笑顔 1



 しんしんと雪の降りしきる森の中は、色の変化の少ない無機質な光景がどこまでも続いている。 周囲に乱立する木々は雪に塗れて冷え切り、時間の流れ自体が止まっているかのように見えた。
 さらに辺りには小動物さえほとんど見当たらず、全くといっていい程に温かみのない世界となっている。
 だがそんな場所であっても人が歩き、雪を踏み抜く音だけはやたらと大きく響いていた。
「ふぅ……」
 見渡す限り一面の銀世界の中を孤独に進んでいるのはラグラッドであり、白い息を吐く表情はかなり険しい。
 ただ前だけを見据える視線は決して揺るがず、やがて前方には古めかしい城が見えてくる。
「ようやく着いたか……」
 それに気付いたラグラッドはわずかに目を細めつつ、向かう場所だけを視界に収めて歩き続けていった。

 しかし次の瞬間、後方にあった木の輪郭が不意に揺らめいたように見えた。
「……」
 その直後には陰の部分から、いきなり痩せこけた人の顔が半分だけ姿を現す。 異様に光る生気のない瞳はかなり不気味であり、それはラグラッドの後ろ姿だけを捉えている。
 だが謎の監視者は結局一言も発する事もなく、音もなく再び木の陰に消えていく。
 後にはただ雪だけが静かに降り続け、そこにある全てのものを白く覆い隠していった。

「何だ、ここは……?」
 それからラグラッドは古城に到着したが、そこに広がる光景は遠目から見た印象とは大分違っていた。
 まず城門は派手に崩れ去り、守る者が誰もいないために侵入に苦労する事は全くなかった。
 中を進んでいっても荒廃はどこまでも続き、城壁などはどれも無残に崩れ去っている。
 そのせいで雪がそこかしこから入り込み、外とほとんど寒さが変わらない。 だが本来ならばもっと暖かいはずの場所であり、それとは真逆の状態であるからこそより寒さがひどくなっているように感じられた。
 城としての機能などはないに等しく、どこを見てもぼろぼろな状態は哀れさすら漂っている。
 当然だが人の気配などは全くなく、先程までいた森以上に静けさに満ちている。
 しかしラグラッドは一応は警戒を続けたまま、周囲への目配せをしながら少しずつ進んでいった。

 城自体は古くともなかなかの広さがあるようで、一つ一つの部屋を見て回るだけでも手間がかかる。
 辺りにはそこら中に家具や武器、本などが乱雑に転がってはいたがどれも大して価値はなさそうに見えた。
 略奪も受けているのかめぼしい財産などはほとんど残っておらず、この城は完全に打ち捨てられているらしい。
「あいつの情報を疑う訳ではないが……。本当にこんな寂れた所に奴が来るのか……?」
 一方でラグラッドは、まだ城の探索の途中だが一向に成果が得られない事に対して少し焦ったように呟いている。
 そして降り続く雪を避けられる屋根のある場所に移動していく最中に、脳内では数日前の出来事を思い出していった。

「人身売買?」
 とある町の隅にある建物の壁に背を預けたラグラッドは、すぐ隣にいる人物に疑問の表情で聞き返す。
「あぁ。この前にお前が仕留めた標的……。そいつをそそのかした奴を調べろって言ってただろ?」
 それに答えているのはいつもラグラッドの支援を行っている中年の男であり、口からは煙草の煙が昇っていく。
「だからまずピエロの犠牲者について調べてみたら、その中に孤児院の経営者がいてな。他は一般人というか、特色のない奴等ばかりだったんで気になってさらに調べてみた」
 さらに以降も煙草を吸いつつ、やや重苦しい表情で話は続いていった。
「すると経営者が殺されてからすぐに新たなスポンサーが現れたんだが、その後に孤児院で養われていた子供達がごっそりといなくなっていてな」
 その態度や雰囲気はどことなく暗いように感じられるが、どうやら建物の影の中にいるからではないらしい。
「対外的には他の孤児院に移すって事になってたが、そっち方面の事情に詳しい奴に聞いてみると同じ時期に市場に多数の出品があったらしい」
 次に顔をしかめながらそう言うと、険しい視線を隣の方へと向けていく。
「……それがいなくなった子供達か」
 一方でじっと話を聞いていたラグラッドも感情を表に出してはいないが、少なくとも面白くはないらしい。 両腕を組んだ状態のまま、その手には強い力が込められつつあった。
「そうだ。どさくさに紛れて商品を入荷し、しかも不要な追及を避けるために元の孤児院もさっさと閉鎖。自分の楽しみを広めつつ、金稼ぎまで成し遂げるとはな」
 対する中年の男も吸っていた煙草を壁に強めに押し付けて火を消すと、そう言いながら自身の懐に手を入れていく。
「こいつは一石二鳥というか、何というか……。俺達が言えた事じゃないが、今回の黒幕は本物の屑だぜ」
 そして多くの情報がびっしりと書き込まれた紙を取り出すと、それを自身の前方へと差し出していった。
「構わない。いや、むしろそうでなければ困る……」
 直後にラグラッドはその前を通り過ぎながら紙を受け取り、そのままの勢いでどこかへと向かっていく。
「もう行くのか? 全くお前も随分と変わったよな。組織からの仕事以外は受け付けなかった昔が嘘みたいだ」
 遠ざかる背中を見つめる男は新たな煙草に手を伸ばしつつ、感心するかのように呟いた。
「そうだな。確かに俺は以前とは変わった。何しろ今の俺は……」
 それを聞いたラグラッドはにわかに歩く速度を緩め、言葉を口にしながら視線を上げていく。
 ふと見上げるとちょうど空からは太陽の光が差し込み、眩しい光が視界を白く染め上げていった。

