第12話 追憶


「サク!」
 その時、そんな何者かが大声を発しながら近づいてくる気配に気付く。
「え……?」
 ついさっきまで周りに人はいなかったために、サクは戸惑いの表情を浮かべていた。
「どうしてお前がここにいるんだ……! お前は確か龍神様の元へ行ったはずだ! まさか、龍神様に拒絶されたのか……!?」
 声の主は先程とは別の男であり、そう言いながら詰め寄ってくる。
 男は泥に塗れた格好をして、焦った様子を隠そうともしていない。 さらに肩を掴んでくると、慌てふためいたままで問い質してきた。
「ううん、違うよ。僕はちゃんと木龍と同化したもの……」
 サクはいきり立つ男にまだ少し戸惑いながらも、首を横に振って答える。
「同、化……? それは龍神様に認められたという事か……?」
 聞いた事のない言葉に対して、今度は男が困惑の表情を浮かべていく。 だがそのおかげで少し落ち着いてきたのか、肩を掴む手の力も緩まっていった。
「うん、そうだよ。それで僕は龍になったはずだったのに……」
 サクはそう説明しながら、先程の木龍の話を思い出したようだった。 表情を曇らせた口はすぼまり、声はどんどん小さくなっていく。
「お前が龍に……? よく分からんが今回の事とは関係ないのか。俺はてっきり、お前が逃げたりしてそのせいでこんな事になったのかと……」
 もう全く動揺していない男は、全身から力が抜けていく。 手を放すと、何歩か後ろに下がっていった。
「だから、僕は逃げてなんていないってば……」
 サクは反発するかのように、頬を膨らませて抗議していく。 話す内に余裕が出てきたのか、表情は先程よりは明るくなっていた。
「そうだな、すまん……」
 男も以前とあまり変わらぬ反応を見たからか、少し安心したかのように口元を緩めていた。
「別にいいよ。ところで、さ……。僕のお父さんとお母さんがどこにいるか知ってる?」
 サクもそれに微笑みを返した後、村に来た本来の目的を思い出したようだった。 顔は真面目な表情に切り替わって、問いかける声も先程とは違っている。
「お前の両親か。さぁ、見ていないな……。死んだかどうかも分からないし、どこか別の所に移住したのかも……。いや、まだそうとは決まっていないか」
 男はその質問に対し、正直に答えていく。 しかし途中で声は詰まり、目線は逸らされるように外されていった。
「もしかしたらお前の様子を見に行っているのかもしれない……。すまんが、俺の方も忙しくてな。誰かに構っている暇はない。もう行かせてもらうぞ」
 顔はどこか気まずそうで、考え込むように顎の辺りに手も当てている。 そして軽く咳払いをすると、ばつが悪そうに少し急いで立ち去っていった。
 結局は両親の行方は分からぬままだったが、とりあえずサクは男を見送っていく。
「ねぇ、木龍。君ならこの辺り一帯を見通せるんじゃない?」
 他に手段が思いついたからこそ、どこか明るい顔をして問いかけていった。
「今の我にもそれくらいなら出来る。だがお前が探そうと思っている者はもう近くにはいないぞ」
 だが対する木龍はあっさりとした答えを、やけにはっきりと告げてきた。
「……そう」
 サクは表向きは平静を保ったまま、その場に静かに座り込んでいく。 顔は無表情であり、何の感情も浮かんではいなかった。

