雷獣 3



「なぁ、あんたはどう思う?」
 そこにいたのはラグラッドであり、老人をじっと見下ろしながら佇んでいた。 俯かせた顔は辺りよりもさらに薄暗いが、目だけはしっかりと見開かれている。
 さらに感情が一切窺えない表情から放たれる視線はどこまでも鋭く、ただ一点を目指して突き進んでいた。 それはまるで全ての怒りや憎しみ、殺意といったものを凝縮したかのようだった。
「ひぃっ……。いや、それは……。その、えぇっと……」
 一方であまりの迫力に恐れをなした老人は体を震わせ、情けない声を上げていく。
「いや、やっぱり忘れてくれ。どうせここにはもう、人はいない。あいつが死んじまった今では、な。だから考えてもどうせ無意味だ」
 対するラグラッドは何故かやけに冷静であり、自虐的にすら見えていた。
「き、君はおかしくなったのか? かつての友を失った事で……」
 だが追い詰められた側の老人からすればその姿は不気味でしかなく、恐怖に耐えながら何とか尋ねていく。
「いいや。正しく認識しようとしているだけだ。俺はラグラッド。そして、あんたは悪。自覚もなく、破壊を撒き散らし……。俺の相棒を壊した張本人だ」
 ただし答えるラグラッドはあくまで淡々としており、自らに言い聞かせるように話していた。
「そしてだとしたら、もう後は考える必要はない。この関係性ができてしまえば、面倒な事は全部取っ払って動く事ができる」
 続けて手に力を込めると、持っていた銃を前に構えていく。
「私は組織の人間だぞ。私を殺すどころか傷つけでもしたら、君は……」
 その頃、老人は気付かれぬように腰の辺りから何かを取り出していた。
「言っただろ。あんたは悪だ。そして、俺はラグラッド。ならさ……。後はただ、目の前の獲物を狩るだけだ」
 ラグラッドはその行動に気付いているかは不明だが、まだ落ち着き払った様子に変わりはない。
「君だって散々、人を殺してきたはずだ! いくらその名前を纏おうと……。ラグラッドという存在になろうとしても、君が許される事などないのだぞ!」
 一方で老人は感情を高ぶらせると同時に、手にしていた注射を自身の膝に突き刺していく。 中には毒々しい色をした液体が満ちており、それは一気に体内に入り込んでいった。
「そう、数々の禁忌を冒してきた私のようにね……!」
 次の瞬間には全身が変色し、先程までとはまるで違う体つきへ変貌していく。 どうやら殺されるよりはましだと思ったのか、死霊と似たような状態になったらしい。
「あぁ、分かっているさ。きっと俺みたいな存在の最後は。惨たらしくて、残酷なものになるだろう」
 それでもラグラッドは大して驚きもせず、なおも淡々と呟くだけだった。
「ふっはっはっは……! これは改良版! 意識を保ったまま、体をより高みへと……! 私はこんな所で……! ラグラッド……! 死ねぇ……!」
 対する老人も会話は一応できているが、すでに支離滅裂の状態である。
「きっと何も成せず、道端にでも打ち捨てられて……。そのまま誰に看取られる事もなく、朽ち果てていくのがお似合いなんだろうな」
 次にラグラッドはそれを無視したまま、辺りをぼんやりと見つめながら話していく。
「だが、それでいい。俺はただ、悪を駆逐する。そのためだけに存在する意味が、価値があればそれでいい」
 独り言のような言葉は続き、すでに両者の意思が交錯する事など絶対にあり得ないかのようだった。
「他には何も要らない。どれだけ蔑まれようと構わない。俺は何も厭わない……!」
 ただし発せられる声には力がみなぎり、引き締められた表情からは並々ならぬ決意がはっきりと感じ取れた。
「が、あぁあぁぁあああぁぁ!」
 その直後、すでに人語すら失った老人が襲い掛かってくる。 目からは色が消え、血を吐きながら牙を剥く様はもう人ではない。
 しかしラグラッドには一切の油断も動揺もなく、いつも通りに銃を構えていく。
 そして頭部に集中して連続射撃をすると、ほぼ同じ部分を正確に撃ち抜いていった。 どうやらすでに死霊をかなり葬ってきた経験上、どこなら攻撃が効くか熟知しているらしい。
「ぐぉ、おぉぉぉおぉお……」
 当の老人もいかに体が頑強になろうと、指令を出す部分が損壊してはひとたまりもないようだった。 まだ動けそうではあったが、ふらふらとした足取りをすると側の壁にもたれ掛かっていく。
「ラグラッド。自己を証明すると同時に、忌々しい意味を持つ名前だが……。あんたのような奴を相手にする時だけは、そんな存在である事に感謝する」
 その姿をじっと眺めつつ、ラグラッドは銃を見せつけるように顔の前に持ち上げていく。
「悪を喰らうための悪。あんたみたいな奴を狩るために、俺は存在しているという実感が生まれるからな……!」
 そして大きく銃を振り払うと、勢いよく後ろに振り返りながら歩き出す。 それはすでにこの場には、敵など存在していないかのような素振りだった。
「ぉぉぉぉ……」
 対する老人はなおも追い縋るように手を伸ばすが、その勢いで前に倒れ込んでしまう。
 さらにその後はもう立ち上がれず、体はどす黒く変化していくだけとなっていた。 ただし目は逆に白く染まり、異様さに拍車がかかっていく。
 やがて後に残ったのはただの黒い固まりであり、一見すると人には見えない。 それはそのまま道端に打ち捨てられ、誰にも看取られる事もなく朽ち果てていく。
 激闘の終わりにしては実にあっさりとしたものだったが、こうしてその場は静寂を取り戻していった。

