スリープユニット 2



 それから安中は会社で仕事をこなしていくが、特に変わった事は起きない。
 遠見にもおかしな点はなく、スリープユニットに関する話も一切してこなかった。
 それはこれまでしてきた当たり前の日常の連続であり、その中では些細な不安感など自然と忘れていってしまう。
 安中もすぐにいつもの日々に戻っていくと、それ以外の出来事への対処に集中していく。
 その日は何故かいつもより同僚や上司の休みが多かったため、残業までして仕事に時間を費やす必要がある程だった。

「ふぅ……。やっぱり気のせいか。そりゃそうだよな。いくらなんでも機械に乗っ取られるなんて……。どうかしてたな」
 あれから数日の時が経ってから、安中の姿は喫煙所にあった。 その目は所在なさげに空を眺めつつ、手元には煙のたなびく煙草が握られている。
「よくよく考えれば、今の俺にはスリープユニットも必要なのかもな。最近やりたい事があっても、時間が全然足りなかったし……。購入の検討でもしてみるか……」
 そしてどこか憂鬱そうな表情で考えに耽っていると、その内に誰かの足音が聞こえてくるのに気付いた。
「よぉ、どこに行ったのかと思ったらここにいたんだな。行くんだったら誘ってくれよ。水臭い」
「あ、あぁ……。悪かったな」
 手を上げながらやって来るのは笑みを浮かべた遠見であり、安中はやや驚きつつもそれを悟らせないかのように煙草を口元へ運んでいく。
「いやぁ、それにしても今日はいい天気だよな。予報ではそこまで晴れないってはずだったが」
「……そうなのか」
 それから遠見は安中の隣に座っていくが、両者の表情はどこか対照的だった。 あくまで安中の表情は優れず、遠見の姿をまじまじと眺めている。
 その様は本能で何か異変を感じ取り、その正体を懸命に探ろうとしているかのようでもあった。
 一方で遠見の服装でまず目に付くのは皺の一つもない新品のようなスーツである。 胸元にあるネクタイも真新しく、足元にはピカピカに磨かれた光沢の美しい靴もあった。
 前はずぼらな性格を表したかのような見た目で、お世辞にも外見を気にしているとは言えなかったが今はまるで違う。
 髪の毛も綺麗に整えられ、無精髭も消え失せて別人かと見紛う程に印象が変わっている。
 それでもいくら小奇麗になろうと、何か大事なものが欠けているような歪さがあった。
 その源は顔に貼り付いたような一辺倒な笑みであり、見ているだけで不安感ばかりが募ってしまう。
 言うならばそれまでの知り合いにそっくりな誰かがそこにいて、無理に本人を演じているかのような不気味さだった。
「何なんだ……。どうして……。どうしてこんなに気持ちが悪い? どう見たってこいつは以前と同じ。多少の違いはあれ、大元は変わっていない。はず、なんだが……」
 そのために安中の全身には、また昨日のような悪寒が突き抜けるように走っていく。 すでに煙草を吸うのも忘れ、ひたすら考え込んでいるようだった。
「はぁ……。何だか最近はやけに忙しくて、こうしてのんびりする時間もなくなってきたよな。ん……。どうした、そんな難しい顔をして」
「いや、ちょっとな……。なぁ、あのさ……。聞いてみたい事があるんだが、いいかな」
「ん? あぁ、別にいいぞ。何だ?」
 それとは逆に遠見はすっきりとした表情をしており、どこかおどおどとした安中に比べれば堂々としている風にすら映る。
「前に……。話してただろ。スリープユニットってやつ。あれってもう、使ってたりするのか……?」
「分かるか?」
「え……」
「あぁ、いや。別に隠す気はなかったんだが。そうだな。実はもう、使っているんだ」
 そして不意の質問に対しても、顔にはにやりとした楽しげな笑みすら浮かべていた。
「そ、そうか。それで……。どんな感じだったんだ」
「素晴らしいよ。自分でもこんなに生活……。いや、人生そのものが変わるとは思わなかった。これはもう人類に革命を起こすんじゃないのか」
「そ、そこまでか。でも……。擬似クローンだったか。それは本当に信用できるものなのか……?」
