継がれるもの 4



 それは現在より何年も前の、ここから遠く離れた地での出来事だった。
 太陽からの日差しを受けながら街道を歩いているのは、まだあどけなさを残す少年と壮年の僧の二人である。
 壮年の僧は先端に細かな装飾の施された杖を手に、まるで少年を導くかのようにゆったりと歩き続けていた。
 一方で少年は僧の影の下、その背をじっと見上げるようにしながら後をついていく。
 やがて二人はその先で中規模の町に辿り着くと、日も暮れかけてきたために安宿を探してそこに泊まる事にした。

 空いていた部屋は狭い上にどこもぼろぼろで、ほとんど掃除が行われた形跡もなかった。
 設備も老朽化が著しいが野宿よりはましであり、二人も特に気にする様子もない。
 それから軽く食事を済ませて戻ってくると、時刻は完全に夜を過ぎていた。
 備え付けられた大きな窓から見上げれば、頭上には満天の星空が輝いて美しい光景を作り出している。
 少年がそれを目を輝かせながら眺めていると、僧からもう寝なさいと声をかけられる。
 素直に応じた少年はベッドへと体を潜り込ませていくが、まだまだ眠くはないらしい。
 何かを書いている僧に話をせがむと、薄暗い室内でも星空を見上げていた時のように目を輝かせていた。
 対する僧はわずかに考え込んだ後、わずかに顔を引き締めて何かを決意するように頷く。
 そして少年のいるベッドの方までやってくると、すぐ側に腰かけてからゆっくりと口を開いていった。

「古来より我が一族はある使命を帯びてきた。幼い頃から旅に出て、決して一所に留まらない。やがて老いて天に召されるその日まで、自らの意思と足で世界を巡り続ける」
 僧はかつての思い出を語るように、どこまでも遠い目をしながら呟いていく。 教えられた事を今も忠実に、決して違えぬかのように語る様は真剣そのものと言えた。
「はぁ? 何だ、それ? そんな事して、どんな意味があるっていうんだ」
 一方で少年は怪訝そうな態度を隠さず、静けさで満たされた場であってもお構いなしに大きな声を上げていく。
「さぁ。私も気にはなったけど、結局今まで確実な事は分からず終いだった。聞いても答えは返ってこなかったし、もしかしたら答え自体が存在していないのかもしれない」
 対する僧がそう言いながら視線を下げていくと、その顔は赤く燃える焚火に照らし上げられていった。 ただしその表情はどこか優れず、雰囲気すらもいつもと異なっているかのように感じられる。
「は? ますます分からん。旅に出て、それから……。ん? もしかして俺がやたらさせられた、あの約束も何か関係があるのか」
「そうだね。普段から約束を順守させるのは、使命を果たすための下地作りと言ってもいい。清廉なる魂と肉体を持って、限りない苦難や絶望にも揺らぐ事のないようにする」
 だが少年は特に慮る事もなく、僧の言葉を聞くとおもむろに苦虫を噛み潰したような顔をしていった。
「使命からは決して逃げてはならず、必ず成し遂げねばならない。人という種族、命というものの在り様。それらを最後まで見続けねばならないんだ……」
「人? 命? そんなものを見て何になるんだ。腹が膨れる訳でも、楽しいはずもないだろうに。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
「一応、私なりに調べたり考えた事はあったんだ。でもそうして辿り着いたのも、所詮は曖昧な虚像。確固たる中核がある訳じゃない」
「それでも、いい。言ってみてくれ」
 僧がその後も中空を虚ろな目で眺めながら呟く一方、少年は飽きてきたのかその場で仰向けになっていく。
 そのまま腕を枕に寝転がる姿などは、眠るまでの間の暇潰しでもしているかのようだった。
「もしかしたら神、あるいはそれに近しい存在……。例えば、翼持つ賢人。あるいは不死の火を宿す、真なる人。その他にも超常的な、伝説として語られるような何か……」
 しかし僧はそんな相手の態度にも気付く事なく、一人で思索でも続けるかのように深く考え込んでいる。
「今はこの世界から姿を消した彼等が、再びこの世界を訪れた時。何らかの報告をするため。そのためだけに、気の遠くのあるような時間や手間を使命へと費やしてきた」
「まさか、そんな……。ありふれた、子供騙しのお伽話じゃあるまいし」
「そうだね。さっきも言った通り、証拠や信憑性のある話じゃあない。若い頃にふと思いついた、短い夢の続きのようなものだから。あまり本気にしてくれなくていいよ」
 以降も言葉だけを交わす自由な会話は続いたが、やがて僧はふと笑みを浮かべるとようやく少年の方を向いていった。
「とにかく……。最終的にどんな目標や意義があるのか、私には分からない。それでもあの人から受け継いだ役目を途中で放り出す気はない。要はただ、それだけなのさ」
「……」
「さぁ、もう夜も遅い。今日はもう休んで、明日からも旅を頑張ろう」
 そして直前までより明るく話を切り上げると、まだ少し不満気な少年を残して床へ入っていく。
「……」
 こちらに向けられた背をそれからも見つめていた少年だったが、特に問い詰めたりする様子はない。 かと言ってすぐに眠る気にもなれなかったのか、わずかに起こしていた身を完全に持ち上げていく。
 思えばこれまで少年は惰性に身を任せるまま、ただ僧の後をついてくるだけだった。 気にしたり考える事と言えば、日々の暮らしに関するものが精々でしかない。
 だが先程の話を聞いた事で、少年の中に新しく芽生えた何かがあったのかもしれなかった。
 それから焚火がほとんど消え、わずかに煙が立ち昇るくらいになってもまだ少年は眠らない。
 すでに空が白み始めるようになってもまだ、思い悩むかのように真剣な表情を浮かべていた。

