「あの足手まといめ……。せっかく倒したのを無駄にしやがって。あいつのした事なんて結局、やかましい小言だけだったじゃねぇか」
ラグラッドは散々な状況になっているのを愚痴ると、額を流れる汗を拭っている。
現在は建物の影から顔を出し、後ろの様子を窺っている所だった。
「ん……。そうか……。ちっ……。なるべくならしたくないが、仕方ないか……」
だがその時、不意に何かを思いついたようだった。
いきなり上着を脱ぐと、さらにシャツへと手を伸ばしていく。
そしておもむろにボタンを外したまま、道に出ると少し先にある角を曲がっていった。
「この手だとあいつだけじゃなく、こっちもただじゃすまないが……。中に仕込んでいたものごとほとんど新品のコートも失っているんだ。今更だな……」
それから改めて上着を着込み、シャツを脇に持った状態で空の拳銃に弾を詰め込んでいく。
やがて真剣な表情で全ての準備を終えると、往来の真ん中で妖刀を待ち構えていった。
直後にはその時を待っていたかのように、すでに今夜だけで聞き慣れるようになったあの足音が聞こえてくる。
甲高い音は妖刀を地面に擦らせながら、ゆっくりと近づいてくる補佐役のもののようだった。
「おでましか……」
ラグラッドは険しい顔でそう呟くと、拳銃を前へ構えていく。
「出てこい、ラグラッド。逃げる事など、お前の本質ではないはず」
対する妖刀は補佐役の声を角の向こうから響かせながら、少しずつこちらに向かってきているようだった。
そのためにラグラッドは角の辺りに銃口を向け、そこから出てくるであろう妖刀を待ち構える。
「これの求める答えも言わず、戦う事すら放棄するのなら……。もうお前から得るものなど何もないという事になるぞ……」
次に脅かすような言葉を発しつつ、妖刀は補佐役と共に体を前に傾けながらゆらりと現れた。
「だったらどうする。俺を殺すのか?」
ラグラッドは通用しないと分かっているはずなのに、敢えて真正面から迎え撃とうとしている。
「……」
妖刀は何か不穏なものを感じ取ったのか、補佐役の目でラグラッドの全身を注意深く眺めていく。
しかしどういう訳かシャツを脱いで脇に抱えている以外、別段変わった所は見つからない。
やがて脅威などないと分かると、わずかな間だけ止まっていた妖刀はまた前へと動き出していった。
すでにラグラッドを始末するという考えしかないのか、周囲には鋭い殺気を放ち続けている。
「だがな、まだまだ俺は死ぬ訳にはいかないんだよ。どうしても果たさないといけない、大事な約束があるんでな……!」
ラグラッドは徐々に圧迫感が増している状況でも、口元に笑みすら浮かべて余裕を保っていた。
そしていきなりシャツを空中に放り出すと、そのまま拳銃を構えていく。
「これは……」
妖刀は奇妙な行動に対し、初めて動揺するような反応を見せていた。
その時に妖刀の側から見ると、わずかに透けるシャツの向こう側にはラグラッドの影が映っている。
ただ月明かりがあっても周囲はまだ薄暗いため、向こう側は詳細には分からない。
だが要はそれだけの事であり、どうして妖刀がここまでうろたえているのかは不明である。
すでに妖刀からは先程までの殺気は消え失せ、今はその場でおろおろとしているだけとなっていた。
その次の瞬間、シャツの向こう側からは銃の発射音が響く。
そして凄まじい速度で銃弾はシャツを突き破り、真っ直ぐに妖刀の元へと襲来していった。
それでも今までは幾ら近距離から撃とうと、正面からは効かなかった。
今回もまた、簡単に防がれてお終いかと思われる。
「がはっ……」
しかし予想に反し、銃弾は補佐官の体に食い込んでいた。
いくら妖刀によって常人離れした反射神経を身につけようと、その体は一般人のものである。
悶絶した補佐役は体から力が抜け、その場に膝をついていく。
手からは決して刀を手放さないが、すでに戦えそうにはなかった。
「ふん……」
ラグラッドはうまくいったのを実感しつつ、まだ拳銃を構えている。
表情は余裕に満ち、今やほぼ地面に伏している妖刀の事を嘲笑しているかのようであった。
「ぐっ……。ラグラッド……」
一方で妖刀は余程悔しいのか、苦しむ補佐役の顔を上げさせて強く睨み付けてくる。
普段ならばいくら人間を使い捨てようと、また新しい体を見つければ問題はなかった。
だが深夜である現在、辺りに人影はない。
唯一操れそうなラグラッドも、丁度少し離れた位置にいる。
どうやらさすがの妖刀も、ある程度まで近づかないと人間を操る事はできないようらしい。
そしてラグラッドに負けた以上はもう打つ手がないからこそ、今までになく感情を露わにしているようだった。
「妖刀、だったか。お前が銃弾の軌道を見切っていた方法は予想がつく。俺の視線と、指や腕などの筋肉のわずかな動きからだろう」
ラグラッドは鋭い視線を無視しつつ、銃越しに話しかけていく。
妖刀の射程範囲の事を理解しているのかは分からないが、決して近づこうとはしていなかった。
「俺の知り合いにそういう曲芸みたいなやり方をする奴がいたからな。よく知っているんだ。そしてそうなら、対処法はある。見えなくしてやればいいだけだ」