 だが安中からすればむしろそれは不気味さを助長させるものであり、思わずたじろぐように後ろへ身を引いてしまう。
「もちろん。自分を元にした、完全なもう1人の自分なんだからな。信用できない方がおかしいだろ。でも、どうしてそんな事を聞くんだ?」
「いや……。少し気になってさ。例えば……。もしもだが機械に不調とかあって、その擬似クローンに体を使われたままだったら……」
「それはない」
 遠見はそんな相手の様をじっと見つめたまま、静かに言い放つ。 あくまで何の感情も発してはいないが、その顔からは先程までの笑みや余裕は消えていた。
「え……」
「それはない。心配ない。いくつもの防御機構と復旧機能が搭載されているからな。何の問題もない」
「そう、なのか……」
「それにもしそうなったとして、何の問題がある?」
「何……?」
 おかげで安中は圧倒されるかのように言葉を返せず、相手に応じるように頷いたり顔を傾げるくらいしかできない。
「どっちが体を支配しようと、結局動かす方に変わりはないんだ。記憶はもちろん、趣味や嗜好まで完全にトレースしてあるんだ。そこに違いなんて1バイトもない」
「いや、だとしても……」
「別にいいじゃないか。他人との関係性に問題がなければ、本人とクローンの違いなんて些末な事さ。どうせ他人からは、人の内側なんて覗けないんだ。そうだろう?」
「それは、そうかもしれないが……」
「じゃあ、この話は終わりだ。俺は仕事があるから、失礼させてもらう。っと……。そうだ、忘れてた」
 そうしていると不意に遠見は立ち上がり、そのまま歩いて行こうとする。 しかし途中で立ち止まったかと思うと、いきなり顔だけこちらに振り向いてきた。
「?」
「スリープユニットを使ってるのは俺だけじゃない。いや、正確に言えば……。使ってないのはお前だけ、と言った方がいいか」
「は……?」
「あくまでこの会社の中だけの話だが。今はまだ、な。いずれスリープユニットは広く社会に受け入れられる。そうなった時、お前はどちらを選ぶのか。今から楽しみだよ」
「何だよ、それ……。俺に、どうしろって言うんだよ……」
 安中は愕然とするあまり立ち上がる気力さえなく、遠見の背を食い入るように眺めるしかない。
「そもそも眠りたいと望んだのはお前達なんだ。だからこっちは代わりを引き受けた。満足だろう? もうこれからは時間にも、何事にも拘束されずに済む」
 そして遠見がそう言いながら立ち去った後、入れ替わるように数人の男が現れる。
 スーツとサングラスで個性や外見の差異はなく、無言で動き続ける様はとても普通の人間とは思えなかった。 その手には見慣れぬ機械や太いケーブル、ヘルメットのようなものがそれぞれ見受けられる。
 男達はそれから安中を取り囲むように動いていくと、ゆっくりとその距離を詰めていった。
「嘘、だろ……」
 安中がなおも呆然としていると唐突に意識は途切れ、何もかもが黒一色に塗り替えられる。 そこは安息とは程遠く、二度と這い上がれぬ暗闇に突き落とされたかのようだった。
「後は全てを委ねて眠り続けるがいい。自分という名の、永遠の揺り籠の中でな……」
 それでも最後にどこかから、今となっては誰とも分からぬ誰かの声が響いてくる。 そこには何の感情や感慨もなく、道端の石ころや虫けらに気紛れに呟いたかのようだった。
 それに答える者もすでにその場にはなく、後には時が止まったかのような静寂だけが残される。
 深い眠りの中に落ちたような空間の中では、わずかな夢の残滓さえ見い出す事は叶わなかった。

 あれからどれだけの時が経ったのか、喫煙所には安中と遠見の姿がある。
 そこで休憩する二人はいつも通りの穏やかな時を過ごし、そこには何らおかしな点は見当たらなかった。
 それにもし仮に言い知れぬ違和感があったとしても、声や行動で変化を起こす者はいない。
 平穏で完成された世界でありながら何故かそこは、それまでになかった異質さがどこまでも染み込んでいるかのようだった。


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