とびらひらき 4



「馬鹿野郎。何で……。何でだよ……」
 やがてたった一人きりになったのを実感すると、ジャンパーの少年は消え入りそうな声で呟く。 悔しそうな表情で座り込む姿には元気さの欠片も見られず、今までとは別人のように変わり果てていた。
 それからもすぐには立ち直れないくらいショックを受けているからか、なかなか立ち上がる事もできないでいる。
 顔からはいくつも水滴が垂れ、地面へ吸い込まれるように消えていった。
「あの……」
 そんな時、ふと何者かが背後から話しかけてくる。 申し訳なさそうな声はとても小さく、ほとんど聞き取れるものではなかった。
「どうしてこうなる前に相談してくれなかったんだよ……」
 当然だが打ちひしがれているジャンパーの少年には聞こえる事なく、握り締めた拳で何度も悔しげに地面を叩き続けていた。
「えっと……」
 一方でそこにいる何者かは、さらに背後から話しかけていく。 先程よりは大きくなった声は、ようやく聞き取れるくらいまでになっていた。
「っ、何なんだよ……。えっ……!?」
 ジャンパーの少年がようやく気付き、目の辺りを拭いながら振り返るとすぐさま驚愕の表情を浮かべる。 その瞳はこれまでになく大きく見開かれ、心臓は激しく脈打つかのようだった。
「お……。お前、何でそこに!?」
「うーん、えっと……。何かよく覚えていないんだけど……。変な空間を通って、気が付いたら神社の裏手に出ていたんだ」
 そして上ずった声を発しながら震える手で指差すと、その先にはいなくなったはずのマフラーの少年の姿がある。 その当人と言えば困惑を浮かべたまま頬の辺りを掻き、しきりに辺りを見回していた。
 どうやらまだ記憶が曖昧なのか、それからもずっときょろきょろとしている。
「このっ……」
 一方でジャンパーの少年はずっと一点を見つめたまま、急に立ち上がると駆け出していく。
「う、うわっ……!」
 その素早さに気付いたマフラーの少年は、殴られやしないかとでも思ったのか思わず身構えていった。
「大馬鹿野郎!」
 ジャンパーの少年はそれから間近に迫ると、その両腕を前へと伸ばしていく。 だが手はあくまで開かれたまま、相手の肩をしっかりと掴んでいった。
「え……? え……?」
 予想と違う展開にマフラーの少年は戸惑い、閉じていた目を恐る恐る開くと眼前の様子を窺っていった。
「でも、無事で良かった……。お前が戻ってこれなかったら、俺は……。いいか。もう二度と、こんな事するなよ……」
 するとすぐそこにいるジャンパーの少年は、顔を俯かせながら静かな呟きを放っている。 両肩を掴む手や体などは細かく震え、目からは透明な液体が何度も落ちていった。
「う、うん……。うん……。ありがとう。僕は……。僕は、決して一人なんかじゃなかったんだよね……」
 それを見たマフラーの少年は深く頷くと、そのまま同じように顔を俯かせる。 そして目から流れ出す涙を拭うと、嬉しそうな笑みを浮かべていく。
 辺りの雰囲気にそれまでと違いはほとんどなく、風の音がする以外はほとんど静まり返っている。
 それでも人の数がたった一人増えただけで、そこはとても暖かで心地の良い空気で満たされていくかのようだった。