「ラグラッド、だからな……」
 数日前と同じように空を見上げ、ラグラッドは眩い太陽の光に目を細めている。
 歩いている内にちょうど屋根のない場所に差し掛かったようで、全身には容赦なく雪が覆い被さっていく。
 わずかな雲の切れ間から除いていた太陽もすぐに姿を消し、辺りはまた冷え込んだ白の世界に戻っていった。
「……」
 そして顔を下げたラグラッドも再び緊張感を取り戻すと、途中のままだった城の探索へと戻っていったのだった。

「ん……?」
 それから幾つかの部屋を見て回った後、ラグラッドは通路の途中で何かを見つける。
 そこにあったのは地下へと続く階段であり、その付近の床の上は他と比べてあまり雪が積もっていない。 どうやら人が通ってからあまり時間が経っていないようであり、ここが無人ではない事を示しているようだった。
「そうか。ようやく会えるって訳か……」
 ラグラッドはそれを見ると改めて神経を研ぎ澄ませ、警戒をより強めながら一歩ずつ階段へと近づいていく。
 そしてほとんど光の差さぬ真っ暗な空間の中へと、慎重さを保ちながらゆっくりとその身を浸していったのだった。

「うっ……。何だ、これは……」
 地下は光が差さぬためにかなり薄暗いが、それよりもまず異様に生臭い空気に気付く。
「ひどい臭いだ……。どうなっている……?」
 そこに充満しているのは生物の発する臭気のようであり、遠くない場所からは複数の息遣いも感じられた。
「ごほっ、ごほっ……。ここは、一体……」
 あまりの空気の悪さに咳払いをしたラグラッドは、口を腕で覆いながら闇の方へ目を凝らしていく。
 するとすぐに壁にかけられた蝋燭を見つけたため、持っていたライターで火をつけていく。
 それから心もとないくらいの光量だがわずかでも明るくなった地下は、どうやら予想以上に広いらしい。
 通路は真っ直ぐに奥に続き、進むに従って闇が濃くなって何も見えなくなっている。 その両側には正確な数は不明だが、鉄格子のついた牢屋がいくつも並んでいた。
「確かめてみるか……」
 やがてラグラッドは意を決すると、両側に注意を払いながら慎重に奥へと進んでいく。
 ただ最初の方に通り過ぎた牢屋の中には人の姿はなく、汚れ切った内部を虫が走り回っているだけだった。
 それがいくつも続くと、やはりここには誰もいなかったのではないかと思えてくる。
 だが真ん中辺りまで進んだ所で、不意に暗闇に慣れてきた目に何かが映った。
「……」
 そこにいたのは鎖で繋がれた子供であり、牢屋の隅でじっと固まっている。
 注意しなければ見逃してしまう程に暗がりに同化しており、ラグラッドの様子を窺う姿は何かに怯えているようにも見えた。
 しかも捕らわれているのは一人ではなく、周りにあるいくつかの牢屋に分けられて何人も子供がいるようだった。
「うっ、あっ……」
 その時、不意に現れたラグラッドに恐れおののいた様子で一人の子供が声を上げる。
「待て、俺は……」
 ラグラッドはそれに気付くと、すぐに自分に敵意はないと説明しようとする。
「あ、あはっ……。あははっ……」
 だがそれより早く、先程まで萎縮していたはずの子供は急に笑みを浮かべていった。
「何……?」
 そのあまりに唐突で理解不能な行動に対し、ラグラッドは怪訝そうな声を上げるしかない。
「あははっ……。うふふっ、あはははは……」
 一方で子供はその間も一貫して笑い続け、相手の反応など気にする様子はない。 まるで何かの期待に応えるかのように、顔を引きつらせながらもずっとそうしている。
「はははっ……。ははっ、あっはっは……」
「ふふっ……。うふふふふっ……」
 そしてその笑いは周囲に伝播するようにして、周りにいる子供達の誰もが笑い出していった。
「どうなっている……」
 ラグラッドはまるで状況が飲み込めず、うろたえたかのように立ち尽くすしかない。 それでも段々と周囲の環境に目を向けている内に、ある事に気が付いていく。
 そこにいる子供達の手足は凍傷を負っており、痩せ細った体を見るとひどく衰弱しているらしい。 どうやら食事どころか水も与えられていないようで、牢内の汚物の管理も適当に見える。
 他の牢屋を覗くと、そこには死ぬ寸前の状態にまで陥っている子すらいた。
 しかしどの子も共通して、決して笑みを絶やさない。 ラグラッドの姿を確認すると笑顔を向け、掠れた声を懸命に発している。
 それは誰に教え込まれたものなのか、そこにいる子供達はいつまでもその行為を健気なまでに続けていた。


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