「終わったか。しかしこれは。一体どれから手をつけたらいいものか」
 仮面の男は戻ってきたラグラッドに気付くと、辺りを見回しながら呟いていく。
「さぁな。俺の知った事じゃないな……」
 一方でラグラッドは疲れたような表情をしつつ、溜息交じりに答えながら止まろうとしない。
「待て。どこに行く気だ。ラグラッド」
 それに気付いた男は思わず振り向き、怪訝そうに呼び止めていった。
「何だ。もう用はないだろ。俺がどうしようが俺の勝手のはずだ」
 直後にラグラッドは立ち止まるも、振り返りはせずに不機嫌そうに答えるだけだった。
「いいや。まだお前への補償が決まっていない」
 それでも男は引き下がらず、前に進み出ながらそう言う。
「そんなもの……。別にいらんさ」
 ただしラグラッドの方は話をする気などないのか、適当な返事の後に再び歩き出していった。
「そうはいかない。それでは私の仕事が完了しない」
 だが男も強情であるのか、決して譲らずに後を追いかけていく。
「俺はそいつとの決着がつけられたから、それだけで充分だ。そんな事に気を回す暇があったら、俺の相棒をきちんと葬って……。後はその家族にでも金を渡してやれ」
 対するラグラッドもそれに気付いたのか、わずかに振り向くとあまり声に力はないがきちんと答えていった。
「了解した。それがお前に対する補償にもなるのだな」
 ようやく男は納得したのか頷くと、その場で足を止めていく。
「あぁ。それだけで俺は満足だ……」
 そしてそう呟くラグラッドもどこか遠い目をしながら、じっと空を見上げていった。
「ラグラッド」
 そんな時、もう用は済んだはずの男が不意に口を開いていった。
「何だよ?」
 ラグラッドが気付いて振り返るが、肝心の相手からは次の言葉が聞こえてこない。
「……いや。何でもない。こういう時には言葉をかけるべきなのだろうが。生憎と私には何も思いつきはしない」
 それから少し間を置いた後に男がまた言葉を発するが、その時は今までと違って少し寂しげな様子が感じ取れた。
「へへっ。お前もこの短い間で、随分柔らかくなったな」
 だからこそラグラッドはその姿をじっと眺めつつ、わずかに口を緩めていく。
「そう見えるか」
 対する男の声もいつになく明るく、目つきは澄んでいるかのようだった。
「あぁ。こうしていると昔を思い出す。あいつと馬鹿な事を言い合っていた時の事を……。当時は気付かなかったが、本当にあの頃は人らしく過ごせていたんだな……」
 一方でラグラッドはそう言いながら顔を俯かせ、どこかに向かって歩き出す。
「大分遅くなったが、礼を言わせてくれ。ありがとうよ、ディーク……」
 そして道端にひっそりと咲く小さな赤い花の側を通り過ぎる瞬間に、誰かに向けるような言葉をかけていく。
 当たり前だがその言葉に花が答える事はなく、それからもただ静かに風に揺れているだけである。
 それでもラグラッドは不思議と満足気な顔をして、ゆったりとした足取りのままその場を後にしていく事ができたのだった。


  • 前へ

  • TOP















  • inserted by FC2 system