第13話 光


「光龍。ごめんね、黙っていて」
 センカは階段を降りながら、背後の方へと話しかけていく。
「何がだ、センカ?」
 光龍は唐突に言われるが、何の事か分からないようだった。 そのまま前を見返し、不思議そうな顔をしている。
「……私の、目的の事」
 一方でセンカは浮かない顔をしており、振り返る事も出来ない。
 その時、教主と教団員達は両者の少し前を歩いていた。 必然的に周りには明かりなども届かいために薄暗く、異様なまでに静かな空間となっていた。
「あぁ、その事か」
 光龍は申し訳なさそうな声に対し、言わんとしている事に気付いたようだった。
「最初は確かに、あなたを手に入れるのが目的だった。あの方のために」
 センカは次に言うと、曇った表情で眼下を見つめる。
 先には真面目な顔をして、一心に階段を降っていく教主の後ろ姿があった。
「でもあなたと同化して、ロウさん達と旅を続ける内に段々と気持ちは変わっていった。その頃からきっと私は恐れるようになったの」
 なおもセンカは話し続けながら、ひたすら教主の事を見つめている。
「もしもあなたを献上したら、私はあなたを失う事になる。でも逆にそうしなければ、私はニンネ様から見捨てられてしまうかもしれない」
 話す声には元気さなどはなく、ひどく落ち込んでいる。 視線には悲しみすら混じり、終いには泣き出してしまいそうだった。
 光龍はいつもより小さく感じられる後ろ姿を見つめたまま、口を挟む事もなくじっと話を聞いている。
「私は一人で悩んだまま、どちらも選べず……。曖昧なまま、ロウさん達に漫然とついていくしかなかった」
 さらにセンカはそう言いながらふと視線を下げ、階段を見つめていく。
「でも、でもね。私はもっとあなたと一緒にいたい。離れたくない。いつからか本当にそう思うようになっていった」
 すでに足を動かす速度は、自身でも気付かぬ内に遅くなっているようだった。 そのせいでますます前方の集団とは距離が開き、暗闇に身を浸す事となっていく。
「この気持ちに嘘はなく、その時から少しずつ光の巫女として行動する事に疑問を覚えるようになっていったんだと思う」
 センカはそれでも速度を上げる事もなく、ただ落ち込んだ表情で懺悔を呟き続けていた。
「あぁ、そうだな。お前は初めて同化した頃から悩み、葛藤をずっと心に秘めていた。その苦しみはよく分かっている」
 対する光龍は怒る訳でもなく、叱ったりする事もしない。 それどころか微笑んでいるようですらあり、態度や雰囲気には余裕が満ちている。
「知っていたの? じゃあ、その上で私と同化していたって言うの……?」
 センカはそれを聞くと呆然とし、その場に立ち止まってしまう。
「あぁ。お前の気持ちは揺らぎ続け、結局どちらにも傾き切らなかった事も知っている」
 穏やかに話す光龍の視線には、確かな寛容さが含まれている。
「ぁ……」
 次の瞬間、驚いた表情をしているセンカの体には紋様が現れていく。
 そして両者の間には小さな光の玉が現れ、辺りを照らしていった。 暗闇に現れた一筋の光明は、光龍のセンカに対する気持ちが直接形となって現れたものかもしれない。
 それは見つめているだけで気持ちを朗らかにさせ、冷え切った体を温めてくれる。
「光龍。私の考えは身勝手でどうしようもないものなのかもしれない。けれど、だとしても私は……」
 だがセンカはまだそう言いながら、声と視線を下げたままだった。 心の中は申し訳ない気持ちで一杯なのか、わずかな光だけではとても気分を明るくする事は出来ないらしい。
「では、どうする。決めるのか、答えを」
 光龍はそれから少し真剣になると、思い切って尋ねていった。
「ううん、私は選ばないよ」
 センカはそれを聞くとゆっくりと振り返り、穏やかな顔をして答えていく。
「何……?」
 しかし光龍はまたも言っている意味が分からず、訝しむように眉間にしわを寄せていく。
「きっと私は、どちらも失いたくないんだと思う。だって私にとって、あなたもニンネ様も同じくらい大切なんだもの」
 そう言うセンカの顔は光の玉に照らされ、光を反射しながら白く輝いているかのようだった。
「私は何も失いたくなくて、そう済む方法を見つけたい。だから、どっちか片方だけなんて選べないよ」
 さらにそう言いつつ、両者の間にある光の玉越しに光龍の事を見つめていく。 その時にはすでに、顔は自信に満ちて誇らしげだった。
「欲張りだな」
 光龍はそんなセンカと光の玉を瞳に同時に映し、小さく呟く。
「幻滅した?」
 対するセンカは顔を傾げ、明るい声で聞き返していった。
「いいや、その逆だ。とても人間らしい。そうやって、正直に心情を吐露出来るのは特にな。皮肉などではなく、素直にそう思う」
 光龍もそれを聞くとわずかに口元を緩ませ、感じたものをそのまま言葉に変えていく。
「そっか。うん……」
 センカは嬉しそうに微笑み、それから眼下の方へ視線を移していった。
 すでに教主達はかなり先に進んでいるのか、蝋燭の明かりはほとんど見えなくなっている。
「光龍」
 そしてまた暗闇をじっと見つめると、目を伏せていく。 表情は少し前と同じように、塞ぎ込んで暗いものに見えた。
「何だ」
 光龍はそれを不審に思ったのか、顔を覗き込んでいく。
「それでも私はあなたを騙していた。その事に変わりはない。私は本来ならあなたと共にいる事すら許されない卑怯者だって自覚がある」
 だがセンカは顔を背けるかのように、ずっと横を向きながら喋っていた。
「……」
 光龍はその表情が悲痛なものになっているのに気付き、何と言えばいいのか分からずに口をつぐんでいる。
 そして光龍が動揺したからか、宙に浮かぶ光の玉も徐々に光量を弱めていった。
「だからいざとなったら、私をいつでも見捨てていいからね。光龍にはきっと私みたいな出来の悪い器なんかよりも、もっとお似合いの体があると思うよ」
 センカはそうなってからようやく振り向くと、寂しげに微笑んでいく。 ただし声に元気はなく、ひどく無理をしているかのようだった。
器、だと…… 私はこれまでお前の事を命のない、何かを収めるためだけの物として見た事など一度もないぞ 珍しく力の入った声 ど、どうしたの? 光龍……
「センカ……。お前は人が嫌いか?」
 しかし光龍は直後に怒ったような声を出すと、きつい視線を向けていく。
「……え?」
 センカは意図せぬものに対し、驚いたような声を上げていった。 思考は停止し、まともに答えられていない。
「答えろ」
 ただ光龍はなおもじっと見つめ、真剣な表情で問い詰めていく。 その強い思いと同調するかのように、光の玉はより強い光を放っていった。
「う、ううん。そんな事はないよ。ロウさんやサク君、トウセイさん。私の知る世界は決して広いものじゃないけれど……」
 センカはまだ戸惑いつつも、頭に浮かぶ考えを言葉に変えていく。 自分の辿ってきた道筋を思い出しているようで、穏やかな声を発しながらどこか楽しげにも見えた。
「それでもこれまでの出会いは素晴らしいものばかりだったもん。私はきっと……。ううん。絶対、人が好きだよ」
 やがてそう言うと、光に照らされながら楽しげに微笑む。 やや頬を赤らめた表情はいつものセンカそのもので、露わにした思いは本心に間違いないようだった。
「そうか。なら、その者達を思うように自分を大切にしろ。もう二度と自らを器などと言うな。いいか。お前はある日いきなり、泡のようにこの世界に湧いてきた訳ではない」
 光龍はそれを見ると、安堵したかのように目を閉じていく。
「人と人が思い合い、いくつもの障害を越えながらも命を引き継ぎ……。連綿とした果てしない繋がりの結果として、今日のお前があるのだ」 「誰かを欲する強い願い。誰かを信じる熱い気持ち。それは龍である私には到底理解出来ない。また永遠の命を持つが故に、私自身は命に固執しない」 「だがそれでも、これだけははっきりと分かる。お前の命は他に代用の効かぬ、とても尊いものであるのだ。それを理解し、しっかりと心に刻みつけておけ」  加えてそう説教をしつつも、やはり心配する気持ちが第一らしい。
 それは同化をしているからこそ、センカにもしっかりと伝わっていった。
「う、うん……。分かった。変な事言ってごめんね? 光龍」
 だからこそまた申し訳なさそうな表情をすると、素直に謝っていく。
「分かったのなら謝る必要はない」
 対する光龍はいつもの冷静な態度になると、ふと階段を見下ろしていった。
「あ、そうだよね。うん……」
 センカもそれに倣い、下を見つめていく。 すでに先には蝋燭の明かりはほとんど見えず、教主達の姿など影も形もない。
「大分、距離が開いてしまったな。まぁ、一本道だからそこまで案ずる必要もないか。急ぐぞ、センカ」
 全く先を見通せない深遠さに対し、光龍は少しうんざりとしつつあるようだった。 それでもすぐに気を切り替えると、光の玉を先行させていく。
 光の玉は真っ暗闇を降りていきながら、周囲に明るさを振り撒いていった。
 次に光龍はそれを頼りにして、一足先に階段を降りていく。
「あ、待ってよ。光龍……」
 センカは慌ててそう言うと、後を追って急いで駆け出していく。
 残ったのは遠ざかる足音と、何も映さない漆黒の暗闇だけだった。

