ラグラッド 2



「どうですか?」
 それからしばらく時間が経った後、メイドが様子を見にやって来た。
「問題ない」
 ラグラッドは修理の作業を続けたまま、顔を向ける事なく答える。 だが窓から手を離し、修理しているようには見えない。
「それは修理の方ですか、それとも……?」
 メイドは不思議そうに感じ、近づくと背を屈めながら覗き込んでいった。
 どうやらラグラッドはその場にしゃがみ込み、何かを作っているらしい。
「両方だ」
 相変わらずラグラッドは作業に集中したまま、静かにそう言った。
「そうですか……」
 メイドはそれを聞くと顔を上げ、近くの壁にもたれかかるように背を預ける。 頭上には暖かく晴れ渡った空が広がり、辺りは平和そのものだった。
 遠くの方から聞こえる人の笑い声とラグラッドが奏でる作業音を耳にしつつ、抜けるような青空をじっと眺めていく。
「絶対にあの男を逃がさないでくださいね。あいつは、生きていてはいけないんです」
 そんな中でメイドは一人だけ深刻そうな表情を浮かべ、目もどこか寂しげだった。
「……何か恨みでもあるのか?」
 今までラグラッドは黙々と作業を続けていたが、不意に目線を上げて尋ねていく。
「はい。少し前まで私の人生は幸せに満ちたものでした。でも父が、事業に失敗してしまい……。それであの男に金を借りたら、借金は知らない間に膨大な額になって……」
 メイドは視線を下げると、陰った表情のまま話し出した。 目は暗く伏せられ、躊躇するように口を動かしていく。
「執拗な取り立てに耐えきれず父は自殺し、母は今も一日中働いて……。兄は出稼ぎにと言って学校を辞めて鉱山に行ってしまいました。そして結局、家族は離れ離れに……」
 さらに虚空を見つめたまま悔しそうに口を噛むと、手を強く握り締めていった。
 その横ではラグラッドは何も言わぬまま、淡々と作業を続けている。
「私はその後に組織に入り、この屋敷に送り込まれました。あいつはこんな事を町中の人にしているんです」
 そう言うとメイドは急に壁から身を離し、語気を強めながら詰め寄ってきた。
「私はあの男が憎いんです。そう、殺したい程に。でも、私だけではどうにも……」
 しかし直後には徐々に声の調子を落としていくと、俯いていく。 弱気になったように体からは力が抜け、今にも地面に座り込みそうになってしまう。
「おい、あんた。くれぐれも余計な事をするなよ」
 するとラグラッドは落ち込む相手に対し、しっかりとした口調で話していく。 手は止まっており、目つきもどことなく厳しかった。
「え……?」
 メイドはふと顔を上げるとその様子に気付き、思わず聞き返す。
「そういう感情を溜めこむ事自体、殺気が気取られる可能性もある。それだけで標的が護衛を増やす事だってあるんだ。そうなったら仕事がやり辛くなるだけだ」
 対するラグラッドはいつになく饒舌で、淡々と注意を促していく。 ただし相手を思ってではなく、自分の仕事に差し障るためであった。
 どうやら慰める訳でも、理解しようとしている訳でもないらしい。
 一方でメイドの方は呆然としたまま、目を何度か瞬かせていく。 今頃になって、目の前の男が人を殺す事を本職にしているのだと理解したようだった。
「心配するな。俺が必ず、あいつを殺してやる」
 そして最後にラグラッドは、ついでのように告げると作業に戻っていく。
「はい……」
 メイドは無表情のまま人を殺すと簡単に言うのを見て、どことなく浮かない表情のまま頷いた。
 さらに現実に人が死ぬという事を思い知って後悔の念も浮かんできたのか、それからは何も言わなくなってしまう。
 そしてその後、しばらくは二人の間で無言が続いていった。
「あの……」
 だがやがてメイドはそんな時間に耐えられなくなったのか、焦ったように口を開く。
「ん?」
 作業に戻っていたラグラッドはそう言って反応すると、再び手を止めた。
「ところであなたの名前は、その……」
 しかしメイドの方は口ごもり、何やら言い辛そうにしている。
「ラグラッド、だが」
 一方でラグラッドは特に気にもせず、作業を再開しながら答えていく。
「本当の名前なんですか?」
 メイドは不思議そうな顔を浮かべるとしゃがみ込み、その手元を覗き込んだ。
 よく見てみるとガラスの修理とは全く関係ない、別の作業をしているようだった。 小さい箱の中にいくつもの部品を詰め、複雑に配線を繋げていく。