「お……? こんな所で何をしとるんじゃ、お前達?」
 それから少し経った頃、静寂を切り裂くように何者かの声が届いてくる。
「……!?」
 二人の少年が慌ててそちらへ向き直ると、そこには和装に身を包んだ神主らしき老人の姿があった。 手には長い箒も握られ、禿げ上がった頭とは反対に顎には長く立派な白い髭が蓄えられている。
「あ、うん……。えぇっと……。べ、別に? 何にもしてないよ」
 対するジャンパーの少年は、急な事にうろたえつつもどうにか言い繕う。
 すぐ側にいるマフラーの少年も追随し、同意するように深く何度も頷いていった。
「むぅ……。本当か? まぁ何かいたずらしようにも、この辺りにはろくなものがないが……。ん?」
 神主は愛想笑いを続ける姿にいささか不審を覚えたようだが、それ以上追及するつもりにもならないのかすぐに視線を外す。
 ただし丁度目を向けた先に普段と違う異変を見つけたのか、おもむろにそちらへと歩いていった。
「ありゃ……。何で社が開いとるんじゃ?」
「……うっ!」
「ぁ……」
 その急な行動に驚いたのか、二人の少年は不用意に声を上げてしまう。
「お前達……。やっぱり何かしたんじゃないのか? 余程の事でなければ怒らんから、さっさと白状した方が良いぞ?」
 すると神主は懐疑的な視線と共に、やけにゆっくりと振り返ってくる。 老人にしてはやけに鋭い眼力は、どんな小さな悪事も見逃さないとでも言いたげだった。
「や、やだなぁ……。俺達、町でも評判の良い子なんだぜ? それが、まさかそんな悪い事なんてするはないじゃん」
 応じるジャンパーの少年は明るく笑っているが、その笑みは何かを誤魔化しているかのようにぎこちない。
 隣にいるマフラーの少年も黙り込んだまま、後ろめたい事でもあるかのように目線を逸らしてしまっている。
「それならいいが……。昔、都市伝説がどうのこうのって流行った時にはのぅ……。若い奴等が大勢押し掛けてきて、それは大変だったんじゃ」
 一方で神主はすでにそちらを見ておらず、社に壊れている部分でもないか覗き込んでいる所だった。
 少年達はようやく胸を撫で下ろすと、安堵した様子で深く溜息をついていく。
「何故かは知らんが誰もが競うようにここを目指してのぅ。色々と荒らされて、随分ひどい事になったんじゃ。まぁ放っておいたら、そんな不心得者も自然といなくなったが」
「……! そ、その人達って何のためにここに来たのかな」
 しかし続く神主の言葉に対し、二人の少年はどちらも心臓が跳ね上がったように体をびくつかせる。
 ただし声では平静を装いながら、動揺を相手に悟られないように懸命になっていた。
「さぁ……。そこまでは知らんのぅ。ただ、一度若いのが尋ねに来た事があったか。確か……。とびらひらきがどうとか言っておったはず……」
「え、それって……!? 前にもここでとびらがひらかれたって事? その時って、誰かがいなくなったりしたの?」
 神主は社の中の鏡を見つめながら懐かしむような表情を浮かべる一方、少年達は身を乗り出すようにして声を上げる。
「ん? 何を言っとるんだ、お前達。はっはっは……。まぁ、わしがこんな事を言ってはいかんのかもしれんが……。そんな伝承、単なる作り話じゃよ」
 以降も神主の方はしわがれた声を発しつつ、やがて社の扉を静かに閉めていった。
「全く……。異世界への扉なんぞ、そう簡単に見つかるものではないわ。もしあるなら、わしが使ってみたいくらいじゃ」
 そしてまだ表情に軽く笑みを残しつつも、そう言いながら少年達の方を見据えていく。
「……」
 そこにいる二人はあっけらかんとした神主とは対照的に、訳が分からないといった様子で顔を見合わせていた。
 自分達が体験した事とまるでそぐわない言い様に接していると、先程の出来事も夢か幻だったのかとさえ思えてしまう。
「で、でも……。もし、本当にとびらがひらいて……。向こう側から、何かが……。例えば、手を伸ばすとかしてきたら……?」
 それでもマフラーの少年はあくまで何かを固持するように、慎重に言葉を選びながらもどうにか答えを得ようと足掻いている。
「そうじゃのぅ。うーむ……。うぅむ……」
 やけに神妙な姿を見ると、神主も先程から続いていた笑みを潜ませていった。 さらに顎から伸びる長い髭を擦っていくと、声を唸らせながら深く考え込んでいく。
「どうしてそんなに考え込んでいるのさ?」
「仮に、そのとびらとやらがひらいたとして……。その向こうには一体、何がいるんじゃろうな……?」
 それからジャンパーの少年が不思議そうに尋ねかけると、神主はまだ難しい顔のまま呟くように口を開いていった。
「え?」
「いや、ここの神様はきちんと本殿に祀られておるからな。ここにおられるなんて事は間違ってもないと思うんじゃが……」
 続けて少年達がほぼ同時に呆けたような声を上げていると、神主はどこか浮かぬ顔を社の方へと向けていく。 その姿には嘘をついたり、相手をからかうような様子は微塵もない。
 日が落ちてきたのか段々と暗さを増す辺りでも特に薄暗く見える社の方を、どちらかと言えば真剣な視線を注いでいった。
「で、でも……。お爺ちゃんの本では……。あの人から聞いた話だって……」
「ま、まぁ……。伝わっている事にも間違いはある。むしろ昔から伝わっているからこそ、細部には事実と異なる部分も出てくるんじゃろうて」
 マフラーの少年も動揺を隠せないように目を揺れ動かす一方で、神主は自分だけで納得するように呟いていく。 目を瞑りながらしきりに頷く様からは、むしろその事について深く関わりたくないとするかのようだった。
「そ、そうなのかな……?」
「うむ、そうだとも。それにもし、向こう側に何かがいるとすれば……。それは明らかに人外の類。神とも魔性のものとも知れない、恐ろしいものに違いない」
 対するマフラーの少年が怪訝そうな顔をしていると、神主は後押しするように言いながら歩き出していく。
「決して人がうかつに関わって良いものではないはず。本来ならこの世と繋がりのないものを、わざわざこちらから招き入れる必要などないんじゃから」
 やがて元いた場所まで歩を進めると、こちらには背を向けたまま話し続けていった。 ただしその声は先程までと違って低く重くなり、深刻さのようなものも幾分か増しているように思える。
「う、うぅ……。さっきは自分で作り話だって言ってたのに、脅かさないでよ……」
 そのせいでジャンパーの少年などは特に萎縮すると、寒気を感じたかのように身を震わせていった。
「ん……? そうか。まぁこんな所に近寄らなければ、そもそも大丈夫なはずじゃ。さぁ、もう暗くなるから帰るといい。周りが見えなくなってからでは、遅過ぎるからのぅ」
 やがて神主は手にしていた箒で足元を何度か掃くと、一仕事終えたようにその場から立ち去っていく。
 どうやら社や向こうにいる存在など本当に信じていないのか、その動きや足取りすら軽やかに感じられる。
「……」
 一方でその場に残された少年達はまだすっきりとしないのか、それからも帰ろうとせずにその場に留まっていた。
 だがいくら考えた所で明瞭な答えなど出るはずもなく、ただ呆然と日が落ちていくのを眺めるくらいしかできないでいる。
 見れば空はすでに赤さを通り越して黒くなり始め、このままでは夜の訪れも時間の問題だと思われた。


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