「さ、寒い……。まるで氷の中にいるみたい……」
 速度を上げて階段を降りてきたセンカはそう言いながら、辺りを見渡す。
 地下深くまで来ると階段はすでに終わっており、辺りには開けた空間が広がっていた。 そこはそれまでよりも一層、暗鬱として凍えそうな程に冷え切ってもいる。
 側に光の玉がなければ、暗闇に押し潰されて気でも狂ってしまいそうだった。
「良かった、センカ。ついてこないものだから心配していましたよ」
 教主はようやく到着したのに気付くと、そう言って安堵の表情を浮かべている。
「ではお願いします」
 次いで辺りに目配せをしていくと、すぐ側にいた教団員達が一斉に動き出す。
 そして壁に備え付けられている蝋燭に、火をつけて回っていく。 それによって徐々に周囲は明るくなり、心なしか暖かくなったようにも感じられた。
 だが辺りは依然として薄暗く、結構な広さのある空間を端の方まで見通す事は出来ない。
「馬鹿な……。あれは……」
 だというのに、光龍は何かが自分の前方にある事に気付いたようだった。 目を見開いたまま、何かを凝視しながら絶句している。
「どうしたの、光龍?」
 センカは思わず心配そうな声を上げ、そちらへと近づいていく。
 しかし反応は返ってこず、光龍は依然として固まったままだった。
「ねぇ、光龍。あっちに何かあるの?」
 センカは何を見ているのか気になり、自分もその方向に目を凝らしてみる。
 初めは先に何があるのかはよく分からなかったが、次第に目が暗闇に慣れてきたようだった。 何もないように思えた場所に、ぼんやりとだが大きな物体が見えてくる。
「え!?」
 やがてそこにあるものを確認した瞬間、大きく驚きの声を上げていった。


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