 ただしメイドは怪訝そうな顔をしており、何をしているのかよく分からないらしい。
「いや、違う」
 だがラグラッドは手慣れた様子で、細かい作業を続けながら質問に答える。
「あ、やっぱりそうだったんですか。おかしいと思いました」
 それから口元に微笑みを浮かべると、メイドは明るく言った。 緊張した様子や落ち込んだ顔などと違い、それこそ生来の姿のようだった。
「何がおかしい?」
 一方でラグラッドは工具を取る時に一瞬だけ、不思議そうに動きを止めていく。
「この辺りの人でその名前をつける人はいませんから」
 メイドは立ち上がると、見下ろしながら答えていった。 薄暗い中でも顔はわずかに綻び、安堵しているかのようだった。
「俺は仕事の度に名前をつけかえている。何らかの由来、または意味のある名前を探してもらってな。今回は単に、こういう名前だっただけだ」
 対するラグラッドはそう言いながら、再び作業に戻っていく。 感情を見せないまま、ひたすら手を動かしていた。
「何故、そんな事をするんですか?」
 メイドは顔を傾げると、訳が分からないといった風に問いかけていく。
「単純に仕事のため……。いや、違うか」
 そしてラグラッドはそう呟くと、作業を終えたようだった。 逡巡するように顔を何度か横に振ると、今まで作っていた箱を閉じていく。
「え?」
 だがメイドはますます混乱し、思わず顔をしかめる。
「……俺は捨て子だった。望まれて生まれてこなかった俺には、親が授けてくれるはずの名前がなかった」
 ラグラッドは少し考えた後に、おもむろに口を開いていった。 抑揚のない声を発し、俯いたまま話していく。
「誰もが必ず持っているべきものが、俺にはない。中途半端で誰にも認められた気がしない。そんな状態のまま、俺は生きているんだ」
 呟く表情には生気がなく、虚ろな目をしている。
「……そうなんですか」
 じっと見下ろしたまま話を聞くメイドの顔も自然と曇り、気まずそうに横を向いていった。
「だから、俺はずっと探してきた。自分に合う本当の名前ってやつを……」
 次にラグラッドはメイドとは反対の方を向くと、ガラスに触れていく。 どうやら今度は窓に細工でもするのか、真剣に眺めている。
「そのために、人を殺すんですか……?」
 一方でメイドは冷徹なまでに感情を変えない相手の方に振り返ると、直接的な質問をした。 顔には明らかに怯えが窺え、質問はしたが自身でもあまり答えを聞きたくはないようだった。
「俺にはそれくらいしかできないからな。人殺しも名前を探すのも、生きていくために必要な事だ。罪は消えずとも仕方ない……。これが俺という存在なんだ」
 答える側のラグラッドは小さく呟き、最後の一言は消え入りそうな程だった。 その間にも手は休みなく動き、何かを設置している。
「よし……。これでこっちは終わりだ」
 やがてそう言って立ち上がると、確かにガラスの修理は終わっている。 ただし外枠の下の方には、先程に作っていた箱のようなものが取り付けられていた。
 あまり大きくはなく、一見すると分からない位置にあるため目立ってはいない。
「……あの」
 ただメイドは不安そうな様子で呟き、それが何なのか尋ねようとする。
「おい」
 しかし続きの言葉を言う前に、ラグラッドが強い口調で声を発していった。
「あ、はい……!」
 メイドはそれに反応すると、思わず後ろに振り返る。
「仕事は今夜に決行する。だから、ここには絶対に近寄るなよ。あとそれには触れるな。死にたくなければな……」
 視線の先にいるラグラッドは窓の方を指差し、真剣な様子で話していた。
「は、はい……。ですが、あの……」
 メイドの顔も真剣なものとなって一旦は頷くが、その後に何かを言いたげな様子で見つめてくる。
「何だ」
 対するラグラッドは不機嫌そうな声を上げ、じっと見つめ返す。 本人からすればいつも通りの対応だったのかもしれないが、相手はそう思わなかったらしい。
「いえ、何でもないです……」
 メイドは怯えた様子で俯くと、結局は何も言えなかった。
「……そうか」
 ラグラッドは視線を外しつつ、軽く頷く。 その頃にはすでに夕焼けが見えるようになり、夜の時間が近づいていた。


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