「不思議と涙は出ないものだね。君と同化したからかな?」
 サクは少し疲れたのか、溜息と共に目の前の家を眺めている。 自嘲気味に言いつつ、顔にはわずかに微笑みも浮かんでいた。
「そうだな。お前は意識せずとも、体が感情を制御するようになっている。これからは涙を流そうとしても簡単には出来なくなるだろう」
 木龍は頷くと共に、ずっと変わらぬ淡々とした物言いを続けていく。
「……感情が平坦になるって事?」
 サクは膝を抱えたまま上に顔を乗せ、引き続き問いかけた。
「さらに同化が進めば、もっとそうなる。完全同化に至れば笑ったり怒ったりする事も出来なくなるだろう。だが、感情が死んだ訳ではない」
 木龍は同じように家を眺めてそう呟くが、表立った感情はほとんど見られない。
「え?」
 しかしサクは対照的に、未だに豊かな感情を残している。
「涙が流れないからと言って、嘆いたり悲しんだりするのを無理に我慢する必要はないという事だ。いつかは消えるとしても、今はまだ人らしい感情は残っている」
 木龍はいつの間にか見下ろしながらじっと眺め、そう告げてきた。 表情はまるで変わらず、出会った時と同じ態度で接している。
「うん……」
 ただそれを聞くサクは、顔を俯かせて肩をわずかに震わせていた。
「ならばそれを大事にしておけ。今のお前はまだ、人に過ぎないのだから」
 そして木龍はさらにそう言うと、今度は視線を外して離れていった。
「うん……」
 サクはすでに側にいない木龍に対し、深く頷き返している。
「お父さん……。お母さん……。うっ、うぅっ……」
 口からは震える声を絞り出し、表情は少しずつ歪んでいく。 やがて頬を伝って、地面へと一筋の涙がこぼれ落ちていった。
 しかし涙が出ているのは片方の目からだけであり、逆の目からは涙が一滴も出ていない。
 その姿は事情を知らなければ、異様なものに映っていたはずである。 だがここには、他に人の姿はない。
「う、うわぁぁぁぁぁ……」
 大泣きしていた数日前と違い、サクはそこまで感情的にはなっていない。 だがそうだとしても、気持ちに嘘や偽りが混じっている訳ではない。
 両親に会えないのだと悟ったサクは、悲痛な声を上げて泣いている。 人である事に別れを告げるのは簡単でも、実の両親との別れはやはり辛いもののようだった。
 木龍はそんなサクが涙を流す姿を、少し離れた位置からただじっと眺め続けていた。 顔はまだ人というものを理解していないからか、どこか戸惑いを含んだ表情だった。

 サクはその後、誰とも会う事なく村から姿を消していく。 それに気付く者も引き留める者もおらず、寂しげな空風だけが共にあった。
 そして村に住んでいた他の者達も再建を諦め、新たな住処を求めて旅立っていった。
 少し前までは龍神の側で安寧を享受していた村は、何もかもを失って人々から忘れ去られていく。 やがて家の残骸や畑など、人が残したものはその悉くが自然に飲み込まれていった。
 一切が無に帰る中、それを嘆き悲しむ者すらそこには残っていなかった。

 一方で村を出たサクは他に行く当てもなかったので、木龍のいた森へと戻っていく。
 そこで湧水を飲み、食べられる植物や木の実を口にする。 さらに木龍の助言を借りて道具を作り、魚や獣を捕えて食する事もあった。
 今まで親に頼り切りだったサクはそこで様々な知識を教わったり、生存のための経験を積み重ねていく事になる。
 雨が降れば大樹の根本にある隙間に潜り込み、夜などもそこで眠る。 常に木龍と共にありながら、サクは心身共に成長していく。
 そうして大樹を家代わりにして、森の中にある自然の恵みを糧にしながら自然の中で生きていった。

 それから数日経ったある日、森から戻って来たサクは大樹の根本に座り込んだ。
 しかしどこか元気がなさそうで、顔も少しがやつれているように見える。
「お腹、空いたな」
 さらにそう言って腹を押さえると、体を丸めて俯いていった。 満足のいく食事が出来ていないのか、体調も良くないように見える。
 次にサクは憂鬱そうな顔をしたまま、虚空をじっと見つめていった。 その状態のまま手を前に出すと、緑色の紋様を光らせていく。
 すると目の前の地面からは、小ぶりな木が勢いよく生えていった。
「はぁ……。この力は確かに便利だけれど僕はまだまだ未熟みたい。せめて、実の付くような木が生やせたらいいんだけれどなぁ……」
 だがそれを見ても浮かない顔のままで、溜息をつきながら呟く。
 その後も何本か木を生やすが、どれも似たようなものしか生えてはこなかった。
「幾らサクの力が強まろうと、生活は楽になるまい。最近は魚の数も減り、果実も小さくなっている。食べられる植物や菌類も見かけなくなった」
 木龍は傍から眺めつつ、静かな独り言を呟いていく。
「加えてこの辺りでは大雨が降り続く事もあれば、直後に日照りが何日も続く事があった。この森にまで影響が及ぶとは……」
 視線は周りへ向けられ、龍にとっても珍しい事なのか怪訝そうな顔をしていた。
「もうすでに自給自足の生活は難しい。このままではサクが龍になる前に倒れてしまう。どうにかしなければな……」
 そして改めてサクの方へ目を向けると、ひもじさのせいで辛そうな顔をしている。
 少しずつ異変が忍び寄る中、新たな決断が迫りつつあるようだった。


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