そしてそう言いながら、視線だけを地面に落ちたシャツに向ける。
どうやらラグラッドはそれを使い、相手に与える視覚的情報を遮断していたらしい。
妖刀は相手の動きを注視していないと弾丸を避けられないが、わざわざそれに付き合う必要はない。
対するラグラッドは相手に弾丸を当てさえすればいいので、影くらいしか透けていない状態でも構わなかった。
要は相手を妨害しつつ、こちらに有利な状況へ運ぶためにわざわざシャツを脱いで利用したという事のようだった。
「全く。知恵もなく、経験の浅い後輩ごときが……。道の先を行く先輩に敵うとでも思っていたのか?」
やがてラグラッドはそう言うと、顔を真正面へと向けていく。
月の光に照らされる姿は、勝ち誇っているのがはっきりと分かった。
「……」
妖刀はそれを見上げ、何も言い返さずにただ黙りこくっている。
「ちっ……。あんなぼろぼろになっちまったらもう着れないな。コートも含めて、一体誰が弁償してくれるんだ……」
一方でラグラッドはもう勝負がついたからか、地面を見下ろしながら愚痴をこぼしていた。
視線の先にあるシャツは穴が開き、焦げてしまった部分さえある。
直して使おうと思えばできない事もないが、そのような手間をかける意味はなさそうだった。
そんな時、不意に妖刀がかたかたと音を鳴らして震え出す。
ラグラッドは瞬時に反応すると、そちらへと視線を戻していった。
「はっはっは……。はっはっはっはっは……」
その直後、その場には力のない弱々しい笑い声が響いていく。
それは妖刀の震えと連動しており、どうやら堪え切れずに笑みをこぼしているようだった。
「どうした。壊れちまったのか……?」
ラグラッドはどうしてここまでここまで大笑いしているのか理解できず、不思議そうに呟いている。
「やはりこれは正しかった。これはお前と近しいものを感じていたが……。それは真だったようだ」
すると妖刀は答えるように笑いを止め、自らを真っ直ぐに立てながら補佐役を語らせ始めた。
「お前は化物。戦う事に。破壊する事に長けた。いや、それしかできない……。存在してはならないものだ」
月明かりを全身で浴びた状態のまま、今度は先端をラグラッドへと向けていく。
「……」
対するラグラッドは直接指差されているかのような感覚を覚えつつ、真剣な表情で見据えていった。
「平和の敵。正義の敵。それがお前だ。そして。それに近しさを感じていたこれも……。到底、人間になどなる事はできなかったのだろうな……」
やがて妖刀は自身の事は棚に上げ、糾弾するかのように話し出す。
それでも最後の方には声を潜め、少なくない無力感や寂しさを覚えているかのようだった。
「言いたい事はそれだけか」
しかしラグラッドの反応は冷たい上に退屈そうで、つまらない事に時間を割いてしまったとでも言わんばかりだった。
「あぁ。ただそれだけだ。そして。ただそれだけの事が、本当に残念だった……」
妖刀はそれに答えつつ、自らを静かに横たわらせていく。
直後には鍔の辺りにほんのわずかだけ光っていた部分が停止し、同時に補佐役の体は緊張が解けたかのように一気に力が抜けていった。
どうやら妖刀にとっての生命線である電源が落ちたのか、全ての機能は完全に停止している。
先程までの異様な雰囲気など欠片もなくなり、電気信号も発せられなくなったようだった。
それによって補佐役も自由になったのか、ずっと握っていた妖刀をようやく手放していった。
「そうかい。なら、もういいだろ」
ラグラッドは近づきながらそれを確認すると、地面にある妖刀を横へと蹴り飛ばしていく。
さらにそのまま拳銃を構え、鋭い視線で狙いをつけていった。
すでに物言わぬ存在と化した妖刀は抵抗する事もなく、静かに全てを受け入れようとしているかのように見える。
「……じゃあな」
それからラグラッドは小さく別れの言葉を口にした後、何発も銃弾を叩き込んでいく。
地面に転がる妖刀に銃弾が当たる度に、その刀身にはひびが入って軋んでいった。
やがてラグラッドが拳銃にある最後の銃弾を放った時、妖刀は大きな音を立てて割れてしまった。
「お前のそこまで強い、純粋な思い。それだけ徹底してしっかりとした芯があったのなら……。ある意味すでにお前は人にわずかばかりでも、近づいていたのかもしれないな」
ラグラッドは妖刀が完全に壊れた事を確認すると、少し目を伏せていく。
さらに呟きながら、自身が持つ拳銃を上に向けて顔の前まで持っていった。
「何かを純粋に求めて、必死に努力して……。ただ惜しむらくはその方法が凄まじく間違っていた点か」
そして両目を穏やかに閉じると、まるで黙祷を捧げるかのような姿勢となっていた。
「全く……。どうして俺の周りにはそんな奴ばっかりなんだ」
やがて少し後に静かに溜息を吐くと、目をゆっくりと開いて拳銃を眺めていく。
物言わぬ相棒は寒空の下でも熱を持ち、銃口から静かに煙を立ち昇らせている。
そしてそのすぐ向こうでは、今や遺物とでも言うべきものになった妖刀がその骸を晒している所だった。
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