それからわずかに間を置いた後、まず戦いの口火を切ったのは厳つい男の方だった。


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