 それからまた幾らかの時が過ぎ、二人はいくつもの地を渡り歩いていく。
 次に辿り着いたのは大都市のように栄えているとまでは言えずとも、まずまずの発展を遂げている町だった。
 大通りを行き交う人の数もそれなりで、至る所に大小様々な店や施設がある。
 二人はそんな町中を見物しながら、町の中心部にある市場を目指していった。
 市場の一角にはやや古びた商店があり、僧はそこで用事があったらしい。
 やがて目当ての商店を見つけると、錆び付いた扉を音を立てながら開いていく。
 少年はその時に店内を覗き込んだが、薄暗い建物の中はあまり奥まで見通せない。
 間隔が狭く置かれた棚の中にも古びた道具などが並ぶだけで、特に興味を惹くものは置いていなかった。
 僧についてくるかと尋ねられても、少年はそれに頷かずに外で待っている事にする。
 その後に僧が一人で店内に入っていくと、手持無沙汰になった少年は暇そうに近くの通りをぶらついていった。
「お父さん!」
 そんな時、少し離れた位置から幼さを感じさせる声が聞こえてくる。
 少年がそちらへ目を向けると、父親らしき男の方へ嬉しそうな顔をした男の子が駆け寄っている所だった。
 親子はそれからいくつか言葉を交わすと、手を繋いでどこかへ歩き出す。 その表情や様子はどちらも楽しげで、子は父の事を無条件に慕っているのが分かる。
 親も子に対して無償の愛を注いでおり、やがて二人は道の先にある角を曲がると見えなくなっていった。
「……」
 少年はそれからも曲がり角の方をぼうっと眺めていたが、ふと思い立ったように自分の手へ視線を落とす。
 当たり前だがその手は誰とも繋がれておらず、隣へ目を向けても誰かがいる様子はない。
 遠くの方で市場を行き交う人のざわめきが聞こえる中、少年は静かな店先で一人で立ち尽くしていた。
 するとその直後、商店の扉がまた錆び付いた音を響かせながら開いていく。
「……!」
 それに気付いた少年は目を見開くと、驚きと共に音のした方へ振り返っていった。
 店から出てきた僧の手には見慣れぬ杖があり、どうやらそれを受け取るためにここに立ち寄ったらしい。
 その後にこちらにやって来た僧は少年のわずかな変化に気付く事もなく、今日泊まる宿を探そうかと提案してくる。
 少年も特に何かを言う事もなく頷くと、二人して歩き出す。
 その道すがら、少年はすぐ目の前を歩く僧の方を何となく眺めていった。
 僧の体を挟んで向こう側の手は杖で塞がっているが、もう片方の手には何も掴まれておらず空いている。
「……」
 少年はそれをちらちらと何度か眺めた後、ふとそこへ向けて自分の手をゆっくりと伸ばしていく。 音を立てずに気配を殺しながらの動作は、いつになく真剣なものに見えた。
 そしてあとわずかでも伸ばせば、少年の手は僧の元へ届くという所までやって来る。
 しかしその直前で手は止まってしまい、それ以上は近づく事はなかった。
「……」
 それから手を力なく引き下げていった少年は、やや表情を曇らせながら自分の手をじっと見つめていく。
 宿が並ぶ通りまではまだ時間がかかりそうではあったが、もう少年がそれ以上何かをするという事は決してないままとなっていた。

 それから何日か経った後に、町を離れた二人はどんどん閑散とした地域へ入り込んでいく。
 この先には打ち捨てられた遺跡が存在し、今となっては寄り付く人もほとんどいなくなっているらしい。
 珍しく人のいない場所を訪れるという事に、少年は新鮮な驚きを覚えつつも僧の後をついていった。
 フードのついた揃いのマントを纏った足取りや態度は軽やかで、雰囲気も出会った当時とはほぼ別人のものとなっている。
 今でも時々はぎこちなさを感じる事はあっても、少年はどうやら僧との旅をかけがえのない日常だと思い始めているようだった。
 そしていくつかの峠や山道を超えた先で、二人は荒涼とした地域に辿り着く。
 辺りは見渡す限りに岩場や砂地が広がり、植物などはあまり見られない。 もちろん人気や人家なども見当たらず、うらぶれた景色がどこまでも広がっている。
 そんな所にぽつんと遺跡が存在しているが、乾燥した空気が流れるそこでは壁や柱などの至る所にひびが入っていた。
 崩落した箇所も割と多く、地震でもくれば倒壊しそうな程の脆さすら見受けられる。
 それでも僧は遺跡に入ろうとしていたが、少年に対しては外で待つように言いつけていった。
 だがそのような忠告を素直に聞き入れる少年ではなく、むしろより積極的に遺跡の中へ向かおうとしている。
 短くない付き合いの中で僧もその人となりを理解しているのか、すぐに説得を諦めたらしい。
 僧はそれから逸る少年を抑えるように前に出ると、あくまで用心は欠かさぬまま遺跡へと足を踏み入れていった。
 入口付近はまだ外から光が入るために明るさを保っているが、内部は奥に行く程に薄暗さを増している。
 それでも二人は途中で足を止める事もなく、そのまま内部へとどんどん入り込んでいった。


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